いつもは切れない息が切れていた。肩を上下しながら、わたしは荒い呼吸を繰り返す。スクールバッグが重い気がする。
 わたしの進行方向に立ち塞がる少年。わたしの大切なベンチを汚しやがった不審者。滑り落ちたカーネーションを拾い上げて笑う。今は不機嫌そうな顔。

 助かった、気がした。
 これでわたしは強制的に現実と向かい合わせになる。逃げなくて済む。敵前逃亡は免れた。

「ことり……」

 なに、と口を動かす。

「オレ、さっき、まずいこと言ったんだろ?」

 いいえ。

「あの、さ!」

 葉山楓がまずいことを言ったのではない。葉山楓の言葉をまずいように受け取ったのはわたし自身だ。

「いいよ。むかついたなら、蹴ったって、いいから」

 ……出た。マゾヒズム。

「ちゃんと受け止める!」

 自転車を道路脇に停めると、葉山楓は両腕を広げた。まさに無防備。どこに打ち込んでもうまくいきそうに見える。
 自らサンドバッグになると名乗り出たこの少年に、わたしは今から渾身の一撃を食わせるべきなのだろうか。

 否。

「蹴らないよ」

 わたしは彼に謝ったばかりだから。もう蹴らないと宣言したばかりだからだ。それが自分のためであったとしても、彼の言葉一つで覆るというなら──それではまるで。まるで、わたしが。

「……わたしは、君を、蹴ったりしない」

 もう逃げ出さないように。
 わたしの次の強さは葉山楓を越えた先にある。こんなところで甘えてなどいられないのだ。一方的に蹴り付けるようなことを繰り返していても、何も変わらない。成長のチャンスを失うことになるだけだろう。

 易々と手放すものか。

「自分から蹴られようだなんて、そんな馬鹿には付き合っていられない」

 両腕を広げたまま、葉山楓はぽかんと阿呆面を浮かべる。

「オレはことりと拳で語らおうと」
「断る」
「えー!?」

 そもそも拳を使っているのはわたしだけではないか。やつは語らいの意味を正しく理解していないのだろうか。

「結構、気まぐれなんだなあ」

 頭の後ろで手を組み、阿呆面のまま、首を傾げた。その科白がどうにも気に食わず、わたしは彼を睨み付ける。しかし、当然のように、彼はそれを気にしない。

「ことりがそれでいいなら、いいけど。どうしてさっきみたいな顔したのか教えてくれないと、オレ、また、地雷踏むと思うぜ?」

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