5.
 


あの娘の走りに目が行く理由は、明白だった。


たまたま見かけた春の合同レース。
出走前の彼女の表情は、どこか所在なさげだった。


隣に並ぶ競う相手でも、1600m先のゴールでもない。
どこを見ているのかわからない瞳。
その視線が行きつく先がどこなのか、それが興味を持った始まりだった。


戦法は逃げ。
2番手につくウマ娘とは一定の距離を保つ。
後方がじりじりと仕掛けても動くことはない表情。

最終コーナー。そこで少し失速する。
5番手から追い上げていた娘はこれ幸いにと加速する。

最終直線に入ったときに後方二人に抜かされる。
それでも彼女の表情は何一つ変わらない。
その後ろからも追い上げてきていたが、そこで僅かに彼女の速度が上がる。


2番手と4番手の間。
その位置を保ちながらのゴール。


計算したかのような着地点。
レースが始まるその前から、彼女は3着を決めていた。

本気ではあるが、全力ではない走り。
勝てる力があるのにも関わらず、なぜ彼女は全力で走らないのか。
それが気になり、直接確かめに行った。


私の問いに動揺する瞳。

---トレセン学園の人は強い---

彼女はそう言ったが、その目には戸惑い、そして僅かながらの落胆の色が見えた。
何かが、このウマ娘の脚の枷になっている。
直感的にそう感じた。


どことなく、私と重なった。
走る度に目の前で消える灯。
自分と走ることで勝つことを諦める者たち。
最後のゴールまで、その闘志が燃え続けることはない。

走る程に感じる失望は、何のために走るのか自分自身をも見失い、枷となっていく。


最初は自分と同じ境遇であろうこのウマ娘への哀れみだったのかもしれない。
だが、中継で映る彼女の走る姿に、次第に全力の走りを見たいと思うようになった。


そして来る秋の合同レース。
周りが動揺している中、彼女は相変わらず自分の着地点を見ていた。
恐らく、私に抜かされるのは想定の範囲内だろう。
どうすればその固く繋がれた鎖を外すことができるのか。


「...。」


いくら考えても、走ることでしか語れない。
だから私は全力で追い抜くことにした。

隣に並べば、彼女は何かに耐えるように歯を食い縛りながら走っていた。


一瞬、視線が合う。
その瞳にはチカリと火花が散っていた。


来る。
それは確信だった。

残り200mに差し掛かったその時。
咆哮のように地を蹴る音と鼓動が聞こえた。


今まで、私に追い抜かれて轟々と闘志に火をつける者がいただろうか。
いや、いない。
ならば…



「はァ!!!!」



残っていた末脚を余すことなく使った。
足音は遠ざかる。
だが、その闘志は更に燃え上がる。

それを背に受けながらのゴール。
勝利を手にして喪失感のないレースは初めてだった。


最初からこの娘が本気で走っていたなら、そのまま逃げ切られていたかもしれない。
次からは全力で走ってくるはずだ。
ゾワゾワと心が熱くなった。


「中距離は...無理です...ゲホ」


満身創痍と言える状態。
そういえば、この娘がジュニアだったのを忘れていた。


抱き上げた身体は熱く、まだ燃え滾っていて。
この娘なら必ず上がってくる。
期待が胸の中で躍る。


それが、霖雨のように絶えず彼女の闘志を消そうとも。
その雨が明けるまで、私は待つと決めた。













「う〜、やだやだやだやだぁ!!
なんで本気で走ってくれなかったのぉ?!」


1カ月と少し振りに出たレース。
結果は4着。


予定通りの着順にホッとして控室に戻ろうとしたら
廊下で共に走ったマヤノトップガンに捕まった。


「ブライアンさんと走ってたみたいに、なんで本気で走ってくれなかったの?!」

「ほ...、本気で走りましたよ。
アナタが速かっただけで…。」

「ウソつきぃ!マヤ、そういうのわかるんだからね!!」


ふくれっ面で問い詰めてくるマヤノさんから全力で目をそらす。
1着を取れたのだからそれで満足してくれればいいのに、どうして怒るのか...

正直困惑する。
勝ってしまって責められることは数あれど、負けて詰められることは初めてだった。


「マヤは本気で走る程の相手じゃなかったの?!」

「いや、そういうわけじゃなくて...本当に今出せる本気で走ったから...。」


許してほしい。
と、最後は尻すぼみに謝る。

ぶっちゃけ、初めての中距離レース出走だったから、スタミナが切れていたのも本当だ。


「うぅ〜。
ナマエちゃんとのレース、すっごい楽しみにしてたのにぃ。」

「期待はずれで、ごめん。」


そう謝罪すればマヤノさんは、謝らせたいわけじゃなくてぇ、と眉を八の字に下げる。
どうしたものかと思案していたら、廊下の角から見知った人が現れた。


「やはり捕まっていたか。」

「あ!ブライアンさん!!」


先ほどまで目の前でしょげていたマヤノさんは、ブライアンさんを確認するとキラキラと瞳を輝かせる。
ブライアンさんが子犬のようだと比喩していたことを思い出したと同時に、何か胸につっかかる。


「ねぇねぇ!!
マヤの走り見てくれてた?!キラキラしてた?!」

「ふ...あいつの後を雛鳥のようにすぐに追っていたのなら見たが?」


そうブライアンさんが揶揄うと、ぷっくりと頬を膨らませて抗議する。
確かに、この賑やかさも素直さも子犬のようだ。
人の注目を浴びることに喜びを感じる、私とは正反対のウマ娘。


彼女はこのクラシックに輝かしく花を飾るのだろう。
もう競うことはない。

ブライアンさんに会釈をして控室に戻ろうと踵を返した。


が、


「ちょっと待ってよ!まだマヤとのお話し終わってないよー?!」


と、進もうとしたその先に回り込まれてしまった。


「次次!次のレース何に出るの?!」

「それは…トレーナーと相談して…」

「ナマエちゃんは、出たいレースないの?
勝ちたい相手はいないの?
ナマエちゃんの気持ちが知りたいの!」


嫌なところばかり刺してくる。
"わかっちゃった"が口癖らしい彼女。
まともに話しもしていないのに、わかられるのはどうにも…
それよりどうして私なんかに構うのか。


「…少なくとも、クラシック路線には進まないよ。」

「!」

「あなたは三冠を目指せるくらいの実力があるのだから、私を相手にしている暇なんてない。
それに私の適正はマイル以下。あなたは中距離以上。
競う場が違う。」


そう言うと、マヤノさんの先ほどまでの勢いはなくなる。
幼く見えても聡い彼女だ。
私の真意は十分にわかってくれたはず。


これ以上の戦意がないことを確信し、今度こそ自分の控え室に向かう。
ブライアンさんが、どんな顔で私たちのやりとりを見ていたのかは、確認する度胸はなかった。



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