君へ奏でる五重奏。




相手の心臓の音が聞こえて来る。クイーンは頭に上っていた血が引いて、自棄に落ち着いて行くのを感じた。アリスの顔がクイーンの頭の上に乗せられる。肩幅も身体付きも何もかも全て、自分よりも遥かに大きいんだ、とクイーンは初めて思った。今まで誰かを自分よりも大きいと認めた事はなかった。

「こんなに小さな体に、一人で任せて、悪かった」
「…アリス」
「これからは、お前の右腕になって。いや、違う。…半身になって、お前の事を永遠に守るよ」

アリスの声が何時もよりも近くで聴こえるからか、その言葉は今までで一番力強い声に聞こえた。クイーンの双眸からまた涙が溢れたが、見られないようにと深くアリスの身体へ自分の顔をくっつける。自分の耳も身体も何もかも、心地良くて仕方がなかった。
クイーンは此処で初めて理解した。彼は、自分を肯定し、保護してくれるような存在が欲しかった。そのような存在が居ない事は非道く寂しくて、苦しいものだった。
――そしてアリスは一層強くクイーンを抱き締めて、誓いの言葉を口にする。

「忠誠を誓う、女王陛下。…俺はお前と、何時も共にある」

抱き締める力が強過ぎて、死んでしまいそうだと思った。然しそれでも良かった。クイーンはアリスの背中に腕を回し、それから莫迦、と小さく云った。アリスはクイーンの身体を優しく離し、「…何でだよ」と不満を漏らす。クイーンは意地悪く笑ったが、その顔には平生のような底意地の悪さなんて一切含まれていなかった。否、寧ろ見る者に幸福すら与えるものだった。

「…誓いが、遅いけど。…許してあげる」

クイーンはそう云い切ると同時、目を瞑ってアリスの身体に凭れかかる。アリスはクイーンの顔を見たが、その顔は眠っている時のものだった。疲労や混乱で中々眠られなかったのだろう、アリスはクイーンの身体を抱き止めたまま、その場に崩れるように落ちた。
右肩が非道く痛む。誰かに迎えに、と思って端末を探ろうと左手を動かす前に、奥にある扉が開いた。
――扉から姿を現したのは、見覚えのない人物だった。白衣を着た赤毛の男は、楽しそうにアリスに微笑んで、静かに歩み寄って来る。彼が帽子屋側の人間である事は直ぐに解り、戦闘体制を取らなければと思ったが、右肩や身体が痛んで思うように動けない。アリスに凭れかかるクイーンも、暫く目覚める様子はなかった。

「…本当は、君達が相打ちになると思っていたんだが」
「何…、」
「まあ、君は虫の息のようだし、彼は寝ている。…結局チャンスには変わりない」

男はそう云うと、右手に銃を持ち銃口をアリスに向ける。帽子屋は身を投げてこれ以上の白兎との対峙を破棄したが、だからと云ってその研究者達が止まるとは限らない。
迂闊だった、とアリスは臍をかんだ。どうやってこの状況を打開して良いか解らずに、然しクイーンだけは死んでも守らなければならないと強く思い、クイーンの身体を自分の方へと更に抱き寄せる。男の指がトリガーに触れ、焦点がアリスの額へと合わせられる。アリスが覚悟を決めたその時だった。


――アリス達の後ろから、一人の人物が現れた。彼はアリスの前に庇うように立ち、白衣の男を睨む。それにはアリスもだし、白衣の男も驚いてみせた。アリスは彼の名前を口にする。

「っケイティ?!」
「…お前は、こちら側だろう? …何をしているんだ」
「わっちは、兵器でも、人間でありんす。…約束を、全うする使命がある」

アリスは何がどうなっているのか解らなかった。自分の聞き間違いでなければ、確かに兵器だと云った。…ケイティが?
ケイティと白衣の男が知り合いであるようなところから、信じ難くともそれが真実のようにも見える。ならば何故ケイティが自分を守るのか。アリスは益々不可解になったが、その時ケイティの足から血が流れ、ズボンを汚しているのに気が付いた。彼もまた、万全な状態であるとは決して云えず、それどころか痛んでいるのに、こうしてアリスの前に立っている。約束と云ったが、アリスはケイティとそんな約束をした覚えはない。では誰と、その疑問を投げかけたのはアリスではなく白衣の男であった。

「約束?」
「守れと、云われたでありんす。だからわっちは、守る。

ノエルと、約束、したから」


――他人の口からその名前を聞くのは、何年ぶりだったろう。閉じられていた古い記憶の箱が、音を立てながら鍵で開けられたようだった。
ノエル、アリスが鬼梗の家に居た頃世話をしてくれた女だった。彼女はあの家で唯一の味方であり、アリスがよく懐いていた世話係だった。
…異国に引き取られたと聞き、彼女が幸せになったのだと思った。だから自分から連絡を取る事はないだろう、とアリスは思っていた。
ああ、とアリスは思った。何処かケイティに懐かしみを感じたのは、ノエルの為だった。ノエルは帽子屋のところに引き取られたのだった、ならばノエルは果たしてアリスが描いていたように、幸せになれたのか? …懐かしさとノエルが未だアリスを想ってくれていた事に、アリスの右目から不思議と涙が落ちた。

