二章 縁組み先の相談 side F
◆夢の話
「――という、悲しい夢を見たんです。もう可哀想で可哀想で、目が覚めたら涙でぐちゃぐちゃになってました」
マインの話はいつも唐突だ。今朝会った時に少し目元を腫らしていたことが午前中ずっと気にかかり、午後になって理由を問えば聞いてくださいますか?≠ニ悲しげな顔をして目に涙を滲ませる。焦って隠し部屋に促せば、なぜか昨夜の夢の話をしだしたのだ。訳がわからぬまま話が帰結するまで耐えた私の気疲れは筆舌に尽くし難い。
「はぁー……君は夢の中でも荒唐無稽な物語を読んでいるのだな」
「そうですか? 物語性があって引き込まれる夢だったのでお話してみたのですが……お気に召しませんでしたか? 結末を変えて娯楽要素を増やして、貴族向けの本として売れないかなと思ったのです」
「騎獣に乗らずに空を飛ぶなど非常識だろう」
「そこですか? もちろん、わたしの存在は削除しますけど……そもそも夢なら支離滅裂でも非現実的でも何でも有りではないですか。ここまで現実的な夢のほうが珍しいですよ。メスティオノーラ様の祝福かもしれませんし、本作りに活かさないと! 神官長だって不思議な夢を見て、その現象を調べたくなったこととかあるでしょう?」
「私は夢をみる薬を飲んで寝る時以外に夢をみることは無い。睡眠中の幻覚体験というのは本人の記憶や精神状態、願望などを投影していることが多いという研究発表もある。君は日頃の発想からして非常識だから、そのように突拍子もない夢を見るのだろう。シュラートラウムに遊ばれただけではないか?」
「むぅぅ……そもそも夢をみないなどと言う人は、夢の神様のご加護がないか、根本的な想像力が足りていないのではありませんか?」
マインが貴族らしくにこりと笑って邪気のない嫌みを言い放つ。
「あいにくと私は学生時代にシュラートラウムの加護を得たし、想像力に頼らずとも記憶力と思考力で事足りているな」
鼻で笑って言い返せば、悔しそうな顔をする。そんな彼女を見て満足する自分がいる。言い負かすのを楽しんでいるのかもしれない……私は気兼ねなく話せる相手が欲しかったのだろうか。己が人に好かれない性質である自覚はある。ましてや子供相手など……それなのにマインは萎縮することなく普通に話しかけてくる。厳しく指導しても全くへこたれない。私に遠慮なく文句を付けたり不満を溢したりするくせに、軽々と難易度の高い課題をこなしてみせる。それどころか私のために苦言を呈する事もある。まだ七歳の子供がだ。
(彼女は私が怖くないのだろうか……)
この頃は自分が相手にどう思われているのか≠ニいう、これまで一度として気にしたことが無かったことに意識が向いてしまう。相手の些細な変化に心配したり、恐れを抱いたり、気持ちが不安定になって落ち着かない。そうかと思えば、少しの対話で満たされる。雑談などという無駄の多い時間を取ることを許し、理由を作っては彼女のもとに通う自分……そして彼女を知れば知るほど、己との違いに打ちのめされるのだ。こんな自分が彼女に必要とされることなど無いのではないか?と。
光の女神とはそういう不安を煽る存在なのだろうか。彼女のそばにいて闇の神は眩しくなかったのだろうか。知らなかった感情を教わって、己の闇が深まることに苦痛を覚えなかったのだろうか。女神はそれすらも救い上げるような存在なのだろうか。
「話は終わりだ。さっさと本題に入るぞ。気に入った候補はあったか?」
考えても埓が明かない思考を切り捨てて、先日の答えを求める。
