抜けるように青い空に、和真の怒号が響きわたる。
「必ず次はぶっ殺すぞ、てめぇ!」
ここは皿屋敷町。白昼堂々学ラン男子が喧嘩をする光景は日常茶飯事。学校一の不良こと浦飯幽助くんは「おとといきやがれ」と言い捨てて去っていく。ズタボロにされて起き上がれないらしい和真は遠ざかる背中に向かってこれでもかと中指を立てた。ああ下品でやだ。
何とかのひとつ覚えのように「皿屋敷中のてっぺんはこの桑原のもんでェ!」と毎日毎日豪語しては浦飯くんに挑んでいるけど結果は見ての通りこのざまだ。自分たちはてっぺんでなくても一向にかまわない。それより桑原さん自身のためにいいかげんあきらめるべきですと、舎弟の彼らはかわるがわる説得を試みているけど和真ときたら聞く耳を持たない。
この街で一番しつこい男、桑原和真。倒しても倒しても立ち上がるその馬鹿みたいなあきらめの悪さは彼の唯一のとりえと言ってもいい。
「…またやってたの?」
「おお名前か。まあな、勝つまではやめねえよ」
背後からかかったわたしの声に、和真はその勘の良さからか別段驚きもせずにニッと笑った。わたしはその顔を見てため息をつく。
「ひどい顔。それ以上腫れたら人間じゃなくなるよ」
もともと大したことない顔が今やあちこち腫れ上がってしまってもはや目も当てられない。男同士の喧嘩とはいえ、やれやれ浦飯くんも容赦がない。
「アアン?こんな二枚目つかまえてテメーよくも」
「冗談はどうか顔だけにしてください」
和真のガン飛ばしに私も負けじと睨みをきかせる。
「おお?やんのかやんのか上等だコラ」
鼻がくっつきそうな距離でメンチを切ってくる。
思い切り真上に上げたこぶしは綺麗に和真の顎にヒットした。彼は見事吹っ飛んでいく。
「ぃってぇな!本気で殴っただろ」
「帰ろうよ」
「無視かよ」
こっぴどくやられた身体を起こそうとする和真に、肩を貸そうと腕を取ったら振り払われた。
「おやおや反抗期なのかな」
「誰がてめぇの肩なんか借りるかバーカ」
「…あーそう。じゃ、ひとりで歩いて帰れるんだね?」
腰に手を当て仁王立ちで和真を見下ろす。
「ったりめーだ!」
ツバを飛ばしながらそう叫んで立ち上がろうとした和真は「うっ!」と目を見開いてうめいた。
「言わんこっちゃない」
ちらっとわたしの顔色をうかがう和真は滝のような汗をかいている。
「やっぱ肩借りてやんぜ、わははは」
「頼み方がなってない」
「……貸してください幼なじみ様」
「よろしいでしょう」
斜陽に照らされて柔らかなオレンジに染まった町を二人分の影が歩いて行く。和真の鼻をすする音がいつもよりずっと近い。左肩に和真の体温を感じながらわたしはひそかに唇を噛みしめた。
「…なんかお前と帰るのすげえ久しぶりだな」
「小学校までは一緒に帰ってたのにね」
「おー、そう言やな」
「和真くんがかまってくれないからさみしいな」
冗談めかして声のトーンを高くする。幼稚園までは和真くん、そう呼んでいた。和真は鼻で笑った。
「中学生にもなって女となんか帰ってられっか。ばあか」
その言い方はいやだ、と思う。女とか男とか中学生になったとか。別にわたしは好きで女に生まれたわけじゃない。それに中学生にもなってだなんて和真はいうけど、六ヶ月前は小学生だったくせに、どうしてそんなところで線引きなんてされなくちゃならない。
「…かっこつけんじゃねーばあか」
不満と苛立ちをはき捨てる。道の先に視線を投げると向かいからやって来た自転車の女の子が、どう見ても何かあった出で立ちの和真の顔面を見ていぶかしげな顔をしていた。つよめの風が吹きつけてきて前髪が宙に浮く。
「馬鹿」
自転車の女の子が通りの向こうに消えるのを目だけで見送っていたわたしは突然強く右肩を引かれた。和真の手だ、そう思った瞬間すぐ真横をバイクが走り抜けて行く。遠ざかるエンジン音を聞く。和真の汗臭いシャツに頬を押し付けながら。
和真は私を道のはじに押しやって車道側へうつった。
「……」
女だからそうされたような気がして、かばわれたありがたさよりも不快感がまさる。再び車道側に戻ろうとすると腕を掴まれてはばまれた。振りほどこうと腕に力を入れると和真もかたくなに力を込めてゆずらなかった。
「……とっとと歩け、てめえに合わせてチンタラ歩いてっと日が暮れら」
和真の横顔の輪郭はオレンジ色の光にふちどられていた。まぶしくてそれ以上見ていられなかった。
「…人の肩借りてる身分でよくも言えたねそんなことが。川に捨てて帰ってもいいんだからね」
小橋を渡りながら三途の川に視線を落とす。陽光が水面で反射してきらきらと光っていた。
「おうおう捨ててけーれ」
和真は妙に堂々として私を見た。小さな頃からよくやる人の神経を逆撫でするための表情だ。何度この挑発に乗ってくだらない喧嘩をしてきただろう。それを今は真正面から見ることができなかった。すぐそばに和真の顔があった。
「こんな粗大ゴミはやっぱり持ち帰ります」
わたしが宣言すると、和真は笑いをこらえるような腹立つ目をしてこっちをのぞきこんできた。
「とかなんとか言ってよ、おめーホントは俺のこと大好きだな?」
奴は手を口元にやって小馬鹿にしたような笑いをもらす。なんだって、私はこんなに殴りたくなるような男を複雑な気持ち越しにしか見られないのだろう。どうかしている。
「…冗談じゃないってば。とっとと歩きなよ。カズに合わせてチンタラ歩いてると夜中になる」
「照れんじゃねえ、照れんじゃねえ」
「おめでたいねほんとに」
私にとって和真はまぎれもなく特別だった。その特別さは、幼馴染だからと片づけるには大きすぎるってことを最近になって気付き始めている。
橋を渡りきるとそこは住宅街で私は左、和真は右の道に家がある。手を振るべき角で別れずに桑原家を目指して歩いた。
160522
title by 虫の息