騎士道物語 それは必然たる必然を孕み、演繹法を使用する探偵でなくとも今の証拠となる状況を見れば如何なる愚鈍な者でも容易な推測が可能であり、此処まで話を難解なよう広げる必要性は残念ながら皆無であるので率直な事実のみを述べさせて頂こう、 アリスは怒っていた。 「…白兎内、ランニング3周」 命令を下されたジャバウォックとその悪友2人は、それはもう嫌そうな顔をした。 「断固、反対っ!」 事の始まりは抑、この放送局長とその悪友が、働く場所であるこの白兎の中で水鉄砲を構え遊んでいた事が起因するであろう。その3人組は色鮮やかな水鉄砲を格好よく気合いを入れ、ラビのよう構えお互いへ向かって発砲し遊んでいた。白兎の者達は放送局長が仕事もせず馬鹿な事をやってははしゃぐ姿は見慣れたものなので、ああ今日も平和だ、と平和を噛み締めながら彼等が疾風の如く、マズルから水ではなく紫や緑のゼリー状の液体を発射し走り去るのを見た。 さて、此処からが悲劇である。子供が調子に乗りすぎて何かを壊し、結果母親から叱られる姿は格段何処の国であったとて珍しい光景でもないだろう。そして主体は子供ではないが行為自体は子供のそれと何ら相違はなかったので――、それが起こったのである。則ちそう、 肘が当たって花瓶が割れた。 …此処で花瓶の持ち主であるクイーンであるのなら「ああまあ、どうせ安物だし良いよ」と桁違いな値段を意に介する事もなく、何て事もなげに云うだろう。しかし白兎には子供の悪ふざけがまるで落ちた水滴から生じる波紋のよう、無造作な状態で延長された結果生じるアクシデントを叱責する役割の母が居る。花瓶が割れた瞬間3人の脳内へ浮上したのはその日本男児であり、従って彼等は何を云うでもなくポケットの中を漁り、 「ボンドボンド!」 等と、瞬間接着剤ですらない存在を捜し出した。しかし世の中そうそう上手く事は運ばぬもの、チンと今の切羽詰まった状況とはそぐわず軽快な音を出して止まったエレベーターから出て来た者はこの白兎では少々目立つ黒髪の、日本刀を帯刀した1人の青年であった。 彼は何故かもふもふの虎の縫いぐるみを抱えたジャバウォックと、ピンクの眼鏡をかけた悪友と緑の眼鏡をかけた悪友を見、床の上へ散らばった花瓶の破片を見て、笑顔で冒頭の台詞を云ったのである。つまるところ彼の言葉の真意である裏を読むのなら、そんな元気があるんだったらスポーツで発散して来いこの野郎、である。 髪の真っ直ぐなピンク眼鏡と髪のふわふわとした緑眼鏡は背筋を伸ばし敬礼をして指示へと従おうとしたが、しかし反対の意を唱えたのはジャバウォック。アリスが紫の眼鏡をかけた彼を見ると、何と水鉄砲のマズルをこちらへ向けている。悪友は無論勝ち目は蟻と戦闘機が戦うようなものであったので、何をしてるのかと狼狽しつつ嗜めたが、 「何を恐れる皆の者、今こそ下剋上の時である、怯むな!」 と来たものである。どうやら異文化好きなジャバウォックは時代劇か何かを見たのだろう、アリスは思わず真剣な顔で云う彼へ吹きそうとなったが流石あのジャバウォックの友人と云ったところであろうか、彼等も大層悪乗りをする性格らしくおお!とアリスへ水鉄砲を構えた。 此処でジャバウォックが反旗を翻した理由としては、白兎内が広すぎる面積を持つ事である。そうしてその中を3周も走るのは体力的に無理、加えて疲れる事無理勘弁、の駄目な考えなのである。まさか水鉄砲で反抗を試みるとは考えもしなかったアリスはきっとあまりの馬鹿さ加減へ、目を瞑ってくれるだろう。そう考えたのであるが。 「文句があるならかかって来い。相手してやる」 日本刀の柄を持ち、拳で語るとでも云うようなまさかの彼。アリスの姿が以前時代劇で出た、この世で斬れぬものはないとの日本刀を持った悪を斬る武士の姿と重なった彼等は怯んだ。そうして目を合わせると、 水鉄砲と縫いぐるみをその場へ置いて、 「アリスの鬼悪魔ゾンビー!」 「超絶男前ー!」 「終わったら褒めて下さいよー!」 