4.彼等の1人は朴念仁であり野菜しか食べない




リヴァプールで働く船員の男がその不思議な雰囲気の少年を見る事になったのは、月曜日の昼の事である。最初は少女かとも思えたが体躯的にそうではなく、その少年は黒色とピンク色が混じった髪色をしてた。重たそうなボブカット。首を覆う大きな首輪と刺刺のナックルを嵌めた少年の恰好は、奇異と云えば奇異であるが悪目立ちする訳でもなく、その初めて見る目の色や目の形を見て男は1人、チェシャー・キャットのようだと思ったと云う。水色とピンク色のチェックのシャツに黒のボウタイをつけ、灰色のカーディガンを羽織り黒のズボンを穿いた彼の服装に至っては、お洒落とは云えようが格段可笑しな点は無い。
さて、そんな少年の名前は彗眸(すいむ)ケイティと云うのだが、船員の男は当然ながら彼の名を知る由もなく、一体あの少年は何をしているのだろうと不審に思いつつ、陸で買った果物を囓りながら彼を見た。ケイティは眠たそうな顔で透明なカップに入った野菜スティックをむぐむぐと、小さな口を動かして咀嚼しているところであった。

野菜スティック。何故、そんなものをわざわざこんな港で海を見ながら、地面に座ってハムスター、否この場合は兎だろうか、のように無心に貪るのか。ケイティの周囲には友人のような者は1人として居なく、少年は只カップを両手で持ちながら、体育座りしたまま口だけを動かす。
一体全体何なのだろうと男が好奇心の赴くままケイティを見ていると、図体の大きな船長から否応なしに集合をかけられたので、男はこれ以上満足に少年を観察出来なくなった。気になった男は集合中に何度も後ろを見てしまったので、船長にとびきりの拳骨を食らってしまったのは、云うまでもない。

仕事の指示を出された男は忙しさにかまけ、昼に見た少年の事なんてすっかり忘れてしまっていたので、夕方未だそこに居た少年を見た時は酷く口を開けた。少年は体育座りのまま足に顔を埋め、そこで気持ち良さそうに眠っている。空になった野菜スティックのカップは淋しそうに彼の近くを転がっていた。保護者はどうしたのだろうと船員の男が不安さえも覚えてしまった時、白のシャツに黒のジレーを羽織った東洋の黒髪黒目の青年がやって来た。ダークブラウンのカフスボタンの柄は椿であり、タイピンは金線蒔絵で如何にも日本的なその青年は船員の男の隣を颯爽と横切ると、何とケイティに話しかけるではないか。保護者、にしては流石に見目が若過ぎるので兄であろうかと思ったが、船員の男がさり気に盗み聞きをしてみると、

「悪いケイティ、待たせた。明日渡してくれるらしいから、明日も来なきゃだ」
「…了解でありんす」
「帰るぞ」

青年はケイティの頭を優しく撫で、腕を持ち上げて少年を立たす。下に転がるカップに気が付いた青年はそれを拾い上げ、目を乱暴に擦るケイティに色素が濃くなると注意しながら共に帰って行った。発音を変えるとキティになる猫のような名前は、見た目とよく合っていると納得しながらも、あの様子では明日も来るのかと思った。



火曜日の昼、昨日と寸分違わぬ場所にケイティは居た。そうして全く同じ様子で、またもや野菜スティックを囓っているのである。船員の男がそのカップを何気なく見たところ、それは此処の近くにある見知った店のものであった。そう云えばその店は家族で経営しているのだが、この間そこの息子さんが商船に乗船した時、海賊の被害に遭っただとか。命からがら逃げたものの、何か大切なものは盗られてしまったと云う。何だろう。
昨日と同時刻の夕方になると、船員の男は眠っているケイティの元に昨日の黒髪黒目の青年ではなくて、金髪に水色の目の青年が来たのを見た。きのこのような頭にはヘッドフォンが着けられており、パッチポケットとボックスシルエットを用いた紺色のチェック柄のジャケットと云う、垢抜けた服を見事に着こなしていた。その青年はオレンジ色の棒付き飴を舐めながら、屈んでケイティに話しかける。

