怪物とバーバリズムU




英国の首都、ロンドン。そこにアリスとケイティは、文字通り買い物に来ていた。ラクロスで勝負をしてまでして欲しかった事が買い物とはアリスも流石に予想外も予想外で、「本当にそれで良いのか」と聞き返しすらしたが、ケイティが満足した様子でこくりと頷いたものなので、矢張りこれで良いのだろう。
アリスはケイティに対する不思議度数が益々上がったように思えたが、隣を歩くケイティが少し嬉しそうにも見えるので、たまにはこんな日があっても良いかと思う。思えば仕事以外でケイティと2人きりで街に来るのは、初めての事だった。

「アリス、此処でありんす」

ケイティが人差し指で指し示したのは、クリーム色の壁の玩具屋さんであった。入ったその中では、天井をピンクの衣装を着た妖精が優雅に舞い、びっくり箱のピエロが真っ赤な舌を出し、剣を構えた騎士が壁際に立っている。そう云えば英国に初めて来た時に、玩具屋のショー・ウインドーに酷く感動した時の事を、アリスは思い出した。あの時は英国の建築物に圧倒されたし、見るもの全てが大日本帝国とは違って新鮮だった。大日本帝国と云えば、置いてきたエディスは元気であろうか。師は相変わらずであろうか。――初めて出来た「友」は立派に――、そう考えたところでアリスは考えるのを止めた。
隣を見ると、先程までは居たケイティが居ない。一体何処へ行ったのかと急いで辺りを見回して、模型コーナーに佇むケイティを見つけ出す。安堵した自分を省みて、まるで自分は保護者の気持ちになっているのでは、とアリスはそこで気が付いた。そもそもがジャバウォックからも「お母さん」と云われているのだし、基本的にどうも自分は保護者ポジションを取ってしまうようだった。

「ケイティ、それ欲しいのか?」

声をかけるとケイティは顔を上げ、アリスをじっと見た。ケイティが見ていたのは00ゲージの鉄道模型であり、黒色の鉄道やレール、家、自然、どれを取っても立派なものだった。どうやら最新型らしいそれは値段も張るもので、また高価な趣味を持っているんだなとアリスは少し関心を持つ。ケイティは頷くとショルダーバッグから自分の財布を取り出して、水色のラインの入ったその財布の中身を確認し、

「…密かにお金を貯めていたでんす」
「へえ。余程好きなんだな」
「でありんす」

前々から狙っていたとは、何事にも無関心そうなケイティの新たな一面を見られたようだ。
ケイティはレジまで行くと、髭を生やして丸々太った店主の元にあれが欲しいのだと云う。店主はRPとは程遠いケイティの訛りに驚いたようではあったけど、笑顔で承ると鉄道模型の箱を取りに裏へと回った。店主の帰りをそわそわと身体を揺らして待つケイティの後ろ姿に猫耳と尻尾が見える気がして、アリスは微笑ましくなった。






「買えて良かったな」
「……」

玩具屋を出てからアリスがそう云うと、ケイティは無言でこくりと頷いた。何時もの無表情ではあったけれど、その頬は興奮に桃色に染まっている。アリスが思わず頭を撫でると、ケイティは気持ち良さそうに喉を鳴らす猫のよう目を細めた。
鉄道模型の箱は大きくて、体格の小さなケイティは抱えるように持っている。アリスは「持とうか」と云ったけれど、ケイティは首を横に振った。クイーンとの買い物で相手の荷物は持つものだと散々叩き込まれたアリスは拍子抜けしたが、ずっと欲しかった物だから、幸福と共に大事に抱えていたいのかも知れない。アリスはそう思って、それ以上はもう何も云わなかった。

