エスト・ジャポン




「そこの! そこの銃刀法違反の君! 止まりなさーい!」
「ッ…しつっ…こい…!」
「君が止まれば済む話だ!」
「聞こえてた…!」

分裂した東側の日本国。恐らく世界で1番平和であると云われているこの国は軍隊を持たないだけでなく、国民はあらゆる武器の所持が禁止され、代わりに革新的なファッションや進んだ文明の所持、無信教等の『自由』を許された。
髪の毛を染める者、スカートを短くする者、爪に装飾を施す者、厚底を履く者。彼等の生活は主として1番発達した西洋の文化に基づいていて、西の大日本帝国とは雰囲気を異にした。
天皇すら各々が持つ西と東の日本の仲は疎遠であり、特に西側の日本人は東を『西洋被れのふざけた奴等だ』と莫迦にした。勿論東側でも西を古臭いと莫迦にする者は、少なくなかったけれど。

さて、であるからして、西の人間が例えば東に行けば大変な事になる。西では普通に日本刀の所持が許可されていたし、そもそも西には銃刀法違反だなんて概念が有り得ない。…だから、西の生活に馴染み過ぎたアリスからしたら、まさかこんな。
まさかこんな、帯刀しているのを理由に警察官に追われる事があろうなど、考えもしなかったのだ。






彼女は退屈していた。
彼女はこんな平和ボケしている国での毎日を見離して心底飽き飽きしていたし、今日こそは非日常が起こらないだろうかと期待しては裏切られた。彼女は溜め息を吐き、銀縁の眼鏡のフレームを馴れた所業で上げる。彼女は何時も通り高校での授業を受け終えて、部活に所属する事もなく、何時もと同じ帰路で家に帰るところだった。
彼女の帰路は繁華街で、様々な国籍の人間が楽しそうにたむろをしている。電化製品のメーカーが声高にチラシを配り、或る者はナンパをし、或る者は携帯電話へ向かって笑い、或る者は公園のモニュメントの前で化粧を直している。どれも見慣れた光景で、彼女は嗚呼、と絶望する。こんな詰まらない毎日を送りたい訳ではないのに。
彼女は今流行っているライトノベルのお話を想う。魅惑的なキャラクター達、迎えられる日常とは掛け離れた素晴らしい日々、刺激的な一瞬一瞬。自分の前にも何かが現れてくれれば、と彼女は胸元までの真っ直ぐな黒髪を鬱陶しげに掻き上げる。何も悪魔や妖精や天使が現れろとは云わない。けれど例えば、超人的な力を持つ人間だとか超能力者だとか。
或は例えば、今読んでいるライトノベルの主人公のよう、日本刀を持つ男の子だとかが現れてくれれば。

彼女がそう思って角を曲がった瞬間、日本刀を帯刀した青年(しかもその主人公が正に本の中から出て来たような!)が目の前に現れたものだから。

彼女は迷う事なく、彼を押し倒した。







「………はっ…?!」

角を曲がる前、アリスは突然女の子に押し倒されて、状況が飲み込めずにいた。アリスの身体に跨がるのは胸元までの真っ直ぐな黒髪と銀縁の眼鏡が特徴の女子高生で、彼女の制服は黄緑色のブレザーに臙脂色のリボン、そしてよく磨かれた茶色のローファーだった。胸元の凝ったエンブレムには見覚えがあり、それが知人の制服と同じものだと解るのと彼女が口を開くのは、同時だった。

「あ、あ、貴方エイト君でしょう?!」
「エイト…? 待て、俺はそんな名前じゃあ」
「さサクラ姫はどうしたのっエイト君もしかしてまた出るとこ間違えた?!」
「姫?! ちょっと待て意味が解らない、じゃなくて退――」
「居たぞ!」

警官の声がして、アリスは身体を強張らせると焦燥して立ち上がる。地面に下ろされた彼女は然し強く、再び逃げようとしたアリスの腕をしかと掴む。アリスは自分を掴む彼女と自分目掛けて走って来る警官を見比べて、本当に焦燥したような声で、

