蜂蜜とよごれもの | ナノ

6.幽霊城の足音


「私帰っていい?」

幽霊の二文字にすっかり弱腰になった私を見て、フィンとノブナガがいっせいに噴き出した。

「ビビってんのかよ!」

「…うるさいなあ」

「幽霊なんて、んなもん信じてんのかお前」

「信じてるよ」

信じてるからこそ怖いんだよ。悪いか。ほっとけ。

「いるわけねえだろ」

「いねえ、いねえ」

名前も案外かわいいところがあるじゃねえかと、さも馬鹿にしたように二人は笑い転げる。
何だ何だ、失礼な。そもそもノブナガは今さっきまで怒ってたくせに、人の弱みを見たとたんに機嫌を直すって一体どういう性格なんだ。

「わかんないじゃんそんなの。いるって証拠はないけど、いないって証拠もないでしょ」

思わずムキになって声を張る。すると前からぽつりとクロロのつぶやきが聞こえた。

「なるほど、一理あるな」

はっとして助手席を見る。用がなければ口を開かない寡黙なクロロが会話に口をはさんだのが意外だった。

「…どうした?」

黙り込んだ私の視線に、不審に思ったのかクロロが私を振り返る。もう喫茶店で見た時の怖いほど落ち着いたあの眼じゃなかった。幼ささえ感じるきょとんとした瞳がこっちを見ていた。おかげで私の頭の中のクロロ像がこんがらがってしまう。あわてて口を開いた。

「あ、ううん。別に何も」

しばらく私を探るように見ていたクロロはやがて、「そうか、無理するなよ」と言った。私をいたわるなんて一体どういう風の吹き回しだろう。内心驚きながら黙って首を縦に振る。

「なあ、かんじんの城の話はどういうんだよ」

割り込むようにフィンがたずねる。するとシャルが私に意地の悪い視線を送った。

「聞きたい?」

「全然聞きたくない。これから行くんだからやめようよ…。怖いって…」

半泣きになる私を無視してフィンはシャルの方へ乗り出す。

「俺とノブナガは知らねえんだから聞きてえよ」

「ああ、俺も聞きてえ」

「……そんなー」

「…そういうわけだから…話すよ?いいね名前」

とうとうあきらめた私は渋々うなずいた。振り向くシャルの楽しそうな顔っていったら。私がこういうの苦手だって知ってるくせに、わざとか、わざとだな。あの性悪…。


「一般人の間ではわりと有名な話だよ。王城ノースウエストの三階にある西の開かずの窓には、自殺した皇太子の幽霊が出るんだって。…ことのはじまりは今から十年前、王城の西側一帯の改築が決まったころ。真夜中に見回りしてた使用人が西の廊下で足音がするのを聞いたらしい。木造りの床がミシミシいう音と、靴がこすれる音。それに衣擦れの音と金属がぶつかるような音もしたとか。
西の廊下っていったらもう老朽化がひどくてずいぶん前からどの部屋も使われなくなって施錠されていて、こんな時間に誰もいるはずないから使用人はてっきり泥棒だと思ったんだ。それで捕まえようと足音の方へ向かっていった。
廊下の奥を曲がった先はふさがれた窓、つまり開かずの窓があるだけで2mもしないうちに行き止まりだから、そこまで行けば泥棒を追い詰められるって使用人は思った。…でも誰もいなかったんだって。足音を追って廊下の突き当たりを右に曲がって開かずの窓まで行ったのに、そこは誰もいない、ただの行き止まりだった。使用人は皇太子の幽霊じゃないかってひそかに思ったらしい」

「泥棒と廊下ですれ違ってんのを使用人が気づかなかったんじゃねえのか?」

フィンが首をかしげる。

「いや、使用人はちゃんとランプで照らしながら歩いてたし、それに古い木造りの床だから誰かが通ったら絶対にわかるんだって。ミシッミシッて音がするから…」

窓の外で風がうなる。

「その廊下の突き当たりを曲がってすぐにある開かずの窓ってのは何でふさがれたんだ?」

「今から三十年前、つまりその幽霊騒動が起きた二十年前に、皇太子が飛び降り自殺した窓だからっていうのが一番の理由だと思う。くわえてそのあと立て続けにその窓から落ちて何人か死んでるんだ、使用人が」

「不吉だってか。なるほどなあ」

「そのあと他の使用人達も夜の見回りの時、同じ足音に出会ってる。決まって足音は西の廊下からはじまって、開かずの窓に向かっていく。でも追いかけて行っても決まって誰もいない。あるのは開かずの窓と行き止まりだけ。そんなことが続いたから使用人はみんな怖がって夜の見回りを嫌がるようになった。……それから間もなくして、王城の西側一帯の改築工事を担当することになっていた業者のひとりが例の窓の下で死体になって発見された。窓は塞がれてるから飛び降り死体ではなかったけど、死んだ業者の服のポケットから、皇太子の金時計が出てきたらしい。…それをきっかけに城内では、改築で開かずの窓が無くなることに怒った皇太子の幽霊のしわざだってうわさが広まって、改築は取り止めになった。…今でもノースウエストの王城の西側だけは古い廃墟みたいな木造りで、歩くたびに不気味な音がするし、皇太子のうわさがあるから誰も近寄らないんだってさ」

ううう、耳をふさいでも聞こえてくるシャルの声が恨めしい。おかげで全部聞いちゃったじゃん…。

「あ、ちょうど見えてきたね」

シャルがフロントガラスを指差す。まるではかったようなタイミングで、そこには立派にそびえる城壁と王城、そして廃墟のような古い木造りの建物が見えていた。ああもう見ただけで無理、怖い。
私はサッと視線を車内に戻した。

「うーん、さすがに不気味だねあれは」

シャルの言葉につい気になっておそるおそる視線を上げてしまう。
そこには開かずの窓が見えていた。ノースウエストの空はすっかり晴れているのに、王城の西の開かずの窓はそこだけ重苦しく嫌な空気を放っていた。何枚も何枚も、過剰すぎるほど念入りに打ちつけられた板に、城内に住む人たちの恐怖心が透けて見えてくる気がする。怖い、怖すぎる。今からあそこで仕事するなんて冗談じゃないよ。

20160411

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