白兎W




すると今まで反応を見せなかったアリスは瞳を揺らし、動揺したようだった。あてずっぽうと云うよりは単なる冗談であったのだが、これはもしかしなくとも当たったのかとクイーンは己の唇に指を当てる。そうと解ると何処か愉快で、意地悪な笑みが漏れた。まさかラビの事を彼が好きになるとは考え辛かったが、少なくとも反応を見せたのだ。突かない話はなかった。
ビスクドールのような顔に無邪気な笑みを浮かべながら、面白く揶揄する。

「あ、図星だ。残念だったね? 彼、モテるもの」
「違うっ、好きとかそんなんじゃ」
「それじゃあ何」
「只、……優しく接してくれてたから、好意を寄せてた…だけで」

そこでアリスは口を閉じた。好きと好意を寄せるの相違を彼がどう捉えて使用したのかは解らなかったが、文脈から考えて恐らく恋愛の好きではなく、仲間や友人として慕っていたと云う事だろうかとクイーンは推測する。つまり、自分は慕ったが、あちらはそうでもなく思い上がっていたと云う事か。いまいち正確な把握は出来そうになかったが、クイーンはそこの考察は止めた。それよりも、フォークでアップルパイを刺すようにもっと突きたくなった。

「…ふうん? まあ優しくされるのって君だけじゃないし」
「っそんなの…解ってる」
「嵌まる前で良かったよ。それにしてもそれだけで好意を寄せちゃうとか、君って結構単純なんだね。はは、可っ笑しーの」
「ッ…何が可笑しい!」

クイーンは目を見開いた。まさか咎められるとは思ってもなく、それは予想外だった。何さ、と不機嫌に唇を軽く噛む。アリスははっと我に返ったようで、些か焦った顔でクイーンを見た。同時アリスの顔が罪悪感に駆られた顔になったのは、クイーンの顔が無意識の内に少なくとも傷付いた顔をしていたからだろう。意中の相手に声を張り上げられてはそうなるのもまた致し方ない事である。

「何怒ってるのさ。まあ別に良いけど」

クイーンは拗ねて、アリスの横を通り過ぎる。アリスは自分の余裕のなさを後悔し振り向いたが、後ろ姿を見ても今直ぐ謝る事が出来るとも思えなかった。己の額に手を当てる。自分より小さくて女の子のような彼を傷付けてしまった事に、罪悪感が生じた。頭に血が上ってたんだと言い訳する気にもなれず、ただ自嘲気味に呟く。

「……俺、何、やってるんだ…」






その日の夜、アリスはクイーンの部屋を尋ねた。クイーンは予期せぬ来訪者に驚きの色を示したが、直ぐ様昼間の出来事を思い出したのか突き放すような態度を取った。

「……何」

未だ怒ってるぞ、アピールである。然し時間が経って昼間の動転もなくなれば、落ち着き余裕を持ったアリスは喧嘩腰にはならなかった。未だ怒りを見せる彼に若干怯んだだけで、クイーンと目を合わせる。すると彼の頬が多少紅潮した。

「昼間は怒鳴って悪かった」
「……」
「色々ごちゃごちゃしてて、余裕がなくて、…。…ごめん」

揶揄する彼の言葉など、適当に流せば済んだのだ。それを出来なかったのは己の責任であると、アリスは自責した。
比があるのはクイーンの方であろうとの見解の方が可能である、本来ならば。だがアリスは幼少期に何があっても自分が悪いと自責しろとの特殊な擦り込みを兄から為されており、それは呪縛と化し、大前提、或は不変な固定観念として無意識の層の中に埋め込まれた。教育者が替わり別の指導をされる事で以前と比べれば卑下も少なくはなっただろうが、それでも案外根強く精神的外傷としてそれは残るものである。
そのような背景は知る由もないが、クイーンは謝罪されて気を良くした。小さな胸を威張って張る。

「殊勝な心がけじゃない。な、なら、僕のお世話役やるんだったら許したげる」
「……は?」
「丁度欲しいと思ってたんだよ。決定ね」
「待て、お世話役って何だ」
「執事みたいなものだよ、まあ僕の側に居れば良いの。ああ、だから英語も解らないとこがあったら僕が教えてあげる。ラビももう自由にさせてあげないと」

ラビの名前が出て、アリスの動きが止まった。然しクイーンの言葉で、確かに彼を束縛してはならないな、と考え直す。優しい性格だから、付きっ切りでの教授は厭だったのに、中々云い出せなかったのかも知れない。彼も彼の友人が居るのだし、荷物になってはならないか。
そこまで考えて、素朴な疑問が過ぎった。

「…でも、お前は良いのか。俺が側に居ると別の友人とか――…」
「……」
「……ああ、もしかして友達居な、痛っ! 足を踏むな!」
「煩いな、グリムとか、後、ラビもだし、多分あのジャバウォックだって結構話す方だし、」
「……」
「何だそのそれだけかって目は! 違うよ、君がラビ以外はあまり交友関係なさそうだから僕が仲良くしてあげるのっ」

