バクラが突然電話してきた。第一声に「会いたい」って呟くとそれだけで一方的に切られてしまい、もしかしたら何かあったのかもしれないと心配になった私は軽い身支度を済ませて、今バクラの住んでるマンションの前にいる。いつもは絶対あんなこと言わないから、正直本当に心配で。エレベーターなんて待ってる余裕がなかったから階段を速足で駆け上がった。そして"獏良"という表札のある部屋まで辿り着くと、インターホンを人差し指で押した。ピンポーン、無機質な機械音が鳴ってから数秒後、白い扉がゆっくりと開く。そして現れた私の恋人のバクラは、頬を薄い赤色に染めて眉をぎゅうっと顰め、明らかに辛そうな表情を浮かべていた。

「ど、どうしたの!?」
「…っ、」
「え、うわ…!」

バクラは何かを喋ろうと口を開いたけれど、苦痛に耐えられなかったのか突然瞼を固く閉じて私に倒れこんでくる。慌てて体を支えると、彼の肌に触れた手から異常なほどの熱が伝わってきた。

「これ…ひどい熱じゃない!」
「だりィ…」

掠れた声でそう言うと、薄く目を開いて私を見てくるバクラ。不規則な呼吸が、彼の辛さを物語っているようで「もう喋らないで」と告げると私は彼を支えたままベットのある部屋まで運んだ。どさりと布団に体を沈めたバクラは、少し虚ろな目をして額に自分の手を乗せる。相当だるいみたい。彼の肌を伝う汗を拭いてあげると珍しくお礼を言ってきた。とりあえず体温計で熱を測ってみたら38度もあった。昨日も会ったけどそんな辛そうには見えなかったのになあ、なんて思いながら濡らしたタオルをおでこにぺたんと置く。ちょっと冷たそうにしてたけど数分もしたら慣れたみたいで大人しく目を閉じていた。

「会いたいって…あれ本心じゃなかったのね。」

おかしいとは思ったけどね。まあ要するにだるいから私に家事をさせるつもりだったんだろうなあと。それなら最初からバクラらしく言うこと聞きやがれって感じでそう言ってくれればよかったのに、変な期待させないでよね。ふう、と溜息をひとつ吐きだすと、お粥でも作ってあげようかなということで座ってた椅子を立ち上がる。すると、布団の中から腕が伸びてきて私の腕を掴み引き止めてきた。

「ば、バクラ?」
「…いろ、」
「え?」
「オレ様の傍に居ろっつってんだ…」
「でも、その…何か食べないと治らないよ。」
「適当にあるもん食う。」
「だめ。栄養とかちゃんと取らなきゃ。」

分かった?って語尾を強めに言ったら、まるで拗ねた子供みたいにむすっとしてから渋々腕を離してくれた。なんだかバクラがちょっぴり可愛く見える。

「じゃあちょっと待っててね。」
「…ん。」

短く返事をした彼は、布団を被りなおしてこっちをじいっと見てくる。どうやら私が部屋を出るまで寝てくれないみたい。もしかして本当に会いたかったのかななんて淡い期待を抱きつつ、まだ熱が下がる気配のない彼を部屋において、私は扉をぱたんと閉めた。

「…本心だっつの。バーカ。」

誰も居なくなった空間に、小さく掠れた声が響いていたのを私は知らない。


▲▼▲▼



「バクラー。お粥できたよ。」
「……っう、」

私が部屋に戻ると、つい今まで寝てたであろうバクラが小さく唸って上半身を起こした。その拍子におでこから落ちたタオルを拾い上げると、とても熱くなっているのが分かった。彼の表情からもやはり苦しさが消えていない。市販の薬でなんとかなればいいのだけれど、と考え込んでいたらバクラが私の手からお粥の入った茶碗を取ろうとしていた。

「ちょ、タイム!」
「なんだよ?」
「……あれ、したいんだよね。」
「あれ?なんだそりゃ。」
「だから、あれだよ。」
「面倒くせぇ。何なんだ!」
「あ、あーんってしたいの!!」

ぴたり。
その時私たち二人に流れる時間が止まったような錯覚に陥った。我ながら恥ずかしいけど、実は一回だけしてみたかったんだ。好きな人にお手製の料理を「はい、あーん」って食べさせてあげるっていうどこかの新妻みたいなことに憧れを抱いてたりして。お手製と言っても私の場合お粥だし、ロマンチックもクソもないけど、今のバクラならやってくれそうだと思ったから言ってみた。でも、やっぱりいくら熱でおかしくなってるからって無理があるよね。こんなお願い。

「駄目、だよね。」
「……ん。」

肩を落とし諦めかけていた私の目の前で、バクラが口を小さく開けた。え?うそ。あの彼がまさか、と思い私はついつい問い返してしまった。

「バクラ…?」
「さっさと寄越せ。」
「っ、ありがとう!」

思わず勢いで彼に抱き着くと「馬鹿、移るぞ!」と怒られた。なんかバクラが優しいとペースが狂うけど嬉しい。お粥をスプーンで掬って、ふうと息を吹き掛けて冷ます。湯気の量が少なくなったのを目安にバクラの口にお粥を入れると、彼はスプーンをくわえてお粥を飲み込んだ。

「美味しい?」
「普通だ。」
「えへへ、ありがとー」

普通、は彼の最高の褒め言葉だ。そして今バクラがやってる頬を指で掻く仕草は照れ隠しをするときにやること。きっと私のお礼に照れてるんだ。可愛いなあ。

「オイ、ぼーっとしてんじゃねえ!」
「はいはい、どうぞ。」
「………」
「美味しい?」
「だから普通だっつーんだよ。」
「ありがとう〜。」
「チッ、」

その後はお風呂掃除とか洗濯とか、散々コキ使われたけど、たまにはこんなのもいいかなあなんて思ってしまったんだ。夕日も沈み切ってそろそろ帰ろうと踵を返せば、背後から私を呼ぶ声がした。今日はありがとう、なんてらしくない言葉を吐く彼が愛しくなって頬に口付けたら、まるで魔法が解けたようにバクラがいつものバクラに戻った。腕を引っ掴んで私をフローリングに押し倒すと、そこに覆い被さって余裕そうに口角を持ち上げて微笑む。いやいや、さすがにこれは駄目ですこれは。

「ばっ、駄目だって…」
「誘ってきたのはどっちだ」
「誘ってませんが。」
「………」
「バクラ?」

するといきなり私の服に手を入れたところで止まった彼。気付けば彼の声も聞こえない。不思議に思って少し視線を右下にずらせば、バクラは小さな寝息を立てて寝ていた。やっぱりどんなに強い彼でも熱には勝てないんだなと、可笑しくなってくすりと笑う。もう無理しちゃ駄目よって告げた後、私は彼の家を出た。バタン。


20120305 振り向く勇気もないくせに
食べて仕舞おうさんに提出