小鳥遊U




一刻の後。話を聞いたらしい軍人がやって来て、小鳥遊に話し掛けた。小鳥遊が首を動かすと、その眼鏡をかけた軍人はしっかりした体躯を黒の軍服で纏い、両手に白手套を嵌めていた。金の装飾は少々華美で、風格からしても中々の階級なのだろう。目を合わせると綺麗な笑みを作り、少し良いだろうかと聞く。小鳥遊は頷き、軍人は嬉しそうにした。小鳥遊の隣に腰を下ろし、少し間を開けて口を開く。

「…話を聞いたよ、どうやら戦争反対の過激派の者のようだ」
「…俺の父親の所為、ですか」
「ああ、否、君の父親は立派で、そう、彼は君の父親と知り合いなんかではなかった。軍人の家を捜していたようで、君の家は多分彼からしたら都合が」

良かったんだろう。本当に小鳥遊の父親と仲を持つと云う軍人の話は、以下のようなものだった。
先程の男は所謂左であり、軍に関与するあらゆるものを過激な方向で恨んでいた。反対の意を唱える為に、見せ付けをせねばならぬと踏んだ男は、幼年学校に通う子供を持ち、軍でもそこそこの階級を持つ小鳥遊の家を狙って襲ったと云う事だ。細君を襲われては父親も思い知るだろう、そのような男側の正義が振り翳されたのだと云う。子供にも解るよう砕いての説明に、小鳥遊は状況を理解した。
どうして今、軍人が子供である自分にこのような具な説明をするのか、小鳥遊が考える事は無かった。小鳥遊の頭を占めるのは、膨大な量の屈辱である。非力で、無力で、何も出来なかった自分が腹立たしかった。病院に送られるまでなった母親を救う事は出来なかったし、姉に恐怖を植え付けた。兄は、全てを救ったと云うのに。
男も無論憎らしかった。然し自分勝手に力を拒んだ自分が何より憎く、非力こそを恨んだ。柔らかな卵のような幼心が、ぷっつりと傷付つけられたのだ。

力が無いから、何も出来ない。力の無い者は泣き叫び蹂躙される以外はない。所詮この世は弱肉強食で、力が無い者が俄然悪かった。幼年学校の制服を着込んだ兄の背中が、写真機のよう脳裏に焼き付く。自分もあの制服を着られるよう努力したのなら、力は付くに違いが無かった。自分を蹂躙した者は二人居る。一人は男で、一人は自分だ。そして両者に共通するものは、軍と真反対に在るところであった。
軍人が立ち上がる。帯刀された軍刀が、揺れて音を立てた。その軍刀は正しく力の証であり、それこそ小鳥遊が今や渇望する正しくそのものである。
アリスと小鳥遊は、かつて非力であった点で酷似していると云えるだろう。然し、両者の向かう先だけが違った。アリスは力の無き者を守ろうとするのなら、小鳥遊は力の無き者を捨てるようになる。小鳥遊は在りし日の自分に姿を重ね、それを見る度腹を立たせる。力の無い自分は愚かで、価値は到底見出だせない。他人を誰も助けはしない。自分がどうにかするべきで、非力な者は弾圧されても文句は云える筈も無いのだと、非力に酷く苛立ちを覚えては吐き捨てる。

立ち去ろうとする軍人に、小鳥遊は声をかける。美しく伸ばされた背筋を崩さず振り向いた軍人に、小鳥遊は頑強な意思を宿した双眸で確かに宣言した。

「俺は、幼年学校に入ります」

軍人の顔付きが真摯なものに変わる。暫く小鳥遊の顔を試すように見ていたが、小鳥遊の強い表情は揺らぐ事は無い。その顔に将来の頼れる一軍人の姿を汲んだのか、軍人は承知したと深く頷いた。小鳥遊は決意をする。自分は二度と屈辱を受けぬ為、力を付けてやろうと。昔の自分から益々離反し嘲る事が出来るよう、かつて自分が嫌った軍人になりお国に貢献を果たそうと。
彼の願いは、そして今の士官学校首席にまで上り詰める事になる。

