閉幕T




大都市の、大きなカフェでの出来事だった。そこで一人の青年は、旧友と久方振りに会う約束をしていた。紫色の眼鏡をかけた青年は落ち着かないように、嬉しそうに腕時計をちらちらと見ては辺りを気にしている。
青年のブロンド色の髪は綺麗に切り揃えられていて、落ち着いた顔とよく合った髪型だ。然しそんな頭部とは別に、ファッションはまだまだ若々しい。裏地がストライプ柄の紺色のブルゾンに柄物のインナー、ラムスキンで出来たジップ付きのエンジニアブーツ。そして耳にはカナル式のイヤホンが嵌められている。
約束の時間になる二十分前に、一人の青年がカフェの前に姿を現した。蜂蜜色の癖毛の左半分をピンで後ろへと留めた、水色の瞳を持つ、天使のような美しい青年だった。彼の名をグリムと云った。
テーラードジャケットを品良く羽織った彼に元々居た青年――ジャバウォックは手を振った。グリムはそれに気が付くと嬉しそうに微笑んで、久方振りに会う彼に挨拶をすると椅子に座る。ウェイターに紅茶を頼んだ。

「待ちましたか」
「全然! 今来たところ」
「ふふ。本当でしょうか」

何でも見通しているように優雅に笑うグリムに、ジャバウォックはテレビや雑誌を通してではなく、直接こうして見る彼に感動を覚えた。意識して自制しなければ、グリムを賞賛する言葉を喋喋と述べてしまうであろう程だ。
グリムは手拭で手を拭きながら、ジャバウォックの顔を見つめている。ジャバウォックは伊達ものの眼鏡を外し、「どうしたの?」と笑顔で尋ねた。するとグリムはより綺麗に微笑んで、

「雑誌で見る貴方よりも、ラジオや電話で聴く貴方の声よりも、実物は更に綺麗だと見とれていました」

カシャン、とジャバウォックの手から眼鏡が床に落ちた。ジャバウォックは自分の顔が赤くなったのを悟られないように慌てて身を屈め、動揺しながら眼鏡を拾い、

「そそそそっか?! お、俺もそう思っていたよ、グリム本当綺麗で、あでっ」
「…大丈夫ですか?」
「うん…」

あんまりにも動揺し、ジャバウォックは自分の頭をテーブルにぶつけた。それを見ていたウェイターに微笑ましそうに笑われて、ジャバウォックはいじけたように頬を膨らませると大人しく元のように椅子に腰掛ける。グリムの前には紅茶が来ていたが、自分の前には相変わらず、冷めた珈琲だけがあった。

「忙しかったでしょう、貴方、番組沢山抱えているから」
「グリムこそ。各国でコンサート開かれてるし、毎日ピアノ大変でしょう」

――6年前、人間兵器の件が一先ず一段落してからは、グリムとジャバウォック、そして双子は白兎を脱退した。彼等がそこに居る意味は、もうなくなっていたからだ。そしてこれからどうするのか、とお互いが尋ねた時、グリムは「ピアノを弾こうと思います」と答えた。彼は親から強制されたものばかりだったが、ピアノだけは好きだったと云う。そしてそれが、唯一クインテットに勝てたものなのだとも。
それを聞いて、案外負けん気が強いと思いながら、なら自分はラジオ局にでも入り、DJになろうとジャバウォックは決めた。そうしたらピアニストになったグリムの事を、国中にラジオで広める事が出来るからだ。そして自分の才能を正しく認識した彼等が有名になるのに長い時間はかからなく、今や二人はこの国では知らない人は珍しい程の著名人になり、グリムに至っては世界中が「天才ピアニスト」と称する程だった。彼ほどの実力者が今まで世間に出て来なかった事を、皆が皆不思議がった。
そんなに多忙なものだったから、お互い中々会うに至れなかった。無論、電話や手紙のやり取りはしていたが、こうして会うのはおよそ半年ぶりだろう。
話に華が咲き、二人は暫く話を続けた。そんな中、少し会話が途切れた時に、突然ジャバウォックが提案した。

