騎士道物語U




「実はな、自分は元は黄色の双眸で、エンプソン…ああ、貴殿の云う先程の青年だが…は元は黄緑の双眸だった」

淡々と紡ぐその言葉の真意が分かる筈もあるまい老人は、口元まで紅茶を運ぼうとした両手を止め、彼女がこれから続けるだろう真意の説明を待った。

「それを、自分が刔って交換したんだよ。入社する条件、則ち自分を絶対裏切らない契約としてな。悪魔と契約する際、契約書を作成するだろ? それと近い」

帽子屋が組んだ腕を崩し、長く伸ばされた爪が目立つ右手の人差し指を立てた。それを瞳を刔る仕草を真似て第二間接を曲げてみせると、老人は皴が寄り痩せこけた頬を震わせたが、次第に憤怒して唇を震わせた。

「何を有り得ない事を云う、人形じゃあないのだ、刔って交換だけでは視神経が繋がってないのだし不可能だ」
「おや、魔法は信じるくせして神経を持ち出すとはまたおかしなリアリストだな」
「――ッ」
「自分がしたのは契約だ、現実的である筈がない。ああ因みに痛みで気を失っては事だからな、差し出した紅茶に感覚を喪失させる薬は入れたよ」

女の子らしい笑みを向けた帽子屋から紡がれた言葉に老人は己の持つティー・カップを見下ろして、顔をわななかせそれを呑まず、デスクに置かれたソーサーの上へ戻した。馬鹿にしたような顔で、何も入ってないよと云う帽子屋の言葉は聞こえなかったフリをした。視線をさ迷わせ、電灯の近くを小さな虫が飛んでいる事に気が付く。先程帽子屋が視認した虫と、同一の虫である。
帽子屋はそれ以上何も云わず、室内に沈黙が下りた。次第にその空気に堪え切られなくなったのか、老人は壁に掛けられた振り子時計を見た。焦げ茶色をしたアンティークのそれは未だ夜の8時である事を示してて、少なくとも就寝を持ち出す時刻ではなかった。老人は手慰みに髭を弄り、そうしてさりげなく帽子屋の姿を見ると沈黙を打破すべく、

「…貴女のその帽子は」
「うん?」
「何の為、被られてるのですかな。室内では取られないので」

老人のやせ細った指で差され、帽子屋は自分の頭に乗せられた帽子を触った。水玉とストライプのリボンが巻かれたミニハット。お洒落で被るものであるのなら、少なくとも今のような状況では外すのが普通ではないのかとの考えからの発言である。
首元で結ったリボンに、帽子屋の女性らしい指が触れた。

「…正当化、罪から逃れる為」
「罪?」
「不思議の国のアリスを知ってるかい。英国の作家で、詩人で、数学者で写真家でもあったルイス・キャロルの作品だ」
「ああ、有名ですからな」
「それの帽子屋を捩ったんだ。気違い帽子屋、マッド・ハッター。彼が狂うと云う所以は、昔はフェルト帽製造に水銀を使用していたからだ。職業病だよ」

その情報は初耳であるものの、それと彼女が帽子を外さない関係が見出だせず、老人は眉を顰めて帽子屋を見た。
彼女は余裕ある面持ちで笑みを浮かべるだけであり、その優位にあるかのような態度がまた老人を不信にさせた。
彼女は一息吐くと、足を組み直す。

「狂っている帽子屋の真似をしたなら、自分もまた狂人と化す。狂った人間は罪を犯しても免罪される。云わば保険だ」
「貴女は罪を犯すと」
「既に裏で違犯な武器やこの時代にあってはならないものを販売してる。…まあ、おめおめと無罪を訴える趣味もないがね。それよりも、」

この後、彼女は不思議の国のアリスの作者であるルイス・キャロルの性が如何に倒錯しているかを雄弁に語り出した。
切り裂きジャックの容疑すらかけられた彼について語る意味があるのかは不明の事ではあるものの、恐らくそれは彼女が何処となく嬉々として話していたのを見る限り、恐らく彼女はそのような話に興味があった。

例えば、キャロルはエリートだった。
優秀な大学を首席で出て、同大学の数学講師となった。しかし彼は男子生徒へは良い対応はせず、教壇の前に出ても吃音癖で上手く話せはしない癖のある人物だった。
しかし彼の最大の困った性癖は、少女に性的興奮を覚えたところにある。彼は7歳〜11歳の少女しか興味がなく、少女を撮影したネガ数はおよそ三千枚であったとされる。その中には裸像もあった。無論、スキャンダルされる前にそれは破棄された。
不思議の国のアリスは周知の通り少女アリス・リデルに対して捧げられた作品であるが、その作品には実はアリスへの劣情が含まれている。それに気付いた挿絵画家のジョン・テニエルは、その良くはない性癖を、それとなく誹謗するような、皮肉な挿絵も実は中に入れている。

