蜂蜜とよごれもの | ナノ

2.淡色のコート


「じゃあまた」

「うん、また」

一瞬だけ目が合って、名前は電車から降りていった。淡色のコートを着たうしろ姿が夜のホームに小さくなっていく。
胸ポケットの携帯がバイブ音とともにふるえだした。画面を見ると着信がきている。団長からか。開きっぱなしのドアから入り込んでくる真冬の外気の冷たさを、ふいに身体が思い出す。

電車を降りて電話に出るとさっそく要件を言われた。

『次のターゲットが決まった。詳細はパソコンに送っておく』

「もう?早いね」

『襲撃は七日後だ。三日間でセキュリティシステムと警備の配置を調べておいてくれ』

旅団でひと仕事終わって打ち上げをしたその日のうちだというのに、早くもクロロは次のターゲットの情報収集をふってくる。やれやれひと息つく間もないな。
ホームから改札に向かって階段を降りながらポケットを探る。

「三日間でこの規模の建物の情報収集ってまたずいぶん短いけど」

『難易度の高いゲームみたいで燃えるだろう』

顔を見なくても含んだ笑みを浮かべているのがわかる。そういう言い方されると俄然やる気が出ちゃうって、わかってて言ってるんだろうな。

「はいはい、追い詰められると燃えるタイプのゲーマーだよ俺は。あおり方をよくご存知で」

ポケットから見つかった切符を通して改札をぬけた。通りにとまっているタクシーの窓をノックして運転手の注意を引く。

「ちなみに今回のメンバーはもう決めてるの?」

『フィン、ウボォー、ノブナガ、シャル、俺の予定だ。情報収集が終わったら最終調整する』

「りょうかい」

電話を切るのと同時にタクシーに乗りこみノートパソコンを立ち上げた。

「運転手さん、リバーサイドのウエストゲート5の3まで」


***
「これうまいよ」

打ち上げから四日後、名前と繁華街の居酒屋に来ていた。

「…ほんとだ、おいしい」

俺がすすめた蜂蜜入りのチーズピザを、名前は素直に咀嚼しながら目を丸くしている。あんまり幸せそうに食べるから、思わず口もとがゆるんだ。

「あのさ、この前の競争のやつ」

「ああ、負けた方がなんでも言うこと聞くっていう?」

「うん、それなんだけど」

「俺が勝ったから今日は名前がご飯おごってくれるんだろ?」

「うん、それなんだけど」

「なに?」

「…月末まで待ってくれませんか」

ぶっと俺はふきだす。

「え、なに?お金ないの?」

「あ、今ばかにしたでしょ?」

「いや、それは…うん、ごめん馬鹿にはした」

「やっぱりしたんだ」

名前は恨みがましい眼で俺を見た。

「だって盗賊が金欠なんて聞いたことないよ」

「それを言うなら盗賊がご飯代を賭けること自体変だってば」

「そういえばそうだねー」

正直なところ、俺はべつにおごる立場でもおごられる立場でもどっちだってよかった。盗賊だし、一応真っ当な収入も得てるからなんの不自由もなく暮らせてる。ここまで安定してくるとお金に特別価値を見出せない。きっと団員のほとんどはそう思っている。ただ、この賭けが成立したのは名前がそうじゃないからだ。名前は盗賊のくせに、俺たちと同じ流星街出身なのに、価値観が少しずれてる。つまり、真っ当なんだ。

「とにかく今日は割り勘でお願い」

「べつにいいけどー、名前ってなんでそんなにいつもお金ないの?蜘蛛の活動でけっこう入ってるよね。しかも普段は一般人にまぎれて働いてるじゃん」

「…それは、お金使い荒くて」

「ふうん。何に使ってるの?」

「べつに面白いものじゃないよ。服とか、バッグとか普通のもの」

そういう割に名前の身なりは質素で飾り気がない。必要最低限の装備って印象だ。口調は平然としてるけど、やたら俺の眼を見てる。うそだなと確信する。

「ふうん。あ、そう」

名前はそっと目を伏せたかと思うとジョッキを持ち上げて一気に傾けた。たぶん罪悪感でも感じたんだろうなと思う。そんな必要べつにないのに。でも嘘をつかれたのは腹立つからフォローしてやらない。