神官長が先に言い出したのに……と愚痴をこぼしながら、マインは預けていた木札を渡してくる。一番上にある木札を指し示し、
「こちらの方が良いかと思いました」
「……一応、理由を聞こう」
私の予想では、最も可能性が低いと判断した男だった。彼女が何をもって此奴を指定してきたのか気になる。
「それはですねぇ、えーっと、まずは中立派のお家であるということが一つ。派閥争いとか、わたしには向かないと思うのです。それから第一夫人やお子様がいらっしゃらないというのも良いですね。気を使う相手が少ないのは助かります。わたしが秘密を漏らしにくい環境ということですから。それが二つめ。最後の一つですが……この方は領主一族の傍系で、ご長男でいらっしゃいますよね。それも一度は結婚したことのある人です。ということはご実家から先祖由来の蔵書も受け継いでいらっしゃるのではと愚考しました!」
マインは晴れやかな笑顔で言い放った。どう考えても最後の一つが本音であろう……頭が痛いな。しかし、彼奴は集める情報の種類には拘らないはずだ。中には羊皮紙の書類や巻子本などの読み物もあるのだろう。マインの求める量の本があるかは知らぬが、当たらずとも遠からずといったところか。
「この者は私の元側近で、打診すれば断られることもないだろう。私の命令を必ず守るので、君の秘密が漏れることもない。そういう意味では安心なのだが……情報や素材の収集を趣味としており女装癖のある変人なのだが、それでも良いか?」
「えっ、女装趣味ですかぁ……さすが神官長の元部下って感じですね」
「それはどういう意味だ?」
私が笑みを深めると、ひぃぃと奇声を発して言い訳をする。マインは正しく私の不機嫌さを理解していた。彼女にはなぜか私の社交用の笑みも早い段階で見破られていた。無表情でいるつもりでも、思いがけない反応がある。しかもそれが的を射ているのだから末恐ろしい。
「うーん……神官長の側近だった方ならきっと優秀な人ですよね?」
「……変わり者で面倒だが、側仕え兼文官として使い勝手はかなり良い」
「すごい。神官長にそう言わせるなんて余程ですね。そんなに信頼されてる方なら特に問題ないのでは? 趣味は個人の自由ですし、わたしに男装しろとか無茶振りしてこないなら大丈夫だと思います。図書室があればさらに嬉しいですね」
「男装……そのような扱いは私が許さぬ。はぁ……問題ないのならば良い。話を通しておこう」
「ちなみに、わたしの出生の設定はどうなるのですか? 離婚された元奥様との間にできた子供を引き取ったという設定でしょうか?」
「いや、それはない。そうだな……必然的に愛人の子を隠していたということになるか。少し細工が必要だな。しかし良いのか? 口さがない者から庶子と蔑まれるようになるぞ?」
「特に気になりませんね。むしろ神官長とお揃いで、お似合いだと言われるのではありませんか? 良くも悪くも釣り合いが取れていると思われるなら問題なんてありませんよね?」
さらりと述べた彼女の言葉を噛み締める。
「そうか……」
これ以上なんと言って良いのか分からなかった。
「あっ、そうそう……」
しかし、その感動も長続きはしなかった。
「神官長ならご存知かなと思って持ってきたのですが……この首飾りに見覚えってありますか? 魔石に紋章みたいなのが書いてあるんですよ」
懐から小さな巾着を取り出して、マインはとんでもないことを平然と突きつける。
「今朝起きたら、枕元に夢の中で見たものとそっくりな首飾りが落ちてたんですよ。神様からのサービスですかね?」
「……は?」
(魔石の首飾りが落ちていた? 転移陣で送られてきたのか?!)
