私とキルアくんは仲が悪い。
キルアくんは何かといつも私をからかうし、私はそれを黙って無視できないから。顔を合わせればところ構わずケンカになるのでゴンくんが間に立ってくれないと会話もままならない。
そんなわけで学校の廊下でぶつかった今日もお互い口をついて出たのは「ごめん」とか「だいじょうぶ?」みたいないたわり合う言葉からはほど遠いものだった。
「ダッセー。転んでんなよな」
「なによ、ぶつかっといて。前見てまっすぐ歩けないわけ?」
私は手の平でスカートの汚れをはらいながら廊下の床から身体を起こす。
「お前こそ少しはよけろよ」
「キルアくんが廊下走ったりしてるからよけきれなかったの!」
「とろい奴」
「と…」
失礼な人だ失礼な人だとは思っていたけど本当に失礼な人だ。会話するだけ時間の無駄に違いない。
歩き出そうとした私にキルアくんが怪訝な顔をする。
「どこ行くんだよ。教室そっちじゃねえだろ」
「保健室。今ので足ひねったから」
「はあ?どんくせーな」
カチンときた。キルアくんからぶつかって来たんだし、ちょっとくらい気遣ってくれたっていいようなものなのに。そんな言い草があるだろうか。
「うるさいなあ、もう。どっか行ってよ」
乱暴にそう言うと、キルアくんはちょっとムッとしたような顔をして何の為にかこっちに伸ばしかけていた右手をポケットにしまった。
「おーおー行くわ」
「是非そうして下さい」
私達はほとんど同時に背を向けあって歩き出す。
保健室に行くとレオリオ先生に包帯で足首をぐるぐる巻きにされて「こりゃ長引くぞ」と言われた。
それから足の痛みは徐々に悪化していって、放課後になる頃にはコブのように腫れて激痛を持たらした。あーあ。ついてない。
友達はやれ委員会だ部活動だと行ってしまって、この足で部活に出られない私はひとりさびしく下駄箱へ向かう。
家までこの足で帰るのか。けっこうきついな。……いやいや部活出なくてすんだじゃんラッキー。
無理矢理ポジティブ思考に持って行くけど足の痛みはちっともまぎれない。
下駄箱の前に着くとキルアくんが昇降口に背をもたれて立っていた。目が合う。こんなことになったのも彼が廊下でぶつかってきたからだ。文句を言ってやろうかと口を開きかけて、思い直した。やめよう。これ以上いやな気分になりたくない。
視線をそらして下駄箱を開ける。中から靴を取り出そうとしたその時、横から伸びてきた手が私よりも先に靴を取り出した。驚いて見るといつの間にか隣にキルアくんが立っていた。
「え、なに?」
混乱する私をよそにキルアくんは靴を下に置くと、肩から斜めにさげていたエナメルバッグを無造作に床へ落とした。
「座れよ」
エナメルバッグをあごで指す。
「え?でも」
「いいから」
有無を言わさぬその響きにしぶしぶ従って腰を下ろす。私の重みで空気が抜けて少しへこんだエナメルバッグに何だか申し訳ない気分になる。
キルア君はその前に膝をついてかがみ私の足首を取って上履きを脱がせた。普段からは想像もつかないやさしい手つきで。
「ちょっと、それくらい自分でできるよ」
キルアくんはそれには答えず私にローファーを履かせようとする。
「…ケガさせてごめんな」
いじわるなことを言う時とはまったく別の少し沈んだ静かな声だった。遠巻きに聞こえる放課後の雑音にまぎれる。
まさかキルアくんの口からそんな言葉を聞くとは思わなくて私は面食らってしまった。
「……うん」
私より背の高いキルアくんのつむじをはじめて見ていた。キルアくんはゆっくりと私を見上げた。
「……お前、家どこ?」
「え、二丁目の裏通りのー…」
「……ふーん、けっこー遠いな」
靴を履かせ終えるとキルアくんはかがんだまま身体の向きを変えた。私の前にキルアくんの背中。意外に肩幅が広いんだな、なんて考えているとキルアくんが「ん」とうながした。
「おぶされよ」
「え?」
「え、じゃなくてさ。家まで送ってく」
「……え?」
「だから、え、じゃねえって」
あきれ顔でキルアくんはこっちを振り返った。だって「送ってく」と言われたからって「はい。そうですか」と乗るには抵抗がある。どうしたものかと戸惑う私。
「あーもう面倒くせえな」
キルアくんは苛立ったようにガシガシと頭をかいて立ち上がった。「面倒ならやめたらいいじゃん。べつに頼んでない」。いつもの癖でかわいくないことを言いそうになった瞬間ふわりと私の身体が浮き上がった。
「もういい、乗らないならこれで行く」
キルアくんは少し乱暴に、私を横抱きにすると昇降口をにらんで歩き出した。
「何すんの降ろしてよ」「こんなの恥ずかしい」。やっぱりかわいくない台詞が喉元まで出かかったのにこの時の私はわけのわからない気持ちにのまれて何も口に出すことができなかった。今思うと混乱と羞恥とがあまりに極まって、向かうはずの照れ隠しの言葉を通り越してその先へ行ってしまったのだと思う。
けっきょく私が言ったのはこれだけだった。
「……ありがとう」
前を見つめていたキルアくんは驚いたような視線を私に下ろした。
「素直じゃん」
それからまた前を見て歩き出す。
「お前そうしてりゃかわいいのにな」
変なことを言い出すキルアくんに私はまた戸惑って口をつぐむ。
二人同時に黙ってしまってずんずん歩いていくキルアくんの足音だけが続いた。
「……だまってんなよ」
キルアくんがふと思い出したように口をきいた。
「え、えー…と」
私は何か言おうと顔を上げてキルアくんの耳が赤いのを見つけてしまう。それでいっそう言葉に詰まった。
するとキルアくんが焦れたようにひときわ大きな声を出した。
「あーそれにしても重いなお前。ダイエットしたほうがいいんじゃねー?」
は。何を言い出すかと思えばまたそんな意地悪なことばかり。頭きた。
「なによ、人がせっかく見直したっていうのに」
「はあー?お前に見直される筋合いねえっての」
「はいはい、キルアくんも良いところあるとか思った私が馬鹿でしたー」
「現在進行形で馬鹿だろお前は」
「キルアくんだって似たような成績じゃない」
「成績の問題じゃねえんだよドアホ」
「ドアホ!?……キルアくんのつり目!」
「ボーケ」
「おたんこなす!」
「ドジ」
お互い素直になったのもほんのつかの間。
私達二人は結局ああだこうだと文句を言い合いながら下校した。いつものようにけんか腰で。だけどどうしてなんだろう。それをもうそんなに嫌だと思わなかったのは。
とにもかくにも私とキルアくんの素直じゃない関係はまだまだ続くのだ。
end.
20150509