実験ナンバー26の叫びV




男の語り部としての役目はそこで終了した。男は己の口を閉じ、目の前のグリムとラビに向けて「長くなってすまない」と謝罪する。グリムはそれに対して傷ましそうな表情で首を横に振り、

「…すると貴方は、その出来事から今までずっとこの家に居たのですね」
「…ああ。食料は配送して貰っていた」
「すると未だ監視カメラが?」

ラビから問われた質問に、男は鳩時計を見上げると「いや」と云った。その理由をグリムから問われる前に、男は虚ろな顔をしたままで答えを述べる。

「あの日僕は半狂乱になり、カメラを全て壊した。…恐らく僕はあれから死んだと思われているんだろう、研究者の誰も来たりはしなかった」

男はそれだけを云うと、自分の云える事はこれだけだとでも云うようにロッキングチェアに背中を預けて天井を見上げた。グリムとラビは顔を見合わすが、どうやらこれ以上聞けそうな事は何もない。然しこうして話を聞けた事は大きな収穫であったようにも思う。被験者の特徴も知り得たし、『身元のない子供』や『親に売られた子供』に限定した調査で共通点や何か手がかりを得る事も出来そうだ。それに教育者の方から調査して攻める事だって出来る。グリムは椅子から立ち上がると礼儀正しく一礼をして、

「…ありがとうございました、私達はこれで」
「ああ。それじゃあ」

男は実に素っ気がないもので、ラビとグリムにその場で手を振ると鳩時計を見上げたままで視線も身体も動かさない。グリムはその姿を見て彼に同情の念を向けて、屋敷の外へと出ると強く吹く風に目を細めた。扉から数歩歩いた時、突然ラビが足を止める。不思議そうな顔をするグリムに対してラビは屋敷の方を振り向くと、

「止めるかい?」
「…何をです?」
「グリムだって気が付いたろう。彼のポケットだ」

不自然に膨らんだポケットがあった。最初は何かしらの凶器でも隠しているのだろうかと思ったが、毒気どころか生気も感じられない彼を見てその線は直ぐに消した。
故にとっくに頭の中になかったポケットの中身を今更推測出来る事はなく、グリムは恥じずに「解りません」と云った。ラビにそれを咎める素振りは全くない。ラビは屋敷の方を向いたまま、

「ロープだ。自殺する積もりらしい」
「…?! ま、まさか、」

然し考えれば彼の絶望感たるや、自殺を図ったとて全く可笑しな事とは云い切られない。グリムが扉を開けようとしたと同時、中からガコンと激しく椅子のようなものが床に落ちた音、そして軋むロープの音がほんの微かにだが聞こえたような気がした。幻聴かも知れないし、ラビの思い違いの線だってある。然し仮にそれが真実だとしたら、今なら行けば未だ間に合う。
グリムは頭を必死に回転させて、そして黙って首を横に振る。そのまま踵を返して車に向かうグリムの後を今度こそ追いながら、

「良いのかい」
「…彼の絶望は結局のところ彼にしか解りません。恐らく彼からしたら、ああする事が幸福でしょう。…屋敷から一歩も出ない、家族も居ないでは、発狂するのも時間の問題だ」
「加えて四六時中監視されているとくれば、確かに」
「…。何ですって?」
「未だ監視カメラがある」

グリムは茶色の革靴の動きを止めて振り向くと、珍しく声を荒げて眼前のラビに突っかかる。グリムは信じられないとでも云ったように、

「か、彼が嘘を吐いていたと?!」
「ああ。鳩時計もだし、他にも幾つかある。じゃないと彼が未だに外に出ない説明がつかない」
「……壊しましょう」
「今更だろう」
「………」

特に焦燥した様子も見せないラビに、グリムは何を云う気にもなれず肩を落とす。ロープにも気が付いたのだから恐らくラビは話を聞かずとも屋敷に入ると同時カメラにも気が付いた筈だった、ならばその時に何としてでも壊すかせめて教えでもしてくれれば良かったものを。然し監視カメラが未だあるのなら男の行動や絶望感にも更に納得が行く、自分達の姿も撮られた事は正直痛手だが、今となっては確かに遅かった。
グリムはポケットから車の鍵を取り出すと、批難を非常に包含させた暗色の声で、