「待ちなさい! そのような不審なものに迂闊に触れ――」
言い終わる前にマインは取り出した首飾りに触れていた。
「え? でも朝からずっと持ってますけど何ともありませんよ?」
平然と魔石に触れ、手の平に転がした。
「不用心な……今後はそのような行動は慎みなさい。少なくとも危険がないと判断されるまでは魔力を持つ君は触れてはならぬ。込められた魔力の量や魔法陣の種類によっては無事では済まぬぞ」
危機管理の意識がなさすぎて恐ろしい。一度、軽率な行動がどれだけ危険かを身をもって理解させる必要があるかもしれぬ。このように、マインはいとも簡単に私を振り回してくれるのだった。
「――という、悲しい夢を見たんです。もう可哀想で可哀想で、目が覚めたら涙でぐちゃぐちゃになってました」
マインの話はいつも唐突だ。今朝会った時に少し目元を腫らしていたことが午前中ずっと気にかかり、午後になって理由を問えば聞いてくださいますか?≠ニ悲しげな顔をして目に涙を滲ませる。焦って隠し部屋に促せば、なぜか昨夜の夢の話をしだしたのだ。訳がわからぬまま話が帰結するまで耐えた私の気疲れは筆舌に尽くし難い。
「はぁー……君は夢の中でも荒唐無稽な物語を読んでいるのだな」
「そうですか? 物語性があって引き込まれる夢だったのでお話してみたのですが……お気に召しませんでしたか? 結末を変えて娯楽要素を増やして、貴族向けの本として売れないかなと思ったのです」
「騎獣に乗らずに空を飛ぶなど非常識だろう」
「そこですか? もちろん、わたしの存在は削除しますけど……そもそも夢なら支離滅裂でも非現実的でも何でも有りではないですか。ここまで現実的な夢のほうが珍しいですよ。メスティオノーラ様の祝福かもしれませんし、本作りに活かさないと! 神官長だって不思議な夢を見て、その現象を調べたくなったこととかあるでしょう?」
「私は夢をみる薬を飲んで寝る時以外に夢をみることは無い。睡眠中の幻覚体験というのは本人の記憶や精神状態、願望などを投影していることが多いという研究発表もある。君は日頃の発想からして非常識だから、そのように突拍子もない夢を見るのだろう。シュラートラウムに遊ばれただけではないか?」
「むぅぅ……そもそも夢をみないなどと言う人は、夢の神様のご加護がないか、根本的な想像力が足りていないのではありませんか?」
マインが貴族らしくにこりと笑って邪気のない嫌みを言い放つ。
「あいにくと私は学生時代にシュラートラウムの加護を得たし、想像力に頼らずとも記憶力と思考力で事足りているな」
鼻で笑って言い返せば、悔しそうな顔をする。そんな彼女を見て満足する自分がいる。言い負かすのを楽しんでいるのかもしれない……私は気兼ねなく話せる相手が欲しかったのだろうか。己が人に好かれない性質である自覚はある。ましてや子供相手など……それなのにマインは萎縮することなく普通に話しかけてくる。厳しく指導しても全くへこたれない。私に遠慮なく文句を付けたり不満を溢したりするくせに、軽々と難易度の高い課題をこなしてみせる。それどころか私のために苦言を呈する事もある。まだ七歳の子供がだ。
(彼女は私が怖くないのだろうか……)
この頃は自分が相手にどう思われているのか≠ニいう、これまで一度として気にしたことが無かったことに意識が向いてしまう。相手の些細な変化に心配したり、恐れを抱いたり、気持ちが不安定になって落ち着かない。そうかと思えば、少しの対話で満たされる。雑談などという無駄の多い時間を取ることを許し、理由を作っては彼女のもとに通う自分……そして彼女を知れば知るほど、己との違いに打ちのめされるのだ。こんな自分が彼女に必要とされることなど無いのではないか?と。
光の女神とはそういう不安を煽る存在なのだろうか。彼女のそばにいて闇の神は眩しくなかったのだろうか。知らなかった感情を教わって、己の闇が深まることに苦痛を覚えなかったのだろうか。女神はそれすらも救い上げるような存在なのだろうか。
「話は終わりだ。さっさと本題に入るぞ。気に入った候補はあったか?」
考えても埓が明かない思考を切り捨てて、先日の答えを求める。
神官長が先に言い出したのに……と愚痴をこぼしながら、マインは預けていた木札を渡してくる。一番上にある木札を指し示し、
