病院の白いベッド。彼はすぐ傍にいる。なのにもう笑った顔が見られない。




「ヒーソカ」

綺麗好きな彼らしく掃除が行き届いた部屋をのぞく。だけどヒソカはいなかった。シンプルな家具たちの中でも存在感がある大きくて清潔な白いベッド。そこに彼はほんのさっきまで腰かけていたはず。それなのにシーツには何故かしわひとつ残っていなかった。まるでベッドメイキングしたまま誰も指一本触れていないかのように。私はひとり首をひねる。おかしいな。たしかにここにいるのを見たと思ったのに。

「ヒソカー?」

リビングをのぞく。ここにもいない。窓際に置いたサボテンは少し元気をなくしているように見える。買って来た当時ちょっと妬けてしまうくらいヒソカはそれを愛でながらサボテンのうんちくをたれていた。それがもう何週間も水をあげてるところを見ていない。「このサボテンもう水あげていいの?それともまだダメなんだっけ?」それを聞きたくて探してたんだ。サボテンは育てるのがむずかしいと誰かが言ってたから。

「ヒソカ…?」

キッチンをのぞく。私よりずっとエプロンが似合う彼は今朝も冗談みたいに美味しい卵焼きを作ってくれた。一緒に朝ご飯を食べてお皿を洗って、洗濯物を干して、その後で部屋に戻った彼はひとりベッドに座って本を読んでいた。ヒソカはたしかにさっきまで家にいた。
ー本当に?
本当に私は今日ヒソカと会ったっけ?
もうずっと前からここにヒソカはいないって知ってるでしょ。
ふいに妙な考えが頭の中を占拠しはじめる。
ヒソカはいない。その七文字が頭の中で赤く点滅しているような気がした。
私はヒソカがいた証拠を見つけたくてゴミ箱を開けた。だけど彼がゴミ捨てをしたのか、もう卵の殻は残っていなかった。洗ったお皿やフライパンにいくつも光っていた小さな水滴もとっくに乾いてしまっている。

「ヒソカ…どこなの……?」

廊下、バスルーム。トイレ、クローゼット、私の部屋。いない。どこにもいない。頭の隅でヒソカの笑顔がちらつく。その顔を長い間見ていないような気がしてしまうのはなんで。息苦しい。どうしてどこにもいないの。
気がつけば叫んでいた。

「ヒソカっ…ヒソカ!」

お願い返事をして。こわいよ。ヒソカ、ヒソカ。

「呼んだかい?」

網戸を開く音がしてベランダから声がした。

「ヒソカっ!」

いた。ちゃんといた。駆け寄ってヒソカのシャツを掴むと彼はからかうように笑った。

「なに、僕が恋しかったの?」

けれど私の表情に気がつくと心配そうに眉をしかめた。

「…どうして泣いてるんだい?」

「………ヒソカが私を置いてどこか行っちゃったと思った」

「え?」

「だってどこにもいないんだもん…」

恨みがましく見上げるとヒソカは少し困ったように笑う。

「洗濯物が落ちてたから拾ってきただけだよ」

私はそれでも聞き分けのない子供のように首を振ってヒソカのシャツをいっそう強く握りしめた。彼の指が濡れた私の目元をぬぐう。

「馬鹿だな。僕が君を置いてどこか行けるはずないだろ」

小さな子供をさとすように彼はやさしく笑い飛ばしてくれた。

「……よかった…ヒソカ」

彼の腕がそっと私を抱き寄せる。大きな手の平が「だいじょうぶだよ」というように背を撫でた。





ーっていうところで目が覚めたの。

ーへえ、夢を見たご感想は?

ーずっと眠っていられたらよかったのに。

ーそれじゃ僕がさみしいけどな。

ーそれでも、起きたくなんてなかった。

ーどうして?

ーだって現実のヒソカは「私」をひとり置いていっちゃったでしょ。







うつ伏せていた頭を起こす。目に痛いほどの白、それと自分の腕が目に映る。ベッドに頭を預けて寝ていたのだと気づく。ああそうか、ここは病院だ。ベッドにはヒソカが寝ていて、その横でいつの間にか眠ってしまって夢を見てたんだ。家の中でどれだけ探して回ってもヒソカを見つけられない夢。やっと見つけたと思ったらそこで夢は終わってしまった。今「私」は病院にいる。これが現実だ。腕にいくつも管をつけたヒソカは何度呼んでも答えない。無機質な電子音だけがこだまのように響いている。

「ヒソカ…」

ねえヒソカ、私を置いて行くはずないって言ったじゃない。はやく起きて。ひとりにしないで。






「ナマエ」

ヒソカの声がする。左手を握られる。彼の体温だ。ああ、よかった全部ただの夢だったんだ。嫌な夢を見てたんだ。ヒソカがすごく強い人と闘ってひどい怪我を負って病院に運ばれて白いベッドの上で眠っている。たしかに息をしているのにどれだけ呼んでも起きてくれない、怖い夢。でも本当の彼はちゃんと口が聞けるし動けるしあたたかい手をしてる。

「ナマエ、ナマエ、」

そんなに何度も呼ばなくたって聞こえてるよ。待ってよ今返事をするから。

「お願いだ、ナマエ…」

泣いてるの?ヒソカ。もしそうなら、いつかヒソカが私にしてくれたように私も涙をぬぐってあげたい。でも手が動かないの。お願いって何?できることなら聞いてあげたい。ヒソカの顔が見たい。だけど思うようにまぶたが開かない。

病院の清潔な白いベッドに私は眠っている。彼はすぐ傍にいてくれるのにもうその顔を見ることができない。私の名前を呼ぶ声はちゃんと聞こえているのに。

end.
20150918

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