怪物とバーバリズム 「アリス、勝負して欲しいでありんす」 白兎、アリスの部屋の扉の前。そこでアーガイルチェックのセーターの襟にボウタイをしたケイティは、ラクロスのスティック2本とボールを持ってそう云った。部屋で日本刀を磨いていたアリスが何故彼が勝負をしたがるか解らずに、思わず聞き返してしまったのは致し方のない事ではあるだろう。ケイティは突然アリスの部屋をノックして、出て来たアリスへ開口一番にそう云ったのだから。 聞き返されたケイティは、然し表情を変える事もない。コバルトカルサイトのような色の双眸で淡々とアリスを見つめ、抑揚のない声を発する。 「勝負して、わっちが勝ったら云う事を1つ聞いて欲しいでありんす」 「…。頼み事なら、そんな事をしなくとも聞くが」 どうやらケイティはアリスに頼み事があるらしかった。然しそんなアリスの申し出にケイティは首を横に振る。ピンクと黒が混じった髪が揺れ、その仕草はまるでシャワーを浴びた動物のようだった。 頭を止めたケイティはアリスを見上げると、彼の眼前へ人差し指を突き付ける。鰐皮で出来た黒色のナックルが近付く事でたじろぐアリスを見つめたまま、ケイティは武士の放つ一撃のよう、鋭く言葉を放った。 「これはけじめでありんす」 「…。お前が負けたらどうするんだ」 「それは有り得ないでありんすが…その時は、わっちが云う事を聞くでありんす」 有り得ない。また強気な発言に、アリスは思わず苦笑を漏らしそうになる。ケイティの部屋の棚には確かにサッカーボールやバスケットボールを始めとして、ローラーブレード等のスポーツグッズが多くある。彼は身体を動かす事が大好きらしく、大会で賞を総なめした過去もあるのだそう。然しそれでも、生憎アリスは負ける気はしない。ケイティは自分より年下で、身長も低いのでどうしても体格の差も生じてしまうのだから。 アリスもスポーツに自信がない訳では決してない。ケイティにして欲しい事等はないし、お願いがあると云うのだから敢えて負けるのが妥当だろう。だが、アリスはそれはしない。 ケイティが勝負を望むと云うのなら、全力で望むのがまた礼儀であるからだ。 アリスは笑み、ケイティの手からラクロスのスティックを受け取る。そして発された次のアリスの言葉には、ケイティは矢張り無表情なままで頷いた。 「悪いが、勝負なら手加減はしないぞ」 「あっれぇ。アリスサマ方、そんなものを持って何をするお積りで?」 グラウンド。そこでスティックを持ったアリスとケイティに首を傾げてみせたのは、限りなく白に近しい金色の髪を持つ、ピンクの眼鏡と緑の眼鏡をかけた2人組だった。ピンク眼鏡は厚底のデザートブーツを履いていても小さいが、緑眼鏡は靴底のあまりない運動靴を履いていても大きい。以前アリスから白兎のランニングを命じられた事もある彼等はジャバウォックの悪友で、両者共カラフルなぺろぺろキャンディーを片手に持っている。アリスが状況を説明すると、話を聞き終わった悪友2人は目をよく磨かれた宝石の如く光輝させた。 真っ直ぐの髪の毛の方のピンク眼鏡は、シャツの胸元のピンク色をした水玉のリボンを揺らしながら、 「アリスサマ、そしたら人数が要りますでショ」 「そうそう、10人は居ないと」 「なら後18人か? …でも別に本格的にする訳でもないし、」 「ちっちっ。後16人ですよ」 「?」 アリスは髪の毛がふわふわした緑眼鏡の云う意味が解らず眉を顰めるが、緑眼鏡とピンク眼鏡が実に得意げな顔で自分達を指差すものなので驚いた。「ジャバウォックが今日は居ないものなので、丁度暇してたんですよ」。その言葉からしても彼等はもしかしなくともゲームに参戦してくれるらしい、アリスが何かを云う前にケイティが前に進み出て、何処からともなくスティックを取り出すと2人にそれを差し出した。嬉々する2人を横目にアリスはケイティが何処からスティックを取り出したのか不思議に思えて仕方なかったが、ケイティは飄々とした様子で無表情のままである。不思議で構築されているようなケイティに常識を持ち出しても無駄かとアリスは考えるのを止め、ラクロスに考えを戻す。未だ人数は全然足りやしないのだ。どうしようかとアリスが考えを巡らせていると、 「――ラクロスをやりますの?」 「おお、そこにおわすは見た目麗しプリケットではないか!」 「わざとらしい言い方は止めて頂きたいですわ。…人数が足りないようですわね、あたくしも参加しても宜しくて?」 