「今日は都心から骨相学者が来るんだ」

よく晴れた或る祝日の朝方に、大広間でマローブルーを味わいながら、クイーンはそう云った。紅茶は藍色から赤紫色に変化する手前のところであり、クイーンはその色変わりする見た目の美しさやポットに浮くお花の可憐な様からも、この紅茶を愛用していた。
同席していたラビの方はその情報は既知のようで何の驚いた様子もなかったが、もう1人の同席者であるアリスの方は、その聞き慣れない新たな情報に目を瞬かせた。

「コッソウガク?」
「何だ君、知らないの? この国で人気の学説だよ。頭蓋骨の形でその人の気質や精神等が解ると」
「結局はお前の好きな占いか?」
「まさか、ちゃんと科学的なものさ。お医者様が唱えているものだしね。我等がヴィクトリア女王だってかつて熱心で、王子達を見て貰ったと」

科学、というその響きは妙に説得力がないようにアリスには聞こえた。何故ならアリスからしたら頭蓋骨の形一つでその人間の本質が解るとは到底思えなかったし、日本でそのような話を聞いた事は一度もなかったからだ。
然しクイーンは特にその嘘らしいものを疑っている様子はなく、ラビの口からも否定の言葉は一切出ない(とは云え肯定の言葉も出てはいない訳であるが)。
彼等が信じるキリスト教などもアリスには今一つ理解出来ないものであり、彼等とは生まれ育った環境も土地の性質も違うから、それも致し方ない事だろうかとアリスが何も云わずに考えていると、

「ま、君は見て貰う必要なんてないだろうけど」
「どういう意味だ?」
「日本人の頭蓋骨は、既に或る事が云われているから」

何時もは特に介入しないラビだったが、この時は珍しく「クイーン」と咎めるような声を出した。クイーンは予期しなかったラビのお咎めに解りやすく眉を顰め、それからラビの方を向き、

「なあに。そりゃ君はあまり信じてないんだろうけど、」
「確かに信じてはないが、そこじゃあない。そういうところはクイーンの悪いところだ」
「なっ…、ぼ、僕はそんな…」
「全て古い考えだ。信じるのは勝手だが、それで目を見えなくしてしまうのはまずい」
「………」

押し黙ったクイーンは勿論、これにはアリスも驚いた。ラビはクイーンに対してあまり言葉をはっきりと云う方ではないという事は白兎の誰しもが大体解っているところだったので、余程何かその骨相学が酷い事を唱えているのだという事は、何も知らないアリスでも解った。
毎日放課後に飴をくれる教師から手の平を返された生徒のように、クイーンは頬を小さく膨らませ、それから小さな声で「莫迦」と云った。





「それは古い学説だよ。ヴィクトリア時代の忘れ物…といったところかな。昔否定されて廃れたが、最近はまた少し流行っているみたいだな。…古いものがかつてのように蘇る、特殊な時代だから」

白兎よりも照明の薄暗い帽子屋のオフィスには、社長である帽子屋のみが居た。エンプソンの居ないのに不安になったアリスは「エンプソンは何処に」と直ぐに答えたが、帽子屋は何て事もなく「果物を買いに」と答えた。
応接間に座らされたアリスは白色のカップに淹れられた緑茶に口をつけ、それから朝方の出来事の話をした。帽子屋は最初は退屈そうに聞いていたが、アリスが全てを話し終える頃には、水を遣って貰った一輪の花のように、生き生きとした顔になっていた。

「大日本帝国にも気学があったろう? ま、あんなものだ」
「でもクイーンは、占いとは違うと。科学的なものだと…」
「科学ねぇ…」

意気揚々としていたと思ったら、またもや実に詰まらなさそうな顔になる。表情が多様だな、と思いながらアリスは彼女の顔を見つめていた。
思えば帽子屋は哲学の話は好んだが、科学や医学などの話を好んでしていない。そしてそれは実際にその通りで、彼女の顔が大体晴れていなかったのは、その類の話をアリスが持ち込んできたからであるらしい。
晴れない顔をした彼女の後ろには、星屑のように咲き乱れるベルフラワーが籠に入っている。取引先か客からの貰い物といったところだろうか、とアリスは思った。

「科学とか医学とか、そういう括りで定義するのはあまり好きじゃあないな」
「…何で? 説得力もあるし…」
「変に説得力があって疑わない。故にそれまで誰しもなり得る、やり得る、と云われていたものが病気だとされる時、線引きが強くなり、差別が生じる。そんなものが少ししたら誤りだとされたり…」
「…でも、恩恵だってあるだろ?」
「無論だ。然し同時に弊害だってある。進歩のお陰で人は…、…。まあ、話がズレたな。戻ろう」

あまり話したくない事なのか、直ぐに言葉を切って軌道を修正させる。アリスも別に彼女とそのような話をしたい訳ではなかったので、黙ってそれを受け入れた。
そんな事よりも、と帽子屋は次に口にした。彼女はアリスが一番気にしていた事を、正しく理解していた。そしてそれに対する回答を口にする。

「クイーンが『日本人の頭蓋骨は既に解明されている』と云ったそうだな?」
「ああ、そうだ。それは…」
「骨相学では日本人は倫理的に劣る人種だ、と云われている」
「………」

アリスの表情が、あまり愉快なものではなくなった。それはと或る西洋の学説で劣るとされている事実に対するというよりも、クイーンがそれを口にしようとした事に対するものだった。
帽子屋はそんなアリスの表情を、自分の髪の毛を弄りながらじっと見つめ、彼が口を開くのを待った。アリスは少し時間をかけてから口を開き、言葉を口にした。

「…まあ、アイツの事だし、今更何でも良いけど」
「そうそう。それにラビが咎めてくれたんだろう? 良かったじゃないか」
「別に…」

アリスは帽子屋から直ぐにまた揶揄されるものだと思い、瞬時に厭そうな顔で身構えたが、帽子屋は何も云わなかった。その瞳には、純粋に「良かった」という気持ちしか孕まれていなかった。
何時もと違う対応にアリスはどう返して良いのか解らずに、取り敢えずその気まずさを共に飲み干そうと緑茶を更に飲んだ。
この後に何を話すか迷う暇もなく、突然エンプソンが扉を勢い良く開けて入って来て、

「只今ですよマッダーさぁん! なんと、ラフランスが5個買うと割引になってーー」
「エンプソン。アリスが来てるぞ」
「えっアリスさ…、…うわあああ! どうしよう当方髪の毛ぐちゃぐちゃ!」
「元からぐちゃぐちゃだし、男のくせに憧れの先輩とすっぴんで鉢合わせた女子のような反応はやめてくれるか」

至って冷めた目でそのように言葉で突き刺すマッダーを一瞥もせず、エンプソンは慌てて己の髪の毛を利き手で梳かし、それから邪気のない無垢な笑みをアリスに向けた。アリスは彼の笑顔に若干気を良くして、自分も軽く微笑んで返してみせた。エンプソンと居るとまた、白兎の誰とも違う気持ちの良さがあると感じた。
エンプソンはラフランスの入った小さな紙袋をデスクの上に置き、アリスに軽い質問を放つ。アリスはそれに答えながら、目の前の眼鏡をかけた青年が、マッダーが快く思わない科学の信者である事に気が付いた。
一瞬その話を振ろうかと思ったが、何となくやめといた方が良い気持ちに駆られ、その事には触れる事もなく、出されたあられ餅を代わりに口に含んだ。




アリスは満開の薔薇で一杯の薔薇園を経由し、戻るところである白兎に戻る。するとその大広間では女王様が大層ご機嫌に、頬を桃色に染めながら笑顔を作っていた。そして実に美味しそうに、ローリーポーリープディングを頬張っている。大体その理由は予測出来るものではあったけど、後ろからジャバウォックとグリムがやって来て、その理由を説明してくれた。

「女王、骨相学者に手放しで褒められていてね。偉大なトップの力を持った頭だと」
「それでずっとあのように上機嫌で」
「因みにお兄たんは骨相学はどうかなあと思うんだけどねえ。そりゃ昔凄く流行ったけど、どっかの人種の事を『従属する事に関する脳の領域が大きいから彼等は支配されるべきだ』とか何とか。明らかに…おっといけない、あまり云うとお兄たんが首を切られる。我等が女王に」

