入隊




今まで組織「白兎」について事細かに記述してきたが(一部私個人の主観が排斥しきれず入ってしまっている事は此処で明らかにしておこう)、この資料においては今や過去の栄光と共に忘れ去られた軍隊「コーカス軍」について記載しようと思う。特に白兎に所属し名前の由来にもなった砥炉跿ラビ(私が用意した白兎の資料を見れば解ると思うが、彼はコーカス軍の1軍隊長であった砥炉跿ラビと同一人物ではない)に重点をおいて書かせて頂くが、彼の名前を此処では「メアリ」と記載する事にする。これは私個人の勝手な考えではなくて、メアリ本人も恐らく望む事だろうと考えるが故である。
メアリは1軍隊長である砥炉跿ラビを崇拝し、自己の脆弱さと彼の強靭さとを比較した結果、自己を殺し彼を生かす事を決意した。これを書く今はメアリは未だ砥炉跿ラビへの追悼の念を拭い切れていないが為、『確かに居た一個人』の名を使うより『存在の有無を重視されない只のメイド』の名前を使う方が彼の意志の尊重に繋がるであろうと私は考える。尚、もしもメアリが砥炉跿ラビの影を捨てて『誰でもない自分』として生きる決意をしようものならば、私は心より喜んで彼の名前を此処に記そう。
愚かで同情すべきメアリ・アン。物語の大きな柱を担う君がこの資料を見たら何を思う事だろう。私は君が何時か自己を取り戻す事を、願って止まない。基より君が一人の人間を好いてしまった時から、君の自我は悲鳴をあげて暗闇の中から出たがっているのだ。この資料が君の成長録となるよう、敬意を込めて。


(この資料の発見時、記入者の名前の欄が焼けてなくなっていた)
追記:また、或る子供向けの伝承の頁がこの資料と共に綴じられていた為、下に必要であろう箇所を抜き出しておいた。

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(中略)そうして今より遥か昔、ケルト人はゲルマンの支配により衰退を余儀なくされました。生き延びた者はアイルランドの端の地域に住み、世界から隠れるような生活を送る事になったのです(それはまるで光の方から闇の中へと捨てられたようでした)。彼等は危機に晒された中、何れ来る戦争に備え、生き延びた数少ないドルイドと魔女で儀式を行って悪魔と契約を交わしました。
『どうか我々に力を与えて下さい』と。
細長い爪の悪魔は、自身の紫色の唇を歪めてこう云いました。宜しい、お前等に力を与えてやろう。こうしてケルト人は契約に成功し、あらゆる武器をどの民族よりも巧みに扱えるようになりました。然しその契約の犠牲として、彼等はまるで宝石のようだと世界から羨まれてきた、美しい目と髪の色を奪われてしまったのです――。

哀れに彼等の髪は一晩で脱色したマリー・アントワネットの髪と同じ白になり、瞳は悪魔のような恐ろしい赤と化してしまいました。
以来ケルト人は他の民族からその力故に畏怖されるようになりましたが、彼等は弱弱しい白兎のような、とても哀しい色を強いられるようになってしまったのでした。(中略)
さて、強化されたケルト人から成るその軍隊の名前は、コーカス軍と名付けられました。コーカス軍はとても強いのです。負ける筈はありません。コーカス軍の姿が見えたら皆はこう云います、
「血みどろ兎がやってきた!」

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「メアリ君、忘れ物はなあい? ドロシアさん愛用のCz75はちゃんと持ったわね? それから弾倉は完璧よね?」

或る日曜日の朝の事。左側にはねた胸までの白髪を水色のエプロンドレスの上に垂らしながら、一人の女性が家の前に立っている。髪に着けられたピンと同じ色の彼女の赤い双眸は目の前の息子に向けられており、両手は忙しなく息子の服装を直している。恐らく彼女の遺伝だろう、同じく左にはねた髪をした息子はそんな母親の世話を厭そうに受けていたが、母親はそれでもおかまいなしだった。隣に立つ父親は息子に同情の視線を送るけど、母親の一喝を恐れて何も云おうとはしない。そんな判然としない彼の性格は、息子――メアリのあまり好きではないところだった。

「ドロシアさん。僕はもう大丈夫だから…」
「何を云っているの! まだまだメアリ君は小さいじゃない、ああこんな年端も行かない頃から入隊なんて心配だわ、ねえスクウォッシュ!」

