ふぅ…。
大きく息を吐いて、掻いてもいない汗を拭う。


「あと、少しだね」

大きくなったお腹を優しく撫でながら呟いた。自分のお腹の中にいる、愛しい子へと愛情が伝わるように。早く出ておいでというように。

もう随分と大きくなったお腹には、愛しい人との間にできた赤ちゃんがいる。この子は普通より少し遅れて出てくるそうなのだ。なので9週間目に入る直前にも関わらず散歩を続けている。


愛しい愛しい赤ちゃん。名前はまだ決めていない。赤ちゃんを見て、その子に合った名前にしようと決めたから。だから、呼びかける時は赤ちゃん。
少しくらい、出てくるのが遅くてもかまわない。流石に死んじゃうのは無理だけど、少しくらい危険があったっていいよ。
この子にとって、世界は怖いのかもしれない。だって、危険がいっぱいあるのだから。だから少しでも長くお腹の中にいればいいよ。私が頑張るから。
元気に生まれてくれさえすればそれでいいんだよ。

前にそうお腹に向かって話しているのをあの人に見られた時は呆れられた。
どれだけ自己犠牲精神なの、って。
その時の顔が少し悲しそうに見えて、思わず笑ってしまったのをよく覚えている。
そしたら何笑ってるの、って拗ねてたけど。うん、とても愛おしい思い出だ。


歩きながら笑っている私は、きっと不審者なんだろうけれど、この道は人通りが少ないから気にすることは無い。1人しかいないのなら我慢しなくてもいいだろう。あの人の愛らしさぐらい思い浮かべてニヤけてもいいはずだ。私は何も悪くない。




1人ふふふ、ぐふふ、ぐへへしながら笑っていると、何となく。本当に何となく視線を右斜め前へと向けた。



「……え?…………ちょ、え!?」

右斜め前。そこにあるのはゴミ箱。それだけがあったはずなのに、今俺の前にあるのは…。



「っちょっと君!大丈夫!!?」

倒れたゴミ箱と、影に寄りかかりながら座っている水色の髪の毛をした少年だった。
少年の肩を揺する。揺すって揺すって揺すって。



「あ、あの。気絶したわけではないので止めてください」

「あ、ごめんなさい」

助けようとしたはずが逆に迷惑をかけてしまったらしい。顔色が悪い。



「……随分ボロボロだけど大丈夫……なわけないか」

「…平気です」

「はい、だーめっ!全然だーめっ!何処からどう見てもだーめっ!だーめったらだーめっ!」

「…はい」

「素直でよろしい!」


子どもは素直が1番だよ!と言って笑った私を少年は見つめた。
男の子なのに結構可愛い顔をしている。あ、浮気じゃないから。1番はあの人だから。

怪我は沢山あるみたいだけど、まだ平気そうな彼を見てホッとした。







……のがいけなかったのか。



「………あっ!」

痛い、痛い。
お腹が痛い、死にそう!ていうか生まれるんじゃないの!?


「どうされたんですか!?」

「わ、分かんない!……ぅ、あっ…ご、ごめん!救急車、呼んで!」

「はいっ!」

幸いなことに喋れる余裕はあった。普段から痛みに慣れていたせいだろうか。だとしたら、あの横暴家庭教師に感謝しなくてはいけない。
なんて全く関係のない事を考えていないと意識が飛びそうだった。



「呼びました!」

「あ、…ありが、とう」

救急車は呼んだ。あの人に連絡は…しなくていいだろう。きっと病院から連絡が入る。入らなくても逸早くボンゴレが情報を得てあの人に伝わるだろう。



後は…。


「…もう、行っていいよ」

「えっ!?」

「きゅ、きゅうしゃ、来たら……ぅっ…その、傷、聞かれる、よ?…………それ、困るん、で、しょ?」


そう言ったら、少年は大層驚いた顔をした。
普通はそうだろう。口に出していない事を言われたのだから。



「な、何でそれを…」

「んっ………勘、かな?」


遠くから救急車の音が聞こえる。
もう、近い。


「ほら、早く…………ね?」

小さく。余裕なんてないから本当に小さく笑いかけると、少年は渋々ながらも去って行った。





「……………生徒手帳」

なんというベタな展開なのか、生徒手帳を残して。


「またね。黒子、テツヤ、くん」

そうして私は、救急隊員の人を尻目に見ながら意識を手放した。
















「あっ…」

憶えがある、夢を見た。この状況になってすぐに起こった出来事だ。
あの妊婦さんは無事に出産できたのか。もう随分とお腹が大きかったけれど。

あの女の人を思い出す。
妊婦さんだったのだから、それなりの歳だとは思うが幼い容姿をしていた。自分と同い年の桃井の方が年上に見えるほど。


でも、それでも。


「温かかった…」

体温じゃなくて、あの人の雰囲気が温かかった。まだ思い出せる、あの人を。
地獄だと思った事さえある今に、光が差し込んだような錯覚を起こした。













再開まで、もう少し。






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