鬩争




第三倉庫は、コーカス軍の倉庫の中でも若干狭い倉庫であった。然し中二階設備となっている事と、そもそもコーカス軍の倉庫そのものが莫大な大きさを誇った為に「若干狭い」と云えども十分な広さであり、人二人が鬼ごっこするにはかなり広い方だと云えるだろう。
無論、様々な物資が置かれているこれらの倉庫の中は空ではなく、第三倉庫では軍事食や果物や飲料と云った食物が貯蔵されている。故に、それらの樽や木箱の後ろに隠れる事で、本格的なペイントボールが可能となる。ペイント弾が木箱や樽に当たりはしても、所詮その中は食物であるし、食物こそが大事であって外の箱が幾ら汚れようが気にする者は誰も居ない。これが武器の貯蔵されている第二倉庫であったなら、怒り狂う軍人も居るだろうが。
さて、そんな第三倉庫の真ん中にはメアリとビルの二人、そして中二階には審判であるラビを初めとしたギャラリーが多く湧いている。然し舞台が整えられたにも関わらず、ビルは一向に特性ゴーグルとフェイスマスクを着ける気配がない。メアリは最初こそ黙って相手が動くのを待っていたが、とうとうしびれを切らしたのか、

「…マスク、着けないんですか」
「あ? 要らねえよ」
「どうして」
「お前が俺の頭部を撃つ事はないから」

矜持が高いメアリからしたらこの返答は非道く癪に障るものだったのだろう、メアリはゴーグルの下で大いに眉を顰めると左手に握ったペイント銃を強く握り締める。そうしてフェイスマスクの下の口を動かして、

「随分と余裕ですね。目に入っても責任は取りませんよ」
「はは、面白くねぇジョークだな」
「…本当に笑えなくなりますよ」

メアリが強気でビルにそう云い放つと、中二階の手摺りにもたれかかったラビがマイクを使って声を出す。そのマイクは第三倉庫のスピーカー全て(一階と中二階の壁四方及び前方)に通じており、第三倉庫全体にラビの声が響き渡る。その声に身体全体が包まれているようで、メアリもビルも居心地の良さを感じた。無論、ギャラリー達だってそうだろう。

『それでは各自背中を向け合い、…自分サイドの木箱の裏に身を潜めるように。両者が停止した瞬間スタートだ』

メアリとビルはお互いの炯眼を相手にぶつけると、両者同時に背中を向け合った。そうして眼前に広がる無数の木箱を見ながら第三倉庫の地形や相手の動きの予測を頭に描き、最善の場所を選ぶ。メアリもビルもラビが思ったよりも早く隠れ場所を見出した。
ラビがルビー色の目を顰め、演説するかのように堂々とマイクに云い放つ。その姿はまるでヒトラーとも見間違え得るような、上に立つに相応しい有様。

『始め!』


その言葉と同時、ビルが木箱の陰から飛び出した。






「は…、っえ?!」

数分、下手したら数十分の沈黙があるかと思ったメアリからしたら、相手のこの動きは予想外過ぎた。自分の方に迷わず走り寄って来る音を聞きながら、一先ず離れようと音を立てないように身を屈めたまま俊敏に移動する。対してギャラリーはビルの行動があまりに猪突猛進で愉快だったらしく、中二階の手摺りから落ちんばかりに身を乗り出して、

「なーにやってんだ莫迦パット!」
「さっさとメアリに殺されろ!」
「うっせぇギャラリー! …大人しくしているのは性じゃねーんだ、よっ!」

直ぐ後ろでペイント弾の撃たれた音がした。恐らく先程までメアリが居た場所に向かって発砲された。考えているよりも更に相手の走る速度が速い。
メアリはペイント銃を握りながら、今更ながらにビルの向こう見ずな動きに恐怖を覚えた。まるで砲弾のような溢れんばかりの力強さと剛毅さだ、見付かってしまっては恐らくひとたまりもないだろう。頭を潰されて、バッド・エンドになる光景が、ありありと思い浮かんだ。
メアリはビルのようなパワータイプとは違い、考え、蜘蛛のように糸を巡らして敵を何時の間にか包囲するタイプだった。然しこの場所で、この切羽詰まった状況で、果たして糸を張り巡らせる余裕を相手は与えてくれるだろうか? 糸を張るその前に、ベッコウバチのように狩って行くのではないか?
考えている余裕はないが、思わずこの状況の打破を頭で考えてしまう。どうすれば、と天井を仰いだ時、

「…他所見してんなっ!」
「――!」

声と気配に瞬時に反応し、後ろから放たれたペイント弾から逃げようと右に倒れ込む。避け切られず左肩にペイント弾が当たったが、構わず反対方向へと(詰まりビルがやって来た方向へと)木箱を上手く利用しながら走り出す。ビルもそれに続いて走り出した時、ゴン、と大きな音が左前方から鳴り響いた。
左肩が思わず木箱に当たったか、それとも慌て過ぎてなりふり構っていられなくなったか。莫迦な奴、と口角を上げるとビルは素早く左前方へと駈け出して、ペイント銃を構えて角を曲がったその瞬間トリガーを引こうとする。然しそこにはメアリはおらず、代わりにメアリの被っていたゴーグルとフェイスマスクが投げ捨てられていた。中二階のギャラリーは上から全ての動きが見えるから怯んだビルが道化師のように見えたのだろう、