スクウォッシュと呼ばれた父親は話題を振られて驚いた顔をしたけれど、それから考えるように左頬にある大きな傷跡を掻きながら、

「…でもまあ俺もこの年に入隊したし、お前の訓練を受けていたメアリなら問題な、痛い痛い痛い!」
「貴方って本当父親失格! メアリ君、参謀総長のドードーに何か云われたらアイツの机の3番目の引き出しを開けると良いわ、鍵は本棚に一つだけある黄色の本の中。それで脅したら安泰だから」

何故そんな事を知っているのだと云う視線をスクウォッシュはドロシアに投げかけたかったが、もう一度足を思い切り踏まれては困るので、何もしないでおいた。メアリは相変わらずの母親に軍でもこんな風だったのかと呆れたが、聞いた話軍に居た時から母親と父親の力の関係はこうであったようなので、充分納得の行くところではあるのだけど。

「…じゃあ、もう行くから」
「そ、そう? でももう少し居ても、」
「コーカス軍行きの汽車は1日1つだけだ、ドロシアさん。これを逃したら今日行けなくなる」
「寧ろそっちの方が――。っと、そうね、解ったわ。…軍が厭になったら何時でも帰って来てね」

ドロシアは本音を口走りそうになったのを何とか抑え、メアリの手を強く握って懇願するように云う。メアリはこの年特有の気恥ずかしさを感じながら、それでもこれから会えなくなる母親に「うん」と素直に告げた。ドロシアは安堵したような顔をして、手を離すとそのままメアリのバッグを叩き、

「…それじゃあ行ってらっしゃい、泣き虫メアリ君! 強くなって帰って来るんだぞ!」
「泣き虫じゃ…、…行って来ます、ドロシアさん。それと父さんも」
「ああ。頑張れよ、メアリ」

軍に向かう一人息子の背中を見送る中で、ドロシアは突然嗚咽を漏らす。スクウォッシュは驚愕して取り敢えずドロシアを宥めようとしたけれど、突然出されたフライパンに頭部を強打され、

「っ痛あ!」
「莫迦莫迦莫迦、メアリ君行っちゃったー! 貴方も直ぐまた転勤先に戻っちゃうし大嫌い!」
「お前それSW1911っ…また新しいの買ったのか?! てぶっ放すな、死ぬ、」
「軍なんてこれだから! だから!」
「解ったから落ち着けええ!」

……丘の上を歩いていたメアリは後方から銃声が聞こえた気がしたが、汽車を逃しては大変だと思い 振り向く事なく土を踏んで駅へと向かった。





かくして客もまだらな汽車を1人下り、鬱蒼とした森の中をひたすら進み、頂の上から見えたのは昔写真で見た姿と何ら変わる事のないものだった。1軍から5軍の軍人に加え、多くの軍属が所属する巨大な基地。今のケルト人なら誰でも憧れるコーカス軍基地を目の当たりにしたメアリは胸を高鳴らせながら、急勾配にも負けず小走りに下りて行く。小さな動物達は走り行くメアリに驚いたように身体を震わせたけど、メアリが居なくなって直ぐにまた美味しそうに木の実を食べた。
威勢良くコーカス軍の門前まで来たメアリは、周囲を見渡したい衝動を堪えながら先ずは腕時計で時間を確認する。銀色の針が指す今の時刻は2時前である。約束の時間には未だ余裕があると安堵したメアリは、漸く興味津津な目で周囲を見渡した。停車している多くの戦車やヘリコプター、そして金色の装飾と肩章が美しい白色の軍服に身を包んだ軍人達。伝統と名声のあるコーカス軍、今日から自分もその一員だなんて相好を崩していると、メアリの肩が叩かれた。
約束の案内人だろうかと思ったメアリは素早く振り向くと、背筋を伸ばして敬礼し、

「お初にお目にかかります! 自分はメアリ・アンと云う者です、今日からコーカス軍に所属させて頂く事になりました!」
「ああうん。解ってら、宜しくな坊主」
「至らない事もあるかと思いますが、どうかご指導ご鞭撻の程――って、え」

緊張していたメアリは気が付くのが少し遅れたが、言葉の最中でその余りの『緩さ』に続く言葉を失った。メアリの前に立つのは真っ白な肩までの髪を後ろで一本に結い、軍服をだらしなく着崩した細長い軍人である。彼はメアリの顔を不躾に見ているが、メアリはそんな事よりも彼の口に銜えられた物体が気になって仕方がない。