と理解不能な言葉を叫び、脱兎するかの如くランニングを始める彼等の後ろ姿を元気な奴等だと見送った。途中、緑眼鏡の殆ど白の金髪の頭から星の髪留めが落ちた。はあ、と溜め息を吐いたアリスはそれを拾い上げ、既に去った彼へ渡す事は今は出来なかっので、それを虎の縫いぐるみへと着けた。するとその1Mはあるであろう巨大な縫いぐるみは前代未聞のもふもふであり、思わず癒されたアリスは目を輝かせると、彼等が階段を上がった事を確認し、もう一度今度は頭を撫でようとしたところで、 「ああ居たアリス、ねえ今日の夜さ」 「っうああ!」 「エッ何どうしたのびっくりした」 予期せぬクイーンから肩を叩かれて、アリスは飛び跳ね驚いた。そのような彼の少々大仰な驚きに女王様は訳が分からず訝しんだようであり、不機嫌そうに眉を顰め仁王立ちをするクイーンを見てアリスはすまんと謝った。 何か疚しい事でもしてたのではなかろうかと様子を探るが変わった物と云えばあのジャバウォックの持ち物である縫いぐるみがある程度であり、まさかそれが『疚しい事』であるとは思いもしないクイーンは首を傾げ、しかしどうでも良くなったのかアリスからしたら有り難い事に、ところでと自分の話を持ち出した。 「今日の夜、時間ある?」 「え、あ、ああ」 「なら良かった。あのさ、帽子屋の会社に行って来てくれないかな」 突然の質問にアリスは困惑したが、どうやらお使いの頼み事のようである。クイーンの注文した品物を取りに行くのは今に始まった事ではないので珍しくはなく、寧ろ特注の靴やシャツを代わりにアリスが取りに行くのはしょっちゅうであるとも云える。それは最高権力者であるクイーンが決して少なくはない白兎の部下達に渡す書類の作成や葬式の依頼引き受け等で何だかんだ多忙であるからであり、それが分かっているからこそアリスも幹部を極力手助けすべく、自分にやれる事は理由も聞かずやるのである。 とは云え、本当の忙しさもあるであろうが、実はクイーンが帽子屋の会社に行きたがらない1番の理由はアリスは分かっていた。帽子屋のオフィスには彼女の趣味でバートランド・ラッセルとの名前の巨大蜘蛛が飼われており、隠しはするが蜘蛛が大の苦手であるクイーンは天敵の居るそこへおめおめと行きたくはない、との事である。指摘をすればクイーンの機嫌を損ねるので、指摘はしないが。 「夜なのはあっちの都合で、何でも今日の昼間は出てるんだってさ」 「分かった。しかし今度は何を頼んだんだ」 「柄が髑髏な黒のスピア」 「また悪趣味な…」 装飾ならせめて王冠だとかもう少し可愛らしいものにすれば良いものをと思ったが、それが女王様の嗜好であるのだから仕方ない。幾ら趣味を良くしろと云ったところで無駄であると重々分かりきったアリスは時計を見て、未だ午後にもなっていない事を確認した。ジャバウォック達は今頃1周の内の半分を過ぎたところであるだろう。終わったらさぞへばってしまうであろう彼等に飲み物でも買ってやるか、そう思ってアリスは別れを告げ背中を向けたクイーンの姿を見送ってから、壁に寄り掛かって彼等の帰りを待つ事にした。 「やっぱさあ、あそこで容量ケチったのがいかんよなあ。MBでなくGBにするべきだったって。思わん?」 「今回ばかりはマッダーさんに同意見ですね」 「おほっ流石エンプソン話が分かるゥ! ようし今日は貴殿の大好物のオムライスを奢ってやんよ!」 「ちょっマジですかマッダーさあん! 超素敵!」 「あっはっは知ってる!」 街中で歩きながらそうと囃し立て囃し立てられで盛り上がりを見せるのは、帽子屋組である。素面であるのにも関わらず彼女はとんだご機嫌で、平生であるならそのような暴走を見せる彼女のストッパーである部下のエンプソンも今回ばかりはご機嫌で一緒に悪乗りを見せている。往来に人だかりがしている中、調子づいて髪を掻き上げ踏ん反り返る帽子屋に笑顔で拍手を送る程である。余程、何か彼等を浮足立たせる出来事があったのだと伺える。 