「…君のような者が軍人になるのなら、我々も歓迎しよう。リデル君、君の将来を楽しみに待つ」





「横笛、また吹いてくれないかしら」

上半身を起こした母親が、蒼白なままの顔で朗らかにお願いする。あれから母親はあの衝撃で家族に関するあらゆる記憶を喪失し、身体も思うように動かなくなってしまった。彼女を見舞うのが家族の習慣になり、既に軍人の次男も軍医の長男も、軍の計らいでたまに面会の許可を得ては見舞いに来ているようだった。
彼女は見舞いに来る者達が自分の子供である事を知らない。自分の子供の話題を持ち出されるとパニック状態に陥るが為、刺激しないよう家族と云う事実は伏せるように、とは医師からの指示だった。小鳥遊は机上に置かれたままの横笛に手を遣り、それを持って椅子に腰掛ける。見舞いの花の香りが仄かに漂う中で、小鳥遊は眉を下げて小さく苦笑を漏らす。

「…好きですね。こんな笛、面白くも何とも無いでしょう」
「面白いかは私が決める事よ」
「ああ、確かに」

そうですね。小鳥遊は観念したのか、もう一度苦笑を漏らすと横笛を横に構え、歌口を口元へ遣る。確かめるよう夕の位置を指でなぞり、母親の好んだ音を奏で始めた。母親は音楽に入り込むよう魅了されたような顔で目を閉じて、聴覚だけで音を心行くまま味わう。小鳥遊は横目でそれを見て、目を伏せて音楽を紡いだ。
決まって母親は音楽が終わると夢心地な顔をして、子供のようにはしゃいでみせる。それは今日も例に漏れる事はなく、最後の音を奏でた小鳥遊が横笛を直すと母親は目を爛々と光輝させた。

「貴方、本当上手ねえ。眉目秀麗だし、まるで光源氏のよう」
「…俺はあんなに軟派ではありませんよ」
「じゃあ夕霧かしら。ほら、丁度今香りも漂う事だし、ねえ?」

どうやら何を云ってもそちらで捉えられるらしく、小鳥遊は力無く笑う。夕霧の方が光源氏よりも良くは思えたが、それでも恋愛にああまで振り回されるあの類の話はどうも感情移入は出来なかった。あの日から足を引っ張るだけの無駄な感情を排斥するようになったのか。そのところは解るところではなかったが、然し今や自分も恋愛を馬鹿に出来たものではなかったかも知れない。アリスとこうして会うようになってから、浮足立っているのはどうも事実だ。
惹かれたのだろうと思う。非力を嫌い、力を求める自分の理想像だったのだろう。話をするようになってから、益々想いは募る。力を付けるまでも一直線に来た人間なのだ、恋もまた一途に貫いた。

小鳥遊は立ち上がり、笛を元の場所に置く。それから幾らかのたわいのない話をして、病室を後にした。母親は小鳥遊が息子とは解らずとも、本能の内でそうと解ってはいるのだろう。自分の子供達がこうして見舞いに来てくれる事を、楽しみに毎日彼女は過ごしていた。



昼前にもなると、太陽は眩しく下界を照らす。病院から離れた道を歩きながら、小鳥遊は何となく周囲の景色へ目を遣った。閑静な此処は普段から人通りも少なく、今は歩いているのは自分だけであるようだ。落ちた葉を踏みながら、小さく息を吐く。重さを持ち責務を抱えた軍刀が揺れる度、自分は強くなったのだと強く信じて疑わない。あの時の軍人からも成長を賞賛され、同級生どころか上級生も自分には敵わないだろう。相当な努力をした分自信は持っていたし、矜持も相当なものになる。そして、力とは行使すべき攻める為だけのものであり、それ以外の用途はなく、自分の道こそが正しくあると小鳥遊は狂愚にも信じて止まぬ。

