蜂蜜とよごれもの | ナノ

8.神さまの手のひら


今朝盗んだ赤いワゴンを道の脇に止めて降りると、私達は襲撃地を目指して歩き出した。遠くにそびえる王城ノースウエストを仰ぎ見てフィンは口を開ける。

「でっけえな。しかも見ろよあの厳戒態勢。警備何人雇ってんだ」

「ビビってんのか?」

ノブナガがにやにや笑った。

「馬鹿言え。楽しみでしょうがねえ。早く行こうぜ」

襲撃地点はノースウエストの王室。そこに保管されている隠し扉の鍵を盗って王と取り引きすることが今回の目的だ。「ほしいものがあるんだ」とクロロは言ったけど、取り引きで何が手に入るんだろう。「ほしいものってなんだ」とフィンが聞いても「あとで話す」と言ったきりクロロは答えなかった。
地面にはまだ雪が残っているけど天気はすこぶる良い。こんなに明るいうちから襲撃するのは蜘蛛にしてはめずらしかった。
王城から二百メートルほどの距離まで近づいたところでクロロが指示した。

「ここで分かれよう。フィンとノブナガは王城の東側から、シャルは裏口から、名前は俺と西側からだ」

極力警備の眼をかいくぐって入りこむ予定なのだ。

「あーあ、正面から行きてえよな」

別れぎわにフィンがぽつりとつぶやいた。

「そうだね」

隠れてコソコソ侵入というやり方は、強化系の私達には性に合わない。背中がむずがゆくなる。

「もうあと何年かしたら、警備の数なんてものともせずに堂々と正面突破をできるような実力がつくのかな」

「鍛えりゃな」

「悔しいから帰ったら鬼のように鍛える」

「ダンベル貸してやろうか」

「心からいらない」

「遠慮すんな」

「毛ほどもしていません」

「かわいくねえな」

「どういたしまして」

「じゃああとでな」

「気をつけて」

「おう」

歩き出すフィンとノブナガの背中を見送っていると、急に後ろから何かがおおいかぶさってきた。視界の両端ににゅっと突き出た二本の腕にやっぱりシャルだとわかる。振り返ると、私の両肩に腕を乗せて首のあたりに顔を埋める金髪が見えた。

「なにー」

よくあることだからこの質問はもう挨拶のようなものだった。予想どおりいつもの間延びした返事がかえってくる。

「なんでもなーい」

なんだかフェレットでも飼ってるみたいだ。よしよしと金髪を撫でたら首に腕が巻きついてきて締められた。苦しい。なんなのいったい。

「シャル?私まだ死にたくないんだけど」

「うーん…」

シャルは少しうなっていたけど、やがてパッと離れた。身体が急に軽くなる。

「じゃあ俺も行ってくるー」

「ああ」

「行ってらっしゃーい」

残った私とクロロの間に沈黙が流れる。

「……」

「………」

「………」

「…………」

わかってはいたけど、クロロとふたりは気まずい。

「あの、」

クロロは黙って私を振り返った。何だ、と黒い瞳が言っている。話しかけてから話題を探した。

「あー…あの、今朝ノブナガが言ってた、私とクロロがよく組んでたって話。あれってノブナガの勘違いだよね?」

少しの間のあと、クロロはいつものように無感動に言った。

「………そうだな」

何とか適当な話題を見つけて話しかけることにいっぱいいっぱいで、私はその時クロロがどんな表情をしていたかまで見る余裕がなかった。もしもちゃんとクロロの顔を見て話せていたら、私は自分の失言に気づけたのかもしれない。

「やっぱり。ノブナガも変なこと言うなーと思ったんだ」

「………ああ」

「………」

「……………」

そこで会話は終わってしまう。相性が悪いのかもしれないと思った。他の団員ならいくらでも話しようがあるけど、この人とは駄目だ。いつも、どんな話題を選んでもうまくいかない。どうしよう。一緒に闘えるか不安になってきた。自覚はないけど、私は闘いに関して、人に合わせるのがおそろしいほど下手だとよく言われる。そこをコミュニケーションで補ってきたから、こうも意思疎通がはかれないと怖くなってしまう。

「行くか」

「…あ、うん」

ぎこちなく聞こえないように自然な態度で返したつもりだった。だけどクロロは何を思ったのか、ふっと息を抜いて口角を上げる。

「そんなに固まるな。何も取って食ったりしないから」

頭の上にふわりとやさしい重みが乗っかってきて、確かめる間もなくそれはすぐに離れていった。遠のいていくクロロの手が視界に入って、ようやく頭に触れられたのだと気づいた。
一瞬わけがわからなくて、私の脳内はフリーズする。ーあれ、今クロロ笑ってた?

「不安か?」

降って来たクロロの言葉に、私は少し目を見開く。やがてゆるゆると首を横に振った。でも本当は図星だ。クロロと組んで動く自信がなかった。

「城に入っても俺に合わせる必要はない」

お前は好きに動けばいいよ、とクロロの声は遠くささやくように響いた。それはクロロが自分の実力に絶対の自信を持っているからこそ口にできる言葉で、私は「頼っていい」と言われていた。見透かされてるんだな、と思う。私がクロロを理解できなくてもクロロは私を理解している。どうしてこの人がみんなから慕われるのか、今やっと分かった気がする。
絶をして歩き出したクロロは、やがてただぼんやりと立ちつくしていた私を振り返った。「どうした?」と言うように見つめてくる。 私は黙って首を横に振り、それから駆け寄った。足取りは軽い。さっきまでの気まずさが楽になっている。
ここが私のポジションです、というつもりでななめ後ろに立った私を見て、クロロは何とも言い表しにくい顔になり「そこに立つんだな」とつぶやいた。

「え?」

「いや、いい」

「そう」

意味深な言葉は気になるけど、追求はしない。今は目の前にある仕事に集中しよう。
目を閉じて深く呼吸する。ゆっくり吸ってひといきに吐く。澄んだ空気が頭の奥まで行き渡ってすっきりと胸に広がる。目を開くと眼前に雪をかぶった王城が白く輝いていて、今なら行けるな、と思った。

「行くぞ」

「うん」

見慣れないクロロの背中を、ななめ前に見ながら地面を蹴った。

20160501

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