君へ奏でる五重奏。




その日は曇り空だった。何時も通り白兎の門の前で佇む門番のプリケットは、誰と話すでもなく只1人で自分の眼前を眺めて己の職務を全うしていたが、昼を過ぎた頃に所謂『兎穴』(仕立て屋の隠し扉を使って入る唯一の白兎へと続く道だ)から見知らぬ影がやって来るのを見て、ブラウン色の眉を顰めると右手のピッチフォークを強く握る。過去にアリスやケイティのよう「噂を聞いて」と白兎に入りたく思ってやって来た者も居たけれど、殆どは招かれざる客と云っても過言ではないからだ。そして影が近付いて来るにつれ、プリケットは己の目を狐疑してしまう。
…影は1つではなく、後ろからどんどんと増えてきて、その数は数える事が出来ない程。そして先頭に立つ者の右手には、恐らく仕立て屋の生首が持たれていた。仕立て屋も白兎の人員だから弱いと云う事は決してないにも関わらずだ。プリケットは瞬時に彼等が敵だと理解すると、この異変を知らせるべく荘厳な扉を閉じにかかる。軋んだ音と共に門を頑丈に閉じると門の側のベルを大きく鳴らし、踵を巡らせて急いで城内へと走った。






「侵入者ですわ、それも沢山!」

緊急時のベルが鳴らされてざわめいていた大広間に、突然降り出した雨の如く大きなプリケットの一声が浴びせられた。その言葉に白兎のメンバーは緊迫したような顔立ちになり、遊びに来ていたマッダーとエンプソンはその不穏な空気に辺りを見回した。彼等と一緒に居たラビとジャバウォック、そしてアリスは顔を見せ合う。一瞬浮かんだ平和的な侵入者の線は然し、次のプリケットの言葉で呆気なく消される事になる。

「仕立て屋が殺されていましたの…っ」
「! …だってさ、ヤバイねアリス」
「…各自武器を持って侵入者を向かい撃つように。出来る限り『殺さない』事」

今この場に幹部と副幹部は居ない。故に彼等の代わりになるアリスがそう云うと、メンバーは次々と席を立って自分達の武器を片手に大広間を出る。アリス達もそれに続いて大広間を出ると、大広間の扉の近くに居たジャバウォックの悪友2人が「アリスサマ」とアリスに声をかける。彼等の名前はバンディとスナッチと云うが、ピンクの眼鏡を掛けた女性の方のスナッチが、呑気な声の癖して全身が冷えるような言葉をさらりと発する。その言葉はまるで氷の刃となって相手を刺すようだ。

「不殺生って云いましたけど、マジでヤバかったら殺しても大丈夫ですかね」

ピンク色の眼鏡の奥の瞳が、アリスの黒色の瞳を静かに捕まえる。まるで蜘蛛がその糸をそっと巡らせて、鮮やかな藍色の蝶を捉えるかのように。アリスの顔は曇りかけはしたが、それでも視線を逸らさずに確固たる声で云う。

「…許可する」

神に代わって下すその許可は非道く傲岸でもあったけど、それでも賢明なものに違いなかった。スナッチは白金の顎までの真っ直ぐな髪を揺らすと笑って「どーも」と云い、重そうなデザートブーツを回してアリスを離した。アリスも捕食者の彼女から視線を外し、そして辺りを見回すジャバウォックに言葉を投げかける。

「ジャバウォック。今双子は外部の病院に居るんだったよな?」
「…うん」
「外部の病院? 然し貴殿、白兎には医務室があるじゃないか」

その会話に割って入ったのは帽子屋だった。彼女の部下はこの騒ぎに肩を震わせては忙しなく周囲を見ているが、上司は実に堂々としたものだ。その至って当然の疑問にジャバウォックは若干居心地の悪そうな顔をする。ジャバウォックは帽子屋のオッド・アイを心なしか落ち着きなく捉えると、

「…双子は此処の医務室が苦手なんだ」
「…ふうん」
「ねえラビ。グリムが礼拝堂に行ったままなんだけど」

ジャバウォックは帽子屋から視線を外し、ホルスターからS&W500を取り出したラビに云う。それを聞いたラビはグリップを左手で握る形で銃を下ろし、

「それを云うならケイティも部屋で恐らく寝たままだ。…2人共侵入者の存在を知らない確率が高い」
「待て、クイーンは?」
「クイーンサマは時計塔に向かうのを見ました」

悪友の片割れの緑の眼鏡をかけた方の青年バンディが、ふわふわとした白金の髪を揺らしながら元気よく挙手して発言する。アリスはクイーンがわざわざ時計塔に行く理由を見い出せずに「時計塔?」と訝しがったけど、時計塔ならベルの音が届いたかも疑わしい。表情を曇らせたアリスにラビは、柔らかい布を落とすかのような声色で、