ジャバウォックはふざけたようにそう云うと同時、クイーンはアリスの姿に気が付いて、花のような可憐な顔でアリスを手招きした。その外観は正に妖精のようではあったが、彼をそのようにしているものは骨相学というもの以外の何物でもない事が、アリスの心理を複雑なものにした。
アリスが大人しくクイーンの側に行き、深緑色の椅子に腰掛けた途端、

「ねえ聞いてよアリス、僕、優れたトップの力の持ち主なんだって」
「ああ、良かったな」
「ラビも見て貰えば良かったのに」

小鳥が歌うようにそう云って、アリスに同意を求めるよう「ねぇ?」と云うと、ラビの方に目を遣った。アリスもそちらに目を遣ると、彼はガスマスクを被ったグリフォンと一緒に大広間を出るところであり、グリフォンは彼の腕に恋人のように手を回し、身体を密着させていた。
グリフォンは自室や彼の部屋以外のこの場所で珍しくおめかしをしていて、バレッタとお揃いのベビーピンクのワンピースを着衣していた。ハイウエストのワンピースは背中部分に大きなリボンがあって、スカートの裾のフリルやそのリボンが揺れる様は、まるで砂糖菓子のようだとアリスは思った。

「これから一緒にミュージカルに行くのだって。グリフォンがあまりにゲームゲームだから、ラビが見兼ねて。知人から譲り受けたチケットで行くんだとか」
「…グリフォンは寝そうだな。と云うか、グリフォンはガスマスクを着けたまま行くのか」
「薔薇園辺りで外すんじゃない? あまりラビ以外の白兎のメンバーには顔を見せたくないんでしょう。そう云えば、彼女も見て貰ったよ」
「何て?」
「『可愛らしい頭だ』と」

どうやら上手い事を云ったらしい。アリスは何とも云えない顔で「成る程」とだけ云った。
ところでーーとクイーンは話題を転換する。プディングを薔薇柄の銀のフォークで刺して、それから視線を少し泳がすと、

「近くの美術館で、印象派の絵画が今多く展示されているんだって」
「ふうん? でもお前そんな絵よりも悪趣味な髑髏とか、悪魔とか、そんな絵が好きだろ?」
「そ、そりゃ、そうだけど」
「あ。もしかして買う気か? 無駄遣いはするなって云っただろ、ちゃんと考えて…」
「………」
「何…、…痛い!」

先程までとは一転して機嫌を損ねた顔をして、クイーンはアリスの足を思い切り蹴った。クイーンの靴は大体重たいので蹴られる度にアリスは顔を顰めるし、蹴った側のクイーンはそれを見て益々怒りを大きくする。
クイーンは呆れたように大きく溜め息を吐き、

「信じられない。君ってば、雀みたいなちっちゃな脳しかないんだろうね。それとも藁が詰まっているのかも」
「あのなあっ…。じゃあ何だって云うんだ、」
「自分で考えなよ、案山子ボーイ」

クイーンは立ち上がるとアリスの頭を軽く小突き、それから椅子に掛けたジャケットを腕に掛けるとそのまま居なくなってしまう。クイーンの望んだ事が全く解らずに、アリスは椅子に着座したまま彼の後ろ姿を見送るしかなかった。そしてその会話を一部始終聞いていたらしいジャバウォックがポップコーンを抱えたまま隣の椅子に座り、映画の本編が始まる前の予告を観ているような、そんな期待に満ちた顔をして、アリスに話しかけた。

「…頭を殴られていたけど、どう? その変形によって、少し人格が変わった気分には?」

成る程さきの殴打が頭を変形させる程の事は無いが、ジャバウォックの云いたい事ならよく解った。
アリスは機嫌を悪くした顔をして、それから断りも入れずにジャバウォックの持ち物であるポップコーンを一つ頂戴する。

バターの甘い香りが口内に広がった。

「全く。…やっぱり、骨相学なんて信じる気にはなれないな」


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