「露出狂ですか、貴方」
「その結論はどうかと」
「視られて平気とかそうとしか思えませんよ…」

不本意そうな顔をするラビを他所にして、大木の前まで来ると車に鍵を挿そうとする。グリムの右手に持たれた車の鍵が鍵穴に入る手前で、突然上の方から声がした。今までの空気とそぐわない、明るくて可愛らしい声だった。

「あのっ、すみませーん!」

ラビとグリムが同時に左の方を見上げると、頂を少し降りたところに、緑と青のタータンチェックの膝掛けを頭から肩にかけてすっぽりと被った車椅子の少年が見える。その少し珍妙な出で立ちに2人は驚いて顔を見合わせるが、動きを止めて待っててくれている2人に嬉しさが募るのか少年は膝掛けから覗く口元を緩ませて、それから大きく息を吸うと目一杯に声を張り上げる。左手だけを使って意味のないメガホンを作って叫ぶ様は、何だか微笑ましいような多少呆れるようなでもあった。

「僕も車に乗せて欲しいのですが!」
「…どうします、ラビ」
「…まあ、旅は道連れと云うし…」
「…。アリスにさっさとフラれたら如何です?」
「この間既にフラれてきた」

グリムは何て事もないように紡がれたその言葉に驚いて、ラビの方を凝視して思わず聞き返す。ラビはグリムの方をわざわざ見ようとはせずに、頂の方の少年を見たままで、

「お前とは付き合えない、と云われて逃げられた」
「あ、きらめるんですね」
「1度位で諦められない事は、身を以て解っているだろうに」

ジャバウォックの事だ。グリムは熱した針で胸をほんの少しだけ刺されたように、多少痛んだように感じた。そんなやり取りが行われている事も知らない車椅子の少年は中々反応を示してくれない2人に業を煮やしたのだろうか、左手だけで車椅子を操作して、それから坂道を降りようとする素振りを見せる。流石にあの勾配の坂道を1人で降りるのは不可能だろう、横転してしまう事が目に見える。グリムは慌てて声を張り上げて、

「そこで待っていて下さい! 今そちらに車で向かいます!」
「本当ですか?! わー凄く嬉しいです! お願いします!」

少年は素直に口元を緩めたままで、車椅子を動かす手を止めてグリム達が来るのを今か今かと待つ。今の少年の動きが只の策略だった事は、隣でルビー色の瞳を細くしたラビは兎も角として、お人好しのグリムが知る事はなかった。
あんな場所にどうして居るのか不思議だし、そもそもどうやってあの場に行けたのかも不明だ。あの上にある屋敷にでも住んでいるのだろうか、だとしたら家族は? それにグリムは、どうも先程から引っ掛かる変な感覚を払拭出来ないままだった。

「あんまり待たせると彼が干からびてしまうんじゃないか」

ラビに急かされたグリムは何となく面白くなくて、「なら早く運転席に」と云って鍵を挿れるとつっけんどんに助手席の扉を開ける。ラビが運転席に座って扉を閉める間にも、グリムは頂に居る少年の姿から視線を外す事がなかった。
車椅子に木製の義足、肘掛けに隠された右手と顔。彼の膝の上には薄汚れた袋が乗っていて、その中には何かが入れられているのが見て取れた。

…あまり変な事にならなければ良いのだが。そう思いながらグリムは助手席のシートに身体を預ける。



「いやあ、本当に助かりました! 世の中貴方達みたいな素敵な人も居るんですねえ! 捨てたものじゃない!」

車の後部席に座った少年は、膝掛けを頭に被せたままで人懐っこくそう云った。グリムはそれに苦笑して返したが、ジャバウォックとも他の白兎の誰とも異なる独特のテンションに中々着いて行けない。弾切れのないマシンガンをフルオートで撃つように、少年は1人でひたすら喋喋とものを云う。
グリムはルームミラーを見て、後部席の少年の姿を確認する。少年は話しながら身体を揺らすので肘掛けの端に付いた沢山のタッセルも揺れたけど、隠れた右腕も顔も肘掛けから覗く事がない。その相姿がどうも抜かりがなく思えた。

グリムは先程からある違和感を、どうも払拭出来ないどころか大きくなっているようで額に右手をやる。少年を迎えに頂まで行った時、見た屋敷はクイーンの持つ屋敷の1つだった。そこでグリムは『自分が来た事があるような』と云ったのはこのクイーンの屋敷に昔来た事があるからだと悟った。戦争が始まる前の遙か昔の出来事だったので、すっかり忘却していても不思議ではないと思った。それ程までに戦前の出来事が遥か彼方の方へと感じてしまうのだ。
それでは何故この少年がクイーンの屋敷の前に居たかだが、最初は観光客だろうかと思った。最早管理されていないクイーンの屋敷見たさに観光客が訪れるのは珍しい事でもない。然しそうしたら1人車椅子の少年が頂まで行った事の説明がつかなくなってしまう、少年の側には誰も居なかった。
だから少年は使用人ではないかと思った。グリムはそこで一旦自分を納得させたけど、記憶を辿ってみるとフランスの方の屋敷では男の使用人を見た事がなかったし、よく考えればこの車椅子の少年が使用人として雇われる事があるだろうか。雇われていたとすると少なくとも管理されていた頃の事だから、車椅子になったのはその後の事だとしても、少なくとも少年は当時今よりも更に幼かった筈だ。そもそも今此処は管理されていないと云うのに使用人なんて未だ存在するのだろうか、見たところクイーンと同じ位の年齢に見えるが…。

そこでグリムは突然頭を殴られたかのような衝撃を覚える。昔ジャックから『クイーンには実は双子の弟が居る』と聞かされた事があった。そんな事今ではすっかり忘れていたし、クイーンの口から直接聞いた事もない。然しもしもそれが本当だとして、後部席に座る少年が『クイーンの弟』であると云うのなら全てに説明がつく。彼は弟はフランスの屋敷に隠されている、と確かに云った。
グリムは急いで後部席を振り向いて、首を傾げる少年の核心を突く。

「貴方、まさかクイーンの弟では…っ」
「!」

運転席のラビが反応する前に、少年が息を呑む音がする。そして次の瞬間には、…グリムの首に銀色の大鎌の刃が突き付けられた。死神のように纏わりつくその禍々しい鎌を見た途端ラビは早急に車を停車させ、音もなくレッグホルスターから銃を抜き取ってルームミラーで後部席を見る。ベールのように少年の頭を覆っていた膝掛けは外れており、少年の顔が露になっている。アリスのような黒髪にクイーンのようなエメラルド色の瞳、そしてラビのように失われた右目を覆うハートの形の黒色の眼帯。右手にはピーターパンのお話に出て来るフック船長の如く、銀色のフックが光り輝いている。
左手で鎌を構えた少年は大きく口角を上げ、今までと違った口調で話を始め出す。

「アンタ。僕の事何で知ってんの」
「…昔、耳に入れた事が」
「僕を知ってるって事は裏に精通した貴族様だ?」

グリムは「貴族は否定しませんけど」と云い、そうして助手席のシートの上に無造作に置いていたステッキを右手に持つ。…立場の優劣を決定させたのは、少年の一瞬の瞬きだった。
グリムはその一瞬で首と鎌の間に細いステッキを挟み、それを思い切り前方へと引く。すると鎌の柄を持っていた少年の身体が「わっ」と云う驚愕の声と共にバランスを崩し、そのチャンスを逃さずにラビは後部席へと身体を乗り出して少年の頭へと銃口を突き付ける。
一気に立場が逆転すると少年は悔しそうに奥歯をギシリと噛むが、それ以上の抵抗は賢くもしようとしない。大人しく鎌の柄から手を離した少年は、右手と左手を上げて降伏の態度を見せると、

「…僕は鬮鸞ハームテット。クインテットの双子の弟だ。ハートと呼んでくれて結構」
「…何が目的だい」
「アイツ…クイーンに会いたい」
「何故です?」
「兄弟の逢瀬に理由が要るかよ」

視線をグリムへと遣ると、莫迦にしたような冷笑を浮かべてみせる。グリムは考えるようにして、ハートの持ち物だった鎌の柄を掴むとその柄をまじまじと見る。何処からこんなものを出したのかと思ったが柄の部分が伸縮パイプのように伸び縮み可能であった事、そして後部席に無造作に落ちた空の布の袋を見ると、彼の膝に置かれていた袋に入ったものはこの大鎌であったらしかった。
成る程『ハートの女王』のシンボルでもある鎌は片割れに渡されたものであり、それこそがクイーンが今までどんな武器を使おうが、鎌だけは決して使う事がなかった理由なのだとも思った。
鎌の柄を縮ませるグリムにハートは身を乗り出して、

