大日本帝国




一週間後、コーカス軍フードコート。そこにはシリアルとグリルトマト、フルーツジュースの載ったトレーを手に持ったメアリとビルが居る。彼等は空いている席を捜していたが、大抵埋まっていて空席を見付けるのが一苦労だった。
空席を捜して忙しなく首を動かしていたビルが、ややして見付けたのか「おっ」声を出す。そうしてビルが迷わず歩き出すものなので、メアリは驚きながらもそれに着いて行く事にする。ビルは或る空席にトレーを置くと、隣の軍人の肩に手を置いた。

「よおパット」
「…君か、それにメアリ」
「パットさん。こんにちは」

メアリはビルの向かい側の席にトレーを置いて、漸く座れたとでも云わんばかりに安堵した顔で席に着く。ビルはパットのトレーの上を確認すると、目に見えて厭そうな顔をして、

「お前またジュースだけか。実は自殺志願者だったりするのか?」
「…君のその親切心はありがたいが、身体がこれ以上を欲していないんだ」
「阿呆か。身体は悲鳴を上げているに決まってんだろ」

メアリがパットのトレーを見てみると、そこにはオレンジ色をしたミックスジュースが1つあるだけだった。それ以外のサプリメントのようなものもない。ラビの糖分だけの食事も凄まじかったけど、こちらも中々負けていない。寧ろラビは未だ普通の食事もするようだし、量的にもあちらの方が健康的だ。心配すべき方はこっちだった。
然しパットの様子を見る限り、彼は改善する気は更々ないようだ。これでは押し問答である。
それでも口は悪いがパットの身体を心配するビルが、未だ何かしらを云おうとする。その時であった。

悲鳴と共に、空気を切る音がした。

メアリが何事かとそちらを見ると、床に蹲って震える1人の男と その側に佇む1人の女性が目に入る。その女性の姿は異常でメアリは目を疑ったけれど、何回瞬きしても彼女の姿は変わらない。――下着が見えてしまいそうな短い軍服のスカートに、長い下肢を覆う真っ白な編み上げのロングブーツ。彼女の右手には薔薇のように真っ赤な鞭が握られており、長く細いピンヒールは男の頭を堂々と踏んでいた。
女王様、と云う単語がメアリの頭に即座に浮かんで来る。彼女は綺麗に伸びたショートの髪を優雅に指で掻き上げると、大仰に溜め息を吐いて、

「…逃げるな、と云ったわよね?」
「ず、みまぜんリリーさん!」
「謝れば済むと思って? …今から寒中水泳よ。両足にそれぞれ15キロの鉛をつけて、百メートルを10本、休まずに」
「そ、そん――ひぎいい!」
「随分と甘い方よ? それとも電流を流したプールの方がお好みかしら」

許しを請おうとする男の頬を、フォークの先のような鋭利なピンヒールで踏む。それに男はまた泣きながら悲鳴を上げる。
何だあの地獄絵図はとメアリが何も云えないでいると、グリルトマトを食べている最中のビルが何て事はなさそうに説明を始める。

「彼女はリリー。通称鬼百合。2軍から5軍までの軍人をああ云う風に厳しく取り締まるのが役目だ」
「へえ…」
「因みにラビ隊長の元恋人だ」
「……え? 嘘、」
「大マジだ」

ビルの顔を見てみても、確かに本当であるらしい。典型的な女王様の要素を香水のように自然に身に纏った彼女が、あのラビ隊長のかつての恋人であるなんて。俄には信じ難い事実だが、あんなタイプが好みなのだろうか?
理解困難なメアリの顔を面白そうに見つめながら、ビルはシリアルをスプーンで掬う。ミューズリやナッツやフルーツが入ったそれは噛む度に、ゴリゴリと良い音をさせた。

「ま、ラビ隊長も根っからのドSだから相性は悪かった気もするけどなあ」
「隊長が? …まさか、」
「メアリは未だ隊長の優しいとこしか見てねぇんだよ。あの人は優しいが、加虐的な面もある。見下すような笑みを見るとゾクッとするぞ、今度あの人の――」
「随分好き勝手云っているが」

嬉々として話していたビルの顔が、まるでクマに遭遇した村人の如く急激に凍り付く。ビルの後ろには笑顔だが有無を云わせないようなラビが立っていて、後ろを振り向けないでいるビルの顔は今にも泣きそうだ。こんな表情もするのか、とラビからの制裁を受ける心配のないメアリは悠長に感心した。