白衣の男はそんな彼等を莫迦にしたかのように、銃口を向けたまま嘲笑し、

「あの、お前の教育係か。…莫迦な、そんな約束の為に命を投げ出すと云うのか? すっかり満身創痍じゃないか」
「……」
「完全ではないお前なんて要らないんだ、研究の結果さえあれば、また作る事が出来る」

ケイティは悔しそうな顔をするが、アリスの側を離れようとしない。アリスを死んでも守る、とノエルと約束した時から決めていた。
その時、空気を破るように、鈍い音がすると同時アリスの身体が崩れ落ちた。予想していなかった後ろからの攻撃にケイティは非道く焦燥し、慌てて後ろを見た。
…後ろに居たのは然し、スーツを着た何時ものラビだった。彼の左手には銃が握られている、彼がその銃身でアリスを殴って気絶させたのだと、ケイティは理解した。
ケイティはラビを睨んだが、そこでラビの様子が何時もと違う事を知る。…否、彼は本当にラビだろうか? 何処となくサディスティックな笑顔も、空気も、そこには存在しない。包帯が巻かれていないからではない、根本的に何かが違う。何も云えないでいるケイティを他所に、ラビは白衣の男に銃口を向ける。
白衣の男は予想しない彼の登場に非道く怯え、必死な様子で、

「なな、何をする気だ? き、君達の女王様は、そうだ、人殺しを良しとしないんだろう?」

だからそんな物騒なものを、そう云う前にラビは一発男の右手を撃つ。悲鳴をあげた男の右手から銃が落ちた。その正確さは矢張りラビのものだったが、ケイティには、その正確さが更に精度を増したようにも見えた。
ラビは大袈裟に肩を竦め、それから今度は男の額に銃口を向ける。ラビは何処か幼そうに笑ったが、…然しその顔には隠しようもない嗜虐性が包含されていたのを、男は見逃す事は出来なかった。

「…そうだけど、僕は元々軍人だったので。あまり人殺しに抵抗ってないんですよね」

男の額から大量の汗が噴き出して、そして――。
飛び散る赤色と倒れ行く男の身体を、ケイティは目を逸らす事はなく、焼き付けるようにじっと見つめていた。









7 years later




「ドルディー、何しているの?」
「ドルダム、朝刊にエンプソン載ってる。ノーベル平和賞受賞、だって」
「エンプソンがメディアに出る事なんて珍しくないんだから、それよりも早くご飯食べてよ」

ドルディーは大人しくはあい、と返事をすると、ドルダムが用意してくれた目玉焼きにベーコンをフォークで刺して、眠そうに大きく欠伸をした。彼等が2人で住んでいるこのアパートの一室は狭く、また、2人で好きに汚すものだから、更に狭苦しいものだった。そんな部屋に朝日が窓から射し込んでいても、全然爽やかさなんてものはない。
ドルダムはカリカリに焼いたトーストを噛みながら、

「ね、課題のドレスは作った」
「パターンだけ、縫製は未だ」
「明日締め切りだよ?」
「ううう、彼女に手伝って貰う…」
「…一週間前に別れたんでしょ? 今の彼女って誰」
「今度はバイエル」

しょっちゅう変わる彼女の名前を、最早ドルダムは把握する気にもなれなかった。双子なのに、どうして恋愛に関してはこんなに違うのだろう? ドルダムは昔からずっと好きな彼の事を未だ諦められず、今でも彼氏を作らないでいる程だ。
ドルダムは双子でお揃いにした、肩までの外に跳ねた髪を揺らし、溜め息を吐くとトーストを食べ終わる。壁にかけられた時計を見るともう遅刻ギリギリで、ドルダムは急いでキッチンの歯ブラシを手に掴み、

「遅刻するよ、ドルディー! …ちょっと、ネクタイも未だ着けてないじゃない」
「待ってよドルダム、僕もう後一回遅刻したら罰則だ!」
「知らない! ほら早く!」

ドルダムは彼の背中を叩き、大急ぎで仕度を済まさせると鞄を持つ。鞄を肩にかける時、鞄につけられた沢山のマスコットが揺れた。
お互いに紺色の制服を綺麗に着こなせているか、靴下はちゃんと上がっているか、お揃いの赤いヘアピンはズレていないかをくまなくチェックして、電気を消すと家から出ようとする。最後にポストだけチェックすると、入っていた一通の絵葉書にドルダムは相好を崩した。

「お兄たんから! …今度はベトナムに行くって」
「ふうん、お兄たんもグリムも羽を伸ばし過ぎだね。そのまま2人共本業に戻らなさそう」
「本当にね。このまま何処かに定住して、帰らなかったりして」

双子らしく同時に笑い、絵葉書を鞄に入れると元気良く走り出す。彼等の走りが一介の高校生にしたらあまりにも速いものだから、周りを歩く大人達は彼等が陸上代表選手だろうかとも思った。双子は近道の為、人の家の塀や険しい坂道を器用に抜けて行く。

どうやら遅刻はなさそうだった。



FIN


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