「アンタさっきクイーンって云ったね。知り合いなら会わせてくれ」
「…会わせる訳には行きませんよ。貴方はきっと彼に害をなす」
「世の中に弟に会いたくない兄が居ると思うか?」
「……」

居るだろう、とは弟の前では流石に云えず、グリムは困った顔をしてラビへと視線を送る。ラビは銃を下ろしてハートを見ていたが、グリムの視線に気が付いて目を合わせた。ラビも些か状況判断に困っている事が見て取れた。

「どうしましょうね。クイーンの意思も解らないし…」
「…もしも害をなすようならその時に何とかしよう。一応連れて行くだけ連れて行った方が、恐らくは…」
「話が解る! あ、ところでさ」
「?」

ラビの一言に素直に喜んだような顔を見せたハートは、嬉々とした顔で車の外を指差した。指で示された方向をラビとグリムが見てみると、そこにはこじんまりとした劇場が1つある。前の看板には最近話題沸騰中のミュージカルの題名が大きな藍色の文字で書かれていた。
その意味が解らず2人がハートへと視線を戻したものの、発せられた言葉は予想外のもの。我等が女王様然り、成る程彼等の自由奔放さはどうやら血筋であるらしい。

「折角だしミュージカル観て行こうよ! 王子様と兎さん? そう云えばアンタ等名前何て云うの?」

グリムとラビはハートの満面の笑みを見て、どうも前途多難に思えた。





白兎ゲート前に立つ門番のプリケットは、此処最近決して心中穏やかとは云えぬ状態だった。1人気丈に佇む彼女は役職こそは気高い白兎の門番ではあったけど、彼女はそれ以前にして人間であり、何より女であった。
白兎内でまことしやかに囁かれている噂は疑わしくもあり、然し有り得ないとは断言出来ぬ事だった。莫迦莫迦しい、とプリケットは首を横に振って「抱き締めるなんて、子供でもする」と自分を慰めるべく呟くが、それでもプリケットの顔は歪んだ。確かに子供はその行為を簡単に行うが、大人になってからは誰かを軽々しく抱き締めるなんてしない。それが他人ならましてやだ。
特にラビには今までそのような『行動』そのものが噂された事はなかった。否、珍しく彼の寵愛を受けている人物が居るとの噂だけは以前にもあった。それも矢張り今回同様アリスであった。
これが嘘ではないとするのなら、ラビはアリスに本気なのではないかとプリケットは非道く狼狽する。プリケットはラビを心から好いていた。青年が大日本帝国から来るよりも以前から、ラビへの想いに胸を激しく焦がしていた。あんな日本人の男に負ける等、彼女の矜持が許す筈もなかった。ピッチフォークを掴む手の力が強くなる。
ラビを問い詰めてみたいと思う。然し嫌われてしまうのではないかと思うとどうにも出来そうにない。アリスにはこの間釘を刺したのに意味がなかった。
それでは己はどうするべきか?

「…あたくしが、出来る事は…」

1つだけ頭に浮かぶものがある。然しそれは果たして良策だと云えようか? 取り返しのつかない事になるのではないか? それに何より、制裁がラビの方に加わらないとは断言出来ない。
…それでも何もしないままではラビはアリスに取られてしまうだろう。所詮二十日鼠の自分が魅惑的な夢見る少女に敵う事はないのかも知れないが、それでもラビを譲る訳には行かなかった。自分のものにならずとも、せめてあの青年にだけは負けたくなかった。それは只の最早意地でもあった。
彼は唯一門番である彼女に気を遣ってくれ、人として接し、雨の降る日に傘を差し出してくれた。高圧的に振る舞うが故に誰とも打ち解ける事の出来なかった彼女の、初めての話し相手になってくれた。どんな話でも厭がらずに聞いてくれたし、彼もまた話題を持って来てくれた。彼からしたらそうではなくとも、プリケットからしたら唯一の特別だったのだ。


プリケットは急いでゲートを離れ、帰ってきたばかりのクイーンの部屋に駆け付けた。扉を何度かノックすると、開けてくれたクイーンに向けて背筋を伸ばして凛とした声で云う。

彼女は女王からの断罪を望んだ。

「クイーン様。…お耳に入れたい事が御座います」



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