「残念、ビル!」
「うっせぇっつってんだろギャラリー!」

ビルは舌打ちし、頭を掻きながら周囲を見渡した。音は何処からも聞こえない。
ゴーグルやフェイスマスクを捨てて音を出し、それを囮にすると云うのは実に初歩的な罠ではあったけど、自負している通りビルはこう云った計算型の相手が苦手であった。そもそも何故、距離的に近しい自分サイドの奥ではなくわざわざビルの居た方へ向かったのかも解らない。メアリの事だから、自棄になっていない限りは何か考えがあっての事であろうと思う。そして今の罠を見る限り、自棄になったとも考え辛い。然しその考えと云うのが皆目検討がつかない、きっと今も隠れて何か策を練っているのだろう。否、そう見せた上でビルの混乱を待っているだけだろうか?
直ぐに考えるのが面倒に感じ、木箱に足をかけてその上に踊り出る。一見隙だらけだし無謀極まりない行為であったが、何処から撃たれようともそれを避け、更に相手を追い詰めるだけの絶対的な自信はあった。
見晴らしの良くなったその場所で、辺りを見渡してメアリの姿を捜す。木箱も樽も茶色かったから、白い頭はよく目立つ筈だった。
…然しそこで視界に入ったものは、メアリの姿ではない。散々茶化していたギャラリー達も息を呑んで皆がその一点を見る。その場の者税員が目を疑った。


「な、に…やってんだ、あの莫迦…」

――その一点で、徐々に上へと広がって行く炎。果物の入った木箱が燃え、その炎が隣の木箱へと移り、勢力を増して行く。そしてその近辺にメアリの姿は見当たらない。肌に熱い空気が触れ、耳には業火の音が鳴り始め、吸う空気が非道く重くて苦しい。
ラビも流石にこの行動は予期せぬところであったのか、炎を止めるかギャラリーを避難させるかで即座に決断を出せないでいる。炎が全てを喰らうように縦にも横にも激しく広がり出した、その時であった。
突然上からスプリンクラーが発動し、中二階のラビ達やビルを竜の如く飲み込んで行く。その勢いのある水が目に入り、ビルは視界を守ろうと左腕を眼前に翳す。そしてその時に、紛れもない油断が生じた。椿事に椿事が重なって漸く出来た、初めての隙であった。

――大量の水で濡れたビルの頭に、ピンク色のペイント弾が思い切りぶつかった! ビルは木箱から落ちそうになるのを堪え、反射で自分の頭を支える。そして焦燥して頭を支えた左手を見てみると、その手の平にはピンク色のペイントがべったりと着いていた。紛れもない、メアリのペイント銃に入っていた色のペイント弾だった。
怒りで震えそうになっているビルの前に、ライターと油の入ったペットボトルを右手に、そしてペイント銃を左手に持ったメアリが登場する。その油は恐らく車庫内にあった料理用のものだったが、ライターはビルの持ち物だった。ビルが自分のポケットを確認すると、確かに何も入っていない。

「お、まえ、盗んだのか?!」
「…貴方が落として行ったんですよ。ポケットが浅くデザインされているのに、あんなに走るから」

そこで漸くメアリがビルの元居た方へ走った真意を理解する。冷静に考えればあんなに速く走ったのだから予想出来る事実ではあるが、それをこの状況で推断し、そのライターと第三倉庫の物質を利用して炎を作り、そしてスプリンクラーの水を用いて(スプリンクラーの存在は、ビルから撃たれる前に天井を仰いだ時に視認した)ゴーグルを着けていないビルの視界を遮ろうとするとは。
第一ペイントボールと云う相手を撃つだけの競技で、それ以外の方法で相手を捕食しようなんてビルには到底考え付かない事であった。然しそれがやたらと腹の立ち、釈然としないものに感じてしまう。ビルは口内に水が入るのも厭わずに大きな口を開けると、メアリの顔に向かって右手の人差し指を向け、

「せ、セコいんだよ、お前は! つーか何燃やしてんだよ!」
「燃やしてはならない、なんてルールはなかった筈ですが」
「――〜っ!」
「…どうでしょう、隊長?」

メアリは中二階を見上げ、ラビに向かって嫣然と笑んでみる。ラビはよく燃えた木箱達を見て、またダックワースにとやかく云われそうだなんて思っていたところであったが、「ああ」と優しく云ってメアリにまた微笑みを返す。何も度肝を抜かれたのは渦中のビルだけじゃない、ラビだって非道く感心した。実力差や経験差のある相手を智慧を以て迎え討ち、実際に打ち負かしてしまうとは。メアリならもしかしたら本当に一軍に居ても問題はないかも知れない、それに彼の臨機応変に最善の策を生む能力は一軍にあって良いだろう。

