閑話挿入




独逸の脯掉(ほふる)と云えば、大体の独逸人は「ああ。あの肉屋かい」と云ってみせる。脯掉はベーシックな豚肉や牛肉から、ラム肉や兎の肉、犬の肉までと幅広い肉の種類を扱う肉屋だった。脯掉の肉の売り上げは順調で、主人である男には自分の容姿とは釣り合わないようなグラマーなブロンドの妻が居た。それを見て周囲は何時も、本物の美女と野獣だなんて云いながら羨ましがった。
主人には他に一匹の飼い犬のダルメシアンと、一人の娘が居た。娘は母親譲りの美人に育ち、ボブカットのブロンド髪も色素の薄い黄緑の瞳も綺麗で、快活な子供だった。グリフォンと名付けられた娘の趣味は犬と庭で遊ぶ事で、白色の趣味の良い家は、近所の評判も良かった。

絵に描いたような幸せな一家だが、或る日母親が行方不明になった。グリフォンは突然の事に頭が着いて行かなかったけど、警察に早く捜査して見つけ出せと喰ってかかる父親の顔は何時もの温厚な父親とは違い、怖く感じると同時に母親の失踪は大変な事だったのだと思った。その日から父親が別人のような態度になったので、グリフォンは毎日犬を連れては「母を知らないか」と人に尋ねた。彼等は皆申し訳なさそうに首を横に振ったし、警察による捜査は難航した。
母親が居なくなってから変わったのは、何も態度だけではなかった。父親は夜中に家を抜け出す事が多くなり、そして明け方に帰って来るようになった。コーンフレークを食べながら迎える朝の父親には特に変なところはなかったし、グリフォンは子供心ながらに何となく触れてはならないのかと思って何も云わなかった。
もう一つ変わった事がある。母親の居なくなったその日から、グリフォンは夜食にラム肉を食べさせられるようになった。お皿の真ん中に載せられたそれは小さなラム肉だったけど、味がラム肉ではなく思えたばかりか、日によって柔らかかったり苦かったりと食感が違って感じた。父親はラム肉を一切食べず、ウィンナーを食べている。一週間もすると何だか厭になって、グリフォンは一度父親にラム肉は食べたくない、と抗議した事がある。すると父親は憤怒の顔をして、グリフォンの雪のような頬を思い切り殴った。グリフォンは驚いて泣いたけど、父親は身体に馬乗りになってグリフォンを殴るのを止めなかった。

この日を境にグリフォンが父親に逆らう事はなくなるが、父親はグリフォンに事あるごとに暴力を振るった。その暴力の種類は兎に角酷くて、グリフォンの髪はぼろぼろになって抜けるばかりか色まで褪せて、目だってどんどんと綺麗な黄緑ではなくなった。グリフォンの身体には痣が沢山出来て、グリフォンは夏でも長袖の服を着て自分の肌を見せないようにした。
お店で接客する父親の態度は昔と変わらなく、客は皆妻の事で同情して豚肉を買って行く。グリフォンの髪や目も母親が居ないストレスなんだと主人に云われると、彼等は気の毒がってグリフォンの頭を撫でた。誰か気付いてくれないかなとグリフォンは思ったが、父親が常に後ろで目を光らせているから誰かに告げ口なんて出来たものじゃあない。グリフォンは訛った独逸語で客にお肉を渡しながら、何時しか告げ口を諦めた。自分が良い子にしていれば、或は母親が戻って来てくれたなら、父親は昔の柔和な人に戻るに違いない。そんな期待は、淡くも崩れ去るのだけれど。


或る日、犬が居なくなった。大層可愛がっていたし心の支えにしていたのでグリフォンは泣き崩れたけれど、父親に煩いと髪の毛を引っ張られてからは何も云わなくなった。それでも犬を捜したくて、その日の夜中にグリフォンは家を抜け出した。結局犬は見付からずに、グリフォンは明るくなる前に家に戻った。その時父親の車庫に向かう姿を見て、思わず木の後ろに隠れて様子を見ていると、父親の右手には大きな黒色のビニール袋があった。何かが入っているらしいそれはぱんぱんに膨らんでおり、グリフォンは父親に見付かる前に家の中に入ると部屋のベッドに包まった。少しして車を運転する音がして、父親が何処かへ出たのだと悟る。朝食を食べる父親の顔は、何処かスッキリとしていた。


冬になると、肉屋に来た2人組の女性が肉を包むグリフォンの前で世間話をした。知ってる貴女、最近猟奇的な殺人事件が此処らであるそうよ。本当に?怖いわね。何でも鋸で切断された死体が見付かるんですって。物騒な世の中。被害者に特に共通点はないそうよ。あら、じゃあ快楽殺人犯かしら。警察はそう睨んでるみたいよ、早く犯人が捕まると良いけれど。おちおち外にも出られやしない。
肉屋に来るに相応しくないピアスやネックレスや帽子、そしてファー付きの手袋とコートで飾った彼女達にグリフォンはグラムで量ったお肉を渡す。高圧的な目で漸く娘を見た彼女達は、グリフォンの顔を見るなり目を見開いた。そうして恥ずかしそうな顔をするとお金を渡し、肉屋を足早に出て行く。グリフォンは殺人犯よりも、犬はもう帰って来ないんだろうかと思って哀しくなった。



