いつものように、私は文机に向かっていた。
坂本君、もとい亀山社中への書状をしたためる。
英国との武器輸入の詳細を示唆する内容は、
極秘中の極秘である。得てして露見は許されない。
だが、万が一この手紙が他者の手に落ちる又は触れた時のため、
隠語を使い、文脈を偽り、
傍目には何の変哲もない文となるよう配慮していた。
書状に使う表現は様々で、敢えて統一しないでいるのは、
その方が自然であり、秘匿にも有効だから。
毎度同じ単語や言い回しばかりでは、
どこにいるとも知れない問者にも読み取れてしまうというもの。
念には念を入れておくに越したことはない……
時候の挨拶に始まって、近況報告を綴ったあと、
たまには異国語を使うのも悪くないかと思いつき、
私は棚から辞書を取り出した。
簡単な一語から日常的に使う一文まで……
様々を和訳した仏英一覧を、
一冊に纏めたもの。これの価値は高い。
今でこそ表立っては買えないが、
将来は一般層にも普及すると踏んでいる。
そう確信できるのは、
彼女から感じる未来の有り様が、
とても自由で公平だからだろうか……
何気なく彼女を思い浮かべたことで、
にわかに胸が温かくなる。
――不思議だ…これもまた、心に従っているということか?
身体が勝手に反応するのだから、考えるまでもないが…
これが私とは、面白い――
そのようなことを思いながら、
頁をめくっていると小さな紙片が少々はみ出していることに気がついた。
――おや?栞を挟んだ覚えはないのだが…――
不審に思い、紙片の挟まるを確かめるべく捲ると、
そこには薄桃色の和紙で出来た短冊があり、
なんとも可愛らしい文章が綴られていた。
「これは……!」
なんと言ったらよいのかわからなかった。
胸の内ですら言葉に詰まった私は、
大きく溜め息を漏らしていた。
「弱りましたね…」
どうやら私は、仕事の続きが出来なくなってしまったようだ。
この可愛らしい置き手紙を残した娘と、
今すぐ会って話したい衝動に駆られている……
――それにしても…――
いつの間にこんな所作を覚えたのだろうか。それとも彼女の本質がそうさせたのか……
どちらにせよ益々私を虜にして離さない……
彼女の策略には、到底適わないとさえ思えてくる。
一体いつからここに隠されていたのか……
私は彼女からの初めての文を大切にしまうと、
一字一句を、深く深く……
躍り止まない胸に刻み込んだ。
『大好きな小五郎さんへ
細密な作業、お疲れさまです。
忙しい時こそ休憩なさってくださいね。
お茶をお運びしますので、
呼んでいただけると嬉しいです。
頭を使う時は甘いものがおすすめですよ。
追伸
この頁にある仏語のlilasは、私の好きな花です。
小五郎さんの羽織に映える色ですから』
*――*――*―――
仏:lilas/りら
英:lilac/らいらっく
日:紫丁香花。
紫色や白色の花を春に咲かせ、香りが良い。
花言葉は純潔、初恋、友情など。
2010/12/11
恋文と栞。「ふみ」と「しおり」…この和風の響きが大好きです(●´艸`)
ちなみに紫丁香花(むらさきはしどい)は明治中期に渡って来たらしい。
No.33「効力はお手柄」に続きます39/64