ふれた幸せに
いつもなら落ち着いて、ほんの少しどきどきする香りのはずが
今は落ち着けず、バクバクと心臓が鳴り続ける。
あの後腕を引かれ、連れて来られた蔵馬の家、そして部屋。
夜まで誰もいないらしい。
自分と蔵馬の2人きりなんて、いつぶりなのだろう。
というより、こうして面と向かうのが久しぶりかもしれない。
蔵馬の部屋に入ってからもう幾分か経ったはずなのに続く沈黙。
ひたすら自分の足元を見ることしかできない。
「ほら、そろそろこっちに座りなよ。」
ぽんぽんと、蔵馬がベッドに座り自分の横を指す。
だがしかし、足が固まってなかなか動かず、蔵馬の再度の催促でようやくその隣に腰掛ける。
静かに、振動を立てないように座るも、よくわからない緊張感にギジリとベッドのスプリングの音を立ててしまう。
それに肩を揺らしてしまえば、隣でクスリと笑い声が立つ。
「どれだけ緊張してるんだよ、別にとって食いやしないさ。」
「いや、そういうわけじゃないんだけど…」
じゃあどういう訳だろうと、自問自答するが答えが見つからない。
仙水との戦いの後ムキになってたのは俺の方のはずなのに、どうしてこんなにも気まずく感じているのか。
そんな気まずさを突破する話題なんて思い浮かぶ筈もなく、所在無く手遊びをしていれば、そっと蔵馬の手が乗せられる。
それに思わず蔵馬の顔を見上げれば、翡翠の瞳に見つめられる。
その瞳から目を逸らしたいのに逸らせない。
先程とはまた変わった鼓動に、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせていれば、蔵馬が口を開く。
「ごめん。」
想定外の言葉に、思わず口を開いてしまう。
ごめん、とは何に対しての謝罪なのだろうか。
「君が俺を避けていたのは…
あの時、君の止める声も聞かず、君に相談もせず、仙水忍を追って魔界に行ったからだろう?」
「…。」
全くその通りで何も言えなかった。
あの時蔵馬は、一瞬の躊躇もなく、こちらに背を向けたまま仙水を追いかけに行ってしまった。
もし、幽助が目覚めていなかったら、きっと二度と帰ってこなかった。
そう考えるとゾッとして、同時に腹が立った。
逆の立場だったら、蔵馬はどう思うのだろうかと。
「君のことを考えていないわけじゃなかった。
でも、あのまま仙水を逃がすなんて…出来なかった。」
「…仕方ない、幽助のことだもの。」
完全に納得できたわけじゃない。
でも、蔵馬だけでなく飛影も、桑原君もなんの躊躇もなく魔界に行ったのは全ては幽助のためだ。
一緒にいる時間は短いようでいて、彼らの間には確かな絆や友情が築かれてきたのだ。
だから仕方ない、でも…
俺のことを考えてくれたのなら、どうして唯の一度も振り返ってはくれなかったのか。
あれが今生の別れだったとしたら…
そんな浅はかな、嫉妬にも似た思いに口を閉ざす。
これ以上はいけない、こんな風に考えるのはもうやめにしよう。
蔵馬だって反省してくれてるんだ。
そう気持ちを切り替え、蔵馬を見れば俯き口元を押さえている。
予想外の様子に、もしや体調が悪いのではないかと思い、声をかければコホンと咳払いをする。
「大丈夫か?どこか具合でも…」
「いや、いや、違うんだ。体調はすこぶる良いよ。」
じゃあ一体何があったというのか。
蔵馬の顔をじっと見つめると、観念したように口を開く。
「君は怒るかもしれないが…
その…一人で百面相をしている君が可愛くてつい…」
「百面相…?」
どうも考え事をしている最中に、思ってることが顔に出ていたらしい。
まさか自分がそんなことをしていたとは思わず、恥ずかしさに顔に熱が集まる。
「変な顔してたなら言ってくれればいいだろう?」
「変じゃないよ、可愛いなって思ったんだ。」
「かわ…っ、いやそうじゃなくて!
俺は怒ってたんだからな!」
とついムキになってしまい、ハッとした時には時すでに遅し。
再び蔵馬が口元を手で押さえる。
「…笑うならちゃんと笑いなよ。」
「ふふっ、ごめんごめん。
でも、こうして顔をちゃんと見れたのは久しぶりだから、本当に可愛いと思ってるんだ。」
またそうやって揶揄う…!
と文句を言おうとしたら、腕を引かれそのままベッドに二人で倒れこむ。
ギュッと抱きしめられ、蔵馬の香りと温もりでいっぱいになる。
それにどうしてだか、キュッと胸が痛くなる。
「本当に、ごめん。
君をこうして、抱きしめることができなくなったかもしれないと思うと、今更ながら怖くなった。」
「…自分で行ったくせに。」
そう文句が口から出るも、自然と蔵馬を抱きしめ返していた。
あぁ、良かった…生きてる。
生きてまた会えて、こうして触れられる。
「君を絶対に不安にさせない、なんて約束はできないけど…もう二度と、何も言わず置いていくなんてしないよ。」
「うん、わかってる。」
「あとね、俺達恋人同士なんだから、"秀一の彼女です"ってちゃんと主張してよ。」
「うん、わかって…ちょっと。」
どさくさに紛れて、さっきの出来事を掘り返してくる蔵馬に流されそうになった。
それにストップをかけると今度は蔵馬が不満げに顔を歪める。
「まさか、恋人だと思ってるのは俺だけなんて言わないよね?」
「いやそんなことはない、けど…」
「けど…?」
改めてこの関係を恋人と呼ばれると、不思議な気持ちになるし、気恥ずかしいと思う。
それに自分に"恋人"がいるなんて似合わなさすぎる。
だからか、どうにも歯切れ悪くなるのだ。
それに、自分が蔵馬の横で恋人だなんて言っていいものか。
今日会った、あの女の子達の方が余程様になると言うのに…
「恋人という言葉の響きになれないだけだよ。」
そんな俺の言い訳に、蔵馬は何かを見透かしているが、これ以上踏み込むことはせず、只々抱きしめてくれる腕を強くしてくれた。
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