6.
「ナリタブライアンが先頭!後続も追いすがるがその差は縮まらない!!
ヒシアマゾンが最後まで食らいつくっ!
しかしナリタブライアンだ!これで五冠達成だーっ!!
来年はルドルフを超える!そんな期待をさせる圧勝ででした!!!」
冬の寒さも忘れてしまう熱狂。
菊花賞と同じく、会場は人々の熱気と歓声で揺れる。
年末の有馬記念。
シニア級との戦いにもブライアンさんは勝利し、現役最強と評される。
しかし、ターフ上のその表情にはやはり喜びの色が見えない。
空を仰ぐ姿が、仲間を地で見送る渡り鳥のように見えた。
年が明ければ、外は一面雪景色だった。
年末年始はうちのチームの練習は休みだ。
だからいつものように、いつものコースを一人で走る。
練習が休みになれば走っている道のり。
いつも人は殆どいないが、正月で皆里帰りしているのだろう。
更に人はいない。
丁度、このコースの脇には古寺がある。
いつしか雨宿りしたお寺だ。
都内の神社は参拝者でごった返している。
年始の挨拶はこのお寺でもいいかと、そこへ向かう。
「…!」
真っ白な足元と荘厳な御堂に、黒鹿毛のその人は自然すぎるほどに馴染んでいた。
誰にも踏み入られていない清廉な空気に、そのまま足を進めるか迷った。
だが、振り返ったブライアンさんと目が合う。
「その格好…年明けに関わらず熱心だな。」
「家にいても暇なので…ブライアンさんは、初詣ですか?」
そう問うと、そんなところだ。と簡潔に返事が返ってくる。
人混みが嫌いであろうブライアンさんが、このお寺に来ているのはおかしくはない。
だが何となく、初詣のためだけに足を運んだわけではないと思った。
「…。」
「…。」
街を歩けばどこもかしこもこの人の名前で溢れている。
学園にだってきっと記者がひっきりなしに踏み込んでくるのだろう。
どこへ行ったってその注目を浴びてしまうだろうから、息をつく暇もないのかもしれない。
「ブライアンさん、この先の道、行ったことあります?」
「…?ないが。」
「もし、この後予定がないなら少し付き合ってくれませんか?」
年末年始だし、実家に帰っているのだろうがそこにももしかしたら人の目が追ってきてるのかもしれない。
ブライアンさん自身はそこまで考えてはいないのかもしれないが、家族のためにも離れたこの場所に来たのかもしれない。
それに、たまにはレースから離れた方がいい。
自分でも気づかぬうちに精神は削られていくものだから。
例えそれが、本人が望んで走っていたとしても。
本格的な登山コースではないが、木々に囲まれた山道がある。
ほんの少し舗装されてるだけだから、殆ど自然のままだ。
何となくの心配と、自分も山に入りたかったから誘ってみた。
こうして感性をリセットするのは大事だと思う。
嫌ならこの人は断るだろう。
断られれば一人で行くつもりだった。
だがブライアンさんから返ってきたのは了承の返事だった。
時折雪が枝から落ちる音だけが響く冬の静寂の中、私とブライアンさんの足音以外にはない。
当然、私は気の利いた話しもできないし、ブライアンさんも口数は少ないから無言で、ブライアンさんが付いてくる足音だけを聞く。
「…。」
自分達以外の気配に足を止める。
ブライアンさんの足音もほぼ同時に止まった。
暫くすると、脇道から落ち葉を蹴散らしながら走るイタチが道を横切って行った。
「…熊は、いないと思います。」
「いても私達の脚なら撒けるだろう。」
「確かに…それもそうですね。
いやでも、無理です。熊ですよ熊。」
例え熊だろうと、ウマ娘が全力で走れば恐らく逃げ切れるだろう。
だがしかし、それは万全の精神状態だった上で…
「お前でも、恐れるものがあるんだな。」
「そりゃ熊は怖いに決まって…いえ、その前に私のことをどういう風に思ってるんですか。」
まるで私に怖いものがないかのような言い方。