「何だよっ、離してくれ!」
「駄目よエイト君、あたしも一緒に連れてって!」
「だから俺はエイトじゃ…っ」
「ようしそのまま動くなよ!」
「はあ?! ……っ」
「きゃっ、…あ!」

アリスは彼女の手を振りほどくと、素早くその場から走って逃げ出した。彼女もまた素早く決断し、アリスの後ろ姿に向かって走り出す。警官は突然出て来た彼女は一体何だろうと思ったが、状況の把握よりも先ずは銃刀法違反者を捕まえるのが先だった。
そこから少し離れた場所まで行くと、1台のバイクがエンジンのかかったままで鍵もかけられずに停めてあるのをアリスは視認する。アリスはその時罪悪感が生じないでもなかったが、この切りのない鬼ごっこを続けるよりはマシな選択肢に思え、決断してそのブラックメタリックのVMAXに跨がった。そうして左手でクラッチを切ったその時だ。

「エイト君バイク運転出来たの?」
「え…、ッお、お前何後ろに乗って?!」
「警官来ちゃうよ」
「下りろよッ…あああもう…!」

アリスは後ろで自分の身体にしがみつく彼女を下ろそうとするが、警官が直ぐそこまで来ているのを見るとそのまま左足でギアを1速に入れ、アクセルを開けてクラッチを繋ぐと膨大な排気音と共にバイクを走らせる。突然の加速に落とされまいと彼女がアリスの腰へ思い切り抱き着くものなので、豊満な身体の部位が背中に当たり、アリスの頬が赤く染まる。一体何なんだと考えながら柔らかい感触に出来るだけ意識を向けないよう運転に集中する事にして、後ろの警官の怒声を遠ざけて行った。






「エキサイティングだったねエイト君!」
「俺は全然楽しむ余裕は無かったぞ…」
「バイクに二人乗りして警察から逃げるとかあたし初体験だよ!」
「………」

アリスは疲労感で一杯になった目で彼女を若干責めるように見たけれど、彼女はそんなアリスの様子に一切気付く事なく興奮の色を示している。彼女の興奮の蒸気はSLの煙のように出て来ても可笑しくはない程で、そんな彼女を見るアリスは何を云っても無駄なのだと解るとバイクの鍵をポケットの中に入れた。運転免許はあるの?と尋ねてきた彼女の声は、都合良く無視をする。クイーンから「何か1つは運転出来るように」と命令されて習得させられた(教えたのはジャバウォックの悪友だ)バイクの免許など、ある筈がなかった。
今居るのは街から離れた人気のない公園で、アリスと彼女はそこの塗装の禿げたベンチに仲良く座っていた。元気良く遊ぶような子供の姿は無く、錆びたシーソーやブランコが、風に吹かれもせず寂寥とその場に只存在をする。他に在るものと云えばよく生えた雑草と数匹の鳩だけで、パンのかけらでもあるのか頻りに地面を嘴で突いていた。

「で、エイト君。今度は何処のクリスノアを取りに行くの? あたしも手伝う事あるなら手伝うよ!」
「…クリスノアだか何だか知らないが、俺はエイトじゃないし悪いが連れて行けもしない」
「えっ?」
「じゃあな」

アリスがそう云って公園を出る前に、突然彼女が後ろから抱き着いて来た。すると必然的に先程も当たった豊満なものが背中に当たり、女性の身体に不慣れなアリスは耳まで顔を赤くして身体を硬直させる。ラビだったら上手くあしらいも出来るところなのだろうけれど、生憎克己的なアリスにはあのような高度な芸当など身に付いてはいなかった。
何とか意識をそちらに向けないようにして、アリスが叱咤する声を出すと共に抵抗を試みたその時だ。

「…きゃ、意外と重いっ」
「な、…!」

アリスが油断した際に腰から日本刀を鞘ごと盗んだようで、彼女を見るとその両手にはアリスの日本刀が抱えられていた。アリスは大切なそれを失くしては困ると奪い返そうとしたけども、今の彼女は正に相手の恋人を人質にした時の誘拐犯そのものだった。彼女は気圧すかの如く形の良い眉を吊り上げて、制服の胸ポケットからペガサスの刻まれた銀色のライターを取り出すと日本刀に突き付ける。アリスは彼女の行動に焦燥し、

