5.友情ヘッドロック
ノースウエストの雪道には無数の足跡が交錯していた。私たちと同じように東へ向かっていく足跡。誰かが作ったそのくぼみにそっと足を重ねて歩いた。右、左、右、左、右、ひだり……。ふと気になって足跡の行き先を目でたどってみる。それははるか前を行くクロロの足下に続いていた。はっとして思わず足をどける。
***
「なあ、俺がいない間にノブナガとなんかあったろ?」
ノブナガの背中に視線を向けながら、フィンクスは声を落とし気味に話しかけてくる。
「…うん。ちょっと言い争いになって」
「へえ、お前達がか。仲良いのにめずらしいな」
「そうだね…」
フィンは慰めるのでもなく気づかうのでもなく平坦な口調で言った。
「あいつは気が短いところがあるからな」
ノブナガは怒ることを我慢しない。自分にも他人にも誠実で、子どもみたいに素直だから。でもその分旅団の誰よりも情け深い。私はノブナガのそういうところを好きだと思う。
「ノブナガはわけもなく怒らないよね」
「そうだな」
むやみに切れるわけじゃなくて、怒るのにはいつも理由がある。
「…だけど何で怒らせたのか、いまいちはっきりわからないんだ」
なんて謝ればいいかわからない。どうして怒らせたのかわからないから。
黙って隣を歩いていたフィンクスが、ふいに私の背中を平手で叩く。喝を入れるように力強く。強烈な痛みが背筋を駆け抜けて、私は声にならない悲鳴をあげた。とっさのこととはいえ、ちゃんと「硬」をして守ったのに。
「…ねえ、加減って言葉知ってる?」
背中をさすりながら恨みがましくフィンを見上げるともう一発平手をくらった。
「これくらいで何言ってんだ、鍛え方が足りてねえぞ」
「フィンやウボォーのトレーニング量と比べないでよ」
聞くところによると、フィンやウボォーは暇さえあれば一日中トレーニングをしてるらしい。それも尋常じゃない強度のメニューを組んで。前にフィン達の筋トレに付き合わされたシャルとノブナガが、途中ものすごい勢いでトイレに駆け込むのを私は見た。
「俺のダンベル貸してやろうか?あっという間にマッチョだぞ」
「ダンベル?何キロ?」
「五トンから上はだいたいそろってるぞ」
「…間に合ってます」
「でもなあ、お前こんな細っちくてこの先やってけんのか」
「こう見えても案外服の下はムキムキなの。もうじゅうぶんだって」
わりと本当の話。でもフィンはじろじろ私の身体つきを見てから言った。
「いや、まだまだだろ」
おもに胸のあたりを見て。この野郎。
「うるさい脳みそ筋肉」
「なんだとコラ」
首にずっしりと腕が回ってきて、前かがみになった私はフィンにヘッドロックをかけられる。
「痛たっ痛たたた!離せこの眉っぱげ」
「あ?この眉は俺の立派なアイデンティティだろうが!素敵なファッションだろうが!」
無い眉がアイデンティティ?素敵なファッション?やっぱり筋トレのしすぎで脳みそまで筋肉になっちゃったんだ。かわいそうに。心の中だけで思って小馬鹿にしたのが表情に出てたのかもしれない。はっと見上げると、フィンは怒りのオーラ全開で私を見下ろしていた。再びおそってくるヘッドロック。
「痛い痛い!ギブッ!ギブギブギブ」
私の頭をこれでもかと締め上げるフィンの腕を叩きながら叫ぶ。痛い、本当に痛い。
ひきずられるようにして歩いていると、いつの間に追いついたのかすぐ目の前にクロロ達三人が赤いワゴンの前で立たずんでいた。
じたばた暴れながらやって来た私と、そしてフィンを見て、シャルはあきれ顔を見せた。
「何やってんの君ら」
「こいつが俺の眉毛を侮辱しやがった」
先生に言ってやる!そんな口調でフィンは言う。
「わかった、私が悪かったよ。ごめんねフィン、立派な眉だね」
「え、無いのに?」
シャルの余計なひとことに、私はこらえきれず噴き出す。
「ふざけやがって!」
「痛いっ!ちょっ、今のは私悪くないでしょ…痛たた」
「あははははは」
「笑いごとじゃないってシャル、私死ぬ」
「死ねば」
笑っていたはずのシャルは急に豹変して冷めた目でこっちを見たかと思うと背中を向けて行ってしまった。え、何あれ。私とフィンは顔を見合わせて肩をすくめる。
クロロは無表情で私たちから視線を外すと、道の脇にとめてあった赤いワゴンに目を戻した。シャルが車体を確認する。
「使えそうか?」
「うん、問題ないよ」
***
シャルはバックミラーを動かしながら助手席のクロロを見やった。
「ホテルまで行っていいの?」
「ああ」
「りょうかーい」
歌うようなシャルの声をくい気味にエンジンがうなり出し、私たちは車の振動に揺られだした。
「それで団長、今回は何を盗むんだ?」
思い出したようにフィンがたずねる。
「鍵だ」
「「鍵?」」
クロロの返事に私とノブナガが同時に反応する。目が合って戸惑っていると、舌打ちしてそっぽを向かれた。
赤信号で停止したシャルはバックミラー越しにフィンを見た。妙に楽しげに。
「ノースウエストの東に建ってる王城の話、聞いたことない?」
「ねえなあ」
フィンは首をかしげた。無理もないと思う。フィンにとっては、それに他の大半の団員にとっても、盗むものが何であるかはたいして重要じゃない。盗むものが何かより、盗む行為そのものの方が重要だから。
シャルの視線が今度は私に向けられる。やっぱり妙ににやにやしている。何か嫌な予感。
そこで王城ノースウエストのあるうわさを思い出して、私は震える声で聞いた。
「まさか、襲撃地って王城なの?」
「うん」
シャルがにこにこ笑ってうなずく。
「あの、幽霊が出るって言う?」
「うん」
私はひいと情けない悲鳴をあげて、座席にはりついた。