暫く通りを歩いていると、ケイティがふと或るお店の前で立ち止まった。アリスも止まって見てみると、そのショー・ウインドーには鉱物が飾られてある。ケイティが見るはどうやら8つの色彩りの鉱物のセットのようで、紺色の箱に入って白色のリボンで飾られたそれは凄く綺麗だった。
ケイティの顔をさりげなく見てみると、こちらも美しいコバルトカルサイトのような瞳を光輝させている。一目惚れしたのだなと思い、ケイティの趣味が存外男の子で少年じみたものなのだとアリスは知った。
値段を見てみると、何と先程の鉄道模型と同じ位。ケイティの財布にはもうこれを買えるようなお金がないのは明らかで、ケイティもそれを承知なようで、小さく眉を下げた。

それを見たアリスは店の扉を開き、3つの金色のベルを鳴らしながら中へと入る。余程見入っていたのかその音にケイティは肩をびくりと震わせて(猫が毛を逆立てるように)、目を瞬かせてその場でアリスの動向を見守った。見ればアリスが店主に話し掛けているところであり、女店主は笑顔で頷くとショー・ウインドーまで近付いて、

「こちらで宜しかったでしょうか」
「ええ」
「畏まりました」

何と紺色の箱をレジまで持って行くではあるまいか。ケイティは漸くアリスが何をしているかに気付き、アリスの元まで駆け寄ると彼らしくなく、少なからず狼狽したような様子で、

「アリス、何しているでありんすか」
「ん? …ああ、欲しいんだろ?」
「か、買って貰うなんて悪いでんすっ」
「何で…、……あー…」

アリスはそこで気が付くが、そう云えばケイティと今まで買い物をした事がないのだから、こうして何かを与えるのも初めてだ。クイーンとの買い物ではアリスが与える事は普通に行われてきたし(と云うよりも強要だが)今回も極自然に行ってみせたけど、成る程普通なら「悪い」と云って受け取りはしないだろう。然しもう女店主は袋を用意しているし、アリスもキャンセルする積もりは生憎なかった。少し考えて、なら、と言葉を口に出す。

「罰ゲームって事なら良いよな」
「…それは、もう着いて来て貰ってるでありんすし…」
「莫迦。買い物に付き合うなんて普通だろ」
「普通…?」

きょとんとして言葉を反芻させてみせるケイティに、アリスはほとほと呆れてしまう。何処かズレているのは解ってはいたけれど、まさか此処までとは思いはしなかった。アリスはケイティの額に軽く手の甲を当て、そうして優しく笑って至極当然であるように、恐らくケイティの予想もしなかった事を云ったのだ。

「仲間、なんだから」

ケイティは目を見開いて、財布からお金を出して会計するアリスをじっと見た。脳裏に「アリスは優しい子だ」と以前云われた言葉が浮かぶ。本当にその通りで、だからこそ彼は人徳もあった。
側に寄り、アリスの服の袖を引く。何気なくケイティの方を見たアリスは次には驚いて呆気に取られたが、先程の当然の言葉にケイティが酷く心を揺さ振られたとアリスが思わなかったように、ケイティもまた『自分の笑顔』でアリスが驚くとは思わなかった。

「有り難うでありんす」

初めて見るはにかんだケイティの笑顔にアリスは己の顔が火照るのを感じ、焦燥してケイティから視線を外す。今まで中々懐いてくれないと思っていた猫が擦り寄ってきてくれたような感覚に陥って、元々が可愛いものが大好きなアリスは頭を散々撫で回したい衝動を堪え、自制を何とか効かせるようにする。

甘えさせたいと云うのはこう云う事を云うのだなとアリスは思いながら、豆乳アイスならケイティでも食べられるのではないかと、通りに居たアイスクリーム屋の事を思い出しながら思った。






運転席に座っていたスーツ姿の男は車を停車させ、鞄を持って車から外に出た。助手席の男もドアを開け、ジャバウォックの左隣に座っていた男もドアを開ける。目隠しをされたままのジャバウォックが様子を窺っていると、右に座っていた男が声をかけてきた。