「そういえば、シャルは今日どこ行く予定だったの?駅で偶然会うなんてはじめてだし、びっくりした」

「三日前に団長から連絡があってね」

「団長から?なんて?三日前って打ち上げのすぐあとだよね」

クロロの話になると、名前はすこぶる食いつきがいい気がする。

「次のターゲットが決まったから情報収集を頼む。三日でな」

団長特有の重々しい口調をまねすると名前は「似てる」とふきだした。

「え、三日で?うわあ団長も鬼だね」

「もうさあ、寝不足が限界」

脱力してテーブルに突っ伏すと名前は俺の頭をぽんぽんと打った。そしてそのまま撫ではじめる。気持ちよくて目を閉じていたけど、すぐに気になりだして眼を開いて視線を上げた。名前の口もとはゆるやかな弧を描いていた。

「お疲れさま。この三日間かんづめだったんだ?」

名前の声はいたわるみたいにやさしく響く。ゆりかごにでも乗せられたような感覚がして背筋がぞっとした。名前といると気を使わなくていい。でも時々抜け出せない何かに落ちるような錯覚を覚えた。俺はゆっくりと起き上がる。本当は跳ね起きたいほど焦っていた。

「それはもうね。で、今日ようやくひと段落したから外でおいしいものでも食べようと思って駅のほうまで行ったんだ」

「それで私とばったり会ったんだ」

「そう、仕事あがりのお酒はおいしいし、今すごくいい気分」

「それはそれは、お疲れ様」

「どうもどうも」

すでに空になった二杯目のジョッキとグラスを小さくぶつけ合って今さら乾杯をした。

「それで、次のターゲットって」

「ああ、北街の中心地なんだけどー…」

言いかけた俺は名前の頬のはしっこにピザの破片がついているのを見つけて思わずふきだす。

「え、なに、顔に何かついてる?」

「うん。どうやったらそんなとこにつくの」

俺は笑いながらうなずく。

「え、どこ?」

と顔中両手でたしかめる名前に声援を送る。

「がんばれ」

「そういうのいいからどこか教えてよ」

困り顔で聞いてくる名前に俺はなおもガッツポーズを送った。

「ファイト!」

「…お手洗い行ってくる」

あきらめて立ち上がろうとした名前の顔をこっちへ向かせて頬に触れる。

「ここだよ」

ピザの破片を頬から取って指先に乗せて見せた。

「どうも」

「いーえー」

名前は俺の指からピザの破片をとって空いた皿に入れると、ナプキンで俺の指をぬぐった。

「ま、そういうわけで、次の活動は三日後。朝9時ノースウエストシティのセントラル集合だから空けておいてね」

「わかった。他のメンバーは誰が来るの?」

「今回はフィンとノブナガ、それに団長ってところかな。最初はウボォーが候補だったんだけど、来れないって言うんで急きょ名前に代打」

「ウボォーの代打かー、私に務まるかな。がんばろ」

「がんばれー」

適当な声援を送る俺に、名前は一瞬あきれたような冷めた視線をよこした。でも、すぐにいつも通りの顔をして言う。

「ねえ、それシャルは行かないの?」

「ああ、言い忘れてたけど俺も参加するよ」

「ふーん」

名前はやわらかく笑った。端的な返事とは裏腹にうれしそうに。アルコールで紅潮したほおのせいでいつもより幼く見える。流星街から一緒だし、旅団のなかでも仲がいいほうだ。だから名前のことはよく知ってるつもりだったけど、そっか、こんな笑いかたもするのか。

20160213

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -