士官学校生徒AV




小鳥遊からしたら完璧な人物で、天皇とはまた違った位置で己の中の絶対者であったアリスが崩御してからは、小鳥遊はアリスの顔を見る事も出来なければ言葉に生返事で済ますようになった。ああまで好きだった人物もこんなものなのか、と酷く落胆して失望する小鳥遊は、恐らく理想化のし過ぎかさもなくば勝手な子供だろう。
複雑な関係のまま、とうとう最後の日が来てしまう。眉を下げて口を噤むだけしか出来なかったアリスは、その日は強気で小鳥遊の家を自分から来訪した。腰に手を当てて仁王立ちするアリスに小鳥遊は驚いたが、アリスから突然指を突き付けられて更に驚く。たじろぐ小鳥遊に、アリスは目を吊り上げたままで言葉を発した。

「小鳥遊、今日は汽車に乗ろう」
「汽車…ですか? …どうして、」
「城を見る為、遠出したいんだ」

以前なら拒否等は考えられたものでなく、文句なしに大歓迎だと頷いた事だろう。然し今や小鳥遊はあまり乗り気にもなれず、寧ろ反感すら覚えるものだ。どうして今更城を見る為に、殊更遠出をせねばならぬのか。今は確かに朝方で遠出する時間もあろうが、行為自体が無駄だと感じられた。
肯定も否定もせずにアリスの顔を見ると、アリスは威勢を示す姿勢こそは損なわせてはないものの、少々顔色を窺うような表情をしている。見ていると敢えて断る必要性も感じられなくなり、小鳥遊は諦めて小さく息を吐いた。多少ぶっきらぼうな声で返す。

「…構いませんよ」
「そ、そうか。良かった、じゃあ支度をしてくれると助かる」
「ええ…用意してきます」

踵を巡らし、小鳥遊は家の中へ戻ろうとした。その時佇むままのアリスが気になって、敷居を跨ぐ際にアリスの方を振り向く。自分を見てきた小鳥遊が何か用があるのかと、アリスは小さく首を傾げる。遠出だからか最後の日だからかは推断出来たものではないけれど、アリスが右手に持つ小さな行李を見るだに、幾らかの金以外も入っていそうだ。自分は何を持って行くべきか、そう思う一方でアリスに声をかける。

「少し時間がかかるので、中へどうぞ」
「え…わ、悪いだろ」
「何故。遠慮なさる事がありますか」

当然のように云ってから、自分が声をかけてしまった理由が解らなくなった。何となく悪いと思えてしまったからなのだが、その罪悪感が果たして今の複雑な感情で沸いて来るものなのだろうか。小鳥遊は自分の感情を持て余し、艱苦する。アリスを心から憎く思っているかと聞かれれば、解らない、と思った。好きの反動から裏切られたとの思いは強く、その業腹は自分でもよく解る。だが、こうしてアリスを見ていると、それでも慕う気持ちは変わらなくも思う。では、どうしてアリスに対する態度が悪くなったのだろうか。
――拗ねているのかも知れない。何にせよ、アリスの全てを見せてくれぬ態度が自分は気に喰わぬのかも知れない。そう思うと感情への定義は上手く行くと思う。だが、己の感情はそんなに可愛いものだろうか?
様々な倒錯する感情をどう秩序づけたものか解らずに、小鳥遊は唇を噛むとさっさと家に上がった。アリスを見はしなかったが、戻って来ると結局アリスは玄関で佇んでいた。小鳥遊の機嫌を伺うよう崩された相好に、小鳥遊は罪悪感を無意識の中で生じさせた。無論、それはおくびも表面に出はしなかったが。





駅まで行くと、丁度陸蒸気は扉を開けて待っていた。黒の車体の陸蒸気のナンバープレートは金色に鈍く輝き、前灯は薄く汚れている。それでもその姿は実に立派で、駅を行き来する多くの者を運べる程の偉大さに、自身の胸を張っているようにも見える。機関士が慌ただしく駅を走り、待ち合わせに遅れそうなのか、懐中時計を片手に女学生が人混みを走る。反対側ではパナマ帽を被る男性が子供の手を引いており、その側で外套を羽織った老人が欠伸をした。
時間は未だあったので、二人で駅の弁当を購入した。胡麻が蒔かれた白米と、おかずには焼き魚や蒲鉾、伊達巻や奈良漬等が入った弁当だ。
乗ろうとする際に、アリスがさりげなく主連棒を熱心に見つめているのに小鳥遊は気が付いた。あまり乗る機会は無いのかも知れない。子供みたいだとも思ったが、その姿もまた惹かれるもので、小鳥遊は自分の解らぬ感情に呆れた。


駅が混雑していた為に若干の不安はあったものの、ボックスシートの席を確保してアリスは安堵した。購入した弁当は中で食べてしまいたかったし、時間の遣り繰りも上手く出来ると云うものだ。汽笛が鳴り、陸蒸気は進行を始める。
揺れる席で向かい合いながら、下りる沈黙にアリスは気まずさを感じた。以前の小鳥遊なら笑顔で饒舌に話題を提供してくれたろうが、今の小鳥遊は頬杖をつきながら、退屈そうに無言で窓の外の景色を眺めている。盗み見るその横顔は眉目秀麗ではあるけれど、何処か冷徹さを含有し、近寄り難い雰囲気を醸し出している。そんな奴だったろうか、思いながらアリスは話し掛ける。

「小鳥遊」
「…何でしょう」
「あ、と…。その、混雑しない今の内に食べてしまおうか」
「…。そうですね」

弁当を膝上に置き、動作はあろうがそれきり噤口した。話が弾む事もなく、アリスはいたたまれずに自分も手元に視線を落とす。まるでこころのようだとも云えるだろう。『自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから。かつてはその人の膝の前に跪ずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。』――小鳥遊は未だ復讐迄には考えが至ってはなかったが、近い将来そうなる可能性は十二分にあった。
最後だと云うのに、とアリスは鬱塞する。『お前が愛される事は有り得ない』と兄は云ったが、それは誠かも知れないと感じた。それが証拠に、目の前の初めての親密な仲の人物はどうだ。自分の意識のなかった至らない箇所を反省し、アリスは割り箸に手をやった。

「………あ」

前方で割り箸を割った音と思わず漏らされたらしい彼の声がして、アリスは顔を上げる。小鳥遊の白手套を嵌めた両手には割られた各々の割り箸が存在したが、それは拙く割られていた。片方は細く、片方は太く。些か納得行かなかったのか軽微に顰められた眉を見て、アリスはその意外な不器用さに笑みを零した。声が漏れたものだから、小鳥遊は益々不機嫌そうな面持ちをする。

「…何ですか」
「ああすまん、意外だと思って。…力は均等にして、先じゃなく真ん中を持って割るとやりやすいんだ」
「そんなの…」

依然として眉を上げている小鳥遊の眼前で、アリスは綺麗に自分の箸を割る。慣れた所業でいとも簡単に割られたそれに、小鳥遊は思わず目を瞬かせた。
この割り方一つを取っても力任せか否かの両者の相違が垣間見られるものではあるのだが、二人共それには気付かずに、アリスは小鳥遊に自分の割り箸を差し出した。へ、と少々素っ頓狂な声を出す小鳥遊に、柔らかく笑む。

「はい」
「……あ、……どうも…」

小鳥遊は差し出された割り箸を受け取って、代わりに歪な形の割り箸をアリスに渡す。自分が納得の行かぬ顔をしていたからだろうか、と小鳥遊は恥じる。その相手を思いやるような行為に一瞬この間の猜疑を忘れ、ほだされそうになった。そこで心中で首を激しく横に振る。これではいけない。――それでも、アリスが、どうも愛しい。恋は思案の外とは良く云ったものだった。思考では感情が追い付かず、自分の気持ちすらに秩序を付けられはしない。
でも、だとしても、アリスの今の言行は飼い主が犬にご褒美を与えたり、甘やかしたり、親が子供のご機嫌を取る為の行為に若干似てはないだろうか。年下だからか何なのか、アリスは自分に対してどうも対等な目線で話してくれてはないのでは、と小鳥遊は思う。恋愛で見ているようなそぶりは、少なくとも感じない。自分はではどう見られているのだろう、そこで小鳥遊は依然のやり取りを想起する。
『犬だな』と、険悪な仲の海軍兵学校の生徒から云われた。アリスも同意した。では、犬と見られているのだろうか?


突然不愉快になり、小鳥遊は不機嫌のまま箸を構えて白米を喰らう。詰め込むよう食べる小鳥遊にアリスは驚き暫し惚けたが、自分も食べようとおかずに手を伸ばす。食べる最中は矢張り話題はなく、離れた席の少年の声が時折聞こえて来るだけだった。アリスは拒絶の色を示されるのが怖くて、浮かべた話題も白米と一緒に呑み込んで、動かす箸でごまかした。
窓の外を見ると、寂れた景色が見える。農家の家が斑にあり、後は広がる田と、鬱蒼たる森林があった。アリスはのしかかる重たい空気を、弁当と一緒に買った茶と共に嚥下した。茶は温かく、体内は温まったが、それでも何処かは冷えたままに感じられた。



食べている最中は未だ良かったが、食べ終わるとまた辛いと思われた。空になった弁当箱を割り箸と同じく袋に入れ、縛る。未だ陸蒸気は走ると云うのに、否、目的地に到着してからもこの空気のままなのだろうか。
友人付き合いは中々難儀だとアリスが心中で溜め息を吐いた時、通路に女児が現れた。エディスと同じ程の年齢であろう彼女は石竹色の着物と浅緋色の帯を着けていて、おかっぱ頭を揺らして笑顔でアリスと小鳥遊を交互に見る。彼女は大きな箱を抱えてて、箱には『鯛焼き』と達筆な字で書かれていた。売り子であるらしい女児は小さな目を無邪気に細め、二人に購入を促した。

「鯛焼き、どうか。食後の一休みに」

この年齢からしたら、鯛焼き屋の娘であろうか。アリスは彼女の愛らしさに癒されて思わず顔を綻ばすが、小鳥遊はさして何の感慨も湧かぬようで頬杖をついたまま少女を見ている。縋るようアリスを見上げる少女に、どうも子供に甘いアリスは財布を取り出した。

「…小鳥遊も食べるか?」
「俺、甘いものは苦手なんですよ。特に粒餡なんて――」
「よ、蓬も、あります。あまり甘くないです」
「………」

最低基準の売り上げがあるのだろう、少女はか細い声で直ぐさま云う。横からアリスの無言の圧力が押しかかるようで、小鳥遊はう、と詰まった。これで自分一人であるか、はたまた士官学校の生徒と一緒なら不要だと一蹴するだろう。然しアリスが一緒では、一蹴なんてしようものなら云いようのない罪の意識に潰される気がした。
動きがない小鳥遊を見て、アリスはなら自分が二つ買おうと大きな札を取り出そうとする。然しその前に小鳥遊の吐く疲れたような息を聞き、小鳥遊の方を見た。小鳥遊は札を取り出していて、アリスの方は見ないまま少女に渡した。

「…なら、それを一つ」
「有り難う御座います!」
「あ…、俺は粒餡のを」
「解りました!」

少女は元気に首を縦に振り、札を受け取ると二人に蓬の鯛焼きと粒餡の鯛焼きをそれぞれ渡す。出来立てであるよう鯛焼きは温かく、渡された指先から熱が伝った。
少女は深々お辞儀をすると二人の前から居なくなり、一人で座る眼鏡を掛けた老人の前に、どうですかと鯛焼きの箱を見せていた。
再び静寂が包む空間の中、アリスは鯛焼きを口に含んだ。湯気が顔にかかり、口内には一気に甘い味が広がる。ごろごろとした粒の感触を舌の上で味わいながら、餡を包めた皮の絶妙な美味しさを堪能した。ロリナから『甘味は女子供も食すものだ』と云われてから決して云いはしなかったが、それでもアリスは菓子が好きだった。特に粒餡を好んだ。顔が緩みそうになるのを自制して、また口に含む。すると蓬を一口だけ食べた小鳥遊が頬杖をついたままアリスの顔を見て、徐に口を開いた。

「…餡が、お好きですか」
「え。ああいや、その――」

突然のその言葉にアリスは吃り、消えた語尾をごまかすよう小さく苦笑した。好きだとも云えぬが、だからと云ってこの場での否定は可笑しくも感じられた。そのまま困ったような顔をするアリスの顔を、小鳥遊はじっと眺める。眺められる側のアリスはその視線に困惑し、たじろぎ怖ず怖ずと見返した。
小鳥遊は無言のまま視線を落とし、上半身を乗り出してアリスの方へと傾ける。身構えるアリスを見上げる事もなく、両手で掴まれた彼の食べかけの鯛焼きを、口に含んだ。
驚くアリスから身体を離し、顰めっ面のまま自分の唇を白手套で包んだ親指でなぞる。甘味は苦手だと云う彼はどうやら餡の味はお気に召さなかったようであり、吐き捨てるように断ち切った。

「……甘い」
「それは…そう、だろ…」
「特にこの粒が気に喰わない。何故粒のままなのですか、未だ漉餡の方が良い」
「この粒が良いんだろ」
「そうでしょうか」

漸く通常通りの会話が出来、アリスは酷く安堵した。不機嫌な顔のままだがそれは甘味の甘さに顰められたものであり、先程までのふて腐れた様は見られない。安心すると今度は何故か笑いが込み上げて、アリスは小さく声を出し嬉しそうに粲然する。小鳥遊は予期せぬそれに鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔をしたが、次に紡がれた言葉と表情に、心臓が奪われるようだった。

「機嫌が直ったようで、良かった」

優しく崩された相好と、心底から発せられたらしいその言葉。小鳥遊は自分の頬が桜の花の如く薄く色付くのを感じた。無防備なその笑みを憎らしく思う事はあろうとも、憎悪を感じる事があろうか。感情のままに固く結んだ赤色の紐が溶けるようで、ほだされた、とだけ思った。矢張りアリスが好きだったし、自分の恨みは好きだからこそ募るようだった。一対をなす愛憎は複雑で、然し単純でもあって、小鳥遊はまた期待した。
よく考えなくとも、あの本に船の時刻が書かれていたとしても、アリスが国を出ると決まった訳ではない。自分の思い込みであり、直接云われた訳ではなかった。未だアリスを崇めたく思った小鳥遊は、最後の想いで足掻くように、焦燥して言葉を発する。この時の小鳥遊は必死で、一途過ぎた。

「XX日も、会ってくれませんか!」
「え? でもその日は、お前…もう、士官学校が…」
「無理してでも来ます、貴方に会いに。ですから、どうか、アリスさん――」

後生ですから。その言葉を呑み、祈るようアリスの顔を強く見た。小鳥遊が云った日付はアリスが本に記した日付であり、同時に船の出航の日付でもあった。恐らくその日は小鳥遊の推測によればアリスが国を出る日だが、これで首を縦に振ったなら、アリスは少なくともその日に出ない事になる。
小鳥遊の推測通り、国を出ようと計画していたアリスがその日を選んだのは、小鳥遊と過ごす時間を潰す事がないようとの為だった。行く時間を引き延ばしたその日は、最大の譲歩である。これ以上引き延ばす気は毛頭なく、大体が船の出航は極端に少ない。これを逃せば、この先一ヶ月船は出ない。加えてアリスは思う。また小鳥遊と会ったなら、自分の決意が揺らぐ危険性があるのではないか、と。
アリスは小鳥遊に愛恋はなかったにせよ、彼を唯一の親しい人物として慕ったのは確かだった。感謝もしたし、笑い合う瞬間は出会えて良かったと思えた。故に、仲を益々深めたら、名残惜しくもなるだろう。どうして小鳥遊がこうも熱心にその日を願ったのかは解らない。けれども、何であってもアリスが選ぶべき選択肢は一つしかなかった。申し訳なさげに首を横に振り、謝罪を呟く。

「ごめん、その日は…用事が、」


断られた小鳥遊の心情は、果たして如何程のものであったろう。垂らされた蜘蛛の糸を鋏で無慈悲に切られたような、そんな絶望ですらあったろう。矢張りあの日に何かしらをするには違いがなく、小鳥遊は黙り込んだ。自分よりその用事が大切なのか、との言葉は喉まで出かかって、潰された。
噤口した彼を見て、アリスは内心で狼狽した。また機嫌を損ねてしまったろうかと焦るものの、譲歩する気もなかった。手に持った鯛焼きはすっかり冷め、妙に重たく感じられる。
がたん、がたんと車体が大きく揺れる。不安定な動きで陸蒸気は動き、一心不乱に孤独に走る。着座するアリスは振動で揺れたが、心すら揺れるようだった。何か云わなければと懸命に絞る声は、儚くてあまりにも頼りない。

「…そんな顔、するなよ」

切なげに掠れた声は振動で奮え、小鳥遊の耳に入ったかは解るところではなかった。陸蒸気は進む。進むと云う事は、今在った光景を過去へ置き、捨て去る行為と同一だった。
目的地までには未だかかる。迷い込んだようだ、と際涯を見誤ってしまったアリスは思う。思うに二人は未だ幼くて、歩むべき道に迷ってばかりだった。



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