表裏一体U




「ちょっと。アリス、何林檎なんか剥いてるの。早く追い出したいんだけど」
「お前はまたそう云う…っ。兄ならもっと優しく接してやれ」
「何それ。会って間もないソイツの味方をするの」

アリスとクイーンが対峙する様は、まるで自然界の相性の悪い動物が威嚇し合っているようだった。ハートはその様子を暫く眺めていたが、そこでクイーンの様子が少し可笑しい事に気が付く。最初はアリスの事も気に喰わないのだろうかと思ったが、どうやらその逆でアリスの事を気に入っているからこそ、この対応が気に入らないらしい。
ハートの心の中に突然悪魔の尻尾が芽生えてきて、まるで今までの鬱憤を晴らすように底意地悪くほくそ笑む。次の瞬間には無垢そうな顔をすると、こてんと首を傾げ、突然爆弾を投下した。

「ね。2人って付き合ってるの?」
「はあ?! ふざけないでよ!」
「なっ…そこまで全力で否定するのか、お前は!」
「君なんてお断りだもの!」
「ッ俺だってそしたらお断りだ!」

矢張り想像した通りである。寧ろ此処まで思い通りに会話が運ぶと面白い。ハートは哄笑してしまいそうになるのを喉の奥で止めながら、云い争う2人の間に笑顔で鶴の一声を浴びせかける。それは予想外も予想外の発言だった。

「そうなんだ! じゃあ僕、アリスの恋人に立候補しちゃうね」

アリスとクイーンの動きが突然止まり、どころか病室全てのものの時が止まったような気がした。アリスは少しして冗談だと思ったようで、苦笑いしながら「冗談…」と云ったが、そう思えなかったクイーンは震える拳で思い切りアリスの頭を殴った。殴られたアリスはあまりの痛みと理不尽さに顔を上げ、

「ッ何するんだお前は!」
「煩い! 君は本当、何時も何時も余計な事ばかり…ッ」
「余計な事って…ぐっ!」
「自分で考えろ!」

クイーンは怒りも頂点に達したらしく、もう一度アリスの頭を殴ると踵を返して扉の方まで強く歩き出す。何処に行くのかと思ったが、時計を見る限り恐らくラビと会うのだろう。改めて2人で何を話すのだろうかとアリスは気にならないでもなかったが、かと云って聞くと云う事も出来ない。
クイーンは居なくなる前にアリスを睨み、そして力一杯に扉を閉めて居なくなってしまう。アリスはクイーンが何故あんなにも怒っているのか解らないようで「何なんだ…」と呟きながら大層痛む頭をさすったが、あからさまな嫉妬だと解るハートは吹き出しそうになるのを懸命に堪えている。

白兎に居座ってアリス関連でクイーンを揶揄するのも楽しそうだ。そう思うとハートは上機嫌になった。





命じた時間帯よりも5分程前だったが、ラビはもうそこに居た。クイーンはラビを一瞥すると鍵を鍵穴に挿し込んで、手招きで入るように促した。ラビは大人しくクイーンの後に続き、扉を閉めると鍵を掛ける。先を歩いていたクイーンは窓の側に置いていたチェステーブルを引っ張って部屋の真ん中に置き、続いてマホガニー材のアンティークチェアを2脚程奥から持って来て、チェステーブルを挟んで向かい合うように配置する。ご丁寧に対局時計と氷の入ったアイスティーも置いた。
クイーンは手前の椅子に座るとラビにも座るように指示をする。ラビはクイーンの向かい側へと座り、そうしてクイーンの発する言葉を待った。クイーンはチェスの駒の黒色を全部自分の方へ近付けて、ラビの方へと白色の全ての駒を譲る。「君が先手」と云うとクイーンは足を組み、

「プレイしながら話そう。…話を聞いたよ。何の、とは聡い君の事だから云わなくても解ると思う」
「……」
「そこで僕は考えたのだけど」

ラビは白色のポーンを左手でd4に置くと、対局時計のボタンを押す。クイーンも黒色のナイトを右手でf6に置いて、対局時計のボタンを押した。未だ始まったばかりの静かな戦場を上から眺めながら、クイーンは駒達を驚かせないようにと小さな声で、

「君は以前アリスと仲が良かったね」
「…ああ」
「惚れているの」

ラビの左手が一瞬だけ止まったが、直ぐに駒から手を離すと対局時計のボタンを押す。まるで答えを急かすようにクイーンは直ぐに自分の駒を正しい配置に立たせ、対局時計のボタンを押した。ラビも迷う事なく駒を動かして、そうしてボタンを押す。チェステーブルの上で徐々に戦争の威勢が激しさを孕んで来たが、ラビが質問に対する答えを放つ事はなかった。
テーブルの上を駒が行進し行く音と対局時計が時間を刻む音、そして対局時計のボタンが押される音で室内が満たされる。数分もするとチェステーブルはみるみる激しい戦火で覆われたが、それよりもクイーンはラビが得意のだんまりを決め込んでいる事が気になって仕方がない。自分の考えが間違っているとは今では絶対に思えない。では何か、自分に遠慮でもしているのだろうか? …子供扱いされているのか、はたまた主人として距離を置かれているからなのか。どちらにしてもクイーンにとっては気に入らない。クイーンは対局時計のボタンを乱暴に叩き、

