さよならペシミスティック
「50年前の大会で優勝したあたしの望みは二度と大会に出ないこと。
そう言ったはずだよ。帰って戸愚呂に伝えな。」
「大会のゲストとして他に浦飯幽助が呼ばれています。
蔵馬と飛影という妖怪もゲストに決定しました。
それでも断りますか?」
暗黒武術会のゲスト。
これは闇の世界に深くかかわり、裏社会の人間にとって邪魔となる人間をゲストとして強制的に招待するというもの。
拒否をすれば刺客を送られて殺される。
どちらにせよ、生きるためには戦わなければならない。
「そして、なまえ。
あなたもゲストとして招待されています。」
図書館の裏にある山。
数か月前はここで毎日蔵馬に薬草について教えてもらっていた。
紅葉の時期も終わり、山の中は落ち葉が敷き詰められていた。
小川の岩場に座り、目を閉じ山の音に耳を澄ます。
穏やかに流れる小川の音、カサカサと落ち葉が舞う音、トンビの鳴く声。
どう足掻いても、この世界にずっといることはできないのか。
真っ暗闇と罵声と悲鳴と血の匂い。
飛び交う金と煙草と酒の匂い。
食べるためにニンゲンの言うことを聞いた。
そんな世界が当り前だと思っていた。
兄はそんな世界から出してくれた。
師範は別の世界を教えてくれた。
でもそれは束の間のことであって、いつかは元の場所に戻らないといけないと思っていた。
だから日の当らない場所を探してはそこに身を投じていた。
こんな穏やかな世界が当たり前になるのが怖かったから。
でも蔵馬は、必要最低限のことしか見ない俺にたくさんのことを教えてくれた。
だからこそ願ってしまった。
ここに居たいと。
あの場所に戻るのが怖い。
自分が戻るのが怖い?
いや...大切な人たちがあんな世界に放り込まれることが怖い。
傷ついていくのが怖い。
昔のことを思い出す。
約束、守れなかったね。
綺麗なドレスを着た女の人を見て、将来あんな風になりたいと言った君。
他にもたくさんやりたいことがあったね。
3人で秘密基地を作ってたくさん話した将来のこと。
何も叶えてやれなかった。
何も守ってやれなかった。
悲しくてやるせなくて苦しくて全部に蓋をした。
もうそんな思いはしたくない。
誰にもそんな思いさせたくない。
強くなりたい、誰よりも何よりも強く...
ふわり
薔薇の香りがした。
「こんなとこにいたら風邪引くよ。」
肩に少しの重み。
蔵馬が上着を肩にかけてくれたみたいだ。
「早いなぁ、数か月前は暑くてこの川でよく涼んでいたのにね。」
そう言いながら、手で川の水を少しすくい
うん、冷たいね
とこぼす。
「...怖くないのか?」
その言葉に蔵馬はこちらを振り向く。
「冷たさも暑さも何もない、あんな暗がりに放り込まれるのは、怖くないのか?」
心なしか、自分の声が震えている気がした。
「...どちらかと言えば、きっと今から行こうとしている世界が俺がいるべき世界なんだと思う。」
流れる水面を見つめながら言葉を紡ぐ。
「でも、今はこの世界を守りたい、帰ってきたいとも思う。
そのためになら、俺はなんにでもなるつもりだよ。」
案外こんな穏やかな世界も気に入ってるからね。
そうにこりと微笑みながらこちらを仰ぎ見る。
「なんにでも...か...。」
ふわり
風が吹いて薔薇の香りに包まれる。
守りたい
この香りを
あなたを
さよならペシミスティック fin.2013.8.2
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