「着いた。降りよう」

その時目隠しが外されて、ジャバウォックは顔を顰めながら座ったままで外を見る。鬱蒼とした木々が繁っており、どうやら山奥に連れて来られたようだった。ガソリンの残りを見てみると、到底先程のように何時間も走られる程のガソリンは残っておらず、従って『今この場で手枷を外し4人の男を倒し逃亡を図ろうが、車での逃亡は不可能』であるし、目隠しの所為で此処が何処かも解らない。またご丁寧な犯行をとジャバウォックは考えながら、仕方なく車から降りる事にする。男達は従順なジャバウォックに満足したようで、着いて来いと云うと前を歩き出した。


誘導されたのは蔦の茂る錆びた小さな建物で、ジャバウォックは此処が人間兵器の開発部署でもあるのかと考えながら、男達の後ろに着いて行く。男が機械にカードを通して暗証番号だろう数字を打ち込むと、銀色の扉が開く。どうやらハイテクノロジーが使用されているのは一目瞭然で、情報屋であるジャバウォックすら情報を持ち得ない人間兵器の組織とは、様々な裏の世界にも精通していそうなものだった。
建物の中は空間以外には殆ど何もなく、無機質な銀色の空間を歩かされる。右には扉が幾つかあり、扉には『管理室』『制御室』等と云った赤色の文字が書かれていた。
奥まで行くとエレベーターがあり、男達はジャバウォックと共にそれに乗り込む。地下の3階まで下がるとエレベーターは止まり、機械音をさせて扉が開いた。
エレベーターの前には直ぐに重厚な扉が存在し、立ち塞がるその扉には『危険』とだけ赤色で書かれていた。その警告にジャバウォックはこの扉の中だけは見たくなく感じたが、1人の男は扉の隣にある緑色の丸いボタンを押す。そうしてカードを通して暗証番号を押すと、

『ゲートを開きます』

女性のオペレーターと共に、扉が音を立てて開き出す。一切の喋る者が居ない中、扉を開く音が大きく響く。獣が出るか、怪物が出るか。ジャバウォックが覚悟を決めていると、扉は全て開き、そうして中が露になる。
中のものを視認したジャバウォックは驚きに目を見開いて言葉を失うが、男は何でもないように、笑顔で中のそれらを指差した。

「これが、君にして貰う仕事だ」

――中にあったのは、虚ろな目をした『子供達』だった。何十人居るか解らない彼等は皆黄ばんだ白色の衣服を着てて、ずっと洗われていないのだろう髪にはふけがあり、肌は酷く汚れていた。正に死んだ魚のような、と云った表現が合う彼等の目はジャバウォックを捉えたが、全て焦点が虚ろに見える。言葉を失ったままのジャバウォックの前で男は1人の少女を指差すと、厭らしく口角を上げた。

「労働者だった君のかつての姿を見ているようだろう?」
「…っ…この子達をどう連れてきた訳? 人拐い? やだ最低」
「まさか。買ったんだよ、煙草一本の値段でね。父親も母親もそりゃあ穀潰しの子供より、煙草の方が余程腹に溜まるのさ」

莫迦にしたようなその物言いに、ジャバウォックは男を強く睥睨した。然し男はそのようなものは痛くも痒くもないようで、どころか挑発的な腹立たしい笑みを浮かべると、少女を指差したまま、

「彼女は片方の腎臓がない」
「………は?」
「彼は左目がないし、彼は肺の半分が。彼女は」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「何れも欠陥品で人間兵器候補共ではあるんだが、云う事を聞かず屍のようなんだ。そこで君なら彼等の指導者として支配して命令出来ると至った」
「待てって!」

声を張り上げたジャバウォックに男は少し驚愕したようだったが、直ぐに下卑た笑みを顔中に浮かべてみせる。男はジャバウォックに近付くと頬を無理矢理掴み、ジャバウォックが痛みに顔を歪めるのも厭わずに指に力を込める。

「ヒットラーのような絶対的支配力を持ち、『化け物である双子の支配に成功した』お前が何を綺麗事をほざく?」
「………ッ…!」
「双子をああして支配する理由なんて、云わずとも解るぞ」
「お前っ…」
「…ともあれ、君のそのカリスマ的力が必要なんだよ。厭とは云わせない。礼は沢山する」