「…迎えに行くと良い」
「え? …でも、此処を俺が離れる訳には…」
「本官達に任せてくれて構わない。…気になるんだろう?」

アリスは黒色の双眸を大きく開いてラビの宝石のような赤色を眺めたが、数秒して礼を述べると時計塔へ続く裏口の方へ走り行く。その後ろ姿を見ているラビに帽子屋は呆れたように肩を竦め、そうしてまるで頭痛でもあるかのように大仰に額に手を載せて、

「あーあー信じられん。お人好し」
「こんな時は譲るさ」
「ラビサマとジャバウォックも、ケイティサマとグリムサマを迎えに行って下さって構いませんよー」

駘蕩に伸ばした声でそう云ったのは、バンディの隣に立つスナッチだ。予想外の発言に驚いた顔をするラビとジャバウォックに2人はこの場にそぐわぬ緩い顔をして、カフェで課題の話でもする学生のように楽な調子で話を進めて行く。先程アリスに見せていた顔とはまた全然違ったものだった。今度はバンディが口を開き、

「取り敢えず此処はオレ等が何とかしますんでー」
「…然し、」
「考えても下さいよラビサマ。チートな貴方が居たって多勢に無勢カモ?」
「でもケイティサマとグリムサマ、後はアリスサマとクイーンサマも来たら負ける気もしませんし」
「要するに、早く連れて来て下さいって感じ?」

2人はまるで双子のようにテンポ良くそう云うと、「ねっ」と云って笑顔を向ける。然しラビは自分が離れる気にはなれなかったのだろう、「それなら本官以外の誰かが迎えに」と云う途中でスナッチは勢い良く首を横に振る。それはまるで壊れた人形のような動きであり、その全力での拒否にはラビも多少動揺した。然し彼女の発言を聞き、その動きにも納得する。

「寝起きのケイティサマを相手に出来る人なんてラビサマしか居ませんよ!」
「…。そうだった。…なら直ぐに向かおう」

恐らく世界でも屈折な程のケイティの寝起きの悪さとは、白兎の誰もが恐怖するものだったし、それを考えるとラビも行きたくなくなってしまった。然し放置する訳にも行かず、仕方なくラビがバンディとスナッチに背を向けてケイティの部屋へ向かおうとする。そこで怖さに怯えたエンプソンが目に入り、ラビは歩く足を止め、

「…エンプソン。本官と一緒に居るかい」
「えっ。…良いんですか」
「そちらが構わないのなら」

エンプソンは必死な顔でこくこくと頷いてその申し出を受ける。それを見ていた帽子屋は明らかに厭そうな顔をして、小等部の子供がまるで先生に贔屓されている同級生に意地悪を云うような調子を以てエンプソンを揶揄し始めた。

「エンプソンの弱虫毛虫ー」
「こら帽子屋、からかわない。…帽子屋も来るかい?」
「え。…ああ、自分は…ジャバウォックと一緒に行くよ」

これにはラビだけでなくジャバウォックも驚いたようだった。それに対して帽子屋は解りやすく頬を膨らませ、「自分が一緒に居ちゃ駄目なのかい」と子供が拗ねたように云う。ジャバウォックは慌てて手を振るとそれに否定の意を示し、

「全然大丈夫だけど。…只、お兄たんは戦えないよ?」
「…えっ? …強いんじゃないの?」
「えっ。…まさか」

帽子屋が訝しがってラビを見てみるが、ラビは困った顔をして「彼が戦った姿は見た事がない」と云った。帽子屋は思わぬ情報に顔が引き攣ったけど、途端に情けなさそうな顔をするジャバウォックを見て慌てて背中を叩き、そうして必死に鼓舞するべく、

「だ、だーいじょうぶだって! したら尚更自分が着いて行くし! ほら、チェンソーもあるんだぜ!」
「…わあ、ありがとう」
「棒読みだー!」

ラビは彼等2人の組み合わせを若干不安に思ったが、未だ敵は来ていないし礼拝堂も門とは反対方向だからグリムと合流すれば問題ないと思ったのだろう。「それじゃあ帽子屋は任せる」と云うと自分もエンプソンを引き連れて、ケイティの部屋に向かって階段に向かって歩き出す。
次いで礼拝堂に向かって居なくなるジャバウォックと帽子屋の背中を見送ると、バンディとスナッチは入り口付近の壁にある小さな割れ目を右手で強く押す。すると壁に嵌めこまれている大きな騎士の彫刻が音を立てて回転し、その奥に隠されていた巨大なモーニングスターとバトルアクスが姿を現した。
身を乗り出してバンディはバトルアクスを、そしてスナッチはモーニングスターをそれそれの利き腕に持ち、

