あ、南野君おはよ

急ぎ足で角を曲がろうとした直後のことだった。前を通り過ぎる自転車から声をかけられたのは。
おはようのおの形に口を開いた時、クラスメイトの名字はすでに数メートル先を走っており、そのまま学校へと突き進むかのように見えた。が、しかし予想に反してきゅ、と短くブレーキ音をたて彼女は南野を振り返った。やがて追いついた南野は先ほど返し損ねた挨拶をする。

「おはよう」

「おはよう、今日も暑いね」

午前8時50分。学校や会社へと慌ただしく足を動かし人々が往来する中、学校までまだ数kmというところで悠長に交わされる朝の挨拶。

「あと5分で予鈴だよ、急いだ方がいいんじゃないか」

「南野君もね」

明王高校の門は予鈴と同時に閉められ、それ以降に入った者は遅刻者あつかいとなる。

「ここから学校まで徒歩40分、自転車で10分」

「どっちにしろ間に合わない」

今日はもうアウトだなとつぶやく南野に、名字は人差し指を振って、諦めるのはまだ早いよと制した。

「裏門は本鈴の後に閉まるんです」

「本鈴まであと10分か。さすが遅刻の常習犯はくわしいですね」

思えばいつもホームルームの途中に登校してくる名字の姿はクラス替えのあった春から恒例になりつつあった。なるほど彼女の遅刻はこんな過程で成されるのかと発見をする南野。

「えへへ、やだな。まあ、それほどでもあるけど」

恥じらい照れている彼女に、南野は褒めてませんよ、と親切に教える。
名字は自転車にまたがったままハンドルから片手を上げてさて、と人差し指をたてた。

「ここで南野君に問題です。1、このまま仲良く二人で遅刻する。2、学校をサボって家に電話される。3、私の愛車に乗っていく。さあ選んで下さい」

「4、このまま1人で遅刻する。俺のことはいいから見捨てて先に行け」

「ブッブー、選択肢にありません。君を見捨ててひとりで華麗に登校っていうのは私にとって朝から胸糞悪いでしょ?あと南野君て意外とノリがいいんだね」

「それはどうも」

オール5ねらってるでしょ?遅刻したら内申にひびくよ。

「乗って」

そう言ってサドルの後ろを勧める名字は女とは思えないほど勇ましかった。

「…ここまできたらもう乗りかかった船ってことなのかな」

「乗りかかったママチャリ?とにかく途中下車はできません」

「まだ乗ってもいないのに」

南野は苦笑した。

「でも大丈夫なのか?軽くないよ俺は」

「ご安心を。脚力には自信があるの」

南野がサドルの後ろにまたがるとそれじゃ出発!と名字はペダルに力を込めた。


「それにしても南野君はなんでこの時間に徒歩?間に合わないよね、どう考えても」

人間にはできない芸当をして間に合わせようと思っていた、だなんて本音はまさか言えるはずもなく南野は曖昧に笑ってごまかした。

「ところでさ、南野君。今時速何キロくらいで走ってるかな?」

名字は顔を赤くし額に汗をかきつつペダルに力を込めながら振り返る。時速も何も出発地点から動いてすらいない。わかっていてわざと聞いているのだ。

「ご自慢の脚力はどうしたんですか」

「実はさ、いや私も今まで数々の女の子を乗せてはきたんだけど、男の子は君がはじめてなもので」

とうとう脱力した名字に、南野はおかしくなってふきだす。

「まるで色男の台詞ですねそれ」

「南野君ほどじゃないけどね」

そう言って名字は運転席から飛び降りる。南野も察し良く後部座席から降りスタンドを立てる。そして二人はタッチし前後を入れ替えたのだった。


***
サドルに座り長い髪をまとめている南野に、名字はあらかじめ詫びた。

「筋肉痛になったらごめん」

「お気になさらず。実は俺も脚力には自信があるんだ」

「そこはお世辞でも全然重くないとか言っておいて」

「これは失礼。全然重くないのでお気になさらず」

「はいはい、もう結構」

すまして笑いながら振り返る南野を、名字は邪険にするように手の平であしらった。

「ところで本鈴まであと何分ですか?」

切り替えて真剣にたずねる南野に、名字は袖をまくり腕時計を確認した。

「7分弱」

「まずいな。飛ばすからしっかり掴まって」

「あ、うん。…じゃ失礼します」

ほんの少し照れながら腰に手を回した名字を、南野は目ざとく見つけてからかった。

「どうですか、色男に抱きついている感想は?」

「それ、自分でいうかな」

「名字が言ったんだろ」

再び前を向いた南野の自信満々な口ぶり。表情こそ見えないがしれっと笑っているに違いない、と踏んだ名字は目の前の生意気な背中をにらみつけた。

「学校の女子に見つかったらと思うと精神衛生上たいへんよろしくありません。そうこうしてるうちにあと6分」

「じゃ出発」

南野がそう呟いた瞬間グンと自転車が加速して慣性の法則とやらにしたがい名字の身体は取り残されそうになった。

「わあ、南野君の運転ってサイコー。生命の危機を感じるくらいには」

「ちゃんと掴まっていてくれれば命だけは保証します。怖かったら目は閉じてて」

「へいき!楽しすぎてちょっと怖い!」

名前の言葉は発したそばから通り過ぎる道に置いてきぼりになっていった。見慣れているはずの通学路は色とりどりのボーダーと化している。数メートル進んだ先で視界が開けて、名前はかがやいてる、と思った。いつもは時間との戦いに必死で脇目も振らずに通りすぎる川面はエメラルドのようにかがやいていた。名前には、風をきって進む慣れ親しんだ自転車が今だけは何か特別なマシンのような気がしている。


***
南野が出した本気の甲斐あって、どうにか本鈴が鳴っている最中に校舎の裏門にすべりこんだ。

「それじゃ、私は自転車とめに行くから南野君は先に行って」

「いや、それは」

「南野君と二人乗り登校したなんて誰かに知られたら面倒だよ」

南野は名字のその言葉が、やさしい建前なのか単なる本音なのか、よくわからないままうなずいた。

「…それじゃ、お言葉に甘えて」

名字を置いて校舎に向かい出した南野の背中にしばらくして声がかかる。振り返って見た駐輪場に向かう途中の名字はもう大分小さくなっていた。

「南野君ー!あの担任本鈴鳴ってもしばらく来ないから急げばまだ間に合うー!走れー!」

ハンドルから離した片手を口元にやりながら叫ぶ名字は直後自転車のバランスを崩して転倒した。足が下敷になったらしく涙目で足を押さえて飛び回る。思わず駆け寄りそうになった南野に、名字は涙目のままいいから行けと手を振った。

「…人の心配より自分の心配をしろよ」

南野はあきれ顔でつぶやいたが、次第におかしさが込み上げてきて最終的にふきだした。


***
「…歩けますか?」

「…何戻ってきてんの。南野君て馬鹿でしょ」

「俺が馬鹿だとすると君は一体何になるのかな」

学校一の秀才の指摘に名字はう…と言葉を詰まらせた。

「南野君て案外性格悪いよね…」

「何を今更」

南野はまたしてもすました笑みを浮かべ、さて、と人差し指を立てた。

「ここで名字に問題です。二人で仲良く遅刻するか二人で仲良く遅刻する。どちらか選んで下さい」

「1人で遅刻する。私のことはいいから見捨てて先に行って下さい」

「選択肢にないな。はい、掴まって。保健室に行くよ」

選択肢にないんじゃなくて選択肢がないんじゃない!と主張する名字を無視して南野は彼女を抱き上げた。
end.
title:えん
201502〜03
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