さて、しかし帽子屋が中身がぎっしりと詰まり重みのあるトランクを抱き抱えた時、行き交う人々が或る一点を珍しそうな顔で見ているのに気が付いた。果物の運搬で使用する樽の上に座った老人と、その直ぐ側で佇み笛を吹く少女である。 白の長髭を一本で結った老人はオカリナを吹いていて、服の袖から覗く、色は健康的ではあるものの難民のよう痩せ細った腕からも物乞いか何かだろうかと帽子屋は思ったが、赤の糸で裾の部位にクロスステッチの刺繍がなされたフード付きのローブを羽織り、所々緑の入った銀髪をした少女と擦り切れたローブを羽織る白髪の老人の出で立ちは、まるで幻想文学にでも出て来る賢者のよう古めかしく少々奇異であった。貧しい国から来る、顔や全身を金色に塗り立て民族衣装を着た物乞い等は見る事もあるけれど、今にも呪文を唱えそうな賢者の姿の物乞いは聞いた試しがない。人々が好奇心の目を向けているのが良い証拠だろう。 帽子屋はエンプソンの腕を小突き、 「…ちょ、何だろう凄く気になる。エンプソン行って来て」 「嫌ですよ日本人のスルースキルを発動させますぴきーん」 「まあまあそこを何とか」 擬音語を使用し好奇心丸出しの上司に抗命する部下を何とか丸めようと、帽子屋はアリスの隠し撮り写真を1枚ほど渡そうかとも考える。白兎と知り合ってから白兎を、格段アリスを気に入った彼女は仕事を部下へ頼んでは毎日のよう白兎へ遊びに行き、アリスに絡むようになったのである。あの出来事以来エンプソンもすっかりアリスに骨抜きとなったので、そんな彼女を見ては妬みつつ羨ましがりつつ、今日はアリスが云々との話を聞くのが日課となっていた。 因みに彼女は自らが性的倒錯者である事を包み隠さず云い、カニバリズムがどうのこうの、アリスの鎖骨を舐めたいだの強気受けが萌えだの、揚句の果て暴走し女物の衣装を着せようとするようにもなったので、アリスも女性へは決して行わぬ小突きを彼女限定でするようになった。そうしてそのようなアリスからしたら疲労以外の何物でもないやり取りを、順応性のある白兎の者は今やいつもの事と捉えているのである。 帽子屋が紺のブレザーの胸ポケットから写真を取り出そうとしたその時である。 「うっ……!」 「! お、おじいちゃん!」 突然老人が胸を苦しげに押さえたかと思うと、そのまま膝をつき、その場に倒れたのである。オカリナが老人と共に地面に落ち、バランスを崩した樽はひっくり返って中の果物をぶちまけた。慌てて屈んだ少女が老人の身体を支え大丈夫かと頻りに尋ねるが、老人は皴のある顔を歪めて激しく咳をした。群衆は助ける気はないらしくどうしたのだと見るだけだが、そこで帽子屋とエンプソンが同時老人の元へ駆け寄った。素早く屈むと口元を押さえ咳き込む老人に、 「大丈夫か、どうした?!」 「ごほっ…だ、大丈夫、です…っ」 「全然大丈夫ではなさそうですよ、医師を呼んで――」 「いえ、これはわしが神の教えに背き、禁忌を犯し、真っ当な賢者の魔力を上回る力を取得した事へ対する決まった報復です…っ、暫くしたら治…っがはっ」 「…………。はあ?」 思わず眉を顰め、神経を疑うような声を出した帽子屋の頭をエンプソンが叩く。無論痛みと不条理を感じた帽子屋がエンプソンを睨み、苦しむ老人を前にして大声で怒鳴る。 「ちょっ何をするんだね貴殿は!」 「何はアンタだああ!」 「だってこれ中二病じゃない…流石に痛くて見てらんないよ変な声も出すよ」 「意味が分かりません」 とは云えあからさまに外に出さないだけであり、老人の発した言葉に老人の神経を疑ってしまったのはエンプソンも同じである。少女は心配そうな顔でひたむきに老人を見ているし、呻く老人も助けは呼ぶなと云う。しかし話しかけてしまったからにはこのまま見捨てるかのよう左様ならをする訳にもゆかず、また厄介な人に関わってしまったなあと出そうになった溜め息を寸でで殺した。 老人の咳が止まり、落ち着いたのはそれから数分後の事。