男はそう云い切るとジャバウォックを離し、手枷を外した。ジャバウォックの手首は赤くなっていたがそれは意に介されず、男達は踵を巡らせて扉から出て行ってしまう。扉は閉まり、男達の足音も直ぐに聞こえなくなってしまった。どうせ出られない事は試さなくても解ったし、奥の方に扉が2つ程あるが、恐らくあれはシャワー室とレストルームだった。食事はどうなるかは解らないが、取り敢えずは此処から一切出させては貰えないだろうと考えたジャバウォックは小さく息を吐く。そうして見上げた天井には、隠されもしない監視カメラが4つ。
莫迦丁寧だ、そう吐き出したくなるのを止めて側に居る少女を見る。『君のかつての姿を見ているようだろう』――、正にそうだと思った。

何処かの哲学者か経済学者かは忘れたが、労働者は身分が違い過ぎる貴族に憎悪の念を抱く事はない――と書かれた本を読んだ事がある。そんなふざけたが事あるか、とジャバウォックが吐き捨てた記憶は新しい。

死んだ魚のような目をしていたあの頃は、貴族が憎くて仕方なかった。




「あの男、協力するんでしょうか」
「ああ。断ったところで逃げられないし、その際に子供達がどうなるかも奴なら察しているだろう」
「然し」
「大丈夫だ、見てみろ」

『監視室』と書かれた部屋に、男達は居た。幾ら『あのジャバウォックは白兎に所属してはなく、白兎に恩義もない』と聞かされても、男はジャバウォックが自分達の云う事を聞くとは思えなかった。
怪物の名を背負うジャバウォックとは実際本当に怪物で、その畏怖すべき点は『相手を絶対的に支配してみせるところだ』と云う。あの恐怖すべき双子をああまで絶対的支配下に置いているのが正しく例であり、男達はその力を欲しがった。
モニターを見ると、ジャバウォックが両手を広げて子供達に笑顔を見せていた。

『こんにちは、皆! お兄たんの名前はジャバウォックです』

――教育が始まったな。男はそう呟いて薄笑いを浮かべた。






「ジャバウォックが帰って来ない?」

白兎。クイーンが壁に掛けられた時計を見てみると、既に夜の10時を指していた。双子は頷くと声をあげて再び泣き出して、アリスの身体にしがみつく。アリスとクイーンは顔を見合わせて、困惑した面持ちを見せた。ジャバウォックがこの時間になっても帰らない事などは、今までなかったのに。

「何処ぞの色魔とは違うし、無断外泊するなんて可笑しいしな」
「……本官の事かい?」
「何かあったのかな。事故とか」

クイーンが何気なくそう云うと、ドルダムとドルディーは益々喚き出す。失言に気付いたクイーンは慌てて口を手で覆い、スピーカーのようにがなり散らす双子に困り果てた。
本当に双子は兄に従順である、帰るのが遅くなるだけで誰かが死んだように喚くのだから。まるで兄が居なければ自分達が死んでしまうようにも見えるが、逆を云うなら双子が居なければ兄が死んでしまうようにも見える。…双子がこうなる事を知っていて、兄は外出しても何時も早く帰るのか?
単なる兄弟愛では片付けられない関係にクイーンはパラドックスをも考えるが、アリスの「ジャバウォックが何時帰るか解らないし、一先ず双子を寝かしつけて来る」の言葉にはっと意識を戻す。そうして馬鹿馬鹿しい、と頭で今の考えを打ち切った。

顔を上げると、扉が小さく開いているのに気が付いた。クイーンが不思議に思うと扉は音を立てず静かに閉まり、誰かが居たのだと解る。足音を立てずにそっと立ち上がり扉を開いて通路を見てみると、通路を歩くグリムの後ろ姿が見えた。クイーンは声をかけようと思ったが、グリムが何も云わず去ったのは多分話したくないからだと思って、椅子にまた座ると砂糖入りのミルクを呑んでいるラビと向き合って、給仕をしていた黒髪の三つ編みメイドを呼ぶとこう云ったのである。

「さて、今から彼と僕チェスをするけれど。どちらが勝つと思う?」



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