「勿論! ねえ、アリスサマ?」 「…ああ」 「どうも。ならあたくしは、ケイティ様のチームへ」 ブーツの底を鳴らしてやってきたのは、門番のプリケットであった。彼女はケイティに差し出されたスティックをお礼を云って受け取ると、ブラウン色の眉を上げて聡明そうな瞳でアリスを思い切り睥睨した。プリケットに恨まれる事に心当たりがない訳ではなかったアリスは一瞬怯みそうになるも、彼女の視線を真摯に受け止めた。彼女は数秒睨むと視線を離し、赤色のリボンで結われたドリルのようなサイドの縦ロールを揺らしてさっさとフィールドに行こうとする。 その時、門の方から2人の人物が姿を見せてきた。 「おやおや。スティックを持って、スポーツ大会でも開くのかい?」 「大会! ボクも参加したい!」 「…! ラビ様にグリフォン様!」 門から出て来たのはラビとグリフォンで、グリフォンと呼ばれた彼女はガスマスクを被った小柄な少女だった。彼女はラビの腕に黒の革手袋を嵌めた手をぐるりと回していたが、スポーツ大会と云う名目に心奪われたのか、手を回した状態のまま、その場でフードとその襟元にある深緑色のリボンを揺らしながら元気よく飛び跳ねた。エナメル地のフードワンピースと同じ素材のブーツによく映える銀色の幾多ものジッパーがガチャガチャと音を鳴らす中、ラビは彼女の子供じみた動作を窘めると、 「で、チームの今の人数は?」 「アリスサマチームが3人で、ケイティサマチームが2人です」 「なら本官はケイティに就こう」 「ボクは『エアリス』!」 ラビはケイティからスティックを渡されると、ケイティに宜しくとでも云ったように笑みを向けてみせたが、ケイティは訝しげな顔をしてラビを見上げただけで何も云いはしなかった。ラビは肩を竦めると今度はアリスを見、目を細めて先程とはまた違った種の意味ありげな笑みを向けた。アリスがそれに対して先程のプリケット以上の不機嫌な睥睨で返したものなので、ラビは益々笑みを深く(一種嗜虐的な嗜好を覗かせる位に!)して、 「敵として、宜しく」 「…ああ」 顔を見るのも厭なよう、素早く視線を外したアリスに体当たりをしたのはグリフォンで、驚くアリスの身体に彼女は抱き着くと、大層訛った癖のある英語で「ボク頑張る!」と張り切った様子を見せてきた。アリスは彼女のその質朴な姿に悪くなった機嫌も直り、微笑んでフードを被った彼女の小さな頭を撫でる。フードから覗く彼女の白色の髪の毛が、さらりと綺麗に掛けていた耳から落ちた。 一方でラビがプリケットに挨拶をしたのをグリフォンが見る事がなかったのは、大変幸運であると云った方が良いだろう。 何故ならプリケットはその恋慕が誰の目から見ても解る程に顔を赤くしていたし、グリフォンもまた、ラビに並々ならぬ恋愛感情を抱く者の1人なのだから。 「…で、残りの人数はどうしようか」 「ラビサマが色目使えばそこらの奴等は大抵協力してくれると思いますケドねー」 「本官を何だと」 『色情症を引き起こす歩くフェロモン』 悪友2人が仲良く声を揃えて云ったその言葉に、不本意な顔をしたラビの後ろでアリスが思わず吹き出した。口元を抑えて笑いを堪えるアリスを見てラビは益々不本意な顔をしたが、やれやれと云ったよう首を横に振ると、スティックを下に下ろし、 「なら少しお誘いしてこよう。…後13人と云ったところか」 「きゃーラビサマ13人も相手にするなんて破廉恥ー」 「きゃーラビサマ何て誘うんですかベッドインして欲しいとか云うんですかー」 「…言葉に悪ふざけが過ぎる」 ラビは呆れて悪友の隣を通る時、彼等の額を中指で弾いた。あまり痛くもないだろうに大仰に痛がる2人の様子を見て、流石ジャバウォックの悪友だとアリスはそっと思う。 ――さて、そうしてややすると必要とされる人数も集まってラクロスの試合も出来るようになった訳なのだが、此処からの試合は必要性も見出だせないから描写を省くとして。只1つの事実としては、勝負に決着が着くのには時間はかからなかったし、あまりにも圧倒的な力を持って勝負は終わったと云う事だ。悪友2人は後として「スポーツの面でのケイティサマは化け物だった」と語るが、それは誇張でも何でもない。きっと19人と1人で闘おうが、ケイティは勝ってみせたに違いない。そんな事すら思わせる程ケイティの強さは別格だったのだし、事実この試合でも、点を入れたのは殆どケイティだったのだから。 