「得意のだんまりだ?」
「……」
「そう。なら沈黙は肯定とみなすよ」

駒を持とうとしたラビの動きが止まる。先程まで迷いなく進められて来たが為、クイーンはその動きに違和感を感じた。ラビは左手の位置をそのままに数秒決めかねたようであったけど、ルークを選ぶとそれを盤上で静かに動かして、対局時計のボタンを押そうとした。その時だった。

「ッふざけるな!」

クイーンが怒鳴り声に反応したラビは、対局時計からクイーンへと視線を遣る。クイーンは目の前のラビを刺すような目で睨むと先程配置されたばかりのルークを指差して、今にでも破裂されそうな怒りを孕んだ声色で云う。

「…何で今、よりによって此処にルークを置いた? …君は何時もそうだ、僕に勝たせようと、譲ろうとッ。上から目線で余裕ぶっているのか、それとも忠君の積もりなのか…ッ」

そこまで云うとクイーンはルークを掴み、ラビに向かって投げて渡す。ラビはそれを空中で掴むとテーブルの上で握り、そうしてクイーンから発せられた「本気でかかって来なよ」との言葉を聞く。これで黙ったままだったらクイーンはチェスの試合すら放棄したろうが、ラビは漸く己の口を開く。それは簡素な言葉ではあったけど、クイーンがチェスに全力で挑むのに充分な気力を齎した。

「…解った。全力で行かせて貰おう」

―――そこからラビの駒が迷う事はなく、今まで何回も重ねてきた試合全てが手加減されていたものなのだとクイーンはこの時初めて知る事になる。チェスクラブのメンバーで実力もあった父親に、クイーンは何度も手解きを受けた。娯楽で遊んできた相手もクイーンに敵う事はなかったし、自分のチェスの実力も自負していた程だ。
クイーンは焦燥しながらも何とか守りに入り、一瞬でも隙が出来たら一気に牙を立てようと思った。然し相手に隙が生じるどころか自分の盾が壊れる寸前まで来ている。考える時間がどんどん長くなり、見える光の筋はみるみる間に細くなって行った。
ラビが「チェック」と云って白色のクイーンを置くと、女王の顔色は変わってそのまま駒を持とうとしない。それはラビの勝利を意味していた。クイーンは暫く黙ったままチェス盤を眺めたが、ややして大人しく自分のキングを人差し指で倒す。そうして背もたれに深く寄りかかり、非道く落ち着いた声で臣下に声を落とした。

「…次からは何でもこうして全力で挑んで来なよ。勝負は対等じゃなきゃ気が済まない」
「…ああ。」
「そして勿論次は僕が絶対勝つし、譲る気もないよ」

それがチェスでなく別の事を云っているのは、明白な事実であった。そもそもこのチェスだって、大切なのはチェスの試合ではなくて、実力関係を計る為だった。
クイーンは澄ました顔で自分のアイスティーを手に取る。そこで全てが終わったように見えた訳なのだが、クイーンはそのアイスティーを口に含む事はなく。
バシャリ、と眼前のラビに頭から勢いよくぶっ掛けた。

「でもムカついた」

ラビの白色の髪から透明な液体がぽたぽたと垂れ、肩やズボンだけでなくチェステーブルにまで紅茶が滴り落ちる。ラビに思い切り紅茶をかけた事で少しは憂さ晴らしが出来たのか、女王は真っ白な満開の花の如き笑顔を作る。
突然の事態に一瞬何が起きたか理解出来なかったラビではあったが、顔を左手で乱暴に拭うと呆れたような息を吐く。そうして自分を小莫迦にしたようなクイーンに笑顔を向けると、自分もアイスティーを手に取って、

本日二度目の水音がした。クイーンは突然頭から受けた冷たさに目を二、三瞬かせ、それからラビの左手に持たれた空のグラスを見て全てを理解したようだった。心なしか自分同様してやったりな顔をしているラビに対し、クイーンは屈辱さにみるみる顔を赤くした。

「対等とはこう云う事だ」
「…君ってば信じられない! このシャツ高かったのに…ッ」
「本官だってこのスーツは結構した」

ラビは「痛み分けだ」と笑うと椅子から立ち上がり、そうして髪を掻き上げて扉まで向かう。そのままクイーンを見る事なく手を振ると、扉を閉めて居なくなってしまった。
紅茶塗れのチェステーブルと共に残されたクイーンは暫く悔しさに震えていたが、とうとう我慢出来なくなったのか「最悪だ!」と云うと椅子に全身を預けて上を見上げる。天井で光輝する大きなシャンデリアが、クイーンを嘲笑っているかのようで腹が立った。
クイーンは眉を顰めると、誰に知られる事もなく自分の感情を吐き出す。

