医者は二度ベルを鳴らすU




ウィリアムが「まさか」と顔面を蒼白にする。仮面の人物はアスクレピオスの顔を重々しく下に向けて首肯した。この「まさか」と云う言葉には「噂で聞いていた人間兵器の研究が本当に存在しているのか」と云う事、そして「自分のこうした冤罪は、お前等が自分達の研究の為にした事なのか」と云ったような意味が包含された。そして仮面の人物もそれを正しく汲み取って首肯した。
ウィリアムはそのふざけた仮面の人物に怒鳴りそうになるのを堪え、苦渋の事でその研究内容を尋ねた。仮面の人物が躊躇もなく自分達の研究内容を口にすると、ウィリアムの顔色がみるみる悪くなる。話の最中でとうとうウィリアムは格子を強く掴み、目の前の人物に思い切り怒声を浴びせた。

「ふざけるなッ、そんな研究に誰が携わるものか!」
「…どうしても?」
「断る! 僕は人の為になる研究をし続けて来たんだ、そのような『悪魔の研究』には絶対加担しない!」
「…そうか。残念だ」

仮面の人物は食い下がる事もなく、仮面の下で溜め息を吐くと壁から離れてウィリアムの側に寄る。ウィリアムは近くまで来た人物の襟首でも掴んでやりたいのか、格子に己の顔を当てると警戒心を剥き出しにして相手を睨む。仮面の人物は彼とは対称的に、その無表情な仮面の顔故にか非道く冷静じみて見えた。

「『医学の神』の顔をして、する事が殺戮とは!」
「…私にだって考えるところがある。安易に殺人鬼と呼ばれたくはない」
「罪のない人間の身体を弄んでおいて、云う事がそれか?!」

頭に血が昇ったウィリアムに何も云わず、仮面の人物は右手に持ったものを無言で上に掲げた。漸くそのものの姿を視認したウィリアムは最初はあまりの驚きに反応出来ないでいたが、直ぐに悲鳴をあげると格子から離れようとする。然し仮面の人物がそれよりも先にウィリアムの白衣の襟を掴み、そうしてその右手の凶器を彼の頭から――。
…厭な音と共に血が辺り一面に飛び散って、ウィリアムの■■が格子にずるりと張り付いた。


悲鳴を聞いて駆け付けた看守を見て、仮面の人物は「終わった」とだけ云った。看守は格子から飛び出た腕とその先の血溜まりを見ると厭そうな顔をして、首を横に振すと気分の優れなさそうな声で「もう少し綺麗に死なせてやって下せえ」と云う。仮面の人物はその言葉に反応する事なく、

「彼の死因は自殺にしておいてくれ」
「へえ。解りました」

階段を上がって立ち去る仮面の人物から視線を外し、看守はウィリアムだったものを見ると頭を掻いた。ポケットからメモ帳を取ると右手の親指を舐めて、滑りの良くなった手でメモ帳を捲る。
それから徐々に私の視点はぐるりと大きく旋回を始め、段々と光景を遠くに感じて行く。夢から目覚めるのだと気付き、薄い光が私の目にゆっくりと入って来た。目を開けて見えたのは何時もの光景で、変わったところは何もない。

強いて云えば吐き気がした。





「只今ですよマッダーさぁん!」

扉を派手に開けてエンプソンがオフィスに戻ると、マッダーが何時もの奥の席に座ってパソコンに向かって何かをタイピングしているところだった。エンプソンはご機嫌な足取りで扉を閉めて、そうして鼻歌混じりに自分の席に戻るとマッダーに向かって笑顔を見せた。珍しく仕事をしているらしいマッダーは不機嫌な顔でエンプソンを睨んだが、エンプソンは気にしないで今日の出来事を話し出す。随分と浮き足立ったその顔を見て、マッダーはオフィスの壁に飾ってあるモデルガンを顔面目掛けて投げてやろうかとも思った。

「聞いて下さいよー、今日はアリスさんと沢山お話したんですよぅ!」
「うっせーモブ以下。禿げろ」
「非道い暴言!」
「自分を喜ばせたきゃラビアリ出せや」

エンプソンは上司から出された冷徹な言葉に若干落ち込んで泣きそうになったけど、今日アリスと沢山話せた事実を思い出しては元気を取り戻す。それに丁度食事時だったから、一緒に白兎のレストランで食事もしてしまった。2人きりでの食事なんて、傍から見れば恋人にも見えたかも知れない。そんなお気楽な事を考えては口からお目出度い笑いが出そうになるのだが、そこでもしやマッダーは何の食事も摂っていないのではと至る(彼女はエンプソンが居なければ、身の回りの事を何もしない人間だった)。
エンプソンはそれでもある程度の淡い期待を抱いたが、

「…マッダーさん。食事しました?」
「え。してないけど」
「…食事の支度しますねー」

見事に期待は裏切られてしまう。エンプソンは制服のブレザーを脱ぎ、ネクタイも外してシャツだけになるとソファーの上の割烹着を取ろうとする。その時初めて部屋の中の異変に気が付いたようで、エンプソンはマッダーを見て、