さて、皆が呆気に取られる中で、ケイティは例の『罰ゲーム』の内容を口にした。…そうしてその内容もまた、アリスを始めその場の者を呆気に取らせるには充分なものではあったのだが。 ケイティは然し、推断するに、実に大真面目なようだった。 「買い物に着いて来て欲しいでありんす」 「…わあ、凄い人数でナンパ?」 街の港。そこでは紙袋を抱えたジャバウォックが、黒いスーツへ身を包んだ複数名の男達に囲まれていた。真っ黒なサングラスで顔を隠した男達は皆体格が良く、間違いなく細身の方へ分類されるであろうジャバウォックは一人場違いであるようにも思われる。男達は無表情であり、それを見てターミネーターのようだとも思った。無論、映画の中の方が数倍も恰好良くはあるだろう。 この場の明らかに堅気ではないような空気を解してみようと、コットンツイルで出来たフィッシュテールコートを羽織る肩を竦めてジャバウォックは笑顔でそう云ってはみたが、どうやら男達は冗談に乗るようなタイプではないらしい。サングラス越しに注がれる視線と噤まれた口が痛く感じ、ジャバウォックは苦笑した。そうして右手で髪を掻き上げながら、 「でもごめんね、強面の人は許容範囲外なんだ。別の人をナンパしてよ」 男達の背後には、車体の長い黒色のドイツ車が待ち構えている。厭な予感しかしなく、ジャバウォックはそう云うとその場から居なくなるべく踵を巡らそうとした。然しその前に、恐らくリーダー格の一人の男が口を開く。彼の視線はジャバウォックから離れないし、顔が軽微に緩む事もない。本物の機械のようだ。 「ジャバウォック君だね」 名前を指摘されたジャバウォックは、警戒心を表すよう目を細める。名前と容貌を調査されていると云う事は、町のギャングだとかそんな可愛いものではなさそうだ。それにジャバウォックは、怨みを買うような情報を売った覚えはないし、従って男達に一切心当たりはない。あるとすれば、白兎関連だろうか。それなら一つは思い当たるが、この状況は確実にジャバウォックに不利だった。多勢に無勢、男達は恐らく銃や凶暴ナイフなんかも持っているだろう。闘えない、と自他共に認めるジャバウォックが武器を持つ複数名を相手にしようと思う筈もなく、走ろうかと思ったその時だ。 「っ!」 リーダー格の男がジャバウォックの頭目掛けて拳を当てようとした。それをジャバウォックは紙一重で避けて、紙袋を素早く捨てると男達から走って逃げる。男は舌打ちすると、直ぐ様ジャバウォックの後を追う。それを他の男も追いかけて、追いかけっこが始まった。 後ろの複数の足音を聴きながら、ジャバウォックはこんなに嬉しくない追いかけっこがあるだろうかと思う。実に災難だと云える、買い物に出た帰りに見知らぬ男達に絡まれてしまうとは。走りながら後ろを振り向くと、男達は一直線に自分を追って来ている。 何とか撒ければ良い、ジャバウォックは小路に入った。男達が発砲して来ないと云う事は、恐らく今直ぐ命を狙われている訳ではない。早めに表へ出れば彼等も迂闊な事は出来ないだろう、ジャバウォックは小路を出て左へ曲がろうとした。 「え」 左を見ると同時、巨体を持つサングラスとスーツ姿の男が待ち構えているのを視認する。先程の場所には居なかったから、恐らく逃げる事を予測して予め配置をされていたのだろう。目を見開くジャバウォックに避ける暇も与えずに、男はジャバウォックの腹部を思い切り殴る。鳩尾に入ったその衝撃にジャバウォックの身体は平衡感覚を崩し、呻いてその場に膝をつく。そして男はジャバウォックの頭へ無表情のまま巨大な拳を下ろし――、――脳震盪を起こしたジャバウォックは倒れた。 数秒して男達がやって来て、倒れたジャバウォックを見て息を吐く。一人の男が端末を取り出すと、電話をかけ始めた。ジャバウォックを気絶させた男は彼の身体を担ぎ、リーダー格の男を見る。男は指示を出し、少しして近くに停められた車へ乗り込んだ。勿論、脳震盪を起こして気絶した男も一緒に。 ジャバウォックは意識を戻すと、目は目隠しで覆われているのだと解った。加えて、手枷も嵌められている。独特の音と感覚、そして背中の感触。此処が車内であると直ぐに理解して、次いで自分の両隣に誰かが居るのが気配で解る。 どうやら誘拐されたらしいと思うと、思わず失笑してしまいそうだった。最早子供でもなければ裕福な家庭の息子でもあるまい己が、まさか男達に誘拐される日が来ようとは夢にも思わなかった事だ。