「絶対に渡したりするものか!」






毎週日曜日の夕方に放映されているアニメのOP曲を口ずさみながら、ドルディーは駆け足で放送室に向かっていた。そのアニメとはドルダムもお気に入りのもので、青色のバンダナを巻いてゴーグルを装備した黄色い熊が活躍するヒーローもののお話だった。双子はこのアニメで熊の社会も人間と似たようなものなのだと云う間違った観念を植え付けられる事になるのだが、ジャバウォックはそんな双子が可愛くて訂正をしていない。彼は双子の事になると途端に何でも甘くなった。
ドルディーはサビを歌い終わると同時、放送室の前に立つ。ドルダムとの賭けには負けたがジャバウォックに抱き締めて貰えるには違いない、そう思うと嬉しくて笑顔で「お兄たん!」と声をかけて放送室の扉を大きく開けた。
そして一気に飛び込んで来た噎せるような血の臭いに、ドルディーはその場に立ち竦む。
…何時もジャバウォックが座っている黒色の革張りの椅子に、1人の青年が座っている。青年の左腕には鼻や額から血を流したドルダムが、愛情も感じられない体勢で抱き抱えられていた。青年は扉を開けたドルディーに気が付くと、椅子を回してドルディーの瞳の水色を見て目を薄く細めた。そうして右手に持った血塗れのナイフを舌で舐めると、猟奇的な表情で口角を上げて、

「…よおドルディー。久し振りだな」
「ジャック…!」
「会いたかったぜ? ああ、元気そうで何よりだ」

ジャックと呼ばれた青年は心から楽しそうにそう云うが、ドルディーは感動の再会と云うような顔付きをしていない。ジャックに抱えられたドルダムだってそうだった。ドルディーはシースからナイフを抜き取るとそれを素早く右手に構え、そうして幼児とは思えない表情で凄み、治安の悪い通りを自ら好んで歩いている成人済み男性でも怯むような声で叫んだ。

「帰れ! お前なんて大嫌いだ!」
「つれねーなぁ。ジャバウォックの邪魔を漸く抜けて来てやったのに」
「知らない、お前なんて知らない! 早く帰らないと只じゃ済まないぞ!」
「…やれやれ」

ジャックは首を横に振り、「俺がナイフ捌きを教えてやったのに、恩を仇で返すとはこの事だ」とわざとらしく云う。ドルディーは恐れに歯を鳴らし、足を震わせたがナイフの切っ先を外しはしない。その姿に気に喰わないところでもあったのか、ジャックは右手に持ったナイフの刃先を声もなくドルディーの方へと向ける。ドルディーが恐怖に「ひっ…!」と短く悲鳴をあげると恍惚そうな表情を浮かべたが、その前に腕の中のドルダムが動いた。
ドルダムがジャックの左腕を思い切り噛むと、ジャックは怯んで右手からナイフを落とす。真っ赤な歯型が出来たのを見るとジャックは舌打ちして、それからドルダムの頭を掴むと――そのまま机に叩き付けようとした。
然し寸でのところで動きが止まり、頭を割られて死ぬかと思ったドルダムは震えながら見開かれた目から涙を流した。その様は誰が見ても視線を逸らしたくなるような、恐ろしくてえげつないものだった。ジャックは自分の頭を乱暴に掻くと、ドルダムの頭から左手を離し、

「っけねぇ、ガキを殺すと俺がジャバウォックに殺される」
「ひ、ひぅっ、うッ…」
「アイツもキレると何をしでかすか解らねーからな」

ジャックは興味がなくなったように泣き崩れるドルダムから離れると、双眸に一杯の涙を溜めたドルディーの前に屈んで頭を撫でる。然しその顔は善意や慈愛に満ちたものではなく、悪意だけに満ちた加虐的なものだった。恐怖でナイフを落とすドルディーの頭から手を離し、そうして心から楽しんでいるような笑みを向けると、一種哀れみすら連想させる声をドルディーに向ける。

「安心しろよ。今日はジャバウォックにタイムオーバーを告げに来ただけだ」
「お、お兄たん、に…」
「そうだ。約束の時間が過ぎた。アイツは結局間に合わなかったし、守る事が出来なかった。莫迦な奴」

意味が解らずにとうとう左目から涙を零したドルディーに、ジャックは「ああ、お前等には関係ない話だ」と云うと立ち上がる。そしてドルダムの血で汚れたナイフを床から拾い上げ、貼られているポスターを詰まらなさそうに見つめた。世界中にその名が知られている米国のヒーローのポスターは、ジャバウォックが愛するアメコミのものだった。それを見たジャックは何て下らない、と内心で毒を吐く。彼はジャバウォックと違ってヒーローを侮蔑すらしていた。
ジャックはナイフを構えると、そのナイフを思い切りポスター目掛けて投げる。見事にヒーローの額に刺さったのを見て満足そうに微笑むと、品も何も感じられないような醜悪な顔で、まるで悪魔かアメコミに出て来る悪役のように笑うのだ。

「これでグリムは俺のものだ。…只でさえ血が苦手なジャバウォックだ、愛する者の死体を見たらどうなるだろうな? 楽しみで仕方ないよ」



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