二章 縁組み先の相談 side M
◆その晩にみた夢
わたしは空を飛んでいた。
森に行く時に通る門とは規模が全く違う、大きな門に近付いていく。不思議な膜を通り抜けて、見下ろした下界では草木が枯れ、放置されて乾いた畑や壊れた集落の跡があり、荒廃した土地に見える。
(どこの景色だろう……)
どんどん空を飛び進むと都のような場所にたどり着いたが、そこにいる平民はエーレンフェストと全く違って見える。街の白さに反して顔色が悪いというか、暗いのだ。
そういう覇気のない街の人達に紛れて、時々おかしな集団というか、他人の物を狙って目をギラギラさせた人達がいる。
(子供も全然いない……ここは飢えに苦しんでる地方なのかも……)
領都の貧民街で育ったマインだが、ここまで困窮してそうな人は見たことがなかった。
(どうか神のお導きがありますように!)
エーレンフェストのそれにそっくりな神殿が見えてくると、無意識のうちに水の女神フリュートレーネや土の女神ゲドゥルリーヒ、導きの神エアヴァクレーレンに祈りを捧げていた。
すると視界が暗転し、今度はお城のように広い屋敷のなかを漂っている。
母親らしき女性が、悲しい不満を口にする娘を安心させるように諭して準備を急かしている。それを見守る周囲の大人――側仕えのような人達の顔色は悪い。
「伯父様のところへですか?」
幼い少女は急な決定に驚いているようだ。
「ええ、そうよ。あなたはまだ一度もエーレンフェストの親戚に会ったことがなかったでしょう? わたくしのお兄様や、あなたの従兄弟たちに会ってくると良いわ」
「ですが、もうすぐわたくしの洗礼式が……」
「ごめんなさいね。お父様もわたくしも、お城の仕事が忙しくなってしまったの。だから洗礼式は冬に延ばすことにしたわ。あなたは今日までとっても頑張りましたから、ご褒美に向こうでは夏に七歳になったということにして過ごして良いですよ。わたくしの代理で向かう淑女として、色んなことを見聞してちょうだい。そして帰ってきたら、成長したあなたの姿をわたくし達に見せて安心させてちょうだい」
そう言って母親は娘の手に指輪をはめて微笑んだ。
「わかりました! わたくし、精いっぱい社交を頑張ってきますわ」
「あなたに馬車の長旅は辛いでしょう。さぁ、このお薬を飲んで。そうすれば眠っている間に着いてしまうわ。起きたらきちんと周りを確認して、皆様にご挨拶するのよ?」
「はい、お母様。……おやすみ、なさい……」
クッションを敷き詰めた魔術具みたいな飾りの付いた箱の中に、小柄な少女が眠ったまま入れられていく。母親は娘に首飾りをつけて、手紙を抱えさせた。
隣の婦人が心配そうに覗き込む。
「奥様……」
「大丈夫よ、お兄様ならきっと助けてくださるわ……ああ見えて妹のお願いには弱いのよ? それより、ヒルデリータ。貴女も十分に危険なのよ。本当に任せて大丈夫?」
「お任せください。手筈は整えてございます。お嬢様は必ず……そのかわり、わたくしは最後まで奥様にお供さてくださいませ」
「……ありがとう、ヒルデリータ」
場面はくるくる変わる。
少女を入れた箱は、途中で何度か人を介して様々場所へ馬車で運ばれていく。
そして今は御者をしていた男達の話し合い――
「もう残りはコレ一つだ。どう考えても間に合わねぇよ」
「だけど、ドリーの頼みだ。アイツには恩がある。無下にはできん……行けるとこまで進むべきだ」
「他を危険に晒してまでか? ドリーだってここまで情勢が悪くなるとは思ってなかったんじゃないか? それにお貴族様案件だ。下手したら俺ら全員……」
「それはない。ドリーは多少の無理をしても、成功すれば恩赦は確実だと言っていた。とにかく中身を無事に届けることを優先しろと」
「成功したらだろ……それに、これは俺のカンだけどよ。この中にはそうとうヤバいもんが入ってるぜ? 秘密にされてる中身を無事に届けたとして、その中身を知ってしまった時点で首が飛ぶんじゃないか?」
「それは……しかし……」
「なぁ、グルド。お前だけじゃない、俺たち家族みんなの命運がかかってるんだぞ……頼むよ」
「…………」
どうやらかなり雲行きが怪しい。
これまでの旅も苦労していたようだったが、最後の魔石を売るか売らないかで意見が分かれ、進退窮まっている。
でもあの箱の中には小さな女の子が眠っているのだ。危ないことなんて無いはずだ。むしろドリーさんって人の言う通り、無事に親戚のおうちに届けてあげたら泣いて感謝されるだろう。褒賞だってありそうだ。
諦めないで!と心の中で叫ぶ。
きっと少女の両親は、誰かに命を狙われているとかで、娘だけでも安全な場所に逃したかったんじゃないだろうか。お屋敷を出た日から数年は経ってるみたいだし、探しに来る人もいないみたいだから、もしかしたら両親はすでに亡くなってるのかもしれない。
迎えを手配する余力もなかったのだろう。今ここで旅商人みたいなこの人たちが諦めてしまったら……荷物を放棄してしまったら……あの子はどうなっちゃうの?
大きな魔石が高価なのは知っている。売れば家族を十分に養える金額になるのだろう。だけどそれを渋るということは、この箱にはその魔石が必要なんじゃないの?
(お願い、見捨てないで……!)
そんな祈りも虚しく、数日後の光景だろうか。その箱を木の根元に掘った穴に埋めている男達の姿が見えた。森のなか、リンゴのような実がついた樹の根元に埋められていく――
まるで棺を埋葬しているみたいだ。
こんな寂しいところで、少女はたった一人で死んでしまったのだろうか……なんて悲しいお話だろう。夢だと分かっていても辛い。
わたしがマインとして目覚めた時と同じように、あの時のマインと同じように……貴族である少女も熱に苦しんで消えていったのだろうか。
あんな苦しみに抗い続けて生きるより、諦めて消える方が辛くないのだろうか。それとも飢えて亡くなったのだろうか――
(神様どうか、小さなあの子の最期が穏やかで、幸せな記憶に満ちていますように……)
真っ暗になった夢の中、わたしは泣きながら祈っていた。
わたしは空を飛んでいた。
森に行く時に通る門とは規模が全く違う、大きな門に近付いていく。不思議な膜を通り抜けて、見下ろした下界では草木が枯れ、放置されて乾いた畑や壊れた集落の跡があり、荒廃した土地に見える。
(どこの景色だろう……)
どんどん空を飛び進むと都のような場所にたどり着いたが、そこにいる平民はエーレンフェストと全く違って見える。街の白さに反して顔色が悪いというか、暗いのだ。
そういう覇気のない街の人達に紛れて、時々おかしな集団というか、他人の物を狙って目をギラギラさせた人達がいる。
(子供も全然いない……ここは飢えに苦しんでる地方なのかも……)
領都の貧民街で育ったマインだが、ここまで困窮してそうな人は見たことがなかった。
(どうか神のお導きがありますように!)
