そして一ヶ月後、9月13日金曜日。大日本帝国の軍人が同盟の交渉をしに来国する予定だったその日に、突然一軍に指令が下りた。アイルランドでは悪名高い組織の弾圧である。
前々から名を馳せていたその組織の弾圧が命じられた理由とは、その組織が昨日民間人数名を拉致して殺害した事件が問題となったからだ。瞬く間にラジオで事件の詳細が流れ、コーカス軍に組織を弾圧するよう要請が為された。そして参謀総長のドードーも漸く首を縦に振り、軍最高の力を以て叩き潰すようラビに命令を下した。
この事件こそあのコーカス軍の壊滅事件であり、この資料でも以前に触れた事があると思う。重複してしまうから、もう一度始めから記載する必要もないだろう。読み手の諸君等も、疲れてしまう事であると考える。然し以前記載しなかった事件の真相には触れる必要がある。それは真実を知る上で、或は私が自らの罪を全て白日の下に晒す上で、欠かせない要素になって来るからである。それに此処こそ知りたいと思う読み手も居るだろう。私は少なくとも一人、心当たりがある。

一ヶ月前に一軍入りを果たした駆け出しのメアリから隊長であるラビも含め、一軍全員が武装してその組織のアジトへと勇み進んだ。彼等は防弾チョッキを身に纏い、ヘルメットを被り、利き腕には己が最も得意とする相棒を構えていた。最高のコンディションであったにも関わらず、彼等は敗れた。只の組織相手に?
勿論答えは否である。メアリの場合、その答えは応である。その場に居た者が、真実を見たり知ったりするとは限らない為である。メアリは真実を見る前に倒れ、そして自分の見たものだけを統合して虚偽の真相に辿り着いた。彼は真相を知るのに必要な知識すらなかったので、それは仕方のない事でもあった。
それではコーカス軍は何者に敗れたのか? 組織とは一体何だったのか? …今から記載しようと思う。物事の途中からの記載になって申し訳ないとは思うが、以前の資料と照らし合わせて見て貰えたらと思う。




アジトは広くて奥行きもあったけど、屋敷と云うよりは倉庫のような質素なものだった。そして二階の通路や一階の扉の奥から組織の人間が銃を手にコーカス軍を迎え撃って来る。然し数からしたら組織側が有利だが、質からしたら断然軍側が有利だった。一軍は相手の量に怯む事もなく、的確に相手を倒して行く。その力は相手方を圧倒的に凌駕した。

軍が組織に入って十分経った頃だった。組織の人間相手に優勢になるばかりか制圧を目前としていたコーカス軍側の軍人が、突然『後ろから首を撃たれて倒れた』。しかもそれは何も一人ではない。ドミノ倒しのように矢継ぎ早に、次々と軍人が倒れて行く。メアリも左足を撃たれ、その攻撃に怯んで膝をつきそうになる。後ろ側は全て制圧した筈だったし、何処から来ても良いように後ろ側に軍人が配置されていたから、攻撃はないものだと完全に油断していた。戦地に突然悪魔が現れたかの如く、阿鼻叫喚と化して行く。
そのある筈もない異常事態にラビは素早く後ろに銃を構え、そしてその敵の銃口が今度はメアリの首を狙っている事を知るとメアリの前に飛び出した。
そして銃声がまた鳴り響く。
…その瞬間メアリは突然やって来た数々のショックに耐え切る事が出来ず、意識を失くした。
メアリは意識を失くす前、自分の前に出たラビの後ろ姿を見た。そして目を覚ました時にはラビの死体を見た。これでは自分を庇ってこの時死んだと考えるのが当然ではあるのだが、

実際彼は死んでいなかった。銃声は敵の銃声ではなくて、ラビの持つ銃が発した音だった。敵は右手の銃を落とし、撃たれた右手の甲を痛そうに左手で押さえ付けてラビを睨む。――その相手とは、組織側の人間ではない。

コーカス軍の、パットであった。
ラビは平生のように笑いはせずに、至って真摯にパットの顔を見据えている。

「…こんなタイミングで勝負をしかけて来るとは思わなかった」
「……」
「後ろからの銃弾も納得だ。味方に背中を預けている中での内部からの攻撃なんて、予想外も良いところだ」