川が下を流れる直ぐの並木通りで、小鳥遊はふと足を止める。一本の木を見据え、そして複雑な顔をする。風が吹く度、木の向こう側から靡く髪が見えた。小鳥遊はまさかと思いつつ、どうも有り得そうだと足を進める。そして川側に面した木の方へ音も立てずそっと近付いて、木に寄り掛かって寝ている人物を見て溜め息を吐く。人物は読書中に寝たようで、本を一冊足の近くに置いている。足は両方投げ出され、頭は木に凭れて斜めに傾けられている。人気が無い場所とは云え、否、だからこそこんなに無防備な姿を晒して大丈夫かと小鳥遊は不安を覚えたが、自分を凌ぐ強さの人物だからきっと大丈夫ではあるのだろう。以前話した時云っていた、たまに気分転換で外で本を読んだりするのだとの言葉は、どうやら誠であるようだ。

「…俺の気も知らず、無防備に寝て」

自分の存在に気付かず眠り込むアリスの顔を見て、小鳥遊は恨みがましそうに云う。そして腰を屈め、顔を近付けてアリスの顔を覗いた。疲れているのか起きる気配はなく、呼吸の度軽微に肩を上下に揺らしている。それがつまらなく、また好機にも思えた。
今朝の夢を思い出す。顔を赤くしながら拙くも懸命に誘ってくれたアリスの姿は、実に愛おしい事この上なかった。実物と口づけをしたのなら、どんなにか高揚を覚える事だろう。今しかないだろうと思うと、歯止めが効かなくなった。
拗ねた子供のよう眉を顰め、年齢相応の子供らしい身勝手な言葉を呟く。


「…襲われても、知りませんから」

小鳥遊は目を閉じて、アリスの唇に優しく自分の唇を重ねた。


唇は柔らかく、触れた箇所が熱を孕むようだ。あのアリスと唇を重ねた事に興奮を覚え、拍動を大きくした心臓の音が少し煩わしい。小鳥遊は唇を離し、熱い瞳でアリスの顔を確認する。触れただけのそれでは起きる契機にもならぬようで、小さく呻きもしない。相変わらず目を閉じたままのアリスの顔に劣情を覚え、小鳥遊は欲情のままに熱い吐息と共にアリスの名前を漏らす。

「…アリスさん、」

一つの砂糖菓子を貰えばまた次の砂糖菓子を望む幼児のよう、小鳥遊は次が欲しくなる。未だ起きる気配はない。小鳥遊はもう一度顔を近付けて、アリスの頬を優しく掴んで再び唇を重ねた。少し開いた彼の唇へ舌を割り入れて、歯列をなぞって唇の角度を変える。舌を絡めたいと望んだが、それは望み過ぎだろうかと自身を戒める小鳥遊は、離れざまにアリスの唇を舐めた。
このまま抱いてしまいたい、頬を持ったまま小鳥遊は強く思う。人の気配はないし、強姦してもとすら思う。そしたら泣くだろうか、怒って抵抗されるだろうか、それとも――夢の彼のよう、許容して美しく鳴いてくれるだろうか。想像した小鳥遊は、白手套を嵌めたままアリスの首筋を人差し指でなぞる。我慢は出来そうにない、アリスの髪に触れて今度は強く唇を重ねようとしたその時だ。

「……たか、なし…?」
「っ!」

閉じていた目を緩と開き夢心地のまま名前を呼んだアリスに小鳥遊はこれ以上なく驚愕し、狼狽して手を離しアリスから退いた。すると突然のその動きに平衡感覚が崩れ、後ろの芝生に思い切り倒れる。音を立てて倒れた小鳥遊にアリスは目を見開き、そろそろと尋ねた。

「……大丈夫か?」
「あ、は、はいっ、その、アリスさんの髪に埃が付いていらしたのでっ」

強打して痛む背中の痛みを堪えながら、尋ねられる前から言い訳じみた嘘を吐く己の動転ぶりを小鳥遊は恥じ入る。アリスは然し頭が未だ稼動してはないようで、遅い動作で納得したよう頷いた。

