士官学校生徒A




英国にある『白兎』とは、世界大戦中に某国が自国の有能な科学者達に作るよう命じた『人間兵器』の計画を阻止するべく、一個人によって作られた組織である。その話をアリスが耳にしたのは、師匠であるロリナからだった。総司令官であるロリナの耳には、如何なる情報も大抵届いた。
先ず、某国が人間兵器を作ろうとした理由とは単純明解で、全ての国を自国の支配下に置き征服する為である。戦時中に戦車のような様々な強力な武器が開発されるのは珍しくもあるまい。そしてその国は、モラルを無視して最強の兵器として人間兵器を作ろうと試みた。
では、人間兵器とは何だろうか。人間兵器とは、人体を使用し、人体と云う限界を超え、人を殺すべくして存在を余儀なくされる代物である。科学者達がどうやって人間を超越者に仕立てあげたかは国が関与する極秘裏の事なので分かったところではないが、それでもあらゆる非道で信じ難い実験と実験を繰り返したのは勿論の事であろう。犠牲になった人間は大体が取り引きされた人間達であり、強靭にさせるべく試行錯誤をした。しかし実験は中々上手く行かず、何とか人間兵器と呼べる者と云えば僅かと形容出来る程もない。失敗に失敗を重ねる事で一人また一人と犠牲者が出る。

国家クラスに逆らって迄の隠れた裏の偽善者ぶる組織、何たる愚の骨頂か。自分達の関係ない者をそうまでして救済しようとするとは。ロリナはそう馬鹿にしたよう云ったが、アリスがその偽善者の集まりの話に惹かれたのは、云う迄もなかった。


何故アリスが心惹かれたか。それは先天的な性格が為せる業かも知れないが、彼の幼少期が関与するのではなかろうか。アリスは無力であった自分が思い出したくもない目に遭ってしまったが為、不可抗力に身体を弄ばれる人間を力を付けた自分が助けられたらと思ったのではなかろうか。
又、自国の大日本帝国に対する個人的な反発心も存在するかも知れない。ジンゴイズムの風潮が漂うお国は、アリスの肌に合いはしなかった。他国との交流もなく、外人を醜夷と云って排斥し、異国へ行く事を国民に禁じる異国は、アリスにとっては疑問を抱くものであった。軍人になり散華するのを美とする国。在りし日の否定されるべき部位まで国は再現され、軍国少女と軍国少年は養成され、異論を唱えるなら弾圧される。その国で何の力になる事もなく果てる位なら、異国で少しでも力になろうと云うのがアリスの考えだった。
師であるロリナに嫌気がさした訳でも感謝の念が消失した訳でもない。しかし、小鳥は何時しか巣立つよう、アリスもまたその衝動に駆られただけだった。

アリスは慎重に、異国に向かう手筈を整えようと決めた。しかし一介の国民が異国へ向かうのは罪だった。異国に向かう船はあるけれど、乗れる筈がなかった。だからアリスは船の中に忍び込んで向かおうと決めた。同時、自分が英語を話せなければならない事に気付いた。
アリスは聡いからこそ慎重で、こちらで誰かにその計画が知られても、あちらで門前払いされても駄目であると云う事は、重々承知していた。先ずは言語で自分の意志を伝えなければならない為、英語を習得しなければならなかった。しかしアリスは英語を全く知らない。どころか、士官学校生徒でも兵学校生徒でもなかった為、そのような本を見た事もない。一国民はそれが普通であった。軍人以外で英語を知る者等は早々あったものではない。

アリスは軍の図書館で勉強になりそうなものを誰にも悟られず読む必要があった。勘繰られては、計画が失敗するばかりか罪に問われる。軍人でも学生でもない者が英語を学ぶのはこの国では明らかに可笑しかった。アリスは怪しまれぬよう、数日少しずつ通う事にした。


そんな折だ。アリスは、陸軍士官学校首席と知り合う事になる。





石灯篭の横を、ロリナに着いて小鳥遊は歩く。もう直ぐあのアリスと会えるのだと思うと頻りに忙しなくなって、心が落ち着かない。どう挨拶をしようかと脳内で巡らせながら、それでも背筋を美しく伸ばしたまま将来の軍人らしく綺麗に歩く。石の上を歩く靴の音と日本刀が揺れる音がする。ところで小鳥遊は、立派な家だとロリナの家を見渡した。周囲は木々で覆われて、庭の手入れは行き届いている。敷地は家とは思えぬほど広く、総司令官とはこのようなものなのかと小鳥遊は漠然と彼の背中を見つめた。

