ホームシック・ナポリタン | ナノ


パソコンのキーボードをたたく音とやさしい体温、それに嗅ぎ慣れた香水のにおいとが心地良くて、落ちるようにまどろみかけていたところだった。

「なまえ、寝るなら自分の部屋にもどれ」

背中に寄りかかってうとうとしていたわたしに、クロロは言った。

「…どうして」

「邪魔だ」

冷えた声に、急に部屋の温度が下がった気がする。眠気はどこかへ行ってしまった。

「……少し外に出て来ていい?」

「駄目だ。ひとりで行くな」

「シャルに一緒に来てもらうならいい?」

「シャルも今は手が離せない。待っていろ」

「そう言ってもう一ヶ月ホテルに缶詰めじゃん」

返事はない。

「ねえ、クロロ」

振り返ってクロロの顔をのぞき込む。けれどクロロは横顔を見せたままパソコンのキーボードを叩くばかり。

「クーロロー。クロロ、クロロー」

しつこく話しかけていたらクロロはようやく口をきいてくれた。相変わらず視線はパソコンの画面に向いたままだけど。

「なまえ、お前いくつになった?」

「十四だよ。今年で」

クロロが話してくれたのがうれしくて、膝の上に耳を置きながら答える。クロロのジーンズは、煙草くさいフィンのそれとは違って古い本のようななつかしいにおいがする。それが好きだった。

「そうか、ならもう立派な大人の女だな」

「そうよ。一人前の淑女になったの」

「よく言った。それなら食べ物の好き嫌いはもうないな?」

「やだ。それいつの話?」

「夜もひとりでトイレに行けるか?」

「当たり前だわ」

「では向こうへ行っててくれるな」

「もちろん!」

勢いそうこたえてから、しまったと口を押さえる。

「よしいい子だ」

立ち上がったクロロは慈悲深そうなまなざしで私を見下ろした。あ、この眼は……。
予感したときには逃げる間もなく服のえり首をつかまれてポイと廊下へ放り出されていた。

「ちょっと待ってよ」

「いい子だから部屋でおとなしくしてろ」

目の前で無情に閉まるドア。ぬかりなく鍵もかけられた。最近何かっていうとこんな仕打ちを受けている。あんまりだ。



自分の部屋を通り過ぎ、隣室の前に着いたわたしは、ノックして一呼吸おく。どうぞの「ど」が聞こえるのとほとんど同時にドアを押し開けた。

「聞いてよシャル!」

「聞こうか。だいたい察しはつくけど」

ベッドの端に座ってパソコンを開いていたシャルは、私を見ていつものようにやわらかい笑みを浮かべた。

「ひどいの」

誰が、とわざわざ言わなくてもシャルはわかってくれる。わたしは隣に腰を下ろしながら、彼の膝上のノートパソコンをのぞきこむ。

「またクロロに冷たくされた?」

「うん、最近ほんと相手にしてくれないの。どうしてかな」

「うーん、新しいお宝の情報に夢中なんじゃないかな」

「…ていうよりは、避けられてる気がする」

ぽつりと不安をこぼすと、シャルはノートパソコンを閉じてわたしに向き直り、なだめるようにポンポンと頭に触れた。それでもわたしはどこか物足りなくて口をとがらせる。

「だいじょうぶだよ。団長がなまえを嫌いになることだけは絶対にないから」

「…そうかなあ」

「そうなんだよ」

シャルは私の後ろ髪をすいたあと額にキスをした。何かのおまじないのように。

「パクに会いたいな」

「パクのいる国は飛行船で行っても丸三日はかかるよ。ひとりで行かせるわけにいかないし、かといってクロロも俺も手が離せないんだ今」

「…飛行船くらいもうひとりでも乗れるのに」

「…そうだね」

シャルが困ったように笑う。

「…じゃあフィンに会いたい」

「フィンは流星街に行ってるよ」

「私も流星街に行ってきていい?」

「団長がいいって言えばね」

「…それ駄目ってことじゃない」

「まあ、そうなるね」

「…シャルのばかー。クロロを説得してよ」

「まあまあ、おとなしくここで遊ぼうよ。それとも俺の顔は見あきた?」

「…そんなことないけど、でもいいかげん外に行きたいよ」

「この国は治安が悪いからひとりで出歩くのは危ないんだ。わかるだろ?」

「…うん」

「テレビでもつけようか」

「……」

「観ようよ。なまえが好きそうな映画があるんだ」

「私の好きそうな映画?クロロが、私に観せておけって言った映画じゃなくて?」

「…なまえはクロロが選ぶ映画好きだろ?」

「…そうかもしれないけど、見たくない」

「どうしてそんなこと言うの?」

小さな子どもをさとすような声でシャルは言う。

「だってもうクロロの教育カリキュラムはうんざり!あれはするな、これはだめ。それを見ろ。これをしろ。しまいには服までそれは着るな、これを着ろって…」

「まあ、過保護だとは思うけど、なまえを大事にしてるからこそだろ」

「そんなわけない。適当なこと言わないでよ」

そうするつもりはないのに、自分の声はとげとげしくなっていた。思わずうつむく。たぶんシャルは困った顔をしている。嫌だな。駄々っ子になりたわけじゃないのに。いい子でいたいのに。

「…夕ご飯何が食べたい?なまえの好きなものにしよう」

シャルは下から私の顔を覗き込むようにしてたずねる。けっきょくいつもシャルのやさしさに甘えてしまっている。こんな自分じゃ駄目なのに。

「ナポリタン…」

「オーケー」

シャルはあやすようにまた私の頭をポンポンと叩いた。たったそれだけで、自己嫌悪や不満でいっぱいになっていたわたしの心を軽くしてしまう。シャルの手は不思議だ。



クロロはいつも私を放っておくくせに、なんだかんだ言ってけっきょく縛りつけておこうとする。それがたまらなくいやだ。
160602

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