アリスは別に要らん世話だと口を開きかけたが、また足を踏まれては敵わないので止めておいた。小さな体躯を駆使して一杯一杯否定する様は意外と可愛く思え、微笑ましくもある。苦笑を漏らすとクイーンは顔を赤くして強く睨みつけた。睨まれても怖くはなかったが、アリスは一先ず解ったと返した。
そこで思い出して、右手の袋を渡す。

「クイーン、これやる」
「え。……何これ、クッキー?」
「作ったんだが自分じゃ食べないしな」
「…君が作ったの、えええ」
「…云っておくがオーブンを試す為にたまたまあったレシピのを作ったんだ」
「ふーん」
「嫌いなら別に」
「…好きだけど」

そのクッキーはラビに渡す予定のものでなく、未だ沢山あったそれを詰めたものだった。ラビに渡す予定だったものは、自室のごみ箱に捨てた。
クイーンはまじまじとクッキーを見る。形も色も綺麗で、料理をするのは知ってはいたものの、こんながさつそうな彼がお菓子すら繊細に作れるものなのかと感心した。同時、作って自分に渡すと云う事はアリスはお菓子がさほど好きではないのだと推論出来る。読みが当たった事に、少なからず得意になった。

「じゃ、またな」
「あ、うん。…また」

居なくなるアリスの後ろ姿を見送りながら、クイーンはクッキーを優しく握った。至近距離で見ると益々良く見えるなあと、ほんのり頬を染めて笑顔を作る。
じゃあ、だけでなく、またとの言葉を貰えたのが嬉しかった。






その一週間後の事である。アリスはあれ以来ラビと会ってない。会わないように意識的に避けたのではなく、意識をしなくなった。部屋には行かず、彼とよく行ったレストランに行かなくなっただけだった。それだけで案外こうも会わないものなのかとアリスは思ったが、さして気にはしなかった。毎日クイーンに引っ張られ、食事も一緒にしている。グリムとも仲良くなれたし、交遊関係は以前に比べたら広がった。
エレベーターに乗り、自室に戻ろうと扉を閉めた。エレベーターにはアリス一人であった。
微かな浮遊感がし、下の階でエレベーターが止まる。そこはアリスの部屋のある階ではなく、誰か入って来るのだろうとアリスは扉が開くのを待った。軽快な音がして、扉が開く。入って来る人物と目が合って、アリスは目を見開いた。

「……あ」
「…ラビ…」

自分の階のボタンを押している手前アリスがそこで降りるのもまるで避けているようであるし、そもそも喧嘩をした訳でも何がある訳でもない。二人の関係は築かれる前であり、気まずくなるのも変な話である。ラビはアリスから視線を外し、エレベーターに同乗した。擦れ違う際、アリスの心臓が締められるようだった。それでも、もう彼への感情は排斥しようとアリスはエレベーターのボタンを押し、閉めた。
ラビの手が伸び、階のボタンが押される。アリスが押した階よりも下だった。その手を見るのはたったの一週間ぶりなだけだったが、酷く懐かしく思えた。綺麗だ、と見惚れる。
矮小な箱の中で沈黙が下り、確かな居心地の悪さをアリスは感じた。元々あんなにも仲が良かったのに、あれ以来気まずくなっていてはまるで気にしているかのようだった。アリスは何か云わないとと、考えを巡らす。そこで自分はあたかも意に介してないよう見せかけるべく装ったのは、矜持であり、これからもよき友人として話せるようとの糸であり、彼への一種の気遣いでもあった。
云う事はなかったが、礼儀として云わねばならない事を思い出した。

「……。あの、英語の事だけど。――これからは、その。クイーンが見てくれる…って」

あの日から行かなくなった言い訳と、今後も通わなくなるとの言い回し。友人として居られても、依然として仲良く出来る気はしなかった。もしも、彼と以前のよう同じ部屋に居たとしたら、蓋をしたあの感情がぶり返して来る危険性すらをも孕んだ。
アリスはラビの顔は見られなく、光るボタンと向き合ったまま返事を待つ。何て云われるだろう、恐怖と期待が心中でせめぎあった。
少しして、ラビが口を開いた。

「……そうか。それなら良かった」

アリスの胸が、フォークか何かで刔られたようだった。同時、アリスは莫迦かと自嘲する。落胆するだなんて、何を期待していたのだろうと。まさか、残念だと云われるとでも、引き留めてくれるとでも、それでもまた気軽に部屋に来るよう云ってくれるとでも。
未だ完全な排斥が出来てなく、不安定な状態であった事に気付いてアリスは自分自身が情けなくなった。その傷心を気付かれぬよう振る舞うのが、せめてもの抵抗だった。