「そうか、有り難う」
「……。信じちゃうんですか…」
「?」
「いえ、何も」

小鳥遊は肩を落として落胆する。いっそ信じてくれない方が良かったとすら思う。もし訝しがられて詰責されたなら、きっと白状も出来た。そして自分のアリスに対する本当の感情を赤裸々と吐露し、アリスの感情を聞く事も出来たのに。先程の威勢は何処へ消えたのか、アリスの前では不甲斐がなくなる自分を情けなく思う。
小鳥遊が視線をアリスへ戻し、顔を見た時だ。唇に違和感が生じたのか、アリスは不思議そうな顔をして、真っ赤な舌で自分の唇の表面を舐めた。先程はあの唇と唇を重ねたのだと思いながら、その唇を舐めた行為に小鳥遊の顔が赤くなる。今からでも云ってしまおうか、そう小鳥遊が口を開きかけた。同時、アリスが大きな声を出す。

「し、しまった! おい小鳥遊、今は何の刻だ?!」
「えっ。あ、と、午、は過ぎてます」
「道場から今日は呼ばれてたんだ、もう行かないとっ」

アリスは慌ただしく立ち上がり、自分の外套を乱暴に掴むと竹刀袋を拾って紐を肩に掛ける。そうして目を強く擦り、状況に着いて行けない小鳥遊を見下ろすとアリスは曲げた右手を顔の前に出した。

「悪い、じゃあな!」
「え、ええ。お気を付けて」

一目散に走って居なくなるアリスに何も云う事が出来ず、背中が見えなくなったところで漸く溜め息を吐く。嵐のようだったと呆れ果て、木の方へ視線を遣った。すると、読んでいたのだろう本が一冊そのまま落ちているのに気付く。忘れて行ったのかと小鳥遊は慌ててアリスの行った方面を見たが、今から追って全速力のアリスに追い付く訳が無い。何処の道場かも分らぬし、通りへ出たら馬車を使うかも知れない。次に会った時に渡すか、夜にでも訪問して渡すかだろう。
本を拾って表紙を見る。丁度文庫本の大きさで、極端に厚くも薄くも無い無地の退黄色の本だった。中は何だろう、とふと純粋な疑問が湧く。人の本を確認する行為に罪悪感が生じぬ訳でもなかったが、それでも知的好奇心が勝った。あの憧憬するアリスが読む作家とは果たして誰かとも思ったし、知っている作家なら話題に出す事も出来るだろう。どんな分野の本かも気になるところだった。まさか純愛文学とは思えぬし、となると戦争文学だろうか。何処か期待をしつつ、小鳥遊は頁をめくる。
そして愕然とし、我が目を疑った。

「……英、語…?」

どの頁も内容は全て英語であり、それは教養の為の本である。軍人や大学に進む者となると外国語を学ぶ事も有り得ようが、この趨勢の中、その二者と関係のなき者が外国語を取得する事は先ず無い。有り得るとするのなら、一般論から語るに、国から逃亡を図る脱国者ではないのか。第一が一般人の手からは異国の文化を排斥したこの国で、外来語の本をどうやって取得したと云うのだろう。
一瞬不信の念が過ぎったが、然し小鳥遊は首を横に振って否定する。彼の事だ、そのような事はある筈も無い。ならば大学へ進学を? 然しアリスは学校へ通った事は無い筈だ。以前ロリナが、幼年学校かせめて中学に通わせれば良かったと零したのは、未だ記憶に新しい。では、士官学校出身ではなくとも相応の軍人になるべくだろうか。それなら合点が行く。然し、それならアリスは自分に云ってくれるのではないか。…そもそも、そう云えば、アリスは軍人になるのだろうか?
あんな強さを持つ事だし、保護者が相当の軍人だ。そうあると信じて疑いはしなかったが、今の今までアリスの口からそれを聞いた事は無い。自分と同じ思想を持つとの固定観念を抱えていたが、実際アリスの考えを聞いた事があったろうか。