ラビがそう云うと同時、一軍軍人数名がパットに向かって躊躇いもせず発砲する。然しパットは『常人では考えられない速さで』その銃弾を避け、左手で銃をホルスターから取り出すと数名の軍人の全ての顔目掛けて発砲した。軍人達の顔が悲痛に歪み、破裂したように中から朱殷色が飛び出す。膝をついて倒れると、そのまま動かなくなった。油断していると見逃してしまうような、そんな一瞬の出来事であった。
ラビが警戒しながら辺りを見ると、こちらに銃を構えて様子を見ている組織の人間が二階に後5人。対してコーカス軍で立っているのは自分とパットだけだった。そしてそのパットは面従腹背者と来たもので、実質6対1だった。形勢が一気に逆転し、ラビは溜め息を吐く。メアリは気絶しているだけで未だ死んでいない。然しこれからどうなるかは解らない、自分がこの状況を何とかしてメアリを無事に帰らせなければならない。ラビからしたら、メアリをこれから戦力にして闘うと云う発想は、一切なかった。

「組織とグルだったと?」
「金で雇っただけの小間使いですよ」
「…成る程」
「残るは貴方だけだ、隊長」

「ちょっと待った、俺も居るだろ!」

パットとラビが同時に声がした方を見る。そこには脇腹を負傷してはいるものの、未だ動けそうなビルが居た。パットは驚きに目を若干見開いていたが、直ぐに呆れたように首を横に振る。その態度が癇に障ったのか、ビルは露骨に不機嫌そうな顔をすると舌打ちを一つした。

「…生きていたのか」
「勝手に殺すな!」
「莫迦だな。…死んだふりをしておけば、生きられただろうに」

その言葉を聞いたビルの銃を握った右手に、必然的に力が込もる。理由も解らずパットがこうして仲間を殺したのも、莫迦にしたような言葉を吐くのも、同情したような目で見て来るのも、何もかもが気に入らなかった。今直ぐパットの顔面を思い切り殴ってやりたい衝動に駆られたが、今はそれは自分の役割ではなかった。
ビルは二階への階段の手摺りを掴み、ラビに向かって力一杯に叫ぶ。

「ラビ隊長、アンタはその莫迦を思い切り殴って下さい! …俺は二階を制圧する!」
「ビル。…解った」

ビルが二階の階段を駆け上がると同時、銃声が一斉に鳴り響く。ラビは左手の銃でパットの左手を狙い、トリガーを引いてその左手を撃った。

「ぐっ…!」

パットが怯み、左手から銃を落とす。先程もだが、ラビの動きが目で処理し切られない。他の軍人の動きも、ビルの動きも遅く感じるほど把握出来ると云うのに、ラビの動きだけは目で追う事が出来なかった。
突然眼前にラビの左手が現れたと思ったら、そのまま顔面を思い切り殴られる。銃で撃たれるとばかり思っていた事を抜きにしても、矢張り目でも頭でも処理し切られない。『ドーピング』じみた事をして人間離れしたと云うのに? …それを凌駕する?
パットはもう銃を握られない。そもそもラビが素手で攻撃して来るからそれに対処するのが精一杯で、ホルスターや床に手を伸ばして銃を持つ事すらままならない。ラビの重みのある足が首を思い切り揺さぶり、脳震盪を起こすような感覚に陥って先程まで聴こえて来た銃声も最早耳に入る余地がない。
バランスを崩してその場に倒れようとしたその刹那、腹を思い切り蹴られて口から血が飛び出した。同時に更なる腹部の痛みが自分を襲い、何も考えられなくなる。
その時、二階から一等大きな銃声がした。組織側の人間は残り二人になっていたが、その片方にビルが頭を撃たれていた。

「ビルッ!」

ラビがパットから視線を外して大きく叫ぶ。チャンスだ、そう思ったパットは左手を二階に向かって上げると狙撃の合図を出す。残りの一人がラビに向かって発砲したが、
…パン、と撃たれて顔を潰したのは組織側の人間だった。何時の間にかラビの左手に掴まれている銃口からは硝煙が出ており、ラビの負傷と云えば左頬に赤い線が薄く入っただけだった。
何て化け物だ、とパットは思う。然し化け物と云うなら自分だってそうだった。その証拠に、『両手の傷がもう塞がって再生しているではないか』。パットは体勢を立て直すと右手でホルスターから銃を抜き出そうとして、――パン、と軽快な音がした。