「だからその、今まで…有り難う。忙しかったろうに、俺なんかに付き合ってくれて」

この『なんか』とは、先に記した彼の無意識の領域の呪縛を示唆する。そのニュアンスの意味を悟り、ラビがそんな事はないと口を開きかけた時だった。
軽快な音がして、扉が開く。見ると、アリスの部屋のある階だった。それでもう会話は終了したと云わんばかり、アリスは笑顔を作ると扉に触れて、

「――…それじゃ」

エレベーターから降りる。ラビはアリスの後ろ姿を、どうしてか止めなければならないと思った。否、或は何も考えずの行動だったかもしれない。彼の名前を心中で呟き、左手を伸ばした。

ガタ、ン。

伸ばされた左手は空を切った。

エレベーターの扉が閉まり、互いの空間が遮断される。エレベーターが下る中、ラビは己の左手を見た。伸ばされた左手。それはアリスの腕を掴む事もなく、周囲の空気をも掴みはしなかった。只、意味もなく伸ばされただけである。左手を見下ろしたままで、自嘲気味に笑みを零した。

「…。…何で、本官は左手を出してるんだか」

そこで左手を下ろす。軽快な音がして、扉が開いた。






「あ、ほら。ラビ、他の子と話してる。ね、彼は交友関係が広いんだよ」

次の日の事である。クイーンはレストランでカフェの方を指差すと、そこには彼の云うようラビと、アリスの見知らぬ少年が二人で居た。アリスはそちらを見ると興味もなさそうに、視線を自分の注文したリゾットへ戻す。スプーンを動かすと、オリーブオイルの香りが漂った。
その味気ない反応にクイーンはきょとんとしたが、自分もフォークを動かして注文した白身魚のソテーを口に運ぶ。今まで何処か心に引っ掛かっていた疑問を尋ねた。

「――ねぇ。君本当にラビを…その、」
「好きじゃない。…英語教えてくれたのは、感謝してるけど。後は…別に」

直ぐ様出される否定の言葉。満点以上の回答だった。
第一、アリスのような外観の者がラビを好きになるなどは可笑しな話だった。アリスに似合うのは可愛い外観の者であるし、ラビもまたそうである。
そもそも、ラビと今までそんな仲ではあるまいか、となったのは何れも女の子か女の子のような男の子な訳で、アリスのような見目の者が話題に出た事はない。仮にアリスがラビを好きであったとして、クイーンの中ではそれが成就するかは限りなくノーなのであった。
笑顔を向けて、発する。

「…まぁ君、不誠実、とかって嫌いそうだもんね」

その会話の最中、ラビがアリスとクイーンに気が付いて距離があるその場からそっと視線を遣ったのを、2人は気付きはしなかった。






「アリスと、最近いつも一緒じゃないか」

その日から大分の日数が経過したある日の事である。大広間でクイーンが白の薔薇が描かれた水色のティー・カップになみなみと注がれた紅茶を呑んでると、ラビが隣に腰掛けた。ラビの左手には真っ白な陶器の皿に乗せられた苺のショートケーキとロイヤルミルクティーが存在し、好きだなあとクイーンはそれを見た。

「まあね。相変わらず生意気な口は利くけど、つれなくはないよ」
「まるで恋人のようだが、一体どうやって仲良くなったんだい」

クイーンは椅子を動かし、ラビと向き合う。ラビは更に数個の角砂糖とミルクをそれに投下した。最早只の甘い塊であるそれにクイーンは何も云えはしない。銀製のフォークの置かれたショートケーキの方を見るとしても胸やけがしそうであるし、視線を紅茶からラビのボタンダウンのシャツに移動させ、紅茶を啜った。

「あれだよ。僕のお世話役になって貰ったの」
「――…へぇ。その内『お目付け役』になりそうだ」
「何それっ」

失礼だ、とクイーンはラビを睨む。結果としてラビの云った事は正しくて女王様は目を逸らす他ないのだが、しかし此処では未だその事実は解りはしない。
ラビはカップを左手で持って、クイーンの顔を見る。ラビの顔が平常のよう揶揄するようなものでなく、優しいものであったのでクイーンは少し意外だと思った。その次の声色も心地好く、歳は四つ程しか変わらぬのに、まるで保護者か何かみたいだな、そうクイーンは思った。

「良かったじゃないか」
「………うん」

笑顔を向けた。
クイーンからしたら、実に良かった。


地上から迷い込んで来たアリスをお気に召し、見事自分のものにした女王様は然し思い通りにならぬアリスにやきもきせざるを得ないのだが、それでも夢から醒めず不思議の国へかくも幽閉されるアリスの精神状態が、保たれるとは限らない。狂気に包まれれば誰しもが狂気へと染まり、錯乱してしまおう。
自分の力で不思議の国から脱出出来た少女アリスが成れの果てで自己を喪失する可能性があるのかは未だ図れないが、何れにせよ――。物語は方向性を異にし、別の分岐をし始めた。


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