「な、何やってんだ!」
「云う事聞かないならあたしごと炎上させるから!」
「はああっ?! 何なんだお前…!」

彼女の先程からの会話は噛み合わなければ、行動も常軌を逸したものだった。日本刀云々よりも、彼女に焼身自殺等されては夢見が悪いと云う話を超えている。無論観光しに来た訳ではなく、確固たる目的があって仕事で来たアリスの身としてはこのような迷惑極まりないハプニングは勘弁して欲しいところである。
然し彼女はアリスの今の言葉に予想外に反応し、日本刀を右手に持つと先程までアリスの背中に密着させていた胸を堂々と張って、スカートから伸びる美しい下肢を肩幅まで揃えると。

「エイト君は知らないよね。あたしは日本で一番の偏差値、私立東鄭(とうてい)高校在学――」
「東鄭高校?」

その高校名には聞き覚えがあった。確か帽子屋曰くのエンプソンの居た高校とは、そのような名前だった気がする。一目見た時からまさかとは思っていたけれど、同じ制服がある訳でないのならエンプソンと同じ学校なのかも知れない。アリスは彼女の言葉の終わりを待たずして、思わず口を挟んだ。

「もしかして纜エンプソンって生徒を知っていたりは、」
「エンプソン? ……それって首席の纜君?」
「知っているのか?!」
「あたしの台詞だよ! 東鄭高校で纜君を知らない人なんて先ず居ないもん」

彼女の話し方からすると、どうやらエンプソンは高校では有名人であるようだ。どうしてもあの好き勝手し放題の社長、帽子屋からこき使われている姿やホラー映画等の怪談(彼は根っからの理系であるに関わらず、怖いものを頑に信じているようだ)に怯えては涙を流して喚く姿が脳裏に浮かんでしまうのだけれども、優秀と頻りにあの帽子屋も褒め称えていたのだからその実偉大な生徒だと云う事か。そう云えばエンプソンの事も帽子屋の事もあんまり知るところがない、アリスがそう思った時に、彼女から顎に日本刀の柄を突き付けられた。アリスのものを何時の間にか我が物顔で扱っている彼女の顔は、好奇心で一杯になっていて溢れてしまいそうな程。

「何で貴方が纜君を知っているのか。エイト君、詳しい話を聞かせて!」

彼女の声は興奮で上擦っていた。







お帰りなさいませぇ。ラビが常備している砂糖菓子に匹敵してしまうようなそんな甘ったるい声で、アリスは初めて入るそのお店に歓迎された。従業員は皆メイド服を着ていたけれど、クイーンが雇うような上品で高貴なメイドとは程遠く、スカートの裾は驚く程に短かった。彼女達の姿を見れば白兎のメイド長は信じられない、と眩暈を起こすかも知れないが、この接客が売りであるのだろう。客達は顔を緩ませて、猫耳と尻尾を生やしたメイドに現を抜かしていた。
ピンクと白で飾られた空間とポップなBGMにアリスは居心地の悪さを感じたが、目の前の彼女は至って馴れた様子で星型のお菓子が乗ったソーダフロートをマーブル模様のストローで呑んでいる。アリスは珈琲を頼んだが、店員の態度だとかメニューの名前だとか(ブラック珈琲がナイトメアの波動だとかの)、注文の一つ一つが妙に恥ずかしいと思った。

さて。彼女から話を聞くと、エンプソンは日本一の大学の入試よりも難しいと噂される程の東鄭高校の高校入試の試験を、唯一パスして入学した異端の生徒であるらしい。そもそも東鄭高校は中高一貫で、高校の全ての生徒が中学も東鄭中学出身であり、高校から新たに生徒を入れる気がないような学校なのだそうだ。
そんな試験をパスした挙げ句特待生なものだから彼の頭脳は東鄭高校の誰よりも優秀で、常に首席を維持。周りの人間は一目置いたけど、彼の人となりが柔和なものだから何時も友人に囲まれて学校生活を楽しんでいたと云う。理系の彼は化学が特に得意科目だったから、化学の先生とは格段仲が良かったそうだ。