「ッ…!」
「…驚いたな。再生するなんて」
「…躊躇もせず、部下の手を何度も撃つ上官の方が驚きですよ」
「どうせ再生するんだろう?」

パットは今度はナイフを左手に構え、ラビの身体に入り込んで腹に刺そうとする。然しその手を思い切り掴まれて、その勢いを利用して床に思い切り叩き付けられた。
そしてラビはパットの身体に馬乗りになり、左腕を捻ったままでその手の甲を見る。今も既に目に見えるような速度で再生しており、まるで早送りされたビデオを観ているかのような感覚。
人間では有り得ない治癒能力だったが、一つだけその可能性を孕むものが考えられた。左腕の関節を思い切りゴキリ、と曲げて、痛みに小さく叫ぶパットの首を服を剥いで確認する。
…大きな手術痕に、首に直接刻まれた「1」と云う赤々とした痛々しい数字。まるで実験動物のようなその扱い、ドードーの発していた言葉、今までの外出届の数々、優れた治癒能力や身体能力、そして裏切り。ラビの推測が正しかったなら、全てに合点が行く。

「…人間兵器か」

思い切り曲げられた左腕が、音を立てながら元あるように無理矢理捩れて行く。その修復は非道く痛むものなのか、折られた時よりも更に痛そうに叫んでいる。無理もない、ラビは未だ綺麗に折ったが、この修復には一切人体の構造を考えられてはいなかった。どのように治すか、ではなく、『治ればそれだけで良かった』。本人の痛みなんて全く考慮の他だった。
ラビはパットの白い首を掴み、そのまま絞め殺すように力を思い切り込めて行く。パットは苦しさに呻いたが、抵抗をしようとはしない。

「…その治癒能力を以てしても、首を締められたら死ぬのかい」
「ッそ、うですね…、それ、か、脳天をぶち抜けば…恐らくは、っ」

人間兵器の存在を、ラビは初めてその目で見た。見た目は普通の人間と何ら変わるところがないが、その中身が明らかに違う。パットの服の袖の下から覗く左手の手首にも、大きな手術痕が存在する。
一体人体の何処をどう弄ればこうなるのかは、ラビには見当もつかない。然し目の前の人間を、只々憐れだと思った。これからこんな人間が増え、終いには民間人も襲うのだろうか。その先には果たして何があると云うのだろう? 只の一つの国の強欲さの為に、人を殺す為の人を、その者の人間性を捨ててまで生産して行くと云うのか?
――止めなければならない、と感じてラビはパットの首を更に強く絞め付ける。今直ぐこのふざけた研究を何としてでも喰い止めなければ。世界がその姿を崩して失くなってしまうその前に。手遅れになってしまう前に。

その時だった。

突然目の前が光ったかと思うと、大きな爆発音がした。パットの腹部からは黒黒とした筒が顔を覗かせて、間抜けな顔をしているラビに向かって笑っている。
砲弾が自分の腹を貫いたと解ると同時、ラビはその場に崩れ落ちる。―――その前に見たパットの顔は、間違いなく笑んでいたのである。まるでこれが人間兵器の真価であるのだとも云うように、彼の存在意義を最期に見せられたと云うように、何も出来ず死んでしまったラビを嘲笑うかのように。…或は人間兵器のパットとしての笑みではなく、一個人のパットとしての、別の感情を含んだ笑みだったのかも知れない。
少し斜めを向いて腹から覗いている筒はまるで葩のようで、本体であるパットの養分全てを喰らい尽くしたかのようにその花びらを誇っている。パットはもう、目蓋を閉じて永遠の眠りに就いていた。最終手段として使われるこの兵器はあまりにも負担が多く、異常な再生能力を以てしても死を免れる事は出来なかった。研究も未だ発展途上だったから。

その時扉が開き、仮面を被った人物が姿を現した。二階に未だ一人だけ残っている組織の人間を一瞥する事もなく、パットの死体を見ると後ろに居る部下達に運ぶよう命令する。その最中未だ息の根があったコーカス軍の軍人を見付けると携帯していた武器を右手に持って、上半身を真っ二つにしておいた。
組織の最後の人間には「他に生きている軍人が居たら殺しておくように」とだけ云って、死体を運んでいる部下の一人に車を運転するように云う。あんなに寵愛していた1番には、最早興味がないとでも云うように。仮面の人物の言葉には、一切の抑揚がなかった。

「早く本部に行こう」






組織のアジトは地獄絵図さながらであったけど、コーカス軍本部もまた地獄絵図であった。仕事に使われているデスクが遍く血で覆われており、椅子やデスクや床の上には死体が散らばっている。
扉付近には装飾のない白い服を着た少年が、黙って1人だけ立っている。彼の両手も頬も身体も赤く染まっていたけれど、負傷している様子はない。そんな少年の姿と本部の中を交互に見た仮面の人物は、本当に嬉しそうに破顔した。