『あの馬鹿弟子は、大抵庭で素振りをしてるか本を読んでるかだ』
「本がお好きなのですか」
『のようだ。お主はどうだ』
「読まない訳では、ありませんが。俺よりは妹が読みます」
『妹。…そう云えば貴様は兄弟が多かったな。軍医中将と、仲佐と』
「姉と弟で、計六です」
『成る程。優秀な一家だと聞く』
「そんな」

否定の言葉を紡ぐ前、小鳥遊とロリナは屋敷の扉の前まで来た。ロリナは暫し悩んだようだったが、屋敷の中へは入らず着いて来るよう促す。どうやら縁側へこのまま向かうらしかった。小鳥遊もその後を追う。

少しして、縁側に到着する。庭にアリスの姿は無かった。小鳥遊はおやと思ったが、しかし視線を動かしてアリスが縁側に寝ているのが分かった。疲れているのか、足元に竹刀を放り寝息をたてている。肩は微かに上下し、瞑った瞳の睫毛は長い。無造作に落とされた髪は触ると気持ち良さそうで、こうして見ると案外小さくも見えてしまう。

綺麗だと、小鳥遊は思った。意識もせず見とれ、呼吸すら忘れてアリスをじっと見る。試合で見た時よりも俄然近く、その距離に感動する。

小鳥遊がそのまま微動だにせず佇む中、ロリナは無遠慮にアリスに近付く。揺さぶるなどをして優しく起こすのかと思いきや、鬼とアリスから恐れられる彼がそんな事をする筈もなく。

意識のないアリスの胸倉を掴んだかと思うと荒々しく地面へ投げ落としたものなので、小鳥遊は開いた口が塞がらなかった。アリスの身体が受け身も取る事なく落ちる音は小鳥遊の驚愕を強くさせる。

『起きろ、この馬鹿弟子』
「……え、し、師匠…?」
『貴様に客だ』

振られて、小鳥遊の姿勢が更に良くなる。アリスは落とされた体勢のまま、ロリナが顎で示す方角を見上げる。見られて小鳥遊は一瞬狼狽もしたが、白手套を嵌めた右手を素早く額まで持って行き、左手を伸ばして顎を引き、手本よりも立派な敬礼をしてみせた。

「は、初めましてアリスさん! 陸軍士官学校生徒、小鳥遊リデルと申します!」
「え、え…?」
「突然の訪問ッ、誠に申し訳ありません! しかし、俺は以前からお会いしたいと――」
「ま、待て待て待て、え、ええ……?」
『…。貴様は先ず起き上がれ』

あんまりにも予想外の事であるからか、状況に着いて行けずアリスは困惑した。そのアリスに呆れたようなロリナの言葉で漸く気が付いたのか、アリスは地面から起き上がる。
そうして些かの緊張を表す小鳥遊、との陸軍士官学校生徒を失礼にならぬ程度に見た。綺麗に着こなされた黒の軍服、日本刀。黒の短髪に左目の泣き黒子。自分より少し上の身長はすらりと伸びた体格が良いからか、実際よりも高く見える。彼は初めて見る顔ではあるのだが、どうやらアリスの事は知っているらしかった。

『そやつは貴様より年下だが首席だ。試合姿を見て、前々から会いたかったのだと』
「え。…ええと、」
「あ、俺は小鳥遊とお呼び下さい!」
「あ、ああ分かった。えーと、小鳥遊。よ、宜しく…?」
「宜しくお願い致します!」

未だ夢心地で意識が明白でないアリスが一先ず右手を差し出すと、小鳥遊は右手の白手套を慌てて外して右手を握り返した。小鳥遊の右手の方が幾分か大きく、年下であるのにとアリスはさりげなく不条理を感じた。対して小鳥遊はアリスと握手が出来たのか嬉しくて堪らないのか、先程まで厳粛さを見せた顔を綻ばせて嬉しさを全面に表している。それにアリスは気が付きはしなかったが、気付いたロリナは陰で苦笑した。

『小鳥遊、嬉しそうだな』
「そ、それはもう…!」
『何ならその馬鹿弟子と手合わせでもすれば良い。わしは今から軍へ向かう、夕食は貴様等でとっておけ。ではな』
「て、師匠、待って下さ――」

アリスが制そうとするのも聞かず、ロリナはエディスと共に居なくなる。庭には小鳥遊とアリスのみが残されて、アリスは初対面の人物とどう接して良いものか至極困った。少しの態度で解るよう気圧される程の真っ直ぐさを持つし、同年代の同性と(異性は増してだが)話した事が少ないアリスにはまるで試練にすら感じられた。ロリナがよく軍人を連れては来るので、年上への対応は慣れてはいるのだが。
沈黙を作らないようアリスが何か云わねばと頭を回らせた時、しかし小鳥遊の方が素早く話しかけて来たのでアリスは懊悩せず済んだ。

「アリスさん、俺、貴方が士官学校で試合をなさった時から貴方を憧憬しています」
「あ、あのな。大した事はないぞ」
「否、実に素晴らしかった。俺は感動しました。…そんなアリスさんと手合わせだなんて、とんでもない話ですが」
「…逆説?」
「ですが、もしも、貴方が宜しいと仰しゃるのなら。折角ですから、どうか手合わせ願いたい」

アリスは云われて若干困りはしたものの、しかし小鳥遊の真摯的な熱意に押されて気付けば了承をしていた。断って小鳥遊を落胆させたりするよりも得策に思えたし、それに話すよりは手合わせする方が楽な気もした。
小鳥遊の腰に視線を落とすと、立派な軍刀が帯刀されている。しかしまさか真剣で手合わせだなんてする訳もなく、アリスは辺りを見回した。自分の足元にあった竹刀と、もう一本。縁側の左端に立て掛けられているのを発見し、アリスはそれの柄を握ると先程まで使っていた竹刀を小鳥遊に渡した。

「一回だけな」
「ええ、有り難う御座います!」
「…大仰な奴だな」

小鳥遊は再び右手に白手套を嵌め、充分な距離を取ると渡された竹刀の柄を両手で握り、先をアリスの方向へ倒す。アリスも自分の竹刀を構え、小鳥遊をじっと見た。
同一直線上に位置したところで、視線を逸らさずアリスが口を開く。

「お前は士官学校生徒、しかも首席だと云うなら何も剣道の規則に捕われなくても良いな」
「単なる斬り合い…、否、殴り合いと云う事ですか」
「まあ一本とればそれで勝ちだ」

楽だろ、とアリスが笑う。小鳥遊は初めて見たアリスの笑みに思わず心が乱れそうではあったが、しかし気を取り直して真剣になる。思えば、段々話す内に募って表に出た感情は此処では未だ無自覚であったろうが、しかし此処から小鳥遊のアリスに対する恋慕の感情は始まっていただろう。最初こそ小鳥遊は純粋にアリスを畏敬し憧憬の対象と見做していたが、段々その感情にもう一つの感情を兼ね備える事になる。
それがまた、成就するかもアリスに伝わるかも別として。
対峙して数秒、先に動いたのは小鳥遊であった。

風を切りながら振り下ろされた小鳥遊の竹刀を、アリスは己の竹刀で防ぐ。互いの竹刀がぶつかり合う音がして、思ったよりもある力にアリスは眉を顰めた。単純な力であったら体格的にも小鳥遊の方が上だろう、と心中で分析をする。しかし無論、単純な力の強さが強さと比例するかはまた別ではあるのだが。
竹刀を振り払い、今度はアリスが竹刀を向けた。それは軽快な音をさせて防がれ、同様に跳ね返される。そのように幾らか竹刀を交わしてから、これでは矢張り限がないかとアリスは先に感じた。

小鳥遊からの攻撃を防ぐと同時、先程迄は跳ね返していたそれをせず、自分の手から竹刀を離す。力を込めていた小鳥遊は一瞬驚き平衡感覚を崩したが、丸腰になったアリスに直ぐに意識を向ける。その一瞬の内、アリスは小鳥遊の懐に入り込んだ。突然アリスが至近距離に入った事に小鳥遊は驚いて、顔が一気に赤くなる。怯んだ隙に右手で脇を、左手で手首を束縛するよう掴まれたのに気付き抵抗しようとするも時既に遅し、アリスは自分の身体を反転させると自分より体格の大きい小鳥遊をいとも簡単に背負い――、投げた。
背負い投げをかけられた小鳥遊はそれに抵抗も出来ず綺麗に地面に倒されて、何とか受け身を取ったものの痛みに顔をしかめる。いつの間にか右手から竹刀は離れている。立ち上がろうとした小鳥遊の眉間に竹刀の切っ先が向けられて、小鳥遊は動きを止めた。目だけを動かし見上げると、上にはアリスの顔。

「続けるか?」
「………参りました」
「賢明だな」

アリスは竹刀を眉間から離し、地面に落とす。そうして横たわる小鳥遊に右手を差し出して、小鳥遊を起こし上げた。起こされた事も喜悦すべきものなのだが、しかし小鳥遊はそれ以上に感動していた。立ち上がるとアリスの両肩を勢い良く掴む。アリスはその勢いに仕返しをされるのかと驚愕して怯んだが、小鳥遊は興奮した様子で感動を有り体にまくし立てる。

「さ、流石ですアリスさん! 貴方は矢張り強い!」
「だから大袈裟だと――」
「益々尊敬しました、俺も貴方を目標として日進月歩して行きます!」
「………ああうん、どうも」

アリスは疲労感を覚え、肩に入れた力を一気に抜けさせる。士官学校にも兵学校にも通ってらっしゃらないのにその剣捌きや武術の身のこなし云々、と饒舌にアリスの素晴らしさを語る小鳥遊にアリスは力無く苦笑する他ない。褒められるのは慣れてなく、しかもまた自分からしたら大袈裟であると思える程であるからだ。変なのに懐かれてしまったとアリスは思う。溜め息まで漏れてしまいそうだ。
放っておいては延々と語り続けてしまいそうであるし、これ以上聞くのもアリスからしたら難儀であった。アリスは小鳥遊を制するよう、自棄になったような大声で言葉を発する。

「で、夕食だが、今から作っては遅くなるし、食べにでも行くか?」
「あ。そうでしたね、ええ、ええ。是非ご一緒させて頂きます」
「何処に行く」
「アリスさんの望むところであれば、何処へでも」
「………」

恐らく一番困る返事だった。しかし小鳥遊の目を見てもそれ以外の意見はないらしく、変わらず肩に手を置かれたままアリスは極度の疲労感を覚えた。どうしてこうなっているのだろうと思いつつ、自分もお店はよくは知らない。
考え抜いた挙げ句、平生ロリナから連れられる店に決めた。あそこなら顔も利くし、お手軽な値段のものもあった筈だ。アリスが店の名前を告げると、小鳥遊は少し驚いたようだった。

「あの、軍人がよく行く店ですか」
「知ってるのか?」
「兄に連れられた事が何回か」
「………あ、に」

途端アリスの表情が優れなくなり、口が重くなる。兄と云う単語を聞くとどうしても想起されてしまうのは、未だ克服出来ていない証拠でもあった。小鳥遊はアリスの変化を察してどうしましたかと尋ねるが、アリスは首を横に振る。説明出来たものではなかった。

「…兄が、居るのか」
「ええ。兄が二人と、他に兄弟が三人」
「六人兄弟か。楽しそうだ」
「良いものでもないですよ。好きなおかずは取られるし、喧嘩も絶えない。俺の兄は傍若無人で、直ぐ手を出す」
「……でも、仲が良い証拠だ」
「そうかも。知れませんが」

アリスは小鳥遊の手を肩から外し、そのまま門の方向へ向かって歩き出す。小鳥遊は何か失態をしたろうかと考えたが、そこでアリスは親から捨てられたと云う話を思い出す。勿論、アリスが陰間茶屋に売られた事も、兄から数々の暴行を受けた事も知らなかったので、懐いてた兄でも居たのだろうかと推測だけした。しかし云う事は止めておいた。それは賢明な判断である。

「小鳥遊」
「はい」
「早く来い。行くんだろ」
「………はいっ!」

小鳥遊は笑顔で走り、アリスに追い付くと隣に立って嬉々として話を始める。それは武術の事であったり、アリスが好きと聞いた本の話題であったり、跳躍して今度行われる祭の話でもあった。食事中も話題に困る事はなく、小鳥遊が自分をひたすら褒めたがる以外なら、アリスは楽しんだ。別れてから、まあ質朴な奴であったのだろうとアリスは思う。
夜中過ぎに帰宅したロリナにそれを述べれば、ロリナは顎に手を当ててふむとだけ返した。その後何処かに電話をしていたようだったが、アリスは軍人だと思ってこの時は気にも留めなかった。


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