「シャルって本当にやさしいね」
まるくなった角砂糖をスプーンでかき混ぜながら、ナマエはカップの中をのぞきこんだまま顔を上げない。
「角砂糖取ってあげたくらいで、大げさだな」
俺は笑った。
「そうかな」
ナマエは笑わない。スプーンをソーサーに置くと、両手でカップを包みながら言った。
「じゃあその笑顔ってなんのため?」
言葉の鋭さにひやりとする。
「俺はナマエと居られるだけで笑顔になれるけど」
ナマエはどうでもよさそうにコーヒーをすすった後、俺じゃないどこかを見ながらつぶやいた。
「そう、やさしいね」
俺のやさしさはナマエをつなぎとめておくためのものだった。どこまでも甘やかして俺に依存させて、ナマエが俺なしでは居られなくなればいいと思っていた。
「いつも車道側を歩くのも、待ち合わせをしたら必ず先にいるのも、重い荷物を持ってくれるのも、誕生日に花をくれるのも、たぶん全部シャルのやさしさだよね」
「だから、大げさだって。恋人なんだからそれくらい、」
「うれしかったよ。私が忙しくて会えないって言ったとき無理しないでいいよって言ってくれたのも、でも私が会いたいって連絡したときすぐに時間を作ってくれたのも、けんかして傷つけたとき笑って許してくれたのも」
ナマエは依然として俺を見ようとしなかった。はっとして俺はナマエを見据える。
「何これ、別れ話?」
そこでナマエはようやく俺を見て悲しそうに首を横に振った。
「違うよ。私はね、シャルといるとすごく心地いいって言ってるの」
ほっと胸をなでおろす。別れるくらいなら殺そうと思った。
俺といるのが心地いいのは当たり前だ。俺はそれを必死に作りあげているんだから。
「シャルが私をよく理解してやさしくしてくれてるからだと思う」
そうだよ。実際、俺はナマエのことなら誰よりも知り尽くしている自信がある。常に一番の理解者でいるために努力も欠かさない。ナマエの求めるものがわかるように。
「でもシャルはわかってないこともあるんだよ」
俺はぴくりと眉を動かす。とたんに焼けつくような感情が胸の底から上がってきた。原因は分かってる。ナマエの理解者としてプライドが傷ついたんだ。
「何が?俺はナマエのどこを分かってないの?」
ナマエはふふっと無邪気に笑う。俺はちっとも笑えないでいる。
ナマエの目が射抜くように俺を見すえた。
「私はシャルを好きだよ。シャルはそれをわかってないじゃない」
ナマエが俺を好き。何だそんなことか。
「知ってるよ」
「そうじゃない。あのねシャル。やさしくないシャルでもいいんだよ」
俺は言葉を詰まらせた。浅い呼吸が胸を通り過ぎる。
昼下がりのカフェのテラス、陽だまりの中でナマエはゆるやかに笑った。
「もしもシャルが遅刻したときはちゃんと来るまで待ってるよ。傷ついたら怒ってもいいし、会いたい時はわがままになってもいいんだよ。私は離れて行ったりしない」
喉の奥が痛い。泣きそうだ。
ずっと不安で仕方なかった。
待ち合わせに遅れたらナマエはいなくなってしまうかもしれない。怒ったりしたらきっと面倒がられるだろう。わがままになったら、ナマエはきっと離れていく。嫌われたくない。置き去りにされたくない。
俺はあの街に捨てられた記憶を今も忘れられずにいる。いつも終わりを想像して取り残されることばかりおそれている。
その何もかもがナマエに見透かされていた。
「私はシャルのやさしいところも好きだけど、やさしいからシャルを好きになったんじゃないよ」
俺はまるで初めて告白されたように真っ赤になって顔を抑える。
「わかった?」
ナマエが首を傾げてたずねる。俺は顔を抑えたままでゆっくりとうなずいた。全身が熱い。
「シャルはこわがりなんだね」
ナマエの手が俺の頭をやさしく撫でる。
そうだよ。本当はいつだってその手に触れるのも触れられるのも怖くて仕方がなかったんだ。
End.
20150505.(20160315加筆修正)