それを満足そうに見送った片桐護は、少し後退すると、にっこりしながら「シイちゃんも早くね」と道を示した。大人しく教室に帰ろうとしたが、ふと、彼女が養護教師だったことを思い出して踏みとどまる。

 ぐいと顔を上げて真正面から彼女に視線をやると、何も聞かないうちに言葉が返ってきた。

「ひじりんのことなら、一時間もしないうちに起きるから平気だよ。安心して授業受けてこい」

「……何なんですか、あの人は」

「ん? アイツはキミのクラスメートだろ?」

 きょとんとした顔で事も無げに言って、同年代であるかのようにへへっと笑うと、背中を押された。たいして大きくない手はじわりと温かい。そのまま屋上から追い出された。

「まったなー。不良くんによろしく!」

 ぶんぶん手を振る彼女に一礼を返すと、わたしは階段を下りていった。

 が、一階分下りたところで、踊り場に誰かいるのが見えた。片手を学生服のポケットに突っ込んで、だらしない格好のまま隅のほうに立っている。しまっていないほうの手には、浮いて見える、可愛い飴の袋。

 不良くんだ。

「君」

「ああ? ああ……」

「片桐、先生が、よろしくって言ってたよ」

「律義にどーも」

 それ以上話すこともなかったので、目の前を横切ろうとすると、呼び止められた。「おい」

「お前、何か、やってんのか。空手とか」

「急に、なに」

「大の大人を簡単にのしたんだ、気になんだろ」

「……特には」

 師匠に護身術の類の基礎は教え込まれていたが、それを説明する義理はないし面倒だ。話すと長くなる。

 不良くんは納得いかないという顔をしていたが、わたしは構わずその場を離れることにした。

 早足で廊下を行く。
 師匠の話など、お母さんにもあまりしないのだ。どういうわけか、そのお母さんはわたしの師匠の存在を知っていたが、どう説明すればいいのか分からない。出会ったのはだいぶ小さなころだった。そのわりに、名前すら聞いていないのだから不審に思われても仕方がないだろう。

 教室の前までやってくると、中にいた小枝とばっちり目が合った。くりくりした目がきらりと光った気もする。ぽてぽてと駆け寄ってきた。

「ことり、急にいなくなっちゃったから、びっくりしたんだよ!」

 怒られてしまった。

「ちょっと、屋上に」

 言い訳がましく、いや、実際言い訳なのだが、わたしはそう口にしていた。
 それに気付いた様子もなく、小枝はこてんと首をかしげる。

「……屋上?」

 おうむ返しされ、わたしはこの時間にあったことを彼女に教えてやった。不良くんのことや、片桐護から小人くんの体調を聞いたこと。もちろん、余計な内容は省いたが。
 うまく話せないわたしを急かさずに、しかし、楽しげな様子でそれに耳を傾けていた小枝は、最後に「明日はわたしも屋上に連れていってね!」と朗らかな笑みを見せたのだった。

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