「お仕置きされたいのかな」
「ひ、め、っそうもな、いでででで、ラビ隊長、重いっ」
「お早うメアリ」
「…お早うございます」

後ろで悲鳴を上げるビルを華麗に無視して、ビルの膝に座るラビはメアリに挨拶する。そんな様子とラビの笑顔を見て この人ドSだ とメアリは確信した。然し周りから「良いなあ」と潰されるビルに対して本当に羨ましそうに声を出す軍人も居て、メアリは今日の朝だけで色々と新しい何かを知った気がした。因みにメアリは、自分はこんな風に膝上に座られるのは御免だった。

「兎、随分と楽しそうね」
「リリーこそ」
「あんなの相手にしても詰まらないわ。貴方の下に居るトカゲは相手にしていて楽しかったけど…、あら。新人?」

恐らく兎とはラビの事で、トカゲとはビルの事だろう。何時の間にか来ていたリリーにメアリは驚きつつも、きちんと挨拶をする。メアリを見る彼女の顔は端整で、涼し気な雰囲気の彼女は確かにラビと並ぶとお似合いにも見えた(但し彼女の異様な恰好を除いてだが)。両者それぞれ憧れる者は多そうだが、この2人が結ばれたとなると素直に祝福したものは多かったろう。

「メアリと云います、宜しくお願いします」
「何軍?」
「3軍です」
「あら優秀」
「実力だけなら2軍だ、その内入る」

ラビからそう買われ、メアリは嬉しさと恥ずかしさに少しだけ赧顔する。コーカス軍とは――先ずは入隊試験によって3軍から5軍までの所属を決められる。陸海空等はなく、各々の軍の中で適任者が役割を定められていた(例えばビルはヘリコプターの操縦が上手かったが、銃撃戦も得意だったので陸と空の2つの役割を持つ)。そしてそれから1軍や2軍に上がるか、はたまた下がってしまうかは、その者の実力にかかっていた。
メアリはラビの云う通り実力だけなら2軍だが、最初の内はどんなに優秀でも3軍から始めなければならない。然しメアリの実力ならば、2軍に入るのは時間の問題だった。
それでも1軍、と云えないのは、1軍が特別な存在である事を意味した。2軍を始めとする他の軍と違って1軍は実に少人数であり、任務も激務ならその数も多く、足手まといが居るような事は決してあってはならない。メアリの父もそこに入る事は出来なかった。
そんな特別な存在の1軍の中の、更に特別な存在である隊長は副隊長の上から退く事はなく、

「で、ビル。本部に行きたいんだが」
「本部? …俺は厭っすよ、胸糞悪い奴も居るし…」
「パットとメアリも来るんだ、我が儘云わない」
「? 何しに行くんすか」
「海外旅行の申請だ」

ビルは押し潰されながらも 海外? と不思議そうな顔をする。ラビは漸くビルの上から立ち上がり、そうして柱の時計を見ると未だ時間がある事を確認して、

「1時になったら1階に来てくれ」

そう云ってその場を後にする。リリーもラビの後を着いて行き、歩きながら肩を並べて2人で何かを話していた。
その横顔を見ながら、メアリは改めて お似合いだ と思う。どうして別れたのかは解るところではなかった。何となく思いを巡らせてみるメアリの頬を、突然ビルが抓る。メアリは驚いてビルに怒ろうとしたけれど、ビルの顔は存外真面目なものだった。メアリもそれが解ったので怒るのは止めておいた。

「…海外って、何処だ」
「自分も聞かされては…、」
「パット。お前は?」
「……あんまり良い国ではない」
「は?」
「大日本帝国だ」

それを聞いたビルは厭そうな顔をするが、メアリはその国がよく解らなくて首を捻る。そんな様子を見て呆れ果てたのがビルであり、彼は実に莫迦にしたような顔をすると、言葉を銃にしてメアリの胸を容赦無く撃った。

「お前無知にも程があるだろ」
「うっ…」
「…知らなくても可笑しくない、小さな国だ。それに情報も限られている。…普通に暮らしていれば知る事ではない」

パットがメアリの味方をするとビルは言葉に詰まり、それから眉を顰めてパットを睨む。そちらを一瞥もしないパットは飄々としたままで、メアリに単簡な説明をする。
――大日本帝国とは、日本と云う島国が分裂して出来た日本の西の部分であると云う事。分裂した理由とは、戦争に反対の者と賛成の者の対立が起きてなるべくしてなった結果だと云う。西は戦争賛成派の武装国家となり、東は戦争反対派の平和国家となった。
もう一つ大日本帝国には特徴がある。それは『鎖国』していると云う事だった。故に彼等の情報は限られたものしかなく、その多くは謎に包まれている。本来ならば訪問する事も、非常に難しいものであると云う。