「…ま、アリスサマが居たら残虐非道なる惨殺は出来ないしー」
「ラビサマは居ても良いけどラビサマに獲物取られちゃうしー」
『たまには好き勝手やらせて欲しい、みたいな?』

彼等は祭を前にした民のよう愉快げに笑むと、自分達の体躯に見合っていない武器を上に構える。そこで後ろから銀食器の音をさせてやって来たのはメイド長であった。両サイドに黒色の長い三つ編みを持つ彼女は白兎のメンバー全員が武器を持って入り口付近に溜まっているのを見て不思議に思ったようで、ブーツをその場で止めると左手を腰に当て、

「…何事なの?」
「マクベス。侵入者だってサ」
「侵入者? …あの『人間兵器の研究者』?」
「あ、あー。そっか、そうかも? そうだね、多分」

その考えはなかったのかバンディはハッとしたような顔をしたが、確かに考えてみればその線が濃いかも知れない。それを聞いたマクベスは険しい顔をするとサンドウィッチと紅茶を載せたスタンドを棚の上に置き、そうしてロングスカートを躊躇もなく捲ると太腿に巻いたナイフホルスターから鋭利に研がれたフォークとナイフを片手で3本ずつ取り出して、バンディとスナッチのからかうような口笛に反応もせず、

「…それなら都合が良いわ。クイーン様を苦しめてきた憎い奴等に今此処で終止符を打てる」
「ひゅーマクベス最高に恰好良いー! それなら惨殺しちゃう?」
「いいえ、クイーン様はそれを望まない。それはなしで」
「……あらら」

クイーンを何よりも大切に思うメイド長に早くも釘を刺され、バンディとスナッチは隠しもせず明らかに落胆したような顔をする。その時白兎の扉を強く何か武器で叩くような音が響き出し、先程まで落ち着かず話をしていた者も一斉に扉の方を真摯に見つめ出す。
扉を叩く不快な音だけが動く中、マクベスは凛とした声でその場の者全てに云う。

「…只、あの兎穴を通るのが果たしてどう云う意味なのかを。『徹底的に痛め付けて』思い知らせてやりましょう」


扉が破かれて、地を震わすような咆哮が白兎の中に響き渡った。





「ケイティさんの部屋って、何階にあるんですか?」
「5階だ。…直ぐ着く」

ラビとエンプソンは階段を走りながら、真っ直ぐケイティの部屋を目指す。そのラビの速さにエンプソンが追い付けず、3階に着いた時点で「ま、待って下さい」と声をかけるとラビはそこで漸く気が付いたようで、「すまない」と云うとエンプソンの元に駆け下りる。エンプソンは自分が早速足を引っ張っている事実に自己嫌悪に陥りつつも、膝を抱えて呼吸を整えようと試みる。

「…エレベーターを使えば良かった。急ぐあまり、すまない」
「いえいえっ。ラビさんなら階段の方が速いでしょうし…」
「大丈夫かい? 息が切れているが、」
「え、あー。置いてって貰っても…」

これ以上迷惑をかけるのも忍びない。本当は1人で居るのは大変心細くはあるけれど、ついそう云ってしまった。するとラビはエンプソンの背中と足に手を回し、そうしてエンプソンが驚いている間に一気に抱きかかえてしまう。所謂お姫様抱っこの体勢だった。思わぬ体勢にエンプソンは耳まで顔を真っ赤にして、

「ラララビさん?! って、わあっ!」
「後2階だけ我慢してくれ」
「は、速い、速いいい!」

抱えられたままで階段を駆け上がられて、エンプソンはその初めての速さに驚愕してラビの背中に腕を回すと強くしがみつく。2階分はあっという間に終わり、5階に到着するとエンプソンは身体を下ろされる。その一瞬のアトラクションのような感覚に軽く頭を揺らしつつ、ラビの「ケイティの部屋は奥だ」と云う言葉に何とか頷いた。揺れる頭のまま何とかラビと並んで通路を歩く。
――その時だった。突然前方から爆音がして、奥の方の扉が煙と共に打ち破られる。その事態と煙に驚きながらもラビが左目を庇うように腕で覆うと同時、とてつもない速さで駆け寄って来る『何か』の気配に左目を細くしてその姿を見ようとする。そして繰り出された相手の重い攻撃をS&W500のボディで支えたが、…煙の隙間から見えた相手に目を見開いて、そして相手をそのまま反動で弾く。
煙が引いてくると人影の正体は露になり、そしてエンプソンもその姿に絶句した。

「…ケイティ、さん…?」

ケイティは煙が引いても尚、無言でラビを睨みながらナックルを嵌めた右手を向けていた。



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