「ねえ、世界を見に行かない?」
「世界、ですか?」
「そう。二人で仕事休んじゃってさ、色んな国に行くんだ。きっと楽しい。…グリムのファンには、怒られそうだけど」

その提案は、ジャバウォックが昔から夢見ていた事だった。何も知らないグリムを世界に連れ出して、色々な事を二人で体験する。仕事が落ち着いてから提案しようと決めていたが、この先もスケジュールはびっちりで、暇なんて出そうになかったから、我慢出来なくなるのが先だった。
グリムは少し予想外だったようで、あどけない顔で目を瞬かさせる。断られたら少し凹むんだろうな、ジャバウォックはそう思いながら、

「…厭?」
「…いえ、全然。どころか…、喜んで。連れて行って下さい」
「…良いの?」
「ええ。私はもっと、世界を見たい。貴方と一緒に…いえ、貴方を通して、貴方が見る世界を見てみたい」

そのグリムの言葉には、何の誇張表現も存在しなかった。それを聞いたジャバウォックは ああきっと自分がどんな口説き文句を用いても、グリムには一生敵わないんだろうな と思った。
ジャバウォックが黙ったのを自分が何かしてしまったからだと勘違いしたグリムは、若干恥ずかしそうに口元に手を置いた。それから遠慮がちに、

「…あの、何か変な事、云いました?」
「…いや、」
「では何故…、」

そこでグリムの声が消える。ジャバウォックが身を乗り出して、グリムの唇にキスしたからだった。
グリムの顔はさくらんぼのように赤く染まり、そんな初い反応をされたジャバウォックも、つられて顔が赤くなる。それを唯一見ていた子供が居たが、多分見ては駄目なものだと解っていたから、彼女は何事もなかったかのように親へと視線を戻した。
そもそも彼等がこうして恋人としてキスをするのは初めてだったから、初々しい反応をしても致し方ないのかも知れない。

「…最高の、殺し文句だったから。…ちょっと死んでた」

グリムだって、貴方の言行は死ぬほど心臓に悪い、と思った。




+1

「未だかなあ、アリス」
「あまりそわそわしなくとも」
「…あのねぇ…」

白兎屋敷の裏側にある、大きなヘリポート。そこには黒色のシンプルなスーツを着た2人組が、適度な距離を保ちながら立っている。その内の金色の髪を鎖骨辺りまで伸ばした青年――クイーンは、白髪の青年に向かって腹立たしそうに指を指す。彼等の身長差はかつてよりは小さくなっていたが、それでも明らかな差があった。

「君はアリスを実家にまで連れて行ったばかりだから、そんな事云えるんだよ。…普通人のものを実家に、しかも二週間も持って行く?」
「もっと短くする積もりだったんだけど、ドロシアさんが離してくれなくて。随分とアリスを気に入ったものだから」
「…呆れた」

白髪の青年はかつてラビと呼ばれていたが、彼の本名は違った。なので、今は白兎の者殆どが本名で彼を呼び、ラビと呼ぶ者は居なくなった。彼は今年28になるのだが、そうは見えない程若かった。
その時、空中からヘリコプターが降りて来る音がした。クイーンは期待するように顔を上げ、着地を今か今かと待つ。そんなクイーンの様子を見て、隣に立つ青年は揶揄したくなったけど、それはやめておいた。クイーンがアリスに会うのは、自分とケイティが貰った分を重ねれば、およそ三週間ぶりだったからだ。
ヘリコプターから降りて来たのは然し、ケイティと運転手だけだった。ケイティは白兎を出た時と同じよう、黒色のスーツに、首元に細い別珍の黒色のリボンを巻いていた。アリスが「首輪は繋がれているようだから、巻くならこっちの方が」と勧めて渡したものだった。その細さでは首元の傷や番号が全て隠れはしなかったが、構わないどころかケイティは気に入ったようだった。
ケイティは自分よりも少し背の高いクイーンと向き合って、