「確かにそんなルールはない」
「っじゃあ、隊長…! 坊主は、」
「一軍入りだ」
「そ、そんなっ…」
「ビルの所為だろう? そうそう、負けた事も副隊長としても反省するように」

どうやら賭けをしていたらしいギャラリーは、大多数の者が負けたのかビルに向かって野次を飛ばし始めている。中には靴を投げる者だって居る程だ。ビルはそんな事知るかとでも云わんばかりに下で喚いているが、そんな中で大穴を狙った数名の者達は、己達の勝利にすっかり酔い痴れてしまっている。

勿論、一番メアリ本人がその勝利を噛み締めてはいるのだが。

一軍としてラビと肩を並べるまでになれると云った感情が、メアリの全身に伝わって内側から身を震わせる。一軍だ、とメアリは嬉しそうに破顔しながら何度も呟いた。念願の一軍入りだった。油断すると、今にも泣いてしまいそうな。
或る夏の日の事、こうして異例の形でメアリは一軍入りを果たした。






「…ああ、解った。なら一ヶ月後の、金曜日に」

ダックワースが受話器を置き、溜息混じりにデスクの上の紙に「9月13日金曜日」と書く。その顔の横に突然リリーの細長い手が伸びて、紙を掴んで己の眼前まで持って行く。ダックワースは突然自分の想い人が現れた事に焦燥しながらも詰衿を直し、ごほん、と一つ咳払いをした。

「リリー? ど、どうしたんだ?」
「…この予定、何かしら」
「ああ、大日本帝国の奴等が同盟の交渉をしに尋ねて来ると」

リリーはその言葉に眉を顰めると、紙を元の位置に返す。それからデスクの上に何の遠慮もなく座り、長いおみあしを組んで「変ね」と云った。ダックワースはその中身が見えてしまいそうなスカートに視線を奪われる一方であったけど、何とか平静を装うべく口を動かして、

「へ、変とは」
「以前兎が交渉した時、私達と組む気はない、と」
「あれはアイツの交渉が下手だったんだろう? それに長い年月も経たんだ、考えも変わる」

天敵を喋喋と乏しながらそうは云ってみるものの、その会話の内容なんてダックワースからしたら今は退屈そのものでしかなく、頭ではすっかり別の事を考えてしまっている。
然しリリーは真反対に会話の内容にしか興味がないようだ。詳細を求めようと、会話の全貌を尋ね出す。ダックワースはそれに上の空で回答する。興味のない言語の時間に、表面だけで教科書を音読する生徒のように。

「詳しく、と云われても。基地ではなくこの本部に直接来ると」
「この日付はあちらの指定?」
「いや、本部に人が揃っている日を聞かれた」
「…理由は?」
「そこまでは。本部の普段の状態を見たいんだろう?」

その憶測を聞いてもリリーは不満が残るようだ。何処か気に入らない、とでも云うような顔をしたままで、デスクから素早く下りる。ヒールの床を叩く音が覚醒音になったかのように、ダックワースは強制的に夢の世界から目覚めさせられた。然し未だ夢心地は残る。
「あの国は何があっても考えを変えないだろう」と云うラビの言葉が骨となって喉元に引っ掛かる。ラビの言葉が外れたのを、リリーは未だかつて見た事がない。国のトップが崩御して政治体制が変わったのか、或は何か考えを変えなければならないような外交問題が? 否、そのような話は聞いていない。それでは内部で混乱でも生じているのだろうか。
考えても解らない事ばかりだった。かつてけんもほろろに突っ撥ねた国と同盟を結ぶ事の相手国のメリットは?
リリーがもう一度デスクに目を遣った時、そこには二枚の書類が置かれていた。一枚はメアリの一軍への移動についての書類、一枚は一軍軍人の外出届の提出状況について。何れもとうに印が押されている。

「…メアリが一軍に?」
「あ、ああ。アイツは顔は最悪だが、中々功績は立派だな?」
「そうね…。早過ぎる、とも思うけど…能力だけなら異存はないわ」
「一軍に新しく入るんだ、いっそ隊員を大幅に替えてみても良いかもな。例えばパット、アイツは能力は兎角態度は最悪だし一軍落ちも致し方ないんじゃないか」
「何処ら辺が?」
「外にばかり居る。先週は4日もだ。ふざけた奴だ」

その話はリリーが初めて聞くところだった。メアリの一軍への移動、あのパットの外出癖、そして大日本帝国の軍人の来訪。
リリーは興味を失ったデスクから視線を外し、一言だけ云ってデスクから早々に離れて行く。後ろから発せられているダックワースの夕食へのお誘いは、どうやら彼女にはもう聴こえていないようだ。
因みに彼女が最後に発した言葉とは以下の通りであるのだが、

「世の中には不思議が沢山あるから、国の考えが変わっても変でもないかも知れないわね」

全て必然であり、事物の裏にはその原因が極めて理論的に存在していると云うのに、不思議と云うその一言で片付けてしまう彼女の発言は中々愚かであった。

その意味は他でもない彼女自身が、一ヶ月後に知る事になるだろう。



NEXT『葩』


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -