!『源氏物語』『あさきゆめみし』の"朧月夜の君”を参考にしたおはなしです。


「私泣いたの。あなたに家庭があるって知ったとき。ほんの少しだけど」

とあるバーのカウンター。隣に座るナマエは俺の薬指の銀を見つめて言った。

「お前が?……まさか」

俺はグラスを傾けながら少し笑う。

「何があっても泣かない女だとでも思ってる?」

ナマエは乱れた髪をかき上げる。薄明かりの店内であらわになった白い首筋はひどく扇情的だった。

「いや。……でもお前には似合わないな」

「ひどい。でもそうね。…私もそう思うからすぐに泣くのはやめたの」

ナマエは俺の太ももにそっと手を置いて「それにね」とささやいた。

「あなたと私は…たとえば子供ができたとしてもうまくいかないわ」

「心外だな。俺はいい父親にはなれない?」

「そうよ。ううん、ちがうなんて言っても駄目。私にはわかるの。私達は同類だわ。家庭に落ち着くことができない種類の人間なの」

ナマエは笑みを深めた。
ベッドの上で重なるだけの関係だった。左手に約束を持たないからこそ上手くいっていると、そう思うのは俺だけじゃないらしい。
ナマエの白い手が俺の頬を触れる。そして引き止める間もなく離れていった。
名残惜しく追いかけた俺の指先をそっとかわして彼女は告げた。

「結婚するの」

グラスを置いてナマエを見つめる。信じられないような話だった。

「本気か?」

ナマエもこっちを向きながら黙って頷いた。

「……俺以上に好きになれるのか」

自信過剰ともとれる俺の言葉にナマエは少し目を見開く。そしてくすくすと笑った。

「わからないわ。そんなこと。でも……案外簡単にあなたのことも忘れるかもね」

「…生意気な女だな、お前は」

俺はグラスを持ち上げて少しわらった。

「だって私あなたに選ばれたわけじゃないもの。私があなたを選んであなたを愛したのよ」

意志の強い瞳はいつの間にか俺以外のどこかを見ている。

「だから今彼をあなたより愛してるかは問題にならない。未練が残ってもけして後悔したりしない。気持ちの中に残ったものはそのまま抱えて生きていけばいいもの」

隣には決意に向かう揺るぎのない眼があった。
ナマエは紙幣を置いて席から立つと背筋を伸ばして俺をまっすぐに見つめた。

「さよなら、クロロ」

すべてがかすむような笑顔だった。
聞きなれたヒールの音が背後を通り過ぎて遠ざかって行く。

出会った頃にしても今にしても、俺のことなど見ていないナマエの真っ直ぐ澄んだ眼に俺はどうしようもなく焦がれていた。けれどようやく振り向かせて手に入れて、今度はナマエが俺を求めだすとやがてどこか熱は冷めた。それが別れを切り出された今になってまた加熱する。なんて不毛な憧れだ。
内心で薄笑いし、おわりの一口を飲み干すと夜の街へ飛び込んだ。

「ナマエ!」

人目も介さずに彼女の名前を叫んだ。
ナマエが振り向くより先に背中から抱きしめた。逃さないように強く。
最後の夜になるんだろう。

朧月夜
(かがやくように綺麗なその眼を奪い取って俺だけのものにしたかった)
20150402

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