しばらく、咲乃の熱弁は続いた。足のほうは大したものではないらしい。廊下に響く声に若干の羞恥を感じ始めた頃、彼女はやっと自分の本来の目的を思い出して保健室へと歩いていった。

 わたしも帰らねば。

 夕日が差した廊下は赤く染まり、閑散としている。部活が終わるには早く、かと言って用もない人間がいる時間ではないのだろう。

 とりあえず、急いだ。


 + + +


 玄関前で、急いできたことに後悔する。

 廊下を行った先にある玄関には、当然のごとく、下駄箱が設置してある。決して大きくはない場所だが、それがドカドカ置いてあるため見通しは最悪だ。それは普通のことだから、文句は言うまい。

 しかし、だ。
 両手を頭の後ろで組み、壁にもたれ掛かってぼーっとしている男子生徒には何か言う権利があるのではないか……いや、関わり合いになる前に帰ろう。

 不意に、少年がこちらを見た。

「おーい」

 にこにこしている。
 妙に鋭いところがあるなと眉間にしわを寄せた。

 少年こと葉山楓は、その状態のまま、とことこ寄ってくる。

「遅かったなー」

 嫌味のない口調で言うものだから、何だか無視もできなかった。わたしにだって、慈悲くらい存在するのだ。

「あのさ、さっきはごめんな? えっと、その、ちょっと混乱してたから忘れてたんだけど、手……」

 痛くない?
 聞かれたので手のひらを突き出した。擦り傷のせいで全体的に赤くなってはいたが、これしきのことで謝り続けられると、かえって負い目を感じてしまう。

 わたしが、もっとうまく対処できたなら、と。

 対して彼は、わたしの手のひらをまじまじと眺め回して、つぶやいた。

「風呂で染みそう……」

 誰のせいですか。

 苦い顔をして視線をそこから外した彼は、次にわたしを見た。

「今度からは気を付ける! 絶対! だから、許してください!」

 そんな馬鹿でかい声で言わなくても、と思うほどの声量で謝られ、無意識に一歩後退してしまった。そもそも、その件は先ほどけりをつけたはずではなかったか。
 そんな表情が見て取れたのか、少年は不安そうに眉を強張らせた。どうせ、許してもらえないかもとか、そんなことを考えているのだろう。

「……さっき、わたし、言ったよね。もうしないなら別にいい、って」

「でも!」

 でもも、だっても、ないと思うのだけれど。

「ちゃんと、もう一回、謝っておきたかったし……やっぱり今でも悪かったって気持ちがあったんだ。あんなへましてさ、迷惑だけじゃなくて怪我させて、それで本当情けないって。オレの自己満足になっちゃうのかもしれないけど、謝っておきたかったんだ。普通はさ、あんなにあっさり許すもんじゃないだろ? オレは、その……」

 わたしに乗っかっていたこと、だろうか。耳に入ってきたワードを繋ぎ、ぼんやり考える。

「……ことり、まだ怒ってるんじゃないかって、思ったから……正直に言ってほしいんだよ」

 謝って、許されて。
 それでいいじゃないか。嘘でも、あまり納得していなくても、許されたのなら信じればいい。自分に都合のいいように取って、そうして人は生きていくものだろうに。

 馬鹿正直なやつである。

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