橙にとける日常
「主殿、文をお持ちしました。」
「…ありがとうございます。」
部屋の手前で膝をつき控えていた一期さんが、お入りください。という私の言葉に一礼し部屋に足を踏み入れる。
部屋を開けっ放しにしているのだから勝手に入ってきて良いと言っても、一期さんのように一部の刀剣達は頑なにそれを是としない。
一期さんから手紙を受け取り、封を切る。
「…。」
「気になりますか?」
目線を一期さんに向けると
失礼致しました。
と、すっと畳に視線を変える。
「お気になさらず。
むしろ、貴方を巻き込んでしまったことを申し訳なく思います。」
そう言えば、畳に落としていた蜜色の視線と交わる。
そして真っ直ぐに結ばれていた口が開く。
「偶々あの日、私が近侍だっただけのこと。
主殿に責はございません。
むしろ、私が近侍で良かったと思うほど。
でなければ、"あなた方"だけで全て納めるおつもりだったでしょう?」
真っ直ぐでありながら柔らかな視線。
思わず本音を言ってしまいそうになる。
こういう人柄は、忍に向いているなぁ。と、脱線したことを考えて一期さんのペースに乗らないように思考を正す。
「まさか、流石に私達だけではどうにも出来ませんよ。
しかし…事が動くまで、このことは内密にお願いします。」
「えぇ、承知しております。」
頭(こうべ)を下げた彼の、淡い水色の髪がさらりと音を立てた。
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「あるじさん、こうですよ!」
けんけんぱっ!
という掛け声と共に、今剣殿が地面に描いた円だけに器用に足をつけながらぴょこぴょこと飛ぶ。
いよいよ主殿の番。
他の短刀達も興味津々に見ている。
そして
「…。」
「主、ちゃんと"けんけんぱ"言わんといけんばい!」
「言わないとダメですか…。」
「そういうあそびですよ!」
「因みに片足のときは"けん"、両足のときは"ぱ"です。」
と、短刀達(主に自分の弟達)にやんやと突っ込まれる主殿は大層困った顔をしている。
戦における無理難題は涼しい顔で流してしまうのに、彼女にとってはこんな日常の些細なことの方が難しいらしい。
昼間のやり取りを思い出し、不思議な御人だ。と空に跳ねる赤い髪を目で追う。
「そんなに熱心に見てちゃあ、なまえが逆上せちまうぜ。」
「これは失礼致しました。」
不意に現れた鶴丸殿はとん、と縁側の柱に肩を凭れさせる。
夕暮れの光を浴びる白い髪は、淡く橙に染まる。
「あぁして短刀達と混じっていると、武人には見えませんな。」
「そりゃ君の弟君達も一緒だろう。
あぁして遊んでると年相応の人の子にしか見えんさ。」
「確かにそうですな。
これはまた、失礼致しました。」
そう言うと、謝る必要なんざないさ。
と笑みを含んだ声がこちらに向けられる。
そうして橙を反射する地面の上、掛け声と飛ぶタイミングが合わず再び短刀達から指導が入る。
「あれは、拍子を取るのが下手らしい。」
「人は誰しも得手不得手はありますから。」
「今度、歌仙にうたを詠ませるよう頼むか。」
と、本気なのか冗談なのか取れない声色が返ってくる。
何となく、主殿は嫌がるだろうなと予想がついた。
そうして次第にヒグラシの鳴く声が、童戯の声に混じり主張を始めれば、向こうの空に藍が広がり始める。
「さてと…そろそろ仕度をせんとなぁ。」
「…私が言う立場ではないでしょうが、主殿が直々に動く必要はないのでは?」
ぐぐぐ、と伸びをした姿勢で鶴丸殿はこちらに顔を向ける。
そうして口元に笑みを作る。
「誰が提言すれば聞き入れてくれると思う?」
「…安直な意見すぎましたな。」
そうだろう、そうだろう。と
軽快な笑い声を上げながら、鶴丸殿はその場から離れて行く。
そうしてその笑い声が聞こえなくなった頃には
あの赤い髪も、まるで夕暮れにとけたように消えていた。
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