「偉いぞ、No78! 予想以上だ、No1とは全然違う…!」
「……」
「最高だ! 私は、間違ってはいなかった…! これで父さんも、喜んでくれる…!!」

父、と云う単語がこの時初めて仮面の人物から発せられた。仮面の人物が仮面の下で悦とした表情をしていると、カタン、と何かが動く音がした。
仮面の人物が動きを停止させ、ゆっくりとそちらに歩み寄る。すると軍人達の墓場となっているその奥に、這いながら床を動く者があった。彼女の腹は見るも無残に引き千切られていて、こうして未だ辛うじて動けている事も奇跡的な程だった。仮面の人物は蚯蚓のような彼女の姿を見ると口角を上げ、それから彼女の真ん前に立つ。彼女は口の端から血を垂らしながら、必死な顔で上を見た。上を見上げる事ですら、彼女からしたら最後の気力を無理矢理絞っての行為だった。

「…こんにちは、鬼百合リリー」
「…あ、なた…」
「ラビ隊長の元恋人だな? 君の事はよく知っているよ」

仮面の人物は仮面を外し、種明かしをするように「大日本帝国です」と云う。勿論仮面の人物は、大日本帝国の軍人等ではない。詰まり、あの電話自体が虚偽であり、罠であったと云う事だ。リリーはこの時点で漸くあの時の違和感を理解する。大日本帝国が今更こうして突然やって来る事など、矢張り可笑しな話だったのだ。
仮面の人物は露になった顔でリリーに嫣然と微笑むと、その場に屈んでリリーの姿をもう一度見る。抉られた腹部、不自然に曲がった右足。何となく身体を伸ばしてその右足に触れてみると、リリーの口から悲鳴が漏れた。

「はははっ。豚みたいだ」
「…どうし、て、こ、んな…ッ」
「ん? …ああ、冥土の土産に教えといてあげようか。君達が私達にとって邪魔だった。それだけだよ」
「……何、故」
「…君達は、私の計画をきっと止めようとするから。早めに摘んだんだよ」

仮面の人物はリリーの前髪を掴み、普段の気丈な様からは到底想像も出来ないような希少な顔を穴の開くように見つめ出す。そうしてNo78の功績を堪能出来たのか満足気な顔をして、今度は更に目の前の人物を深淵の底にまで落とすような事を云う。

「…ラビもね、そうだったよ」
「…ッ…?」
「何時もの姿からは想像も出来ないような、そんな姿で死んでいた。臓腑をぐちゃぐちゃにぶちまけてね」
「――!!」

リリーの絶望的だった淀んだ瞳の中に、一瞬だけ炎がともる。それは業腹で、怨恨で、復讐心すら孕んでいた。然し仮面の人物はまるでその感情こそが好物だとでも云うように、そして好物を益々自分好みに美味しくさせるように調味料を振り掛けて行く。悪魔の、否、気の狂った人間のディナーだった。

「何故怒る? 未だ彼が好きだった?」
「ふざけ、ないで…ッ!」
「中に直接出して欲しかった? 子供を孕みたかった? 女としての幸せを掴むように? 残念。もう内臓セックスしか出来ない」

下世話で何よりも相手の怒りを助長させる言葉だった。然しもうリリーは銃を掴む事が出来ない。最後は壊れた玩具を呆気無く捨てる子供のように仮面の人物は前髪から手を離し、ずるりと落ちた頭を右手で上から押さえ付ける。そうして何が愉しいのか二、三回ほど回し、息を吐くと重たそうに腰を上げた。
アジトで使った武器と同じ物を右手に持つと、その切っ先をリリーの首元に当てる。そうして迷う事なんてなく、

「あの世で子供が産めるように、身体はそのままにしてあげよう。首なし鶏マイク、…なんてね」

ぷちり。

これがあの事件の全てだった。





故にラビの死はパットとそのバックグラウンドに居る人物達によってもたらされたものであり、メアリが一軍に居ようが居まいが、それどころかメアリの存在の有無に関わらず生じた必然的な出来事であったのだが、メアリは途中が切れた映像のお陰で自分を庇った所為だと自責し、己の無力さを嘆いた。その必要性が全くないにも関わらず。
今君が読んでいると仮定して、メアリ、恐れずに断定しよう。君が弱かった訳でも、彼が強かった訳でもない。個人は個人でしかない。君が彼の十字架を背負う必要性など、何処にもないのだ。
…然し、判断は全て私のような他人ではなくて(他人なんて言葉を使用したら、君は怒るだろうか)君自身がするべきだ。後は君の考えに任せよう。無論、君の友人が物事を聞いたなら、きっと君の頭を優しく叩いて莫迦だと云ってくれるだろう。君は良き友を持ったと思う。

それでは、コーカス軍についての記載はこれで一旦終了する事とする。




NEXT 最終章『君へ奏でる五重奏。』


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