「ちょっと。アリスは?」
「…空港で、そのまま日本に向かったでありんす」
「…はぁあっ?!」
「大日本帝国の入国も緩くなった今がチャンスとか、何とか」
「…意味解んない!」

漸く久々に会えるかと思ったら、また白兎を外すと云う。怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られるも、その相手も今は居ない。
帰って来たら仕事を沢山押し付けてやる、とクイーンは決意する。まだまだ残っているかも知れない研究書類や研究者を捜したり、何処かで芽生えているかも知れない悪党を懲らしめたり、普通の葬式の仕事だったりとするべき事は沢山ある。何時の時代でも悪があると云うのなら、それを潰す正義もまたなければならない。自分達が罰せられるまで、クイーンはとことんやってやろう、と7年前に決心したのだった。
屋敷に戻るクイーンの背中を見守りながら、白髪の青年はケイティに声をかける。ケイティは相変わらず朴訥でアリス以外には懐かなかったので、あまり良い顔はしなかった。前とは違って随分と軽く梳かれたショートの黒髪が、さらりと風に靡く。少しだけ白髪が覗いた。

「ノエルさんの墓参りは無事に?」
「…ちゃんと、花も添えたでありんす」
「良かった」

ケイティは視線を彼から外し、黙って屋敷へと戻って行く。誰も彼もつれない、なんて思いながら、別に気にした風もなさそうに自分も屋敷へと戻って行く。屋敷に入る前、長い白髪の一人の少女が元気良く青年の名前を呼び、嬉しそうに飛びついて行った。







「それでは、指名はこちらの娘でお間違えなかったでしょうか」

遊郭の一角にある遊女屋で、歳を取った女が、目の前の青年にそうと尋ねた。漆黒の髪を顎ほどまで伸ばした青年は、紙に書かれた鬼梗と云う文字を見て頷いた。その娘とは、遣り手である女の実の娘であったが、遣り手は自分の娘が上手く客を寄せている事実が喜ばしいようで、満足そうな顔をすると「一番奥の左手です」と云った。礼を述べて部屋に向かう青年の後ろ姿を少しだけ見つめていたが、直ぐにまた仕事に戻る。花も変えなければ、とだけ思った。

「ご指名頂き、ありがとうございます」

鬼梗と云う娘は、美しい娘だった。肌が陶器のように真っ白だったので、目元や唇に施した化粧が更に際立つようで、大層鮮やかだった。
娘は自分を指名した青年を一瞥する。…珍しく若いばかりか、端正な顔をした青年だった。彼を見て、少しだけ誰かに似ていると思い、直ぐに至る。目元が特に、若い頃の自分の母親に似ているのだった。

「…お名前は?」
「アリス」
「アリス?」

女の名前だった。鬼梗は変な感覚を覚えた。アリスと云うその名前を、遥か昔、誰かから聞かされた気がする。気の所為かも知れない。アリスがインバネスを脱いだものなので、鬼梗も直ぐに自分の着物を脱ごうとする。然しアリスが制した。

「良い」
「…脱がせて下さると?」
「いや、そうじゃなくて。…話を聞きたいだけなんだ」
「話?」
「ああ、何でも良い。そっちの話を聞かせてくれれば」

今まで酔狂な客は何人も居たが、情事もせず話だけを聞きたいなんて云う客は初めてならば、そんな事を聞いた事もない。誰もが高い金を払ったのだから、その分は求めた。
確かにアリスの見目からして女に不自由はしなさそうであるが、ならば何故遊女屋に来たのか。…話だけを聞く為? 莫迦な、と鬼梗は思ったが、事実彼は本当にそれを求めているだけらしかった。
身体を売らなくて金を貰えるのなら何でも良いか、そう思い直して鬼梗はアリスのインバネスを預かった。衣紋掛けにそれを掛けながら、求められたように話を始める。小さかった頃の話や、知り合った人の話。
会話とは共寝するよりも遥かに楽な筈なのに、何故かどうも居心地が悪くなった。いっそ抱いてくれれば良いのにと思わないでもなかったが、アリスがそれをする事はなかった。



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