湿度高めの車内にウインカーの音がカチコチと鳴り響き、雨に濡れたフロントガラスをワイパーが行ったり来たりしている。人通りの少ない道路わきにとまったこの車はさっきから立派な密室だ。
名前は助手席で地図をのぞきながら一箇所を指して隣の俺に示した。

「クロロ達がいる建物ってあっちの道の先ってこと?」

地図に向かって傾いた首の後ろの筋。俺は無意識にそれを見下ろしていた。

「この辺り目印になるものがなくてわかりにくいね」

そうつぶやきながら名前は目線だけを上げて俺をのぞき込む。

「……シャル?」

「……ああ、うん。そうだね」


二人きりの車内で、名前を隣に乗せたのはどう考えても間違いだった。ここ数日ろくに寝ないで情報収集していたせいか自制心がうまく働かない。
名前は助手席から身を乗り出して地図をのぞきこむ。なんておそろしい距離感だろう。顔をあげたら簡単にキスができてしまう。
それの何がマズイって名前が団長のものだからだ。

「具合が悪いの?運転代わろうか」

「…いや平気。代わらなくていいよ」

余裕を持てない。適当にこたえて視線をそらした。窓の外は相変わらずの土砂降りでまだ昼過ぎなのに薄暗い。
突然額に冷たいものが触れた。名前の手が俺の額に触れていた。

「熱は……ないかな」

自分の額と比べて考えている。いつも目で追っているだけの手の平がやさしく前髪を撫でた。名前に熱をはかる以外の他意はないだろう。残酷だ。その手ひとつに俺がどれだけ翻弄されているかも知らないで。

「わっ…」

衝動的にその手首を取って引き寄せた。
視線がからむ。さっきよりもずっと近くで。
傾いた上体を俺に預けながら名前は不思議そうな顔をして見上げた。
その頬へ手を伸ばす。後先考えずただ奪ってしまえば、楽になれる。少なくともこの瞬間だけは。まるで抑えがきかなくなってしまって、馬鹿なことを本気で考え出した。すっかりまいっていた。

「シャル、どうし、」

ーRRR……

さえぎるように着信音が鳴った。

「クロロからだ」

ダッシュボードに置いてあった携帯電話の発信源を確認した名前が瞬時に瞳を輝かす。俺は我に帰って細い手首を解放した

「はいはーい、名前ですよ。うん、今ねシャルと道に迷っちゃって」

「クロロ」の名前ひとつでこの笑顔だ。たとえば俺がパーキングエリアでアイスを買ってあげた時も名前は笑ってみせた。俺を内心馬鹿みたいに浮かれさせた笑顔。けれど今のはまるでその比じゃない。
ほころんだ顔に特別な声の調子に、言外に「俺じゃない」と思い知らされる。それもずっと感じてきたことではあった。幼い頃から名前はクロロへの感情それ自体に依存しているふしがあった。クロロだってそうだ。彼の名前へ向ける愛着はその人格のひとつと言っていい。互いが互いなしには形を保てないほどすでに同化している。ふたりの間に立たされて、いやというほどずっとそのことを見てきた。名前にはクロロがいなければ駄目で、多分それはクロロにとっても。幸か不幸か切り離せない二人だと思う。
俺が割って入っても手に入れられるのはせいぜい一瞬で、そのあとには俺自身手放すものが多い。

「ねえねえ、シャル、もう今日は終わったから帰っていいって!」

通話を終えた名前の声はどこか弾んでいる。クロロにしかできないことだ。

「へえ、意外と向こうはあっさりいったんだね。セキュリティシステムのガードは固かったのに。予定より三時間も早い」

「それはひとえに腕利きの情報収集者がいるおかげでしょう」

名前はいたずらっぽく微笑んで俺をねぎらった。愚かしいと分かっていながらそれでも単純にいちいち嬉しいと思う。

「あ、ねえ見て。雨上がってる」

「本当だ」

いつの間にか窓の外には目を覆いたくなるような晴れ間が差していた。
これで一応盗賊のひとりだから欲しいと思えばなりふり構わず奪うこともある。けれど仲間からはけして何も奪わないと決めている。名前に近づくたび何度もそこに引いた線を踏み越えそうになっては引き返してきた。でもたくさんだ。もうたくさんだ。引き返すことができたなら終わりにすることだってできるはずだろう。

「ねえシャル、遠回りして帰ろうよ」

「いいね」

笑みを向けて頷くと名前は嬉しそうに鼻歌をはじめた。小さな頃からそれが喜んだときの癖だ。
壊してまで成就するべき思いなんてあるはずがなかった。名前の見せるとびきりの笑顔を。それがたとえ俺に向けられたものじゃないとしても。

「名前、団長にメール入れておいて」

「なんて?」

「俺とデートで遅くなるって」

「ふふ、おっけー」

大丈夫。誰も知らないこの気持ちは俺の中にだけ隠してしまっておけばいつかは消えてなくなるよ。
end.
20150527
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