心外だ。これほど小心者はいないと思う。
「肝のデカい奴だなと思ってる。」
「私ほどチキンハートなウマ娘もいないと思いますけど…。」
何故だろう。
何故ブライアンさんの中で私は怖いもの知らずなウマ娘になっているのだろう。
こんな風に一緒に時間を過ごすのは今日が初めてと言っていい程なのに。
「レースで走るのは、怖いのか?」
「怖い…そうですね、怖いのかもしれません。
勝ってしまった時の周りの反応や、一緒に走った娘(こ)達の感情がどうも苦手で。」
私の返答にブライアンさんは、そうか。と一言簡潔に言うだけだった。
幻滅されただろうか。
「お前は、話せば話すほどよくわからん奴だな。」
「それも…よく言われます。
友人からは宇宙人と話してるみたいだと。」
「お前の友人は、宇宙人と話したことがあるのか。」
「ですよね、私もそう言ったら怒られました。」
たぶん、こうしてブライアンさんと正月早々歩いてるのも知られれば怒られる。
ファンクラブに入るとか言ってたしな…
「…あ、明けましておめでとうございます。」
「…、あぁ。明けましておめでとう。」
ブライアンさんが言いたいことは何となくわかる。
このタイミングで?と思ってるのだろう。
私もそう思うが、下で会った時は正直テンパって正月だとかそういうのを忘れていたのだ。
「今年は、いつ全力で走るんだ?」
「ワタシはいつでも本気デス。」
少し意地の悪い顔で言うブライアンさん。
ちゃんと、こういう顔も出来るのだと少しホッとした。
「あ、次はこっです。ちょっと急なんで足元気をつけてくださいね。」
そう言って山道の脇にある、殆ど獣道な脇道に降りていく。
雑木林の中の坂を下っていくと、視界が突然開ける。
「ふぅ…明るいですね。
ここ、海に繋がってるんですよ。」
新年の太陽と思うからか、いつもより明るく海も真新しく輝いている。
少し休憩しましょうと、ブライアンさんを振り返ると一心に海を見つめていた。
そのあどけなく見える顔に、それ以上声をかけることをやめて、その辺の岩に腰掛ける。
それにしても、よく黙って着いてきてくれたな。
「よく見つけたな。」
「山の中を散策してたら波の音が聞こえて。
通れそうな道もあったので来てみたらビンゴでした。」
この下、砂浜に行けるんですよ。と指差せばブライアンさんは素直にその方向に目を向ける。
「通な釣り人くらいしかいないので中々の穴場スポットです。」
「都心の近くにこんな場所があるなんてな。」
「意外と自然が残ってるんですよね。
都会ジャングルと聞いていたので、来る前はゲンナリしてたんですが。」
「地方から出てきたのか?」
「はい、実家は大阪なので今は一人暮らしです。」
ブライアンさんは意外だ、と呟いた。
方言をあまり出してないからだろうか。
「生まれも育ちも関西なんですけど、東京で方言丸出しって何だか恥ずかしくて…」
「うちにも地方出身のウマ娘がいるが、皆気にせず話してるぞ。」
「方言で話すと目立つじゃないですか。」
「本当に目立つのが嫌いなんだな。」
注目を浴びるのは嫌いだ。
レースに出る限りどうしようもないことだが、勝手に期待されて幻滅されたり、嫉妬や悔恨もある。
勿論プラスになることもあるけど、私の性格上マイナス面の方の影響を受けやすい。
昔から、そうだ。
「公じゃないヒッソリと行われるレースがあればいいんですけど。」
「それこそ、こういう場所で走るしかないだろうな。」
カチリ、とブライアンさんと目が合う。
あぁ、これは…
「あの先を行ったら直線の登り坂がありますけど。」
「上等だ。」
今走るしかない。そう思った。
たぶんブライアンさんも一緒のはず。
正月早々、今年度の三冠ウマ娘と走れるなんてとんでもない贅沢者だなと、帰り道にふと思った。
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