これならもう大丈夫であろうと帽子屋組がさっさとおさらばしようとしたところ、今まで一度も2人を見なかった少女が初めて視線を向けた。 「…おじいちゃんは凄い賢者様なの」 「え、は、はあ…」 「その強大な力と引き替えに、身体が弱くなっちゃって…今日はもう、まともに歩けない。でも野宿なんかしたら衰弱して死んじゃう…」 「………ええと」 期待の視線を向けられたエンプソンは困り果て、帽子屋へ視線を向ける。大方少女の云わんとした事が理解出来てしまった帽子屋も大変困ったが、改めて少女と老人の姿を見る。ヘンゼルが魔女を欺く為に使用した小さな骨のよう、余分な肉は皆無。見ると少女の頬は痩せこけており、大分汚れた肌と髪を見る限りまともにシャワーを浴びてはなさそうだし、ましてや宿に泊まる事もしてないのだろう。精々そこらの川で髪や腕を洗い、路地裏で擦り切れた布に包まって生活をしている事が見て取れる。今までもこうして同情を集める方法を(内容は些か間違ったものだけども)取ってきたのだろうかと帽子屋は財布を取り出して、 「…エンプソンの給料から差っ引くな」 「ですよね……! 泣かない!」 「それでこそ男。一週間分で良いかい」 「ああ…お金は不要です」 そこで老人のこけた右手で制されて、てっきりお金目当てだと思っていた帽子屋の動きが止まる。彼は左手で固そうな髭を梳かしながらしわがれた低い声で、 「お金は…空しい。余分にあったとて意味がない…そのようなものは、不要なのです」 「………はあ」 これは益々空気が変な方向に流れて来たぞと帽子屋とエンプソンがどちらも複雑な色を示した顔を見合わせる。しかし俯く老人は彼等の表情が見えてはいないので、その現実では有り得ない幻想的で馬鹿にすら出来る話をそのまま続けた。 「それにわしは金を作る事が出来る…」 「…ええと、錬金術ですか」 「錬金術とは。また大成せず廃れた非現実的な人間の無駄な愚行を持ち出す…わしが云うのは完璧な魔法だ。結果としては完成した錬金術と同じとも云えるが」 「は、はあ」 「しかしこのようなわしの今の状態では、魔法は使えぬ。だからと云ってお金を貰う気もない」 そこで老人の唇が結ばれ、無造作に伸ばされた白髪の隙間から年老いた薄い緑の瞳が帽子屋を見上げた。空虚なだけのお金は貰わない、しかし少女は泊まる所を所望する。それはもう後は1つしかないのではないかと帽子屋は頭を乱暴に掻き、確認の意味で尋ねた。 「…自分達の家に泊めて欲しいと?」 老人は何も云わぬばかりか首を縦にも横にも振らず、只、視線は外さなかった。此処でもう少し頭を使えば他の案が浮かんだかもしれなかったし、例え酷かろうが断って見捨てれば良い話ではあった。人間の大半が見えないふりをして生活を営んでいるのだから、イエスのように生きる事を望まぬのなら罪悪感を感じる義務は少なくともないだろう。しかし帽子屋がそのどちらもを敢えてしなかったのは、単なる興味がそうさせた。それは、自分を賢者と名乗る人間の心理と、お金で獲得出来る設備の整った宿でなく、わざわざ民泊を希望する人間の心理。畢竟、不可解な老人の言行の意味するものに興味が湧いたのである。 「…一宿一飯で構わないかい」 「マッダーさん…!」 「明日になれば、魔法は使える。充分だ」 「分かった。招待しよう、着いて来たまえ」 帽子屋はそう云うと、驚くエンプソンを無視して踵を返し歩き出す。そうしてその後を大きな木の杖を持った老人と、木の靴を履いた少女が着いて行く。エンプソンは困惑してどうしたものかと手を忙しなく動かしたが、遠ざかる帽子屋の後ろ姿を見て焦燥して彼女の後を追った。老人と少女を追い抜いた時、老人が緑の双眸でエンプソンを見たが、それには気が付かなかった。 澄まし顔で歩み続ける帽子屋の隣まで来ると、エンプソンは息を切らしながら、 「何を考えてるんですか。どう考えても無理矢理過ぎて怪しいですよ」 「興味が湧いてな」 「は? …魔法があるとでも」 「思ってはないよ、科学少年な貴殿も良く知ってる筈だ」 さも当然とばかりに云われ、それなら何故と口を開こうとしたがエンプソンは閉口した。