「凄いんだな、エンプソンって」
「東鄭高校自体が凄いのにね。…まあでも、西の士官学校や兵学校の足元にも及ばないけどね」
「え?」
「教育制度が違い過ぎるもん。纜君は化け物だけど、多分、士官学校とか兵学校の首席はもっと化け物だよ」

士官学校首席。その単語にアリスは無意識の内にぴくりと反応を示す。軍服を乱さず着た彼の迷いなき後ろ姿。その頑迷さもひたむきさも、成る程確かに化け物の所業と云えようか。アリスは懐かしむべきか否かの葛藤に苛まれ、複雑な顔で無糖の珈琲を口に含む。
閉口するアリスとは対称的に彼女の興奮は留まる事を知らず、チョコレートがかけられた生クリームをスプーンで掬うと頬を桃色に染めたまま、

「でもね、纜君退学になったんだよ」
「………退学?」
「纜君のお父さんが犯罪を犯しちゃったんだって。違法取引だったかな?」
「待、」
「お父さんは取り調べ中に自ら毒を呑んで死んじゃったって。纜君は事件発覚当日から行方不明。詰まり出席日数不足ね」

彼の父親の事にも驚愕するが、行方不明の言葉にアリスは何より戸惑った。エンプソンは何時も笑顔でアリスと話していたし、何時だってそのような影の部分を臭わせた事がない。
――エイト君、纜君が今現在何処に居るのか知らない?
そんな彼女の何気ないけれど何処か探るようでもある言葉に、アリスは「いや」と単簡に嘘を述べた。彼女は何を言及するでもなく、眼鏡の奥の双眸でアリスの目を覗く。アリスの目が左上を向いていないか観察したけれど、アリスの目は彼女と合っていたので一先ず彼女は納得した。一方でアリスはエンプソンが話していないようなプライベートな面を聞いてはならないのではないのかと、彼女にもう充分だと告げようとしていた。
けれど彼女は、ストローでソーダを子供のようにぐるぐると掻き回しながら、ぽつりと漏らした。

「…纜君のお父さんはウィリアムって人。有名で立派な科学者だったから、犯罪なんてする人じゃないと思ったし、冤罪って声も多かったけど」

…アリスはウィリアム自体を知ってはいなかったし根拠は何一つ無かったけど。エンプソンの姿を思い浮かべて、多分大衆の唱えるこちらの方が真実なんだろうと思った。



「で。エイト君は何しに来たの」
「だから俺はエイトじゃ…、……人を捜しに」
「人? 何て人?」

最早反論しても無駄だろうと思ったアリスは早々に諦めて、彼女の望む回答を渡す。すると彼女は首を突っ込まなければ気が済まない性質なのか何なのか。身を乗り出して聞いて来るものだし、何よりも彼女の腕の中には未だアリスの日本刀が大切そうに握られていたものなので、アリスはその人物の名を口にする。早く終わらせて彼女やこの空間から逃げたくあったが故のその決断だったのだが、この言葉が思わぬ事態を招く。

「梦海(ゆめみ)ゴート」
「えっ。嘘」
「…、何か知っているのか?」
「知っているも何も、」

彼女は目を丸くして、余程予想外だったのかスプーンで掬った生クリームを頬に付けて惚けた。彼女は親指でその生クリームを拭い、そのまま左手で自らを指差した。その指が何を意味するのか皆目見当もつかなかったアリスは訳が解らないよう訝しんだ顔をするけれど、次に紡がれた彼女の言葉を聞いて思わずティー・カップを落としそうになる。
運命とは余程悪戯者なのか、はたまた彼等の欠陥を埋めるように白兎を応援するとでも云うのか。出来過ぎた重ねられた偶然は、憎い程に出来過ぎていて運命とでも呼ばなければどうにもならない。

「それって、あたしのお父さん」



TURN THE PAGE


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -