実験ナンバー26の叫び




「次はドルディーが鬼ね!」
「今度は負けないよ、ドルダム!」

白兎地下、Bエリア駐車場。そこでは未だ幼い子供二人が、細い下肢にローラースケートを嵌めて無邪気に走り回っている。鬼に振り当てられたドルディーはその年齢の割に器用に大胆な動きでドルダムに向かって走るけど、ドルダムだって負けずに加速するので二人の距離は中々一気には縮まらない。二人は綺麗に駐車された車達の車間を利用して、少しずつ相手との距離を広げたり縮めたりして鬼ごっこを楽しんだ。
ドルダムが黄色のポルシェを区切りに右折しかけた時、彼女の目に少々驚くべき光景が飛び込んできたものなので、彼女は右折する事なく、そのままその場にしゃがんで自動車の下から向こうの動きを観察する。不思議そうにしているドルディーに口元に指を当てて「しー」の形を作ると、こっちに来るよう手招きした。ドルディーは大人しく片割れの側に寄ると、押し殺した小さな声で、

「どうしたの、ドルダム?」
「グリムたんと化け物が居る」
「えっ。何処?」

ドルダムが指差した前方を同じ体勢をして見てみると、確かにそこにはグリムの車である銀色のアウディの隣に、ラビとグリムが向かい合って立っている。ドルディーはさして関心は持てなかったけど、ドルダムを見ると随分と熱心に彼等を見ているものなので、大人しく退屈なアニメを見る時のような視線で2人を見守る事にする。生憎彼等の会話は少し遠すぎて、耳には殆ど入って来なかった。

「で、私があんなに教えたのですから、少しは運転が出来るように?」
「ああ、今ならドリフトも出来る」
「…。まあ、この車なら壊しても良いですけど」

それにしてもこれまで何台も壊されて来ましたから、出費も莫迦になりませんでした。そうグリムが笑顔だが皮肉めいた口調で云うと、ラビは気まずそうに視線を逸らす。然しグリムは云うほど気にしてはないようで、アウディのボンネットに肘を載せると、嫣然と微笑んだ。

「それじゃあエスコートをお願いします」
「お望みとあらば」
「それは楽しみ…、」

冗談めいて微笑を浮かべたグリムの右手を取ると、ラビはその右手を自分の唇の前まで持って行く。そうして惚けた顔をするグリムに自分も微笑みを浮かべると、右手を離す事もなく、

「完璧なエスコートを」

己の冗談に冗談で返されて、グリムは思わず顔を微かに薔薇のように染め上げる。右手を素早く引っ込めると車のドアを開け、そうしてラビの顔を見る事なく、

「…そこまで望んでいません」
「おや。そうかい?」
「…呆れた。貴方はそんなのだから、勘違いをさせるのが上手いんですよ」

早く乗って下さいとグリムが云うと、ラビもドアを開けて運転席へと座る。グリムは一つ小さく溜め息を吐くと自分も助手席に乗り込んで、そうして扉を閉めた。
会話は聞こえなくても二人がこれから共に車で外出をするのだと解ったドルディーは、矢張り関心のなさそうな顔で今日アリスに読んで貰う絵本はビーグル犬が主役の絵本が良いと思ったが、ドルダムは今は絵本の事など最初から頭にないようだった。車がエンジン音を発して進むと同時、ドルダムは突然立ち上がり、

「ねえ、あの車に手榴弾投げよう!」
「ええ?! …駄目だよドルディー、この前僕等しこたま怒られたじゃない」
「でも、今がチャンスだよ!」

ドルダムの云う「チャンス」とは何かが全然解らなくて(この場合はラビを『どうにか』すると云う事だった)ドルディーは訝しがったけど、眉を吊り上げて興奮するドルダムに、少し考えて首を横に振る。傷付いた顔で今にも泣きそうなドルダムに近付くと、彼女の頭を撫でながら、

「…どうしたのドルダム。兎さんの事になると変だよ」
「だって、だって…」
「…」

只自棄になっているとしか考えられないようなドルダムに対してどのような言葉をかけたら良いのかを、生憎ドルディーは未だ幼くて解りはしなかった。彼にはグリムのような教養がある訳でもなかったし、ラビのように場慣れしている訳でもない。双子なのに『解らない』だなんて変だと思いながら、

「よく解らないけど、そんな事したら、アリスたんから嫌われちゃうよ」
「…! そ、れは、厭」
「でしょ? それにアリスたん、多分傷付くよ」
「え? …どうして、」
「あの二人と仲が良いもの」

差し障りのない言葉を選んで使用した筈だったけど、それを聞いたドルダムは動きを止める。ドルディーが疑問に思って首を傾げたと同時ドルダムの大きな双眸から涙が零れ、それから嗚咽を漏らして喚き始めるものだから、ドルディーは至極狼狽した(白兎のメイド長がお仕置き用に持って来た、ナイフ入りのケーキを見た時よりも)。