「……煙草……」

そう、他でもない煙草である。軍人は「ああ」と云うと、軍袴のポケットからくたびれた煙草の箱を取り出した。そして何を思ったかメアリの眼前に突き出して、

「坊主も喫むか」
「…は…。…いえ、自分は未成年ですので……」
「固い奴だな。つーかお前未成年か、その見た目じゃ15も行ってない?」

軍人はそう云いながら煙草の箱をポケットの中へと戻す。メアリは彼の好い加減さに絶句するけれど、軍人はお構いなしに煙草の煙を空気中に吹きかけた。メアリは父親も喫んでいた煙草の臭いが好きではなかったので、若干厭な顔をしたけれど、軍人の口から出る煙は風に乗ってメアリの顔へとかかる。

「紹介が遅れたが俺はビル。坊主を今日1日かけて案内する。一応お前の入隊試験時にも居合わせたぞ?」

ビルはそう云って右手をメアリに差し出した。メアリは彼の手を握るのを若干躊躇ったけど、右手を出して握手を交わす。ビルの手はメアリよりも随分大きくて、武骨な掌だった。
ビルは手を離すと踵を巡らせて、

「じゃあ中入るぞ、着いて来い」
「はいっ。宜しくお願い致します!」
「坊主。もっと気楽に」
「は、はあ…」

頭を掻きながらだらしなく歩くビルの背中を見て、これが本当にコーカス軍の軍人だろうか、と思う。大分下の階級の軍人なのかも知れない、寧ろそうでなくてはならないと云うような脅迫概念に襲われたメアリはビルの黒い革靴を追いかけながら、

「そ…、そう云えばビルさんの所属軍を聞いておりませんが」
「あ? 俺は1軍副隊長だ」
「1……?!」
「意外か?」
「い、え。…そんな方に案内して頂けるとはと、」
「坊主は元1軍所属のドロシアと元2軍隊長スクウォッシュの子供だからな。期待の星と云えばそうだ」

1軍と云えばコーカス軍で尤も優れた編隊であり、その副隊長と云えば実質コーカス軍で2番目に強い人物だ。お世辞にも品性のあるとは云えない人物がそれであるとは信じ難き事実ではあるものも、余程の手練れである事には相違ない。実力世界のコーカス軍では尚更の事だった。
不純物のない完璧なコーカス軍像に泥が入ったような気がしたが、ビルから促されるがまま、メアリは開けられた扉の中へと足を踏み入れた。






「倉庫と総合病院はさっき云った通り少し離れた西の方にある。トレーニングジムはこの建物の1階の奥の方だ、シャワータワーは各部屋にあるが一応ジムにもある」
「食べるところは?」
「フードコートはこの3階。5階からは俺達の部屋だ。お前もそこに住む。そして今から行く4階は、」

建物内部。ビルは単簡な説明をしながらメアリを案内する。案外多い情報にメアリは覚えられるか不安になりもしたけれど、これから生活して行く内に否が応でも覚える事が出来るだろう。
階段を上り終えて4階に到達すると同時、突然歓声があがったものなのでメアリは驚きに肩を震わせた。幾多ものテーブルがあるそこはどうやら談話室であるようで、今し方声を上げた軍人達はトランプをして遊んだり、軽食を採っているところだったらしい。

「ビル、新人か?」
「新人だと? 見せろ見せろ…って、」
「ああ。メアリだ、坊主挨拶しろ」
「は、はい。メアリ・アンです。宜しくお願い致します」

メアリは素早く敬礼し、その場で綺麗に一礼してみせる。然し周りは突然静寂に満たされて、不思議に思ったメアリが顔を上げると軍人達は皆メアリを呆けた目で見ていた。何事かと訝しがるメアリの前で、アメリカンドッグを食べていた1人の軍人が漸く口を開く。

「…ラビ隊長の弟か?」

その言葉を皮切りに、軍人達は銃弾を装着し終えたマシンガンのように言葉を発し出す。

「そうだ弟、いや隠し子?!」
「ばっかお前隊長を何歳だと思ってんだ! 第一新人の両親はハッキリしてっだろ!」
「じゃ、じゃあやっぱり兄弟? なあ坊主、そうなのかッ」
「え、え、ええと」