「…薔薇の匂いが、」
「ああ、さっきまで外に居たんだが、帰る途中で花屋に絡まれたから買ってきた」
「何処に飾っているんですか」
「自分の横にあるだろ」

エンプソンが身体を斜めにしてデスクの側の棚を見てみると、確かに何時もは何も置いていないその上に、ピンク色のヘリテージが大量に飾られている。その立派な花達にエンプソンは思わず感嘆の声を漏らし、それから割烹着を手に取ると、

「良いなあ、素敵だなあ。当方の近くにも置いて下さいよ」
「花は女の子の為のものだろー」
「こう云う時だけ女性を主張しないで下さい。…でも思い出しますね」

割烹着を羽織りながら出されたその言葉に、マッダーは意味が解らない、と云った顔で返す。割烹着を着終えたエンプソンは慣れた動作で腕を捲り上げながら、

「初めてオフィスに来た時の事を。あの時も薔薇の匂いが」
「よく覚えてるな。自分はエンプソンのもさい第一印象しか覚えてないわ…」
「失礼な…。…当方は珍しい目の人だって思いましたよ」
「そうか?」
「だって『両目が黄色』の人なんて初めて見ました」

それを云われたマッダーは、「ふむ」と云うとデスクの上の万年筆を尖らせた唇の上に置く。そうして手を離してみたが、1秒も持たず万年筆はデスクの上へと落ちた。そんな莫迦な事をやっているマッダーにエンプソンは呆れたが、直ぐに出されたマッダーの声の方に意識が奪われる。

「じゃあ今は嬉しいかい」
「どうして」
「自分の右目が貴殿の右目にあるだろう」

距離のあるままマッダーから右目を指差されたエンプソンは、複雑そうな顔をすると「どうでしょうね」と云いながら父親の形見でもある伊達眼鏡を外す。
整えられていない黒髪の奥から見えた黄色の右目をマッダーは面白そうに眺めると、先程までの機嫌の悪さは何処へやら、若干嬉しそうな声色で云うものだからエンプソンは何も反論出来ない。

「嬉しいに決まってるさ。これはオフィスには自分達2人以外は不要だと云う証で、所謂血の絆なんだ。なあ兄弟」

エンプソンは入社にそんな物騒な契約は要らないだろうと思ったがそれは心の中に押し止め、料理に取り掛かる事にした。






それよりも前の話だ。時間軸にすると、アリスがハートと会って話していた辺りの頃だろう。最後にその辺りのお話をしようと思う。
クイーンは紅茶で濡れた髪を拭こうとして、バスルームの中にあるタオルハンガーから1枚の真っ白なタオルを取った。髪の毛を拭きながら色恋沙汰の事は一先ず頭から排斥し、これまで得て来た情報の整理を試みる。クイーンと云う一個人から白兎の幹部と云う存在にスイッチを変えた。
今まで関連性を持って出て来た国は研究所があったアメリカとドイツ、そして置かれていた本の使用言語であるデンマーク、それから恐らくコーカス軍の跡地も使われていたと考えるとアイルランド。考えてみてもこの4ヶ国自体には関連性はない。…気が、する。では何故これらの土地が上がって来たのだろう。適当に選んでいたのではないのなら、何か関連性がある筈なのだ。
僕なら、とクイーンは考えながらタオル片手に部屋を出る。自分ならどうするだろう。頭を悩ませながら図書館の前まで来たクイーンが扉を開けると、中に居る司書のローザは紫色の眼を思わず大きく開けて、

「その姿…、一体、」
「君の好きな人にやられた」

そう云われたローザは直ぐに頭にラビの姿が浮かんだが、まさかあのラビがクイーンに紅茶をかけるなんて想像を絶する出来事だし有り得ない事だと思う。彼は白兎一の忠臣だったし、その為に一度想い人への恋慕の情を諦めたのをローザは良く知っていた。
ローザが混乱している内にクイーンは地図が置いてあるコーナーに向かうと、最新版の世界地図を手に取って椅子に腰掛けた。机の上に地図を開き、4ヶ国と睨めっこする。その内解らなくなって、机上に常備されているペンスタンドから赤色のペンを取った。そうして右手で器用に赤色のペンを回しながら、