「やだ、アリスたんはドルダム達と1番仲が良いの!」
「落ち着いてドルダム、」
「あんな化け物なんかに取られたくないの!」

ドルディーが幾ら宥めても、彼女の大きな瞳から溢れる透明が留まる事はない。その涙で池が出来て自分達は溺れてしまうのでは、と思えてドルディーは益々焦燥を大きなものにした。
結局困り切ったドルディーもとうとう同じくして泣いてしまい、駐車場で大声で喚く彼等は警備員に発見された。警備員から寄越された電話でアリスが来た時には彼等の目は赤く腫れていて、乱暴に目元を擦る彼等の右手を、アリスは現状が理解出来ぬまま「痕になってしまうだろ」と云って止める他なかった。
それから双子はアリスの部屋へと救済されたけど、ドルダムはずっとアリスの身体にしがみついて、決して離れようとはしない。
駐車場で何かあったんだろうかとアリスは考えながら、彼女のパフスリーブのワンピース越しに背中を撫でる。ワンピースの下に刺繍されたメリーゴーランドの水色の馬が、何故だか哀しげに思えた。
そうしてドルダムが大人になった時、もしかすると彼氏は大変かも知れないななんて他人事のように思ってから、眠り姫の糸車で織られたようなドルダムの金糸をそっと手で梳かす。ドルダムはそれが気持ち良く、アリスの身体に顔を埋めてそっと目を閉じた。





「…女性達にもあんな事を?」
「何がだい?」
「先程のような振る舞いですよ」

ラビの運転は、最初に見たあの凄惨なものとは違って大層落ち着いたものだった。あれからグリムが彼に運転を何台もの車を犠牲にしてまで教えたのだ、これで運転出来ない方が可笑しい事は、無論当然ではあるのだが。それにしてもラビの自動車の運転の呑み込みの悪さには、グリムも呆れざるを得なかった。戦車やヘリコプター、バイクを始めとした乗り物はお手のものなのに。寧ろヘリコプターを操縦出来て自動車が出来なかったのが、非道く可笑しな話でもあった。
ラビは視線をグリムに向ける事なく、

「まさか」
「本当ですかね」
「疑うのかい」
「それではアリスには」

門番でも司書でも肉屋の娘でもなくてピンポイントで出された名前のその所以を、ラビが解らない筈はなかった。ハンドルを握った手は一切動揺を示さなかったので、助手席に居座るグリムは目を細くしながら窮屈そうな素振りで足を組み替える。そうして椅子に深く寄りかかると、ラビの言葉を聞かぬまま、

「…もう少し上手くなさったらどうです」
「その積もりだったんだが」
「貴方、そう云うのお得意でしょう」

ルームミラーでラビの方を見ながらグリムが云うが、運転席に座る人物は肩を竦めるだけで何も云いはしなかった。肝心なところを隠す喰えない人間だとグリムは思ったが、それはきっと誰しもが同じであったし、漏れる事なくグリムだってそうだった。グリムはラビやアリスに自分の長年の想いを吐露する気はなかったし、ましてやジャバウォックに云える日なんて永遠に来ないだろうとも思う。自分の糸はこんがらがる事もなく、上手く光の差す目的地の方へと向かって無事に到達する事が叶うのだろうか――と表情が曇ったが、今は自分の事を考えている場合ではなかった。グリムは話の続きを口にする。

「他人の恋路に口を出す気は勿論ありませんけれど。もう少しご自分の立場と云うものを」
「忠臣として?」
「…それもですし、貴方はどうも人気なので。あまり波風を立てては…」

云いながら可笑しな話だ、とグリムは思う。本当は一番尊重されるのはその人自身であり、アリスもその中に入る事は自明の理ではあるのに、まるでラビの立ち位置からそれは「有り得ない」と釘を刺しているようなものだ。グリムはアリスが来た当時に起きた不健康な事態を何となく知ってはいたし、だからアリスには瑣末なものであっても不幸が起こらなければ良いとも思う。既に一度、飛び火で火傷をした身なのだから。
車が一旦踏切の前で停車する。エンジンの音と甲高い警笛の音を耳に受動的に入れる中で、グリムは点滅する信号機を見つめていた。外で血を流しながら中では恋愛事に艱苦するとは愚かしい事とも思うが、人間は危機的状況に陥ると生殖本能が強くなって色恋沙汰をすると云う。ではそれか? …不毛にも子孫の繁栄に結び付く筈もない感情でも? そう考えると途端に愛とは何かが解らなくなってしまう。
グリムの小さな声は警笛の音に蹂躙されだけど、隣のラビの耳には入った。然しラビはそれには何も云わなかったし、グリムもまたその返事を期待していなかった。恐らくそれには正しい答えがないように思えたからだ。