メアリは突然雨のように浴びせられる銃弾達に困惑しきったが、好奇心で見つめてくる幾多もの目に一先ずは何とか返答する。こんなにも困惑してしまうような歓迎は、予期しなかった事だった。

「自分に兄弟は居ませんが」
「…一人っ子、か?」
「はい…」

軍人達が信じ切られないようで疑惑の目を向ける中、今まで黙っていたビルが口を開く。彼の手にはメアリの顔写真付きの1枚の書類があり、それを1番に身を乗り出していた軍人の眼前に突き付けた。

「残念ながらコイツは一人っ子だ。ラビ隊長とは一切の関係がない」
「そうか…。…ラビ隊長は捨て子だって聞いたから、生き別れの兄弟かと…」
「ドロシアさんは何があれ捨てる事はしねぇだろ。本当にかなり似てるってだけの、赤の他人だ」

そこで皆は漸く信じる気になったのか、大人しく肩を落とす。メアリはラビ隊長、と云う人物が気になって、隣で煙草を燻らすビルに尋ねてみる事にする。

「ラビ隊長、と云うのは」
「ああ、1軍隊長の事だ。お前も何れ知るだろうが…、見に行くか?」
「は、はい!」
「多分あの人は射撃場だ。見て損はねぇよ。着いて来い」

ビルは踵を巡らせて、来た道を引き返す。メアリもそれに急いで着いて行く。
2人が居なくなった談話室で、軍人達は新人メアリの事を話しながら再びトランプを手に取った。あのドロシアとスクウォッシュの一人息子で、加えてあのラビ隊長に似た容貌。
もしかしたらあの坊主が何時の日かラビ隊長に代わって1軍を仕切る日が来るかも知れないな、そんな事を誰かが云い出すと周りは一気に賭けの話になる。賭けの内容は無論、あの新人が何時の日か1軍隊長になるかどうか。

随分と気の長い賭け事ではあったけど、年齢よりも実力第一のこの軍では特に非現実的な賭けでもない。

然しメアリが隊長になる方に賭けた酔狂者は殆どなく、皆は「少なくともラビ隊長の現役は誰もがなる事はない」と口を揃えて云う。
それはラビ隊長の絶対的な信頼と実力を裏打ちするもので、数少ない酔狂者も確かにと腕を組んで納得する。
結局賭けは意味をなさないものとなり、皆はトランプに専念する事にした。






基地である3つの建物に取り囲まれたそこに、射撃場はあった。茂る広大な緑の中で、銃声が鳴り響く。数名の軍人が続け様に的に向かって射撃を行うのを硝子越しに見るメアリは、初めて見る「他人の射撃」に心を震わせる。然し隣のビルは見慣れた光景に感動なんて無論せず、頭を掻きながら軍人達を見て、

「…ラビ隊長居ねぇなあ。っかしーな、暇さえあれば居る筈なんだが…」

メアリも軍人達の顔を見てみるが、自分に似ている雰囲気の人物は1人もない。1軍隊長と云う事は、コーカス軍の実質実力ナンバーワンをも意味した。そのような人物の射撃を初日から見られる僥倖をメアリは嬉しがったけど、現実はそこまで甘くないのかも知れない。
然しそれでも他の軍人の腕前も立派なものばかりであり、コーカス軍の名は伊達じゃない事を思い知る。知らず握る拳が震え、この軍隊に入る事が出来た境遇の喜びを噛み締めた。その時である。

「おい坊主、隊長だ!」
「え?! 何処ですか、」
「1番奥だ、装填準備でもしていたんだろう。ほら、お前と同じで左側の髪がはねている、」
「奥? ――あ…」

奥に見えた人物に、メアリは一瞬で息を呑んだ。――今まで見てきたケルト人の誰よりも純白に等しい髪に緋色の瞳。造形は恐ろしく整って、体躯も何もかも美しい。神から与えられたその完璧な肉体に開けられた幾多もの耳のピアスは痛ましいが、その背徳感がまた一層妖艶さを際立たせるようだ。同じ人間と思う事が憚られるようで、メアリは芸術品を見る如く目を奪われたけど、ややしてふと先程までのやり取りを思い出す。

「ちょ、ちょっと待って下さい。自分と彼が似ているなんて思えない」
「似てるだろ。お前は未だ幼いが、成長すると多分そっくりに」
「そんなまさか! それはあの人に対する冒涜、否、美に対する冒涜ですら…痛ッ!」
「始まるぞ。目ぇ見開いてよく見とけ」