小鳥遊は躊躇して、左手を動かして最後の頁を見る。斜め上には、黒鉛で幾つかの羅列された数字が記載されていた。日付と時刻のようだ。小鳥遊はそれが最初何であるかは解らずに、右手を口元に遣って考える。何だろうか。未だ先の日時であるようだが。
考えて、繋がる。唯一異国と貿易を行っている例の船の、出港時間ではなかろうか。まさか、と小鳥遊は否定する。明らかに考え過ぎだった。考え過ぎに思えたが、それでも一度抱えた不信とは中々直ぐ様払拭出来たものでもない。これが出港時間と関係がなければ、アリスがあっけらかんと否定したのなら、小鳥遊は自分の愚かさを莫迦に出来る筈だった。
時間は未だある。港へ向かおうと、小鳥遊は本を持って腰を上げた。






その日の夜だ。夕餉を食べていたアリスは突然の来訪者に驚愕したが、相手が小鳥遊であると分ると、幾らか安堵を見せた。小鳥遊は何時もの軍服姿であり、アリスが来ると相好を崩した。一体何だろうかとアリスは思ったが、小鳥遊が持つ本を見ると血の気が引いた感覚に見舞われた。存在を失念していた、と自分の愚かさを呪う。アリスは小鳥遊が居ない今日を利用して読んでいたものは、軍の書庫から貰って来た英語の本だった。古い書物は持って行って構わない、と云う馴染みの軍人の言葉に甘えて幾らか取った書物のどさくさで交えたものであり、後ろの頁には自分が計画する、『不法入国』及び『不法脱国』の為の船の出港時間を書いてある。
お国を敬愛して有り様を疑わぬ小鳥遊が自分の目論みを知ったなら、どんな反応をするだろうかとアリスはそれを唯一不安がった。小鳥遊に恋愛感情が湧く事は決して無かったが、初めて出来た親密な友人に、見離されたくはないとの感情は生まれていた。どうせ自分が居なくなれば後から分ろうが、それでも背後から罵られるだけで、正面から罵られるよりは良いと思えた。嫌われる事に臆病だとアリスは自嘲もしたが、それは責められるべき感情でもなくごく当たり前の感情だろう。アリスは努めて普通の声を出す。

「あ、本、忘れてたんだな」
「ええ。届けに来ました」
「すまん、助かった」

小鳥遊の様子に変わったところは見られない。これは杞憂に終わったかと、アリスは胸を撫で下ろす。本の中身を見たとは限らない。只、拾って、届けに来てくれただけではないのか。アリスが息を吐きかけたその時だ。

「――何の、本なんですか」

試しだった。数字を調べた結果は、出港時間と全く同じであった。殆ど裏打ちされたそれを、小鳥遊は未だ信じたくはなかった。理由は分らないが、国を出るのは全てに対する裏切りでしかなかった。誠惶して愛した人が、国も、所属する自分も裏切る事は、当然無いものだとの希望を捨てる訳にはならない。
此処でアリスが、隠さず笑って英語の本だと答えたなら。実は軍の方との関係で、学ばねばならないからと堂々教えてくれたなら、小鳥遊も笑って応えられる。信頼の足らなかった自分を詰り、早く教えて下さっても良かったでしょうにと、アリスを冗談で責められるのに。
問われたアリスの表情が、一瞬固まった。

「……大した、本じゃあない」

隠された。
此処まで来て、軍関係の何かを云わない筈もなかった。小鳥遊は自分の手が震えるのが分ったが、そうですか、と何とか返して本を渡す。今この場で、詰問すれば良かったろうかと後から思う。然しこの時は、衝撃で何も云えはしなかった。

これを契機にし、離反が生じる事になる。ああもアリスを慕った小鳥遊の表情は曇るようになり、アリスはそれが気になっても尋ねる事は出来なかった。距離は隔てられ、埋まる事は無く思えた。家で暦を見るアリスは、小鳥遊の士官学校の免除期間の終わりが近付くにつれ、眉を下げて少し寂しそうな顔をする。免除期間が終われば、自分の出港の日もやって来る。もう会える事は無いだろうに、どうして小鳥遊は最近ああも反応が薄いのであろうか。
逆算してみると思い当たる節が無いでも無かったが、考えるのは怖くて止めた。最後の日はせめて笑って別れたいが、それも無理かも知れない。アリスは感情を断ち切るよう首を横に振り、自室に戻って本を読む事にした。


NEXT『士官学校生徒A:後』


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -