転生もの。





 死んでから50年が経過した。このように云うと酷く不可解に聴こえるが、事実僕は50年前の4月13日に死んだそうだ。死因は何かは覚えていない。覚えていないという事は、恐らく病気ではなかったのだろう。事故か、事件か。それを親切に教えてくれる者は、今となっては最早誰も居なかった。それでは何故僕が命日を覚えているか? 簡単な事だ。僕の墓石に刻まれてあった。只それだけ。何の可笑しな事もない。
 それでは今此処に居る僕とは果たして誰か? 『生まれ変わった』僕の名前はラビと云う。死ぬ前まではメアリというのが本当の名前だったが、長く死人の名を借りた罰が此処で下ったのか、今度こそ本当にラビという名前になってしまった。顔も髪色も生まれ変わる前と何一つ変わる事がない。少々ぞっとしない話だ。だが事実は受け入れなければ仕様がない。転生する前と変わる事と云えば、両親と、僕が軍人でない事と、それから仕える女王が居ない事。そして右目がある事だ。僕は正真正銘の五体満足で、何一つ欠く事なく、人を殺める事もなく、青春を真っ当に謳歌する事を許された、そんな人生を授かる事となった。
 十年は変な気持ちが只々付き纏っていた。それは悪夢のようだった。何時か僕は、またあの小さな誉れ高き主人の元で、忠誠を誓う事になるのではないだろうか。それまでに銃の扱いを覚えていないと怒られるのではないだろうか? そう思って実際身体を動かす事を一日たりとも欠かす事はしなかった。然し何時まで経っても彼は僕の元に来ず、只々同級生の同性と異性が来るだけで、僕は結局高校に上がるまで銃を握る事はなかった。
 進学を控えた時の事だ。両親に「どんな生活を送りたい?」と聞かれ、僕は悩んだ。士官学校に進むという意思を、後少しで表明するところだった。然し僕はそこで思う。……本当に僕はまた、銃を握りたいんだろうか? かつての人生で、やり残した事はなかったか?
 そう思うと僕は口から何を云う事も出来ず、子供のようにだんまりを決め込んでしまい、両親を困らせた。心優しい母親は「一先ず大学に通ってはどうかしら?」と僕に提案した。それから自分の夢を見付ければ良いのだと。
 僕は特に夢がある訳ではなかったが、然し直ぐに士官学校に通う決意も出来ないまま、どうしても軍人になりたいのなら大学の後で士官学校に通えば良いのだと自分を納得させ、提案された通りの道を選択した。両親は僕が一人で暮らす事を推奨してくれた。僕としては親元から通っても良かったが、例えば小さな主君が突然やってきて無茶な要求をしてきた時、1人の方が都合が良いと思って、親の言葉に甘える事にした。それが僕のこれまでの人生のあらすじだ。そして大学に進学し、早くも1年が経過した。



 僕はこれまでに、1人だけ「同じくして転生した」人間に出会った。彼の昔の名前をジャバウォックと云う。今の彼の名前はジェームズと云った。ジェームズは僕を見るなり「ラビ?」と云い、僕が目を瞬かせると、かつてのような人懐こい笑顔を見せて、「お兄たんだよ。覚えてるかな」と云った。
 彼は以前に比べて少し背が低く、肌は少し白かった。奇遇な事に彼も同じ大学に通う者で、僕より1つ上の学年だった。彼はこの奇妙な転生の事を簡単に受け入れたらしく、こうなる事は何の不思議もないと云い切った。

「俺はフリーのアナウンサーとか、それからライターなんかも良いなって思ってるんだ。ラビは今後の事を決めたの」
「僕は…未だかな。士官学校に行って軍人になるか悩んでいるんだ」
「莫迦だなあ。もう昔みたいな事はしなくて良いのに。もっと楽しく生きなよ。ラビを縛るものなんて今は何もないんだから」

 若者らしい服を身に纏い、アルバイトをして買ったらしいタグホイヤーの腕時計を着けた左手でコーラを飲んでいる彼の顔には、少しの翳りもなかった。僕は少し悩んだが、ややして「グリムは?」と聞いた。彼の顔は一切曇る事がなく、寧ろよくぞ聞いてくれたとでも云わんばかりに、喜悦した表情で身を乗り出した。

「居るんだよ。俺と一緒、今同棲している。記憶もちゃんとあって、音大生。変わらずピアノが大好き」
「へえ…。…こういう事を云うのは可笑しいけど、2人は運命の出会いだったんだね」
「そりゃ。俺達はどんな人生でも、どんな人間でも、一緒になる組み合わせなんだよ。写真見る? 相変わらず天使のように綺麗だよ」

 彼が見せてくれた写真に映った男性は、確かにグリムの面影がある人物だった。然しそれでもかつてのグリムという訳ではない。僕のように全く同じ姿形である者は、酷く稀有なのではないだろうか。これは僕の罪がなしたものなのだろうか。
 彼は「今度3人で会おう」と云い、今はシャルルと云うらしい彼との馴れ初めを口に出す。音楽の用に紡がれるそれらの話を聴いていると、その小節はもう終わりであると云うように、厳格な指揮者が指揮棒を止めるように、「ところで」と彼が云った。

「アリスには会った?」
「……いや。居るの?」
「留学生として居るんだよ、この学校に。…でも、記憶が無いんだ」
「記憶が無い?」
「顔はちょっと違うんだけど、直ぐに解ったよ。グリムの時と一緒で、ああアリスだ、って解るんだね。それで話しかけたんだけど、誰か解らないと云うように、怪訝な顔をされてしまった」