エーレンフェストのそれにそっくりな神殿が見えてくると、無意識のうちに水の女神フリュートレーネや土の女神ゲドゥルリーヒ、導きの神エアヴァクレーレンに祈りを捧げていた。
すると視界が暗転し、今度はお城のように広い屋敷のなかを漂っている。
母親らしき女性が、悲しい不満を口にする娘を安心させるように諭して準備を急かしている。それを見守る周囲の大人――側仕えのような人達の顔色は悪い。
「伯父様のところへですか?」
幼い少女は急な決定に驚いているようだ。
「ええ、そうよ。あなたはまだ一度もエーレンフェストの親戚に会ったことがなかったでしょう? わたくしのお兄様や、あなたの従兄弟たちに会ってくると良いわ」
「ですが、もうすぐわたくしの洗礼式が……」
「ごめんなさいね。お父様もわたくしも、お城の仕事が忙しくなってしまったの。だから洗礼式は冬に延ばすことにしたわ。あなたは今日までとっても頑張りましたから、ご褒美に向こうでは夏に七歳になったということにして過ごして良いですよ。わたくしの代理で向かう淑女として、色んなことを見聞してちょうだい。そして帰ってきたら、成長したあなたの姿をわたくし達に見せて安心させてちょうだい」
そう言って母親は娘の手に指輪をはめて微笑んだ。
「わかりました! わたくし、精いっぱい社交を頑張ってきますわ」
「あなたに馬車の長旅は辛いでしょう。さぁ、このお薬を飲んで。そうすれば眠っている間に着いてしまうわ。起きたらきちんと周りを確認して、皆様にご挨拶するのよ?」
「はい、お母様。……おやすみ、なさい……」
クッションを敷き詰めた魔術具みたいな飾りの付いた箱の中に、小柄な少女が眠ったまま入れられていく。母親は娘に首飾りをつけて、手紙を抱えさせた。
隣の婦人が心配そうに覗き込む。
「奥様……」
「大丈夫よ、お兄様ならきっと助けてくださるわ……ああ見えて妹のお願いには弱いのよ? それより、ヒルデリータ。貴女も十分に危険なのよ。本当に任せて大丈夫?」
「お任せください。手筈は整えてございます。お嬢様は必ず……そのかわり、わたくしは最後まで奥様にお供さてくださいませ」
「……ありがとう、ヒルデリータ」
場面はくるくる変わる。
少女を入れた箱は、途中で何度か人を介して様々場所へ馬車で運ばれていく。
そして今は御者をしていた男達の話し合い――
「もう残りはコレ一つだ。どう考えても間に合わねぇよ」
「だけど、ドリーの頼みだ。アイツには恩がある。無下にはできん……行けるとこまで進むべきだ」
「他を危険に晒してまでか? ドリーだってここまで情勢が悪くなるとは思ってなかったんじゃないか? それにお貴族様案件だ。下手したら俺ら全員……」
「それはない。ドリーは多少の無理をしても、成功すれば恩赦は確実だと言っていた。とにかく中身を無事に届けることを優先しろと」
「成功したらだろ……それに、これは俺のカンだけどよ。この中にはそうとうヤバいもんが入ってるぜ? 秘密にされてる中身を無事に届けたとして、その中身を知ってしまった時点で首が飛ぶんじゃないか?」
「それは……しかし……」
「なぁ、グルド。お前だけじゃない、俺たち家族みんなの命運がかかってるんだぞ……頼むよ」
「…………」
どうやらかなり雲行きが怪しい。
これまでの旅も苦労していたようだったが、最後の魔石を売るか売らないかで意見が分かれ、進退窮まっている。
でもあの箱の中には小さな女の子が眠っているのだ。危ないことなんて無いはずだ。むしろドリーさんって人の言う通り、無事に親戚のおうちに届けてあげたら泣いて感謝されるだろう。褒賞だってありそうだ。
諦めないで!と心の中で叫ぶ。
きっと少女の両親は、誰かに命を狙われているとかで、娘だけでも安全な場所に逃したかったんじゃないだろうか。お屋敷を出た日から数年は経ってるみたいだし、探しに来る人もいないみたいだから、もしかしたら両親はすでに亡くなってるのかもしれない。
迎えを手配する余力もなかったのだろう。今ここで旅商人みたいなこの人たちが諦めてしまったら……荷物を放棄してしまったら……あの子はどうなっちゃうの?
大きな魔石が高価なのは知っている。売れば家族を十分に養える金額になるのだろう。だけどそれを渋るということは、この箱にはその魔石が必要なんじゃないの?
(お願い、見捨てないで……!)
そんな祈りも虚しく、数日後の光景だろうか。その箱を木の根元に掘った穴に埋めている男達の姿が見えた。森のなか、リンゴのような実がついた樹の根元に埋められていく――
まるで棺を埋葬しているみたいだ。
こんな寂しいところで、少女はたった一人で死んでしまったのだろうか……なんて悲しいお話だろう。夢だと分かっていても辛い。
わたしがマインとして目覚めた時と同じように、あの時のマインと同じように……貴族である少女も熱に苦しんで消えていったのだろうか。
あんな苦しみに抗い続けて生きるより、諦めて消える方が辛くないのだろうか。それとも飢えて亡くなったのだろうか――
(神様どうか、小さなあの子の最期が穏やかで、幸せな記憶に満ちていますように……)
真っ暗になった夢の中、わたしは泣きながら祈っていた。
2023/04/02