「僕なら…」

自分なら、とクイーンは思う。例えばこの白兎がこの4ヶ国に基地を置いたとするのなら、それは恐らく理由があっての事だろう。では何の理由だろう。土地の利便性か、研究者の国籍か、被験者の国籍か。一つ目は兎も角として、二つ目と三つ目はクイーンが考えたところで解る筈もない。
解らずにクイーンは椅子に背中を預けて天井を仰ぐ。壁に掛けられた聖骸布に良く似た一枚の肖像画と、馬に二人で乗る男の装飾が施された柱。これらの装飾は全てテンプル騎士団を敬愛した父親の意向によるものだった。他の屋敷にはテンプル騎士団をモチーフとした装飾は一切なかったが、此処はそもそも対人間兵器研究者の本拠地として建てられたものだったから、このような本格的な装飾がなされたようだった。
テンプル騎士団の旗は赤色の十字架だ。クイーンは赤色のペンの蓋を取り、まるで旗を描くように4ヶ国を結んで行く。すると十字架の真ん中は丁度上手くフランスの首都を通る。まさか「きっと此処に違いない!」だなんて云える程お気楽な性分でもなかったが、早々に煮詰まったクイーンはペンを机上に投げるとパリには何があったろうと考えた。
パリと云えば、父親がパリにはタンプル塔があるのだと云っていた記憶がある。それはテンプル騎士団の本拠地であり、父親も欲しがっていた程だった。ナポレオン1世が取り壊した歴史があるが、戦争の背景により二百年以上の時を経てもう一度同じものが建てられた。父親はそのタンプル塔自体を欲した訳なのだが、「所有者すら解らなくて売って貰えそうにない」と云っていた。そう云えばあの所有者は誰なのだろう、あの時は然程気にならなかったが今はどうも気になった。
有り得ないだろうなんて考えながら、それでも藁にも縋る思いだったクイーンはローザに頼んで図書館の電話から放送室に電話する。ジャバウォックは何時もより大分遅く電話に出て、そうしてちょっと困ったように、

『女王? 悪いけどお兄たん今取り込み中で…』
「直ぐに終わるよ。君、タンプル塔の現所有者を知ってる」
『タンプル塔? …あの所有者は不明になってるけど』
「不明? 君ですら解らない?」
『実は、以前マニアなお客に頼まれて調べた事があるんだけど。一切不明で…』

受話器の奥で双子の喚く声がする。ジャバウォックは「ごめん。また後で」と云うと電話を切った。クイーンはローザに受話器を返し、そうして持ち主不明のタンプル塔に考えを巡らせる。
タンプル塔は監獄として使用されていた修道院だ。脱出も困難とされるし、充分な広さだってある。例えば実験場に使うとしたら――正に格好の場所ではないだろうか?
ジャバウォックですら所有者を見付けられなかったと云う。権威のある父親だって同様だ。そこまで頑なに所有者を隠しているのだって不自然だ、政府や国ではなく個人のものだとするのなら尚更の話である。
地図に十字架を描いて導き出しただけの場所ではあるが、こうして考えると可能性がゼロだとは云い切られないようにも思う。自分だけでも視察に行くべきか、何もしないよりは断然良いだろう。それでもしもそこが研究者の本拠地だったとするのなら話は早いし、違ったとしてもまた考え直せば良い筈だ。クイーンが図書館を出ようとした瞬間、ローザがクイーンに声をかけた。

「待って」
「何…、」
「電話が鳴ってる」

ジャバウォックだろう、取り込んでいたみたいだがもしかしたら何か云い忘れていた事があるのかも知れない。クイーンは駆け寄ると鳴っている受話器を取り、そうしてデスクに肘を乗せ、

「なあにジャバウォック。何か」
『こんにちは、クイーン』
「……?! 君は…」

受話器から聞こえてきたのはジャバウォックの声ではなく、変成器で声を変えられた奇妙な声だった。悪戯だろうか、いや、白兎の図書館の電話番号なんて悪戯でかけられるものではない。そして向こうはクイーンの名前を知っている。クイーンが1つだけ可能性を思い浮かべると、受話器の向こうの人間は可笑しそうに笑い、

『何、君の考えで合っているよ。私は君達が捜している人間だ』
「…! お前…、」
『突然の電話を済まない。然しそうでもしないと、例えば放火なんてされたら敵わないからね』

何処を、と聞きそうになり、直ぐにタンプル塔の事かと悟る。自分の考えは合っていたのだろうか、否、そもそも自分が今考えている事を知られる筈がない。タンプル塔の事なんて今は未だジャバウォックにしか話していないし、精々ローザも聞いたろうがその2人がこの瞬間に受話器の向こうの人間にその事を教えたなんて思えない。
だとすれば、それを可能にする方法は1つだけだった。

「お前、何処かで見ているのか…?!」
『さてね。然しそんな事は今はどうでも良いだろう、私は君と話がしたい』
「話…?!」
『そうだ。とても大切な話だ』

どうも様子が可笑しい。仮に相手が何かしらの方法でクイーンの動向を見ていると云うのなら、本気で逃げようとするのなら、そしてタンプル塔を基地にしていると云うのなら。今直ぐタンプル塔から出れば済む話だろう。然し相手はそうせずに、こうして悠長に電話までしてきたのである。
基地の場所は違うのか、逃げる気はないのか、相手の正体とは何なのか? クイーンは焦燥して奥歯を鳴らし、今此処で相手に気が付かれないようグリムかラビ辺りをタンプル塔に送り込むかと必死に考える。
その時相手の口から出た一言に、クイーンは驚いて言葉を失くす。…突然受話器の向こうの声が遠くに感じられ、何も考える事が出来なくなった。電話の相手の声は非道く落ち着いていて、まるでイブをたぶらかす蛇のように静かに耳へと侵入した。


『本当に君達は正義で私達が悪なのか? 正義は正しくて悪は間違っているのか? …君は考えた事があるかい』



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