ジャバウォックは口角を上げると、車内の男達へ話しかける事にした。 「…お兄さん達、誘拐する相手間違ってるんじゃない」 「…、ああ…起きたか。いや、君で合ってるよ、白兎のジャバウォック君」 「情報屋ではなく白兎、って事はお兄さんは例の『人間兵器』に関与する人達かな?」 ジャバウォックが臆さずそう云うと、左の男がぴくりと反応し、車内の空気が変わる気配がした。どうやらその通りであるようで、ジャバウォックは己の不運さを歎く。正確に云えば『自分は白兎の者ではない』のだけれど、そこは男達の意に介するところでもないのだろう。そして自分がこうして誘拐される人物に選出された理由も何となく解る、自分が一番捕え易い人物だったからだ。恐らくクイーンやラビを捕まえようとなると相当骨も折れるだろうし、あの二人なら寧ろ男達のリスクが高くなる。やるなら低リスクの人物を、と云う事だ。 「…君はそこは知らなくて良い。黙っておいた方が賢明だろう」 「図星とお見受けするけど、で、どうしてこんな事を? それと出来れば目隠しを外してくれないかな」 「……。君は黙る事を知らないのかい」 「放送局長ですから」 ジャバウォックが得意げな声色でふざけて云うと、ジャバウォックと会話している右の男は、ふ と小さく笑みを浮かべた。然しそれも一瞬で、次には険しい顔になると拳を一気に振り上げて、ジャバウォックの頬を容赦なく殴った。鋭い空気の音で大体来るであろう事を察したジャバウォックは構えたが故に、歯を折る事はなかったが、切れて血が口内へと広がってしまい、舌の上で鉄の味を味わう事になった。口の端から血が垂れて、黒のズボンへと血が落ちる。 顔を俯かされたジャバウォックは相好を崩し、再び顔を上げると眉を下げ、人当たりの良い笑みを作る。 「…こわーい。怒んないでよ」 「…黙れと云った筈だよ」 「そんな、黙れと云われたら益々喋りたくな――ッぐ!」 もう一度鳩尾を食らわされ、ジャバウォックは口から咳と共に少量の血を吐いた。激しく咳き込む彼へ男は目を細め、金色の髪を容赦なく掴むと顔を無理矢理上げさせる。呻くジャバウォックへ顔を近付けると、目隠し越しに閉じられた瞼の上を無骨な手でなぞる。目を刔られると思ったのか、初めて顔を引き攣らせたジャバウォックを男は満足そうな顔で見た。車内で音を発するのは、今はジャバウォックとその男だけだった。 「…良いかい、君には仕事をして貰う」 「…悪趣味なビデオ出演?」 「その強気な姿勢は認めるがね。…『怪物』の君に私達は入り用なんだよ」 ジャバウォックの眉が顰められたのを視認すると、男は髪から手を離し、ジャバウォックの身体を強く突き放す。左の男の肩へ凭れるような体勢になったジャバウォックは身体を起こそうとするも、痛んで動けずに、結局そのままその体勢を変える事が出来ないでいる。左の男が何の行動も取らぬのが少し怖かったが、右の男が再び口を開いたのでジャバウォックの意識はそちらへ行った。 「あの化け物とも云える双子を完全にコントロールしてみせる君の能力が私達には必要でね」 「…怪物を買い被り過ぎじゃない?」 「そうだとしても、等身大の怪物で充分事は足りる。協力してくれないと云うのなら、」 「…なら?」 聞き返すと、ワンテンポ置かれる。その時左の男がジャバウォックの身体へと触れて、フィッシュテールコートの中へナイフを持った右手を入れた。中へ着たシャツの釦を一つだけ外し、するりと入れると直接の胸部へとナイフの刃先を当てる。心臓のあるその場所へ、冷たい感触が伝わった。口角を上げた右の男は、至極落ち着いた声色で云う。 「身体に聞かせるまでだよ」 因みに男達は、こうまですれば流石にジャバウォックも大人しくなって冗談を云う事もなくなると思ったが、これでも彼の顔色は変わらずに堂々としている事に、一種感服すると共に敬意すら払った。虚勢とは見えぬそれを張れるのは、彼自身の性格か、裏社会で生きて来たとの今までの経験の為せる業か。 ジャバウォックが柔らかく笑った挙げ句少々困ったように云うものだから、男達はすっかり毒気を抜かれ、肩を竦めると彼から手を離す。流石白兎なのか、流石怪物なのか。闘えぬとて決して油断出来たものではない。 彼が発した言葉には、一切の恐怖が含有されなかったのである。 「…生憎、ネコの趣味は無いんだよね」 TURN THE PAGE |