「こちらの方が良いかと思いました」
「……一応、理由を聞こう」
私の予想では、最も可能性が低いと判断した男だった。彼女が何をもって此奴を指定してきたのか気になる。
「それはですねぇ、えーっと、まずは中立派のお家であるということが一つ。派閥争いとか、わたしには向かないと思うのです。それから第一夫人やお子様がいらっしゃらないというのも良いですね。気を使う相手が少ないのは助かります。わたしが秘密を漏らしにくい環境ということですから。それが二つめ。最後の一つですが……この方は領主一族の傍系で、ご長男でいらっしゃいますよね。それも一度は結婚したことのある人です。ということはご実家から先祖由来の蔵書も受け継いでいらっしゃるのではと愚考しました!」
マインは晴れやかな笑顔で言い放った。どう考えても最後の一つが本音であろう……頭が痛いな。しかし、彼奴は集める情報の種類には拘らないはずだ。中には羊皮紙の書類や巻子本などの読み物もあるのだろう。マインの求める量の本があるかは知らぬが、当たらずとも遠からずといったところか。
「この者は私の元側近で、打診すれば断られることもないだろう。私の命令を必ず守るので、君の秘密が漏れることもない。そういう意味では安心なのだが……情報や素材の収集を趣味としており女装癖のある変人なのだが、それでも良いか?」
「えっ、女装趣味ですかぁ……さすが神官長の元部下って感じですね」
「それはどういう意味だ?」
私が笑みを深めると、ひぃぃと奇声を発して言い訳をする。マインは正しく私の不機嫌さを理解していた。彼女にはなぜか私の社交用の笑みも早い段階で見破られていた。無表情でいるつもりでも、思いがけない反応がある。しかもそれが的を射ているのだから末恐ろしい。
「うーん……神官長の側近だった方ならきっと優秀な人ですよね?」
「……変わり者で面倒だが、側仕え兼文官として使い勝手はかなり良い」
「すごい。神官長にそう言わせるなんて余程ですね。そんなに信頼されてる方なら特に問題ないのでは? 趣味は個人の自由ですし、わたしに男装しろとか無茶振りしてこないなら大丈夫だと思います。図書室があればさらに嬉しいですね」
「男装……そのような扱いは私が許さぬ。はぁ……問題ないのならば良い。話を通しておこう」
「ちなみに、わたしの出生の設定はどうなるのですか? 離婚された元奥様との間にできた子供を引き取ったという設定でしょうか?」
「いや、それはない。そうだな……必然的に愛人の子を隠していたということになるか。少し細工が必要だな。しかし良いのか? 口さがない者から庶子と蔑まれるようになるぞ?」
「特に気になりませんね。むしろ神官長とお揃いで、お似合いだと言われるのではありませんか? 良くも悪くも釣り合いが取れていると思われるなら問題なんてありませんよね?」
さらりと述べた彼女の言葉を噛み締める。
「そうか……」
これ以上なんと言って良いのか分からなかった。
「あっ、そうそう……」
しかし、その感動も長続きはしなかった。
「神官長ならご存知かなと思って持ってきたのですが……この首飾りに見覚えってありますか? 魔石に紋章みたいなのが書いてあるんですよ」
懐から小さな巾着を取り出して、マインはとんでもないことを平然と突きつける。
「今朝起きたら、枕元に夢の中で見たものとそっくりな首飾りが落ちてたんですよ。神様からのサービスですかね?」
「……は?」
(魔石の首飾りが落ちていた? 転移陣で送られてきたのか?!)
「待ちなさい! そのような不審なものに迂闊に触れ――」
言い終わる前にマインは取り出した首飾りに触れていた。
「え? でも朝からずっと持ってますけど何ともありませんよ?」
平然と魔石に触れ、手の平に転がした。
「不用心な……今後はそのような行動は慎みなさい。少なくとも危険がないと判断されるまでは魔力を持つ君は触れてはならぬ。込められた魔力の量や魔法陣の種類によっては無事では済まぬぞ」
危機管理の意識がなさすぎて恐ろしい。一度、軽率な行動がどれだけ危険かを身をもって理解させる必要があるかもしれぬ。このように、マインはいとも簡単に私を振り回してくれるのだった。
2023/04/02