「彼はアリスを性的対象として見た。求婚もしたが、しかしアリスの親は厳粛な人物で、それは認められはしなかった。アリスは別の人物と結婚した」

他にもチェシャ猫のあのニヤニヤの口の理由や3月兎の発情等、一通りを話すと満足したのか何なのか、帽子屋はところで、と話を区切った。そして老人に、笑顔を向ける。
その笑顔はまるで、チェシャー州でチェシャーチーズに何時もありつける、得意顔の猫のようであったのだ。

「さて、今度は貴殿の話を聞かせて貰おうか」





「おじいちゃんはね、凄いのよ」

天井から垂れ下がるワイヤーのシャンデリアが整頓された室内を明るく照らし、分厚い参考書が沢山入った大きな本棚や色あせた地球儀、白色の立派な望遠鏡がその姿を惜しみなく見せる。

エンプソンの部屋で、少女は先程からその台詞を夢中で何回も繰り返してた。その度エンプソンは苦笑で返すしか術はなく、内心ではどんなにか疲れていたかは生憎分かるところではない。
しかしそんな彼にも気付かずに、少女は得意げに宗教のよう、老人を頻りに賞賛した。それは彼の人格と云うよりは、彼の能力を指した。
それに気が付かなかったエンプソンは、その内彼女の姿を微笑ましく見られるようになった。このような境遇であっても、両者はこれほど仲睦まじい。それは単純な微笑ましさだけでなく、羨ましさも混じった。

「おじいちゃん、他の人の家に泊まって沢山力をつけた後はね。決まって魔法で金を作るの。それを売って最低限の生活をするの」
「そうなんですか、金を作るだなんて偉大ですね」
「うん、何なら明日、おじいちゃんに貴方も作って貰ったら」
「はは…当方は遠慮しておきます」

エンプソンは魔法を信じてはなかったし、従ってあの老人も信用はしてなかった。抑、錬金術が嘘っぱちそのものである。そんな事は、エンプソンは父親であるウィリアムから聞かされてよくよく知っていた。この世は楽なものだなんてないのだと聞かされて育ったし、エンプソンもそう信じた。
しかし、誠実にしておけば必ず報われるとの父親ウィリアムの言葉は、皮肉にも彼自身の最期で否定されてしまったが。

エンプソンが優しき父親を思い出して感傷に浸っていた、正にその時だった。無知とは己を乏しめもするが、相手を刺す武器にも成り得た。

「ねえ、ところで此処には親は居ないの?」

動きが停止し、表情が固まった。ぎこちなく少女を伊達眼鏡の奥から見ると、少女は奇異な色の髪を揺らし、純粋な顔で答えを待つようエンプソンを見つめた。言葉を発しようと思ったが詰まって、背中が少し汗ばむのを感じる。制服のシャツが嫌に張り付いた。しかし何かを云わないとと、エンプソンは頑張って笑みを浮かべた。それは不器用なものだったが、未だ幼い少女には、それが虚偽である事は見分けが付きはしなかった。彼の声色も無駄に明るくなる。

「…居ないんですよー。何たって、会社ですからね」
「そうなの。じゃあ、貴方はいつ親に会うの? 此処で寝ると云う事は、同居してないのね」

まさか今日知ったばかりの年下の女の子に、あっけらかんと死んじゃいましたと云える筈もなく、エンプソンは苦笑で返した。それはその場の空気を悪くしない為でもあったろうが、しかし恐らくエンプソン自身も気持ちの整理がついてなく、それが云い辛かったからであろう。病気や事故等でなく、信じてた者に裏切られ、あらぬ疑いを受け、警察へ連行されて死刑になったその一部の動作を何せ眼前で見たのだから。
エンプソンは時計を見て、大人であれば未だ寝るには早かったが、幼子であるのならもう寝ても何ら可笑しくはない時間になっているのを幸いに、少女に柔らかく笑んだ。几帳面に整えられたベッドを指差して、

「さて、もう寝ましょうかねー。当方は床で寝ますから、そのベッドでどうぞ寝て下さいね」
「あら、貴方紳士なのね。いつかもてる時が来るわよ」
「はは…。……どうも」

少女は少女らしく爛漫な笑顔をしたかと思うと、遠慮なくベッドの中に入った。久々の毛布なのか何なのか、彼女が顔を綻ばして横になったものなので、エンプソンの顔にもまた笑みが浮かんだ。
電気を消してから、ブレザーを脱衣してネクタイを外す。有名私立校である事を示唆するエンブレムの付けられたそのブレザーを、ハンガーに掛けた。
伊達眼鏡を外して髪を掻き上げると、端麗な顔が露になる。首元まで閉められたシャツの釦を外し、溜め息を一つ吐いた。

「…1人に好かれて貰えれば、もてなくても全然、構わないのですが」

その沈吟は少女の耳には届かなかったし、増して意中の人物に届く筈もなかった。






「で。貴殿はどうしてあのような生活を営んでいるのかな」
「…と、云うと」
「魔法が使えて金を取得出来るなら、豪邸でも建てて定住すれば良い。貴殿はその生活が理想ではないと?」
「ああ、全くもってそうだ。余剰的な生活などわしは好まない」
「定住せず、必要な時に金を作り生きるのだと」
「それが最善だと、悟ったんだ」

さして興味もなさそうに、帽子屋が小さく声を漏らした。老人は彼女の反応を気にもせず、まるで懺悔する罪人のよう、テーブルの下に隠れた己の両手に視線を落として話を続ける。その時は既に、エンプソンも少女も寝静まっている頃だった。

「わしは余った金を乞食達に与える。力を持つ事は、与える事だ。貰うより、与える方が幸せだ」
「5千人の人々に5つのパンと2匹の魚を与えたイエスのようにか。立派だな」
「それが当然の事だ」

老人は下で、両手を忙しなく動かした。帽子屋は組んでいた足を直し、老人の顔を見据える。気配で分かった老人が、緘黙したまま白の眉を微かに顰めた。
蜘蛛であるラッセルが、何かを食べる音がする。それは与えられた餌かはたまた鼠か、音だけで図れるものでもなかったが。上質なソファーへ身体を埋もらせたまま、帽子屋は単簡に。

「魔法なんて、ある筈もないがね」

等と、悪びた様子すらも見せず軽微に云うものなので、老人は当然反論しようと閉じていた口を開いた。

「何を出鱈目な」
「貴殿だって、本気で云ってる訳じゃあないだろう」
「わしは本気だ」
「…確かに、ナイフで泊めて貰った家の者を刺し殺し、金目の物を強奪し、何食わぬ顔でそれを少女に『錬成したものだ』と見せる魔法ならざる魔法ならあるかもな」

老人が険難したような顔をして、帽子屋を見た。帽子屋は老人から視線を外し、自分の護身用の武器であるチェンソーに視線を遣る。その距離はどう見積もっても遠く、走ってそれを取り、電源を入れる時間を計算しても無駄な抵抗であると帽子屋は簡単に予測した。
老人は椅子から徐に立ち上がり、右手のナイフの刃を向けてみせる。柄が鳥の装飾をした銀のそれは、重厚で立派なものだった。

「それも奪ったものなんだろ」
「最初に泊めてくれた青年は華奢でな、武器がなくても直ぐに殺せた」
「只の強盗じゃないか」
「裕福なくせして恵みもしない貴様等が悪い、わしは金を持つ奴しか狙わない。黄金律も隣人愛も、誰も実践はしない」
「貴殿の殺人も好ましくないと思うが。胴欲な行為だよ」
「わしはイエスのようにはなれない」

成る程、と帽子屋は至って駘蕩とした様で頷いてみせた。

さて、要約するのなら、老人は無論賢者ではなかった。賢者である事を疑心せず信じたのは、孫である少女1人だろう。老人は大仰な演技をし、酔狂で富んだ者の家に停泊させて貰い、少女の見てない場所で家の者を殺した。恐らくは寝静まった時にでも。
そして家を漁って金を奪い、翌朝少女に見せて錬成したものだと云う。少女はそれを信じたし、信用する老人が家の者は水菓子を買いに行ってて居ないのだと教えれば、そうなのだと理解した。老人がそうする理由は単純にお金がないからで、ご老体が一気にお金を稼ぐには、真っ当に労働をするよりこの行為が余程楽で確実だった。
こうして定住もせずさ迷うのは多分、警察からの疑いをかけられない為だろう。帽子屋はとんだ子供じみたペテン師だ、と内心で笑った。

「もう分かったろう、わしは貴様とあの少年を殺して金目のものを貰って行く」
「出来るとでも?」
「チェンソーなら遠い。わしが貴様を殺す方が速いさ」
「そうかな。武器をそれ一つだと、侮っちゃあいけない。手品だってそうだ。大袈裟に用意したパフォーマンスで注意を全く別な場所に引く。自分にはもう一つ武器があってね、」

帽子屋が云い終わるや否や、扉がノックされる音がした。控え目に、しかし不思議によく透るその音。老人は驚愕し、ナイフを掴んだ右手を止めて扉を見るべく後ろを振り向いた。数秒して、もう一度ノックの音がする。その叩き方で相手に確信を得た帽子屋は、老人が気付く前に声を張り上げた。

「きゃあああ! 嫌あっ、助けてぇ!」

先程の会話からでは予想すら出来ない、女らしく甲高い声。老人は漸くはっとして、動揺しながら帽子屋を殺そうと右手を振り上げようとする。しかしそれよりも早く声は扉の前の人物に伝わって、瞬時扉が爆音を轟かせ、破壊された。老人が狼狽して肩を震わせたと同時、日本刀を右手に構えた1人の青年が壊した扉の前から室内へ勢いよく駆けて来た。
老人を目で捉えると、老人に動かれるその前に、素早くナイフを持った右手を巧みに捻り上げる。力を込めるとナイフは床に落ち、その痛みに老人が悲痛な声を発した。

「痛いっ、痛い、ひぃいい!」
「え。あ、すみません…?」

状況も理解出来ておらず、帽子屋の声で反射的に動いたアリスは困って帽子屋を見る。帽子屋はすると一瞬だけ面白げに口角を上げ、次には潤んだ瞳で胸元を押さえ、アリスを見上げた。

「アリスゥ…怖かったよぅ。その人が突然自分を強姦しようと」
「なっ…?!」
「! ち違うっ!」
「本当精神的外傷を負ってしまった…。これを治す為にアリスはラビに抱かれて下さい。ラビアリ実現して下さいお願いします」
「…。ああ、よし全然無事なようで良かった」

全然無事じゃあないよ! と叫んで反論する帽子屋を無視し、アリスは老人の両手を纏めるとテーブルに押さえ付ける。怒鳴り喚く老人に一瞥もくれる事もなく、代わりにラビとアリスの組み合わせが如何に萌えるかを熱烈に語る帽子屋を見て呆れた顔をした。帽子屋はそれに気が付くと、漸くよく動く舌を止めて。

「あ、アリス有り難う。で、クイーンのスピアを取りに来たんだよな。えーとちょっと待ってろ」
「…お前がちょっと待て」
「何? え、ラビに素直になれないから媚薬が欲しいの? 仕方ないな…」
「違う。この人はどうするんだ」

アリスが捩じ伏せた老人を示すと、靴を鳴らして棚に立て掛けられたスピアを手に取った帽子屋はああ、と事もなげに声を出した。業腹を見せる老人の上でスピアを渡し、帽子屋は有名な探偵のよう、顎に手を当てて悩むそぶりを見せた。そうして数秒すると、笑顔で首を傾げて。

「…まあ、適当に自分が対処するよ」

アリスは呆れた。






「ええええっ、さっきまでアリスさん来てたんですかー!」
「煩いよエンプソン。昨日自分寝不足してしまったんだから、小さく頼む」

翌朝。
恋慕する相手が昨日オフィスに来たのだと上司から告げられて、部下はアリスは当然もう居ない事に、大層落胆した。左手で新聞を持ち、右手で隠しながら欠伸をする上司をエンプソンは恨めしそうに睨む。眼鏡の奥のその双眸には、微かに涙すら浮かんでた。

「酷いです。直ぐにでも起こして下されば良かったのに」
「寝てただろ」
「喜んで起きますよー! マッダーさんばかり狡いです、狡いっ」
「と云っても自分はその愛しきアリスに頭を叩かれたぞ。セーラー服着てラビにべろちゅーしろと頼んだだけなのに」
「アンタな」

侮蔑すら見せるエンプソンの視線を新聞紙で帽子屋は遮って、先程エンプソンが切った水菓子を、持ち手が貝のフォークで口へと運ぶ。口内が潤い、その瑞瑞しさに帽子屋は病み付きであるようで、もう一口とフォークを刺した。向かい側の椅子に、エンプソンも腰掛ける。

「…しかも彼等も居ませんし」
「昨日の二人かね」
「そうですよ、もう出てったんですか」

――あれから、帽子屋は老人に一枚の紙を渡した。それは彼女が繋がりのあるアトリエへの紹介状であり、住み込みもさせて貰えれば食事も出して貰える場所だと彼女は云う。無論それは真っ当な仕事であり、少女であっても教われば充分出来そうな内容であった。それは彼女が老人が居なくとも、自活出来るようとの考えであった。
彼女は老人にやれ罪を贖えだの警察へ行けだのは云わなかった。それは彼女が自身が自身である為云えなかったのかは心中の範疇であるので綴る事は出来ないが、少女が朝起きた時云った言葉で、老人は目を見開いて、押し黙った。
「おじいちゃん、金はある?」
帽子屋は老人の顔を見て、少女は恐らくアトリエで1人働く事になるだろうと確信する。

帽子屋はエンプソンにはそれを云わなかった代わり、ポケットから或る石を取り出すとそれをエンプソンに見せた。半径3センチ程の、真っ赤な石である。

「…どうしたんですか、それ」
「あの子が貴殿にと。此処に居る間は、親と会えなくて寂しいだろうからこれをあげると。魔法の石だそうだ」
「………え」
「でもま、要らないよな」

帽子屋はそう云うと、返答も聞かなければ躊躇もせずその石を投げた。それはラッセルの檻の中へと入り、気が付いたラッセルが付属肢を動かしてそれを取るや食してく。石の硬そうな音がして、エンプソンは悲鳴をあげた。一方で帽子屋は食指が動いてるのか何なのか、淡々とまた水菓子を頬張った。エンプソンが泣き声で何かを云ったとて、つかうど声で対処する。

「あ、ああ、アンタは何をおおおお!」
「…貴殿は一々煩いな…。魔法なんて信じてないくせに」
「そりゃそうですが、だからと云って」
「魔法の石がなくても、立派な足があるだろ」

帽子屋の声に、エンプソンの動きが止まる。帽子屋は水菓子から目を離し、彼と左右が反対の色のその双眸で、エンプソンをじっと見た。そうして桃色の唇を動かして、次を紡ぐ。エンプソンは彼女の言動が尤もだと思ったのか、眉を下げて笑みを作り、そうですねと笑った。帽子屋はそれを複雑そうな顔で返したが、今日こそオムライスを食べに行こうかとも返したら、エンプソンは少しだけ嬉しそうにした。

「足って云うものはさ、進む為にあるんだ。貴殿にはそれがあるんだ、振り向かず進むのが性(さが)だろう」





白兎、門前。スピアの入ったケースを抱えて門番のチェックを済ませたアリスが屋敷の階段で見た人物は、黒髪にピンクのメッシュが入れられた1人の小柄な少年である。彼は水色のストライプのシャツの上にエンブレム付きの紺色のブレザーを羽織っており、首には黒のラインが入った灰色のセーターを巻いていた。何時もの首輪の装着された首元には、ピンクの蝶ネクタイ。
アリスの姿を視認するとぴくりと反応し、座ったままそわそわとロールアップされたジーンズの足を揺らす。アリスが小さく笑いかけると、無表情にナックルの嵌められた手を小さく振った。
座る彼の段まで来る。

「どうした、ケイティ」
「…アリスが昨晩出てったきり、帰って来なかったでんすから」
「…待ってたのか?」

肯定するよう、ケイティは小さく頷いた。ケイティは無表情で無口なので何を考えてるか分からない事が多々なのだが、アリスは彼のその言行がまた嬉しくて、思わず笑ってケイティの頭を撫でた。彼が自分の可愛らしい北欧テイストな部屋の窓からアリスが帰って来ないのを気にしてたのかと思うと、何ともそれは微笑ましくなる光景であった。するとそれを甘受して、気持ち良さそうな顔をする。名前の通り猫みたいだな、とアリスは微笑んだ。
撫でる手を止めて、

「……有り難う」

そうと礼を述べると、ケイティはまた無表情のままこくりと小さく頷いた。そうして階段から立ち上がり、コバルトカルサイトのような綺麗な双眸で、首を傾げてアリスをじっと見上げる。何かと聞く前に紡がれた言葉へ、アリスは苦笑した。

「…アボカドと大豆のサラダが食べたいでありんす」

隣り合わせで階段を上がりながら、アリスがクイーンにスピアを渡してからなと返すと、ケイティは素直に頷いた。見えない耳と尻尾を振りながら横を歩く彼を見て、序でに豆乳プリンとかだったら食べられるであろうから、それを食後にでも勧めようかとアリスは思った。



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