宿泊所となる帽子屋の会社は彼女の所有物であるのだし、少なくとも聡い彼女の此の行動は何か意味があるのだろうと思えたので、自分が煩く口を挟むところではなかった。それに、老人と少女の凄惨な体躯を見ては何も云えまい。オムライスはお預けかとエンプソンはさりげなくうなだれて、仕方なくあの愛しい味を口内で想起させた。ふわふわの卵とケチャップライス、そこでエンプソンは気付く。もしかしなくとも、4人分のご飯と寝所を用意するのは他でもない自分であった。家事の一切が出来ない彼女が何をする筈もない。エンプソンは肩を落とし、大きな眼鏡の底の瞳を少しだけ潤ませた。アリスさんは今、何をしてるのかなあと思いを馳せる。 恐らくこれを人は、現実逃避と云うのである。 不気味な道程を行き、一同は帽子屋のオフィスに到達した。到達するまでの会話や描写は特に重要なものも取り立てるべきものもなかったので割愛させて頂くが、此のやり取りは割愛してはならぬだろう。次に記す。 オフィス内に置かれた巨大な檻の中に居る巨大蜘蛛を見た途端、老人は薄く開かれた目を極限まで見開き蜘蛛、バートランド・ラッセルを見上げた。鮮やかな黄色の線の入った黒色の巨体、屋敷に敷かれた絨毯のように真っ赤な8つの単眼。付属肢は太く、動くと嫌な音がする。少女は気味悪がって老人の後ろに隠れたが、老人は興奮した。 「…素晴らしい! これは、魔法で作られた蜘蛛かね」 「否、科学だ。とある実験で使用され、異常をきたし巨体と化した」 「これが科学……、まさか」 「クラークの言葉をご存知かな、発達した科学は魔法と見分けがつかないと。ラッセルはある意味、典型的な例かもしれないな」 老人は賢者と名乗るが故、自分が犯す筈もない失態を犯したからか眉間に皴を寄せばつの悪そうな顔をした。しかし帽子屋は気にしたそぶりも見せず、中を案内する。少女が老人を無垢な瞳で見上げたが、老人は少女の視線から逃げるよう杖をつき、帽子屋の後を追った。さて、これから食事とシャワーとの営みがなされたが、そこも割愛させて頂く。 割愛した場面で大切な事実の結果を書かせて頂くと、少女はエンプソンの部屋で寝る事となった。異性が同室と云う事でエンプソンは渋り、自分が老人と同室で、マッダーが少女と同室であるべきだと至って常識的な提案をしたが、帽子屋は聞かなかった。何でも、老人と話があるのだと云う。エンプソンはそれでも食ってかかったが、次の帽子屋の言葉に憤慨し、折れた。 「彼女も貴殿を男だと思ってないし、ヘタレな貴殿が間違いを犯す筈もないから大丈夫だろ。それともまさか、貴殿はロリコンかい?」 そのような訳で、エンプソンは少女を部屋の中へ招き入れ、場面は帽子屋と老人が接客室に2人きりになったところである。蜘蛛であるラッセルの足音が少し遠くから聞こえるのみで、他の物音のなく、加えて薄暗いオフィスは少々不気味だった。紅茶を差し出された老人は忙しく瞳を動かし室内を見渡した。その際、帽子屋の『護身用』であるチェンソーが視界に入って少なからず驚愕した。注がれたアールグレイで熱くなったティー・カップを老いから小刻みに震える手で持ち、沈黙を打破するよう、 「双子…ですかな」 「……誰がだい?」 「先程の制服を着衣した青年と貴女が」 「…冗談でも嫌だな、どうしてそう間違った結論に辿り着いたんだ?」 「同じ、変わった色の目をお持ちだ」 エンプソンが聞けば彼も同様同じ表情をするだろうが、帽子屋はそれはもう嫌そうな表情を隠しもせず全面に出した。まさかそこまで嫌悪感を露とされるとは予期もしなかったのだろう老人は伏せられた目をほんの少し大きくしたが、帽子屋は彼の言葉に納得したのか、腕組みをするとああと小さく呟き、そのまま足を組んで革のソファーに背中を埋めた。その弾力で身体を二、三揺らしながら天井を仰ぐ。天井の電灯に、黒色の小さな虫が1匹飛んでいるのを見た。 TURN THE PAGE |