「…人間とは、どうしてこうも愚かしく、愚行だと解っていながらも人を愛してしまうのでしょう」





長い車旅の後、銀色の車は国境を超えて或る森の前へと着いた。見る限り非常に険しそうな眼前の山を車で登れるのかとラビは懸念したが、そこらを歩いていた村人に車から下りたグリムが幾つかの会話をして戻ってくるなり「あちらから車でも通れるそうです」と右方を指差した。ラビは大人しくその指示に従いながら、そう云えばこの地はグリムにゆかりのある地ではなかったかと思う。ハンドルを回して左折したラビに、グリムは運転に全信頼を置いたような顔をしながら、

「いいえ。私の家は此処ではありませんでしたから。フランスと云えどゆかりはありませんよ」
「そうなのか。それじゃあ来るのは初めてかい」
「…来たような気もするんですけど。どうでしたかね…」

何せ昔の事なので、と云うも思い出そうとグリムは考える素振りを見せる。然しそれでも思い出せなかったのだろう、微笑して「思い出せません」とちっとも悔しくなさそうな調子で云う。それが別に大切な事のようにもラビは思えなかったので、自分も少し笑ってみせると山道に車を入れた。小さくて狭い道だったが獣道よりは格段マシなそれが1つあり、車体はたまに若干揺れる程度で済んだ。少なくともコーカス軍への道程よりは恵まれている、とラビは思う。あそこには獣道を更にみすぼらしくさせた道しか存在しなかった。
デンマーク出身の作家の詳しい住所を知るに、時間は殆どかからなかった。ジャバウォックは直ぐにその住処を手に入れて、ご丁寧に地図までつけてプリントアウトした紙を「出前を取るより楽な作業だった」と云ってのけた。クイーンを始めとした白兎の人間は彼を「生臭坊主」だと云って貶すけど、彼の情報網は白兎では実に重宝するものだった。それでも根がどうにも不真面目なので、その仕事を終えた後にアリスに「とても大変な仕事だったから、向こう一週間はお休みを」と云っていたのは、褒められたところでもないのだけれど。
そのまま山道を数十分かけて登ると、頂に着く前の平らな場所に1つの屋敷を見付けて車が停まる。地図を改めて確認するがどうやら此処のようであり、微かに見えた頂の別の屋敷を見てラビは誰が住んでいるのだろうかと思いながら、車を屋敷の近くまで寄せる。目立った大木の下に車を停めるとグリムが「お疲れ様でした」と労ってラビに優しく笑んだ。然し運転席から降りたラビが助手席の扉を開けて最後までエスコートしようとしたのには、多少焦燥しながら断った。どうやらグリムはエスコートされる側には慣れてはいないらしい。
屋敷はクリーム色の塗装がなされたこじんまりとしたものであり、尖った屋根に塗られた藍色のペンキは雨で少し禿げたままにされてある。屋敷の直ぐ側には小さな鐘楼があり、中々立派なものだった。グリムはその鐘を少し眺めたが、直ぐにラビの後に着く。
低めの位置にある屋敷のドア・ノッカーをラビが2回程叩く。すると今まで物音が全くしなかった中から人の動く気配がして、少し待つと屋敷の扉が軋みながら開いた。扉を開けた男の目の下には隈があり、薄い緑色の双眸は忙しなくラビとグリムを交互に見る。男は細長い身体を曲げて扉を持つ手に重心をかけたまま、苦しそうな咳払いをすると枯れたような声を出す。グリムは彼の不自然に膨らんだポケットと震えた左手に視線を一瞬だけ遣ると、仕込み刀のステッキを持つ右手の力を少しだけ強くした。

「…新聞の勧誘は、断った筈だが」
「私達は勧誘ではありません。少しお尋ねしたい事が」
「作品『葡萄』についてなら何度も云っている、あれは僕の意思ではなく…」
「作品ではなく、人間兵器について知っている事を聞きに来た」

単刀直入なラビの言葉に男の眉は軽微に動き、それから剃り残しのある顎に右手を当ててもう一度2人の顔を見た。それから何かを考えるように視線を空へと泳がせたが、ややして頭を掻いて背中をぐるりと向ける。頭を掻いた事で男の茶色の髪からは蝨が飛んだし、言葉を吐く度アルコールの匂いが空気中に分散された。男が歩く部屋の中は埃や文献、パン屑や零れたワイン酒で汚くなっている。黴の匂いも扉の前のグリムの鼻へと届く程だった。
堕落された空間に佇む男が、ゆっくりと口を開く。

「…君達は見たところ例の悪魔共ではなさそうだ。…入ると良い、僕も好い加減1人で溜め込むのに限界を感じていた頃だった」



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