 皆が平等に記憶を持っている訳ではないんだね、と彼は云った。その表情は少し寂しいものだったか、それとも安堵したものだったか、生憎僕には解らなかった。
 彼は言葉を続けず、僕も何も云わなかった。暫し沈黙が下りて、彼が仕方なさそうに「会わないの」と云った。僕は少し冷めた手元の紅茶に視線を落としたまま、

「記憶が無いのなら、会う意味が無いからね」
「…ま、その方が良いかもね」
「どうして?」
「アリスには今、恋人が居るから」

 視線を上げた。彼は何て事もなさそうに、もう殆ど中身が残っていないんだろうコーラの容器の底をストローで引っ掻き回しながら、その事実を説明する。

「俺が話しかけた時、『お知り合いですか?』って。こっちを不機嫌で見て来た同じ日本人の男が居たんだ。少し話した後でアリスの肩を抱いて行ったから、ま、間違いはないよ」
「……そう」
「ショックを受けたりは?」
「しないけど。…ただ、」
「ただ?」

 彼の水色の瞳が僕の顔を捉える。その瞳の色だけは、確かに間違いなくジャバウォックのものだった。かつて彼が僕を度々疑るように見た時と、全く一緒の視線。彼は白兎の中で、嘘を見抜くのが誰よりも上手かった。
 だから僕の今の嘘も、直ぐに見ぬかれてしまったんだろう。

「僕とアリスは、ジャバウォックやグリムと一緒で、どんな人生でも絶対に愛し合う事はないんだなって思っただけ」





 数日後、僕は大学の近くのレストランで、新たにアルバイトを始める事にした。前のアルバイトは大学から少し遠く、授業が増えた今、通い続けるのが若干大変になったからだ。
 約束の時間より少し早い。近くに時間を潰せるところはないだろうか、そう思い辺りを見回した時だった。レストランの裏口から出てきた私服を着た1人の青年と、図ったように目が合った。

「………あ」

 アリスだ、と解った。髪の毛は前よりも短く、身長も少し以前より高くなっているような気がしたが、目元が全く一緒だった。猫のように釣り上がり、何処か涼しい目。
 アリスは僕から直ぐに視線を外すと思ったが、然しそれは間違いだった。アリスは本当に驚いたようで、力が抜けたのか右肩に掛けていたバッグを地面に落とし、それでもバッグに意識を向けずに僕を見ている。そして確かに、聞き間違いではなく、彼は驚くような言葉を口にした。

「……ラビ?」

 ジャバウォックを責めようなんて事は、全く思わなかった。彼に記憶がある事を確信し、一瞬悩んだが、然し僕はアリスの前に立った。そして何時迄も拾おうとしない鞄を左手で持って、それからアリスに差し出して、

「アリス。…覚えているの」
「? アリス…?」
「……?」

 様子が可笑しい。アリス、という言葉に反応しない。少し厭な感じがした。もしかしたら僕は、思い違いをしたのかも知れない。それならば僕は話しかけるべきではなかったかも知れない。
 アリスは礼を述べ、僕の手から鞄を受け取った。そして僕の顔を不思議そうに見たままで、何故か申し訳なさそうな顔で「すまない」と云うと、

「俺はその…エバだ。…すまない、初めてなのに、何でか…知った人な気がしたんだ」
「…いや。…僕はラビだ。宜しく」
「ラビ? …当たるなんてな。不思議な事もあるものだな」

 恥ずかしいのか、或は嬉しいのか。彼ははにかんだように笑い、握手を求めてきた。差し出された右手に思わず右手を出し、ああ矢張りアリスなのだ、と思った。
 その時僕の後ろから1人の青年が現れて、彼の隣に立った。背の高く、鋭利な目の持ち主だった。何処かで見覚えがあると思い、直ぐにそれが誰だか解った。かつてアリスが持っていた写真に写っていた人物だ。…国を異にして交わる事のなかった彼が今度はアリスと結ばれる事になるなんて、と思わず浮かんだその不平は、誰に向けて思ったものだったんだろう。アリスだろうか、その隣に立つ男だろうか、それとも神だろうか。

「…誰ですか?」
「ああ…、…いや、俺が落とした鞄を拾ってくれたんだ。待たせて悪かったな、行こう」
「…ええ」
「鞄、ありがとうな」

 そう云って少し困ったように笑み、それから僕の側を通り抜け、2人は並んで行ってしまう。…僕はかつての人生において最後までアリスの恋人になる事はなかったが、然し何度も彼の隣を歩いたし、或る程度の信頼関係もあった筈だと自負している。然しそんなちっぽけな一握りの自負が、一体何の役に立つと云うだろう。それともさきの少し落胆した顔を都合良く解釈する事で、僕は多少自惚れて、そしてその後に自嘲でもすると云うんだろうか?
 …アリスが角を曲がる時、隣の恋人に気付かれないように、僕の方を振り向いた。その瞳は昔のままで、美しくて、そして名残惜しさを匂わせるその視線が、僕の心を小さく掻き乱した。
 僕は何とも云えない複雑な気分になって、溜め息を吐きたくもなりながら右手の腕時計に視線を落とす。面接に行くのに丁度良い時間でもあった。
 昔の事を何一つ覚えていないアリスが、それでも僕の顔を見て動揺し、僕の名前を正しく呼んだ事。恋人が迎えに来たのに、僕の方を未練でもあるように振り向いて、思わせぶりな視線を残して行った事。思い上がりも甚だしいと云われれば勿論何も云えないが、それでも、覚えのあるあの視線が、何時も僕に何かを云いたい時に向けていたあの不器用で蠱惑的な視線が、僕の心に何時迄も燻って離れはしなかった。

 僕は溜め込んでいた息を漸く一つ吐き、それから誰も歩いていないその道で、誰に届く事もない言葉を独り言ちる。

「……何で、恋人なんか作ってくれているんだか」

しかも随分、面倒なタイプの人間を選んで。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -