episode.7


 幸せだったこととか、悲しかったこと。怖かったこと、うれしかったこと、苦しかったこと、楽しかったこと。
 「彼」と出会って、感じた気持ちはたくさんあった。それは「彼」が私に植えた、恋の種から生まれたもの。

 きっかけが作られたものだったとしても、そこに嘘はない。

 私の抱いた気持ちは、私だけの本物だから。

「違う……お前は何も、覚えていないはずだ。お前の心は俺が食ったんだ。俺が……どうして。なんでだよ、柊。どうしてお前はそこにいる?」

 ぎゅらぎゅらとした声で、怯えた赤い瞳で、「彼」は言う。

「あ……あああ……」

 流れ出すものをかき集めても、ぼろぼろと崩れていく。

「嫌だ……嫌だ。やめてくれ、嫌だ。消えたくない。消したくない。忘れたくない。みんな、なくなる……!」


 「彼」は何もわかっていない。
 彼女のことも、他の女の子の心も、私の思いにだって気が付かない。すべて食べたはずなのに、全然、気付いてくれない。わかろうとしない。

 一人で悲しい気持ちを抱えて、誰も見ようとしない。


「忘れちゃったんですか……?」


 そんなに苦しい理由も、ダテンシになったわけも、この世に存在できることの意味も。

「私たちは、あなたのことが好きだったんですよ? 好きになれて、すごく、幸せだった」

 恋を。
 まっすぐな、初めての恋を。

「それをあなたが否定しないでよ……」

 そこにあった感情をすべて嘘にして飲み込んで、悲観してほしくない。
 本物をひっくり返して押し込んでしまうなんて、それじゃあ私たちが嘘になっちゃうから。

「大門くんのことを好きになったわたしを、嘘にしないで。ちゃんと見てよ……!」


 ──ああ、やっと。

 幸せだったって、ずっと悲しそうにしていたあなたに、伝えたかったこと。

 やっと、言えた。


 膝を両方床につけて、「彼」を見つめる。
 赤い目を見開いた「彼」の口が動いたけれど、何と言ったのか、私にはわからなかった。わたしにわかっていればそれでいいと、思った。


 体の真ん中の穴が広がり、消化不良を起こした「彼」の姿は、溶けて無くなった。床や壁に散らばっていた黒い液体は、その穴のあった空間に吸い込まれて、跡形もなく消える。
 私の部屋に降りる静寂。


 ……いなくなっちゃった。


 息をつくと気が抜けて、私は壁にもたれかかった。膝を崩して、動悸が収まるのを待つ。

 私の好きだった人、どこかにいっちゃった。

 この痛みは薄らいでいくのだろうけど、忘れることはない。鋭い痛みを思い出すことはなくても、痛かったことはきっと、忘れないよ。
 できれば、優しい思い出になってくれると、いいなあ。

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