「…あの国に入るだなんて、どうやって交渉したんだろうな」
「多分相当交渉したんだろう。…然し、協定は恐らく叶わないだろうな」
「何でだよ」
「今まで異国を排斥してきたんだ。応じるとも思えない、それに」
「?」
「私達にとってもしない方が良い。…化け物だった時は確かに良いが、足を引っ張らないとも云い切れない」

パットはそれだけ云うと、トレーを持って席を立つ。残されたビルは頭を掻き、「旅行なんてあの人もよく云う」とだけぼやいた。
メアリはすっかり萎びてしまったシリアルを掬い、あまり美味しくなくなったそれを口にする。大日本帝国か、と見知らぬ国を思った。





コーカス軍本部。そこは事務等の仕事を行う軍属の本拠地である。ジムや射撃場のある基地とは打って変わり、整頓された多くの机や電話やパソコン、無数の書類が特徴的だった。彼等は軍人とは違い、スーツを身に纏っている。
ラビが赤色の呼び鈴を鳴らすと、忙しなく仕事をしている奥の方から1人の男性がやって来る。彼は肥えていて、表情も険しく、歩き方も綺麗なものではない。メアリは粗放な彼に多少驚いたけど、彼がラビを見た途端益々顔を醜悪にさせたのにはもっと驚いた。男は目の前で止まると、まるでブルドックのように吠え出した。

「貴様、何しにきた!」
「仕事だ。大日本帝国に渡る為の書類作成及びパスポートの発行を頼む」
「何だと…?! あの国に一体、」
「ドードーの命令だ。…早くしろ、ダックワース」
「…ッ何だその云い方は!」
「吠えるな、耳障りだ」
「――〜!」

突然険悪な空気になり(無論最初から険悪ではあったけど)、メアリはラビの剥き出しの嫌悪感に驚きを隠せないでいる。ビルはメアリに近付くと、ダックワースには聞こえないような声の大きさで小さく耳打ちした。案内役と云う彼の役目は初日に終わったが、元来の世話焼きなのか事ある毎に説明をしてくれる。メアリにとってはありがたい存在だった。

「アイツはダックワース。…元2軍だが、見た通り肥えて仕事が出来なくなって本部の所属になった」
「…ラビ隊長と仲悪いんですか?」
「かなりな。昔は隊長がアイツをよく構っていたが…アイツが汚い事をやり始めてからラビ隊長も愛想を尽かした」
「へえ…」
「そもそもダックワースは最初から隊長が嫌いだった。だから今じゃあんなだ」

汚い事とは何だろうと思ったが、そこまではビルも教えてはくれなかった。然しあのラビが露骨に厭な顔をしているのだ、ろくな事ではないのだろうとメアリは思う。それにビルもどうやらダックワースが嫌いらしい、言葉の端端に薔薇のような刺を感じて取った。
ダックワースは大きく舌打ちすると、ラビの顔にそのまま唾でもかけてやりそうな顔で睨みながら、

「…何人分だ」
「4人だ」
「名を云え」
「本官とビル、パット、」
「そうだ、パット! 貴様外出届の量が異様で――」
「最後まで聞け。それとメアリだ」
「…メアリ?」

誰だとでも云うように、ダックワースは訝しげな顔をする。ラビは示すのが厭であるかのような顔をしたけれど、メアリの方を左手で示した。ダックワースはメアリの顔を見ると驚いたように小さな目を見開いたが、思い切り睥睨してから直ぐに視線を他へと逸らす。あんな憎悪の孕んだ視線を喰らうのは、メアリにとっては初めての事だった。

「…厭な顔が2つか。貴様の昔を思い出す、生意気なガキだった」
「一々憎まれ口を叩くな。明日には取りに来る」
「明日だと…!」
「そう云う命令だ」

ラビはそう云うと踵を返し、「帰ろう」と云って扉に向かって歩き出す。困惑したままのメアリの肩をビルが叩き、そうして歩いている最中に、

「それとリリーさんを取られたって云う恨みもある」
「…?」
「アイツはリリーさんが好きだった。でもラビ隊長が彼女と付き合った」
「…逆恨みですか?」
「まあな。只の下種だ」

成る程、とメアリは納得する。自分が来る前に、色々と複雑な事があったらしい。
かつて仲が良かった人間に怨恨の目を向けたり向けられるのは、どんな気持ちなのだろう。メアリは今までそんな経験をした事がなかったので、想像だけで考えてみる。
両者共苦しいのだろうか、それとも愛憎と云う言葉の通り愛は簡単に憎しみに変わり果て、苦しい感情は一切なくあるのは只侮蔑だけなのだろうか。それはそれで哀しい事のような気がしたが、そんな綺麗事だけで成り立つ世の中ではない事を、メアリは解ってもいた。

メアリは将来自分が向けられる側になる事を知らず、難しいな――とだけ思った。



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