12月の25日になって、生憎の雨の中クリスマスが迎えられた。グリフォンはプレゼントなんて期待はしていなかったけど、神様にそっと母親と犬が帰って来てくれますようにと祈った。今日はクリスマスだけれども、ご馳走は七面鳥じゃなくて多分またラム肉なんだろう。母親の作ってくれる料理を愛しく思いながらも一人肉屋のごみを捨てようと、ごみ箱を抱えて路地裏へと入る。
その時路地裏に父親の姿があって、グリフォンは思わずごみ箱を地面に落とした。父親は屠殺用の鋸を持っていて、白色のエプロンや顔には返り血が付いている。父親の足元には誰とも解らない血塗れの女性の死体があり、グリフォンは悲鳴をあげるとその場から逃げようとした。けれど石に躓いて、父親は水溜まりの水を跳ねさせながらグリフォンとの距離を近付ける。
歯をガチガチと鳴らして恐怖するグリフォンに、父親は怒鳴った。

――お前の母親譲りの目を見ると、苛々して仕方がない!

鋸を振りかざした父親に、グリフォンは抵抗しなければとそれだけを思った。雨が降る中で無我夢中に犬のように吠え、両手と両足を無理矢理動かした。


……それから、何があったのかグリフォンは覚えていない。只、棘のような雨が降る中で、呆然としながらその場にへたり込んでいた。グリフォンの右手には血塗れの鋸があり、足元には父親だった肉の塊があった。頬や髪の毛は血で濡れて、自分は何をしているんだろうとグリフォンは思った。
あんなに死にたくなくて必死になったのに、今はどうしようもなく死んでしまいたくて、雨が自分を溶かしてくれはしまいかとそのまま座り込んでいた。すると小さな足音が近付いて、視界の先で幼い足を包んだ立派な革靴が止まる。グリフォンが顔を上げたその先には傘をさした金髪の人形のような少女だか少年だかが居て、その人物はグリフォンを静かに見据えるとそっと尋ねた。

「君、どうしたの?」

――グリフォンは箍が外れたように、一気に泣いた。







グリフォンはかくして『クイーン』に引き取られ、『白兎』に所属する事になった。居場所を失った彼女からしたら、この待遇はクリスマスプレゼントのようなものだった。
後日のニュースで、グリフォンは母親と犬を殺したのは父親だったと知る。それだけではなくて、女性2人が話していた殺人事件の犯人も父親だった。母親が何故見付からなかったかと云うと、肉として加工して食べていたのだろうとの警察の調べだった。グリフォンはラム肉の正体を知って、泣きながらその場に吐いた。
以来ラム肉を食べられなくなったグリフォンだが、あの事件の後遺症は何もそれだけではなかった。白くなった髪も赤くなった目も勿論だが、何より自分の容姿を人前に出す事を躊躇うようになる。父親の最後の言葉が脳裏を離れずに、グリフォンは防衛するかのようにガスマスク、AVONのFM12を顔に嵌めるようになった。クイーンは呆れた顔で「やめなよ」と止めたけど、彼女は聞かなかった。まあ色々あるのかなと思って、クイーンは結局放った。

白兎の中を歩いていたグリフォンは、或る日ラビと擦れ違った。彼の髪は白くて目は赤かったものなので、彼もまた自分と同じで虐待されたのではないか――とグリフォンは思った。そう考えると途端に親近感が湧いて、トラウマから人見知りもした彼女はラビに話し掛けていた。ラビはガスマスク姿の少女に若干驚いたけど、自分の包帯だって似たようなものかななんても思ったのでガスマスクには特に触れなかった。ラビは優しくて、自分の知らない事を沢山知っていて、グリフォンは何時しか彼の虜になった。
話して行く内にラビの髪と目の色はケルト人特有のものだと知ったけど、グリフォンにはもうそんな事は関係無かった。グリフォンはラビに完全に溺れていて、取らなかったガスマスクも彼の前では取るようになったし(ラビは彼女の端正な顔立ちに対しては、同じ軍の『鬼百合』と呼ばれた女性に似ていた事に驚いただけだった)、普段は真っ黒なフードワンピースだったけどラビと2人の時は可愛く女の子らしいワンピースでおめかしをした。周りは彼等を兄妹のようだと云って見守ったが、グリフォンは彼に自分を恋愛対象として見て貰いたかった。けれどグリフォンは、ラビの左目は、他の誰かを見ているようにも思う。



ガスマスクを被ったグリフォンは今、ラビの部屋の扉の前に居る。高熱で寝込んでいると聞き、自分の好物でもある南瓜プリンを持って来た。グリフォンは革手袋をした右手の甲で扉をノックして、返事を待つ。
…けれど返事はなくて、扉には鍵が掛かっている。寝てしまっているのだろうか。
グリフォンは若干不満だったけど、扉を壊すのも申し訳なくて結局右手を下ろす。それから寂しくてうなだれたが、彼が出ない以上は仕方がない。グリフォンは諦めて、自室で大好きなテレビゲームをやろうと思って踵を巡らせた。



NEXT『バレットで終わりを告ぐ』


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