「ケイティ、やっぱりアリスじゃないと渡さないってさ。骨折り損だったね」
「……」
「急遽仕事が入ったから仕方ないか。明日はアリス来れる筈だから、また明日来ようか」

そう云って金髪の青年がケイティの頭を触ろうとすると、ケイティは微動するとそれを避けて立ち上がり、昨日と同一の帰路を行く。船員の男が確か昨日は触れるのを甘受していなかったかと思ったが、その間に彼等の姿は見えなくなっていた。
ところで船員の男はと云うと、彼等が一体何者かが気になり始めてた。此処らでは見なかった彼等だが、自棄に雰囲気が独特だ。彼等は此処で何をしているのだろう。樽を両手で抱える男は予想すら出来ず頭を唸らせたが、そんなものだから船長に怒鳴られてしまったものなので、頭からそれを押し出すと考えを止めた。明日も彼等は来るようだ。



水曜日の昼、思ったよりも早く迎えは来た。夕方近くになるかと思ったが、月曜日に見た黒髪黒目の青年が黒色の小さな箱を持ったまま、ケイティにお待たせと云う。どうやら用事はあの箱を貰う事であったようだ。帰るべく彼等が歩き出す前に、船員の男は気付けば彼等に駆け寄っていた。そうして近くで黒色の箱を見て、そこで漸く理解する。その箱は少し離れた場所にある葬儀屋の物だった。どうやら彼等も同業者であるようだ。
それから何を思ったか、船員の男は2人に話しかけた。一体何であろうと彼等に疑問の目で見られ、何の話をするかなんて考えもしなかった船員の男は挙動を不審にさせる。視線を彷徨わせた際、ケイティの持つカップが目に入る。まるで助かったとでも云うように、

「ええと、君はそこの店の野菜が好きなのかい?」
「……」
「あ、え…と…、そう云えばそこの息子さんは海賊の被害に遭って、大切なものを盗られたとか」

返事も貰えず只じっと見上げてくるだけのケイティに船員の男は動揺し、何故かそんな話を持ち出した。ケイティの瞳が微かに揺れた事に生憎船員の男は気が付かなかったが、隣に立つ青年アリスはケイティと付き合いがあったから、気が付いてしまった。変な事を云ってごめん、それじゃあと船員の男が苦笑しながら立ち去ると、無言でケイティがアリスを見上げるものなので、真意が解ったアリスは困ったように頭を掻く。船員の男は自分は何がしたかったのだ、と己の頭を小突いた。


その数日後の事だった。仲間の船員から新聞を渡された船員の男は、地元の小さな広告を見ると大きな声を出す。野菜スティックを売り物にしているあの店が大改装、更には店を大きくするとの事。交流が皆無な訳ではない船員の男は休憩の時間を利用して早速来店してみると、そこには朗らかな顔をした、ご機嫌の塊の店主の息子が居る。向こうからおお、どうしたんだと快濶に声をかけて来てくれたので、この間はお金がないと話していなかったかと尋ねれば、実は奪われた金になる物品が、一昨日家の前に置かれてあったのだと云う。神様がきっと見てて下さったんだなと何度も頷きながら云うものなので、男も頷かざるを得なかった。だって、他の人間が海賊からそれを奪い返し、更には親切にもそれを置いてくれるなんて所行をする筈もないからだ。

それから何ヵ月かが経過して、船員の男はあれから全く見なくなったケイティ達の存在を忘れていた。あれから他の店も大きくなったり、新しい店が出来たりと、そこら一帯の外観も少し変わっていた。
男が青空仰いでいると、目の前を例の少年、ケイティが通った。あ、と声を出す前に目に入ったのは、彼の手にある物だ。カップにプリントされたのは前よりも少し豪華になったオレンジ色の王冠のあの店のパッケージ、ボリュームの増えた人参や胡瓜の野菜達。それを変わらず兎のように貪るケイティを見て、男は自身に気が付く素振りも見せない彼の姿を見る。また来てくれたのか、そう思いながら姿が見えなくなるまで見送った。
カモメの鳴く声がする中で、入道雲に視線を遣ると男は思い切って伸びをした。さあまた仕事だ、その張り切った声は空に響いた。



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