ビルから頭を殴られて、渋々とメアリはラビの方へと視線を戻す。するとラビは真っ直ぐに的を見つめていて、その視線の鋭さにまた息を呑む。他の軍人も自分の銃を弄ってはいたけれど、ラビの方を気にしているのが目に見て解る。
ラビが迷いなくトリガーを引くと、銃声が鳴り響く。5発撃つとラビは銃を下ろし、そうして的の方を顎に手を当てて見る。メアリも的を見てみるが、その正確さに驚愕した。5発全てが頭の真ん中の『同じ箇所』に入っていたのである。

「し、信じられない…」
「あの人の最高記録は8発らしいがな」
「それってもう人の人業では…ッ」
「つっても噂だから、ぶっちゃけもっと――」

「ビル、お仕事中かい?」
「ッ?!」

突然聞こえた聞き慣れない婀娜な声にメアリは飛び跳ねて、慌てて後ろを確認する。そこには不敵に口角を上げて笑むラビが居て、メアリを見ると「どうも」と云った。メアリは驚きながらも慌てて敬礼しようとするが、

「本日付けのメアリだね。本官はラビだ、宜しく」
「自分の名を…?」
「そりゃあ承知しているさ。仲間なんだ」

扉に凭れて笑うラビからは一切の毒気が感じられず、今し方神業を見せた人物と同一であるとは思い難い。メアリがラビの顔をじっと見ていると、射撃場からラビを呼ぶ声がする。ラビは自分を呼ぶ声の主を確認すると、

「じゃあ本官はこれで。ビル、新人に変なプレッシャーを与えないように」
「しませんよ」
「なら良い。メアリ、また近い内話そう」

ラビから左手を差し出され、メアリはそこで『利き手が同じ』である事に気持ちを更に高鳴らせながらも左手を出して握手をする。ラビは微笑むと「それじゃあ」と云って背中を向けて、射撃場の中へと消えてしまう。
余韻に浸りながら惚けるメアリにビルは声を掛け、2人は射撃場を後にする。メアリは左手で拳を作って強く握り、母や父よりも凄いと思える初めての軍人の名を胸の奥で何度となく呼んだ。





「ビル。どうだった、新人は」

コーカス軍談話室。今日の新人案内の任務を終わらせた彼を、軍人達はお酒の入ったご機嫌な顔で迎えた。ビルは「疲れた」とだけ返すと椅子に凭れ掛かったが、テーブルの上に乱雑に置かれた数枚のチップに気が付くと椅子から身体を起こし、

「賭けでもやったのか。俺も混ぜろ」
「ああ、結局しなかった」
「内容は?」
「新人が何れラビ隊長を追い越すか、だ」
「は?」

訳が解らない、と云ったような声で返すビルに、軍人は「無理、で満場一致だった」と説明する。ビルはそれを聞いて漸く合点が行ったようで、笑いながら胸ポケットから煙草の箱を取り出した。1本の煙草を取り出すと、慣れた風に口に銜え、

「そりゃ逆立ちしても一生無理だろうな」
「だよな。俺等凡人には無理だ」
「…だがアイツは俺と別れる時、『ラビ隊長に追い付きたい』と云ったぞ」
「………は?」
「夢はでかけりゃでかい程良いってな。それで俺は賭けは結構大穴狙いでね」

ビルが淡々と出す言葉に、軍人達のざわめきが大きくなる。
メアリはビルと別れる時、ラビ隊長に何れ追い付くのだと云った。その果敢とも無謀とも云える大層な目標にビルは笑って返したが、メアリの美しい赤の瞳は冗談を一つも映してはいなかった。
そんなメアリの双眸を見て、――ラビ隊長に酷く似ている――とビルは思った。未だ入隊試験の時の射撃しか目にした事はないが、彼が化けそうだと思ったあの時の予感が、此処に来て更に大きなものになる。
最早『人ではないもの』に追い付こうなんて無茶な話ではあるしビルもまたラビ隊長を崇拝する人間ではあったけど、それでもビルにはあの少年が何時か本当に化ける日が来るのではないかと根拠もなく思えもした。

ビルがテーブルの上に大量のチップを落とすと、誰かが小さく口笛を吹く。ビルの堂々とした声が、談話室を大きく震わせた。

「――賭けようじゃねえか。俺は坊主の方に賭けるぜ」



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